うちの拾い子が私のために惚れ薬を飲んだらしい

トウ子

文字の大きさ
11 / 12

昔と同じ優しいあなた

しおりを挟む
呆然とする僕に笑いかけ、僕が焦がれ続けている人は、ひらりと馬から飛び降りた。

「久しいね。元気そうで何よりだ」

嬉しそうに破顔するに、僕は動揺しながらも跪拝の礼を取ろうとした。しかし、地に足をつく前に腕を取られて、本人に止められてしまった。

「必要ない、今はお忍びだからね」

視察にきた官吏のふりをしているんだ、と笑う現皇帝に、僕は喘ぐように問うた。

「どうして、ここが」
「私に嘘をついていたが教えてくれたんだ。不穏分子は全てが落ち着き、国も安定し、世継ぎも生まれたから『そろそろ良いでしょう』と、ふざけたことを言ってね。……それまで僕は、君は死んだと聞かされていた」

どこか情けなさそうな顔で、賢帝と名高い彼は言う。

「会いに来るのが遅くなって、すまなかったね。刺されたなんて、さぞ痛かったろう」

まるで、可愛がっている養い子に言うように、いたわしげに。離れていた年月がなかったかのように、親しげに。

「傷は、まだ痛むかい?」

僕の困惑も動揺も頓着せず、彼は眉を下げて首を傾げた。

「……い、え。もう、すっかり良くなっておりますので」
「そうかい。あまり無理をしてはいけないよ」
「……はい、ありがとうございます」

気遣わしげな言葉に僕はやっと苦笑する。この人は、昔から変わらない。彼は他人の、それも平民の孤児の痛みにすら、心を痛めるのだ。

「なんにせよ、君が元気そうでよかった」

路傍の石にすら価値の劣る僕の無事を、彼はさも嬉しそうに、顔を綻ばせて喜ぶ。怜悧冷徹な冷血大公と呼ばれていた日々が嘘のように。
そうだ、この人は元から優しいお方なのだ。

だからこそ、僕はあの時、きちんと消えなければならなかったのだ。

この人の憂いとならないために。
良き皇帝として立つべきこの人の足枷とならないために。
であった『僕』という存在は、死なねばならなかったのだから。

それに。

「……ご側近の方の言葉は、嘘ではございません。僕は、一度死んだのです」
「え?」

戸惑う彼に苦笑を返し、僕はぽつりぽつりと『あの日』のことを語った。

「あの日、後宮に立て籠ったレイ様を討ち、城を制圧されたご側近の方……宰相様が虫の息だった僕を連れ帰り、看病して下さりました。半年ほどして、やっと話せるところまで回復したのですが……けれど僕は、過去のことを何もかも忘れてしまっていたのです」

自嘲するように笑って、僕は彼を見上げた。『僕』は本当に、一度死んだのだ。

「忘れ薬も飲んでいないのに、流した血とともに、記憶も流れ出してしまったかのように」

せっかく高価な薬を取り寄せて頂いたのに、必要ありませんでしたね、と肩をすくめてみせたが、彼は表情を緩めることもなく、真剣な顔で僕の話を聞いている。離れてからの、僕の生活を。

「……体が回復してからは、この村に移り住みました。ご側近の方のご厚意で住処と仕事を用意して頂けまして、最初は老婆や子供に混じって糸紡ぎをしておりました」

大の男が情けないことで、と笑ってみせても、彼は穏やかな表情を変えずに笑む。

「君は器用だし、仕事も丁寧だから、喜ばれたろうね」
「い、え、それほどでも……」

かつての記憶にもないほどに、あまりに優しく接されるから、僕は落ち着かなくて、みっともなく視線を彷徨わせてしまう。

「今は村で家庭教師をしているんだって聞いたよ」

淡々とした、けれど情愛に満ちた温かい声が僕を包み込む。

「君はさぞ優秀な教師だろうねぇ」
「ふふっ、そんな……それに、最初はただの穀潰しでしたし」
「そうか。苦労して……いや、この地に受け入れてもらうために、頑張ったのだね」
「かっ、か……」

ふざけて誤魔化そうとしても、何を言っても柔らかく頷く彼のせいで、僕は潤む瞳を隠すために俯くしかなくなってしまう。
この数年、胸にポカリと空いていた穴が静かに満たされてしまう。平穏だけれど埋まらなかった悲しみの闇が、穏やかに晴れてしまう。彼の声は、昔から僕の全てを簡単に癒してしまうのだ。

