拳の剣聖

シンカイ

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2己が己であるために

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 俺があちらに気付いたように、向こうもまた、俺に気付いていた。そのせいか、今にも自らの命を諦めようとしていた女の子の瞳に、僅かに生への執着が甦る。
 そして女の子がこちらに意識を向けたとほぼ同じくして狼─が俺を敵として認識したのだろうか。今まで俺に向けていた背後をそのままくるりと反転させてこちらに襲いかかってきた。

 「う、うおぁ!」

 咄嗟に狼─の飛び掛かりを必死の思いで躱す。だが──

 「ぐ、ううぅ…!」

  柔らかな深緑の海原に赤い雫が滴り落ちる。不意を突かれた為か、または日頃運動を碌にしていないせいなのか。
 狼─の、獲物を捕らえるための鋭利な爪が微かに俺の肩を抉っていた。
 微かにとは云っても肉を抉る痛みだ。凡人の俺には耐え難い痛みだった。

 「くそっ、くそっ!いてぇ!いてぇよ畜生!」

 そう痛みに悶えている間にも狼─の攻撃は続く。

 「ガァァァァアアアァァ!!」

 狼─が雄叫びを上げて再び襲い掛かってくる。

 ──休んでる暇なんてねぇ!

 俺は、これ以上の痛みを何とか回避しようと狼─の行動に過敏に反応することになる。
 俺は狼─の攻撃とびかかりをダイブで避ける。幸いここの地面は草で構成された絨毯があるのでダイブした際に負うような傷は生まれなかった。
 だが俺の体に刻まれた傷は別だ。着地の衝撃で稲妻のような痛みがズクン、と伝わる。

「ああぁぁぁぁ!くそ!くそぉ!」

 大声を上げて何とか痛みから意識を逸らそうと試みる。だが──

 「グルルルル…ウオンッ!!」

 俺の声は狼─を威嚇するように聞こえてしまっていたようだ。
 だがそんなことは俺に分かる筈もない。急に先程よりも敵意を剥き出しにした理由が俺には分からず、俺のなかには動揺の念が渦を巻く。

 ──くそ!どうしてだ?何でこいつは俺に執拗に攻撃してくるんだ!?

 いくら考えた所で俺には答えを見出だすことは出来なかった。
 後になれば色々と推測できるが、一番の理由は食事の邪魔をされたことに他ならないだろう。
 そうこうしているうちに狼─が突進して向かってきていた。未だに痛みは収まらず執拗なまでに俺を責め立てるこの傷は俺の行動を鈍くする。
 また狼─が飛び掛かるタイミングを見計らい何とか体を捻って避ける。

 ──ああもう、埒があかねぇ!

この状況を打開する突破口が分からず俺の思考は俺が段々と楽を出来る方へと流されていく。

 ──もう、いいんじゃないか?

 そうだ、これだけ時間を稼いだんだ、襲われてたあの子もきっともう逃げられたハズだよな。
 そう思い、俺はここから脱出しようと逃走できそうな道を探し始める。
 しかし、俺の視界に映ったのは──

 ──!?どうしてまだいるんだ!

 女の子がこちらを縋るような目で見つめていた。

 ──どうしてそこにいるんだ!!逃げる時間は十分にあっただろうが!?

 俺はそこで置物のように動かずじっと座っている女の子に怒りを感じた。なぜ、どうして逃げないんだ!と。
 俺は狼─からなるべく意識を外さないように最大限注意して女の子が動かない理由を探る。

 ──ああ。ちくしょう、何で気付かなかったんだ!アレじゃあ逃げられるわけ無いだろうが!

 結論から言えば、女の子は動かない訳ではなかった。
 少し冷静に目を向けることが出来ていればすぐに分かることだった。女の子の足は腫れていた。恐らく捻ったのだろう。この草原の草は先程の経験から分かる通りに、高反発のクッション並みの感触だ。
 そんな所を走り続ければ少し態勢を崩すだけでバランスが崩れるだろうことは容易に想像できる。
 つまり俺が駆けてきていた時もバランスを崩したりしていれば俺も同じような状況に陥っていたことだろう。幸運だったとしか言いようがない。
 となれば、女の子が助かる道はたったひとつしかない。
 それは、。これしかなかった。だから女の子はこちらを縋るような眼差しで見つめていたのだ。
 それしか出来ないから。俺しか自分を助ける人がいなかったから──。だから俺を見ていたのだ。
 こうして俺には逃げられない理由が出来てしまった。俺と女の子が助かる道は唯ひとつ。『狼─の撃退』だ。

 俺は考えを変える。もう逃げることは考えない。逃げたら俺は絶対に後悔するだろう。自分を嫌いになって一生拭えない心の傷を負うだろう。だから──
 ひとつ、大きく深呼吸する。そして、前を見据える。一切目を逸らすこと無く、狼─の瞳を真っ直ぐ射貫く。
 俺は素早く狼─の注意を引こうと女の子のいない方へと走り出す。狼─はそれをさも当然のように追ってきた。俺は追ってきているであろう狼─には目もくれず、ずっと目をつけていたに手を伸ばす。
 その時、果たして知性があるからなのかそれとも本能で感じたのだろうか。俺がに手をかけた瞬間猛烈な勢いで狼─が俺に迫ってくる。若干の緊張で体が硬直しそうになりつつも、をしっかりと握りしめ、迫る敵意に対して振るう。
 だがその俺の攻撃はしなやかな竹のように身を翻して躱された。

 ──計画通りだ!

俺は慌てること無く素早く手首を返し、俺が振った際に生み出した軌道をなぞるようにしてを全力で投擲する。
 先程とは違い、回避した直後の為す術もない狼─に命中した。

 ──よっしゃ成功だ!
 因みに俺の投げた物はどこにでも転がっていそうな手頃、とは少し違う、投げやすい棒きれだ。小さな頃から正投力には自信があったから実践した。自慢ではないが俺は15メートル程の距離ならば一度も外したことはない。
 俺の放った棒きれは、俺が狙った箇所─頭部へと間違いなく的中し、狼をよろめかせることに成功する。
 そして多少の怖さはあったものの、自ら作り上げたチャンスを活用すべく狼─へと接近する。
 そして回避をまともに出来ないと踏んだ俺は一気に肉薄し、狼─の胴へと渾身の蹴りを突き上げるように放つ。

 「うおらぁ!」
 「ギャイン!!」

 ボキッ、と嫌な音がした。まるで枯れ枝が折れるような音だ。その音を俺が骨の折れる音だと認識したのは、何時までも立ち上がることも出来ずがむしゃらに狼─が足を動かしていたのを見て異変を感じたからだった。
 狼は暫く足掻くように、足を動かしたあと、自らの死を受け入れるように動かなくなった。
 だがその代わりにこちらに何を思っているのか一切判らない感情のない目でこちらを見ていた。
 ……こうして俺の、人生初の戦闘が後味の悪い勝利によって幕を下ろした。
 
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