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Ⅶ 二人のオメガと二人のアルファ
③
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「リン、見て。今の時期は洋ナシが実っていて果実畑が生き生きしているよ」
馬車の窓からセレスが指さす。
「本当だ。もう少ししたら収穫全盛期だね。早いなぁ。去年の今頃は『アルファ王子に嫌われる作戦』考えていたかな?」
「そうだね。去年が遠い昔のようだ」
懐かしい景色を窓から眺める。湖畔までの三十分ほどの道のり。馬車は二台。カロール殿下とドーラ殿下、リンとセレスに分かれて乗っている。
ドーラ殿下はセレスと乗りたがったが、湖畔へ行く懐かしさとセレスとの時間を心に刻んでおきたいリンの気持ちを優先させてもらった。
ドーラ殿下はすごく不満そうだった。カロール殿下は「リーン殿下の好きにしていいよ」と微笑んでいた。リンは先ほどカロール殿下と性的なことをしてしまった気まずさがあり、セレスと二人で馬車に乗れて安堵していた。
このままカロール殿下と二人で居たら、自分がリンだと告げて殿下の腕の中に戻りたくなってしまいそうだったから。でも、それは絶対に出来ない。もし罪人であるリンがカロール殿下と接していたと知られれば、逆賊として公開処刑だ。その場合、カロール殿下が死刑執行を下す。
それは嫌だ。そんな悲惨な現実は耐えられないと心が悲鳴を上げる。リンはこの旅が終わったらひっそり一人で死にたい。誰の迷惑にならず、負担もかけずにリンの人生を終わらせたい。だからリンは死に場所を不法の森と決めている。不法の森ならばリンが死んでも死体は放置され調べられることはない。アローラ国の法律もザザ国の法律も通用しないから。もう痛い思いはしたくない。一瞬で絶命できる毒が欲しいなぁ、とリンは考える。
「リン。もう湖畔だよ。ぼんやりしていたね」
愛らしい手がリンの目の前をヒラヒラ動く。ハッと目を見開きセレスを見た。
「疲れた?」
優しく聞いてくるセレスは美しい。オメガの最高峰と言っていい外見。まっすぐな心。リンの大切な親友。どうかセレスはドーラ殿下と幸せになれますように、そう願って愛らしいセレスを抱き締める。
「わわ、ちょっと、リン。なになに? 懐かしい抱擁だ」
「うん。セレスに甘えたくなった」
「そんなの大歓迎だ。いつでも甘えてよ」
二人でクスクス笑い合う。今はリンの暗い気持ちは心に閉じ込めて、楽しまなくてはダメだ。愛らしいセレスにリンの心が癒される。
「セレス、ありがとう。もう大丈夫だ」
「果実水でも飲む?」
「う~~ん。サンドイッチの時に一緒に飲むからいいや。馬車降りよう。湖畔の澄んだ空気を吸い込みたい」
「だね! 敷物もクッションもたくさん積んできたよ。またゴロゴロしようよ」
「いいね。最高だ」
笑い合って馬車のドアを開けた。馬車の外には微笑む二人の殿下。二人の精悍なアルファ王子が緑豊かな自然の中に立つ姿は絵画のようだ。不思議な魅力がある。
隣のセレスを見ると頬を染めてドーラ殿下を見ている。そっとセレスの背を押す。セレスがリンを見て微笑む。リンが微笑み返すと、セレスは小走りに馬車から降りてドーラ殿下に抱き着いた。「わぁ」と声を上げてドーラ殿下がセレスを抱き留める。ドーラ殿下は最高にうれしそうだ。幸せそうに頬を染めて笑い合う二人。まるで演劇のワンシーンのようで見ているリンが幸せを感じる。
「リン」
カロール殿下の小さな声。カロール殿下が優しく微笑み手を差し伸べている。リンはセレスのように殿下の胸に飛び込むことが出来ない。でも今だけはこのカロール殿下の優しさに甘えたい。
「はい」
今だけだから、と自分に言い聞かせて大きな手にリンの手を預けた。
「このあたりで昼食といたしましょう」
セレスの言葉にリンが微笑んで答える。
「はい。湖の静かな輝きと木陰の空気が気もちいいですね」
二十分ほど湖畔を歩いて、いつもセレスと過ごしていた場所に着いた。久しぶりでも変わりない自然の美しさにリンは小さく感動した。
「これは良い場所だな。絵本の中に入ったようだ。ニッゼン家は良い領地を持っているな」
「そうだな。アローラ国の豊かさを知れて嬉しいよ」
二人の王子殿下も気分が良さそうに深呼吸をする。自然の美しさに四人で笑顔になる。木漏れ日が幻想的だ。ニッゼン家の侍従が敷物とクッション、ランチの支度をしてくれる。
「カロール殿下とドーラ殿下にはワインと果実酒もお持ちしております」
セレスの言葉にカロール殿下が応える。
「いいね。ドーラ、飲めるか?」
「もちろん」
二人ともアルコールに強そうだ、とリンは小さく微笑む。
「ニッゼン家領地は果実畑が多くワインや果実酒製造が盛んです。良質なものが作られておりますのでお楽しみいただけると思います」