「……このしずかな村で、数年かけて、少しずつ思い出しました」
「……そうか。動揺は、しなかったかい?」
「はい」

優しく問いかける声に、僕はなんとか微笑を浮かべて答えることができた。動揺はしたけれど、でも、本当に絶望はしなかったのだ。

「あぁ、そうか、と妙に納得しました。村人達は、僕のことをどこぞの貴族の落胤だと思っているみたいですけれど、元々根っからの平民なのだな、と。馴染むのが早かったはずです」
「……そうか」

きっと、僕に辛い過去を背負わせた、と彼は思っていたのだろう。僕が本気でそう言っているのだと分かると、安堵したように目を細めた。

「今、幸せかい?」
「……はい。しあわせ、です」

静かな問いかけに、僕は少し躊躇い、けれど小さく頷いた。
正直、『幸せ』かは分からない。僕は彼の言う『幸せ』というものが、どういう定義なのか分からないから。

けれど、もし満ち足りてはいることが幸せだと言うのならば、僕はずっと『幸せ』だ。
閣下の役に立ちたくて、必死に苛酷な訓練や勉強をしていた時も。
閣下のお役に立たんと、憎悪と呪詛が沈澱して血と毒に塗れた、後宮という名の伏魔殿に死を覚悟して乗り込んだ時も。
閣下が作り上げて下さった、この幸せな安寧の時代を、国の片隅から見つめることができる今も。
辛く苦しくもあったけれど、でも、この人のために生きる日々は、いつだって満ち足りていたのだ。

「この地で、今はただただ穏やかに暮らさせて頂いております」

柔らかく笑いながら、背の高い人を見上げる。
遠くからこの人の幸せを祈り、この人の治世の平穏を信じて暮らす、変わり映えのしない日常。
これは、僕が求めていたものかもしれないと、最近思う。

決して手に入らない人を、僕だけのものには決してならない人を、すぐそばで恋焦がれている日々は、本当はとても苦しかったから。

そう思いながら、今や陛下となった僕の閣下を見上げていると、愛しい人は悪戯っぽく笑って、ゆるりと目を細めた。

「ねぇ。君は、都に『心を捧げたひと』がいると聞いたけれど、誰のことか聞いても良いかい?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

過保護な義兄ふたりのお嫁さん

ユーリ
BL
念願だった三人での暮らしをスタートさせた板垣三兄弟。双子の義兄×義弟の歳の差ラブの日常は甘いのです。

顔しか取り柄のない俺が魔術師に溺愛されるまで

ゆきりんご
BL
顔ばかり褒められることに辟易して貴族界を飛び出したシャル。ギルドで活動を始めるも、顔のせいでたびたびパーティークラッシャーになり追放されることが続いた。ひょんなことから他人の顔の区別がつかないという魔術師とバディを組むことになり……? 他人の顔の区別ができない攻め×美形な自分の顔が嫌な受け ※微グロ注意

幼馴染みのハイスペックαから離れようとしたら、Ωに転化するほどの愛を示されたβの話。

叶崎みお
BL
平凡なβに生まれた千秋には、顔も頭も運動神経もいいハイスペックなαの幼馴染みがいる。 幼馴染みというだけでその隣にいるのがいたたまれなくなり、距離をとろうとするのだが、完璧なαとして周りから期待を集める幼馴染みαは「失敗できないから練習に付き合って」と千秋を頼ってきた。 大事な幼馴染みの願いならと了承すれば、「まずキスの練習がしたい」と言い出して──。 幼馴染みαの執着により、βから転化し後天性Ωになる話です。両片想いのハピエンです。 他サイト様にも投稿しております。

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

親友が虎視眈々と僕を囲い込む準備をしていた

こたま
BL
西井朔空(さく)は24歳。IT企業で社会人生活を送っていた。朔空には、高校時代の親友で今も交流のある鹿島絢斗(あやと)がいる。大学時代に起業して財を成したイケメンである。賃貸マンションの配管故障のため部屋が水浸しになり使えなくなった日、絢斗に助けを求めると…美形×平凡と思っている美人の社会人ハッピーエンドBLです。

給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!

永川さき
BL
 魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。  ただ、その食事風景は特殊なもので……。  元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師  まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。  他サイトにも掲載しています。

初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら寵妃になった僕のお話

トウ子
BL
惚れ薬を持たされて、故国のために皇帝の後宮に嫁いだ。後宮で皇帝ではない人に、初めての恋をしてしまった。初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら、きちんと皇帝を愛することができた。心からの愛を捧げたら皇帝にも愛されて、僕は寵妃になった。それだけの幸せなお話。 2022年の惚れ薬自飲BL企画参加作品。ムーンライトノベルズでも投稿しています。

処理中です...