夏の思い出

岡倉弘毅

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黒髪

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 記憶通りの姿だった。

 昭和初期に建てられたと聞いた。

 当時、ある大会社で副社長を務めていた曽祖父が建てたらしい。

 西洋風の外観。玄関扉の上、両脇にはステンドグラスの蔦が絡まる。
 
 車寄せの下に立つと、日が陰って寒さが更に身に染みる。

 寒いこの地を、道夫は知らなかった。

 リュックの中から、大きな鍵を取り出す。

 鍵を差し込み、捻ると金属音がした。

 道夫はこの感触を知っているような気がした。

 知っているはずがない。鍵を持ったことさえ初めてなのだから。

 常に父が、伯父が鍵を開けていた。

 母でさえ鍵を持ったことはなかったのだ。

 どういう事情かは知らぬが、女子供には鍵を持たせてもらえなかった。

 男尊女卑の時代の遺物だったのかも知れない……。

 祖父は特にその傾向が強かったらしいから……。

 平成生まれの道夫からしてみれば、バカバカしい考えだとしか思えない。

 うっかり女に楯突けば、追いつめられるのは男の方だ。

 結婚した友人は漏れなく奥さんの尻に敷かれ、幸せそうに暮らしている。
 
 気を取り直して扉を開ける。

 これも初めての作業である。

 あまりの重さに驚きながらも、一人分だけ開けて入る。

 昔は家族だけではなく、親族も呼んだり、使用人も伴っていたからか、現代で考える別荘とは規模が違う。靴を脱ぐ場所だけで三畳はあるだろう。

 大正までの西洋館は主に、外交を行うための場所であったから、靴のまま上がったようだがここは別荘。生活の為の建物であった。

 靴を脱いで上がると、六畳ほどのホールが広がる。その奥に三人が並んでも余裕がありそうな幅の階段があり、二階には寝室が七つか八つあった記憶。

 一階は食堂や台所、旅館のようなお風呂があった。

 一階をうろつく。

 階段下を利用した、休憩所。狭い場所に作り付けのソファは、子供心に秘密基地めいていて、大好きな場所だった。

 食堂、大食堂、大浴場、レストランの厨房のような台所。

 応接間、サンルーム、ダンスでもできそうな大広間。

 大広間から外を見ていると、人がいるのに気付いた。

 長い黒髪……。

 道夫は駆け寄ると窓を開けようと押したのだが、鍵が掛かっていて開くはずがない。

 興奮のために不器用になった手を必死の思いで動かしてどうにか窓を開けたのだが、人影は消えていた。

 近くに家はない。

 ここは別荘地。しかも今は別荘族は敬遠する寒い時期。

(まさか……いや、ありえない、あれから十年経っているんだ、俺と同じくらいだった……)

 思いを断ち切るように道夫は、窓を閉めた。
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