殺された女伯爵が再び全てを取り戻すまでの話。

吉井あん

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2章 失い、そして全てを取り戻す。

86話 私はただの道具。

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 私の支度が終わる頃に、レオンも気だるそうにサロンに降りてきた。

 疲労感の溢れる表情とは対照的に、既に準備は完璧のようだ。
 昼間の会ということで、派手さはないが上品なコートをただ羽織っているだけだが、文句のつけようがないほどに美しい。

 素材と血筋の良さの成せる技に嫉妬しそうだ。


(私は選りすぐってこれなのに……)


 窓ガラスに映る自らの姿にがっかりしてしまう。
 首元まで締まった落ち着いた色合いのサンドレス。あえて小さなサファイアのネックレスだけにしたが、失敗だっただろうか。

 それよりも。

(なんでレオンは何も言って来ないのかしら)

 婚約者との初めての夜を過ごし、朝を迎えた最初の対面だ。労りの言葉の一つくらいあっても良いのではないか?
 意を決して、笑顔を作る。

「おはよう、レオン」

 レオンはちらりと横目で私を見て「おはよう」とあくびを噛み殺した。

「大変なことになったよね。王室ももうちょっと空気読んでほしいよ。昨日の裁判がどれだけ大変だったか、知っているはずなのになぁ……」

(うん?? 普通?? 戸惑っているのは私だけ??)

 昨夜、あんなことがあったのに。
 レオンはいつも通りのレオンだ。
 何かしらの変化があるかと思っていたが、私を前にしても動じる様子もない。

 レオンは侍従に濃いめに茶を淹れるように指示し、執事が渡した書類をめくる。

「出かける前に一杯だけ飲ませてもらってもいい? 眠くてさ……」
「まさかだけど、レオン。今日の午餐会のこと知ってたの?」

「いや。知らなかった。いずれ呼び出しはあるだろうけど、もう少し先かなってね、思ってたんだけどね。まさかのこのタイミング。勘弁してほしいよ」

 レオンは王家の内務官として密命を受けマンティーノスの案件を担当している。さらに裁判の始まった今、時間の余裕はない。

「でも謁見は成功させないとね。僕とフィリィの未来がかかってるんだからね」
「……あのね、その件で、お願いがあるんだけど。情報のすり合わせがしたいの。このままだと陛下の前でボロが出るわ」

 当事者でありながら、知らないことが多すぎる。
 
 これまで付き合っていて判明したことだが、レオンは何もかも当人の知らないところで事を進め、ほぼ完了したところで打ち明ける癖がある。
 優秀ゆえに人を介入させたくないのだろう。

 レオンは書類から視線をあげ、

「そうだよねぇ。フィリィも当事者だから、知る権利はあるよね。僕の気が効かなくてごめん」

 婚約に関して。
 サグント侯爵の許可は得てあり、サグント家内での手続きもとうに済んでいるらしい。
 貴族の婚姻は国王の裁可が必要となるが、こちらも既に申請済みだ。
 現状では王家からの許可待ちだという。

「ご両親の説得、できたんだ?」
「余裕。フェリシアの価値に気付かない親じゃないからね」

 権力者という者たちは鼻が利くということか。

「当然、陛下も勘付いているよ。申請してしばらく経つのに、まだ連絡がないのはそういうことさ」
「やっぱり私が問題だったのね」
「うん。正直言うとそうだね。フィリィの立場がね、政治的に微妙だからね」

 カディス貴族一の権勢を誇るサグント家の嗣子が、結婚相手として自ら望んだ相手は、何とルーゴ伯爵家の私生児だった。

 サグント家の溺愛ぶりは半端なく、政治の第一線から退いた王太后の後見も取り付けた。
 さらに古来からサグント家に引き継がれていた男爵位を与えるほどだ。
 
 それもそのはずだ。フェリシア・セラノはヨレンテの継承権を持つ唯一の存在だという。


 ーーーー最も価値のある政争の道具だ。


 つまり、婚姻関係を結び自勢力に取り込めばいい。

 カディスの穀倉庫であるマンティーノスを『ヨレンテの盟約』で王家だとしても下手に手は出せないが、再び王権の支配下に戻すためには最高の好機だ。

「陛下の末の王子がさ、まだ結婚相手が決まっていないの、知ってる?」
「まさか……」

 末王子は秋からアカデミーに入学するという記事を読んだことがある。
 今年十二歳になったばかりじゃなかったか。

「私と結婚させようと思ってる??? 私の方が七つも歳が上なのよ??」
「政略結婚に年なんて関係ない。七つなんて誤差だよ。だけど、安心していい。不可能になったから。きみは僕の婚約者であることに変更はない」

 レオンは書類を執事に渡し、

「王家に嫁ぐには、まぁ不思議なんだけど、女性は純潔でなくてならないという掟があるからね」

 純潔……。
 処女でないといけない。

「ちょっと、レオン! それって……」

 私は失ってしまった。
 昨日、この目の前の男によって。

 最低だ。
 利用されたのか。

 確かに最初は商売だと思っていた。
 けれど、時を重ねるうちにお互いに気持ちを通じ合っていたのではないのか。私だけが信じていたということなのか。

 損得抜きで結びついた関係だと思っていたのに。

「だから昨日の夜、私と寝たの……?」
「違うよ。フィリィ。誤解しないでほしい。狙ったわけじゃないよ。今日のことは知らなかったんだから。結果としてそうなったってことだよ。僕がきみを思う気持ちに嘘はないよ」
「やめて。聞きたくない」
「フィリィ」
「ごめんなさい。わかってる。わかってるけど」

 私が間違っている。
 理性では理解している。
 
 私は貴族だ。
 この体も政争の道具に過ぎないのだ。
 マンティーノスを取り戻すために有効に使うべき術でしかないということも、わかっている。

 ただ気持ちの整理ができないだけだ。
 私たちの関係の礎には政略的なものがある。その上にたまたま感情が上乗せされただけだというのに。
 勘違いしていた。

(わかっていたのに)

 こんなに気持ちが乱れるのはどうして?
 私、ここで何をしているのだろう……。
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