大きく広げた絨毯に乗る。触れた感覚で分かる。ジャルル家領地の特産織物だ。懐かしい。
「この敷物は隣領地のジャルル伯爵領特産品です。ジャルル伯爵邸にも立ち寄る予定と聞いております。ジャルル家は当ニッゼン家より爵位も高く素晴らしい領地をお持ちです」
セレスがリンの家の紹介をしてくれる。少し照れくさい。
「それは楽しみにしておきます。なぁ、リーン」
「はい」
ドーラ殿下に微笑みながらリンは返事をする。ジャルル家に行くことを考えて小さく溜息をつく。ジャルル家に行って赤の他人として過ごせるだろうか。自分の存在はジャルル家ではどうなっているのだろう。それらを考えるとリンには不安しか出てこない。きらめく水面を見つめてリンは小さくため息をつく。
「はい、あ~~ん」
声と共にリンの口にブドウが一粒入ってくる。驚いたがそのまま咀嚼する。口に広がる甘い味。口がいっぱいで言葉を発せずカロール殿下を見つめる。
「美味しいね。秋の収穫までまだ早いけれど、これはニッゼン家のハウス栽培ブドウだって」
ごくりと甘いブドウをリンは飲みこむ。
「甘いです」
「うん。ほら、乾杯しよ」
振り返ると敷物の中心には低いテーブルが用意されている。テーブルには豪華な食事の数々。
「はぁ? これはどうしたのですか?」
「殿下をお連れするのにいつもの軽食では絶対にダメだ、と父が用意してくれました。でも多すぎですよね」
困ったようにセレスが肩をすくめている。何のパーティーかと突っ込みたくなり、セレスと顔を見合わせて笑う。
「すっかり仲良しになっているじゃないか。俺とドーラは敬称略で気軽に話しているよ。リーン殿下とセレスも気軽に話していいんじゃないか? これから一緒に過ごすし気遣いなしにいこうよ。俺もリーンと呼びたいし」
「カロールの言う通りだな。俺もセレスと呼びたい」
カロール殿下とドーラ殿下の提案にリンはセレスと頷き合う。セレスをセレス卿と呼ぶことに抵抗があったから。これで気兼ねなく過ごせる。
「はい。僕はそれで構いません」
「僕も、です」
セレスと『やったね』と目配せをした。
カロール殿下の乾杯の合図でグラスを傾ける。リンとセレスは果実水。カロール殿下とドーラ殿下はワインを飲んでいる。和やかに互いの国の様子を話す。現実から切り取られた絵本のようだ。リンはまるで夢の中にいるかのような幸福感に胸がいっぱいだった。このまま時が止まれば良いのに、と思った。
「さて、食後の散歩でもしようかな。良ければリーンは俺と一緒に歩こう」
カロール殿下がリンに向けて手を差し伸べてくる。四人で行かずに二手に分かれて行動するつもりだろうか。カロール殿下の手を取りながら、リンはドーラ殿下とセレスを見た。
「じゃ、セレスは俺と。カロール達と逆方向を歩こうよ」
ドーラ殿下が嬉しそうにセレスに手を差し伸べる。
「はい」
ドーラ殿下の手を取りながらセレスがリンに視線を向ける。少し不安そうなセレスにリンは会釈で『いってらっしゃい』と返事をする。リンを見てから、安心したように頬を染めて歩いていくセレスを見送った。
「俺たちも行こうよ。歩いて大丈夫かな?」
「大丈夫です。ただ、長く歩くのは無理かもしれません」
「あぁ、そうだよね。出発前に疲れさせてしまったからな」
カロール殿下の発言に、セレスの部屋でしてしまったことを思い出してリンは耳まで赤くなる。
「あはは。ごめん。リンが可愛くて意地悪してしまった」
「……カロール殿下、僕はリーンです」
「分かっている。それでも二人の時にはリンと呼んでいいだろうか? リーンはきっと思い出す。俺は愛する者を間違えたりしない」
リンを正面から見つめるカロール殿下。リンの心臓がドキドキと動きを速くする。
「ほら。せっかくだから俺たちもデートしよう」
楽しそうにリンの手を握り歩み始めるカロール殿下。「気持ちがいい場所だね」「そうですね」と他愛もない会話をしながら静かに歩いた。
カロール殿下はリンがすでに国に存在できない存在だと分かっているはず。もし罪人のリンと共に生きるのならカロール殿下が廃位して国外亡命するしかないだろう。だが、カロール殿下は王位継承権一位であり現王の唯一の実子。
カロール殿下が廃位すれば現王の兄弟殿下に王位継承権が移るが、その場合権力争いが激化する。国内紛争は避けなたほうが国のためだ。カロール殿下を見つめる。リンの視線に微笑みを返すカロール殿下。
カロール殿下は王族という血筋とアルファというバース性に恵まれた人だ。これからのアローラ国を統べていくに相応しい方。恋や愛だと一時的な感情で王位継承権を放棄していい人ではない。カロール殿下はリンとは存在価値の違う方だ。リンの不運に巻き込んではいけない。
リンの事を忘れればカロール殿下は新たな婚約者を作り結婚して、国の王として華やかな道が開ける。オメガはリンの他にもいるのだから。だからこそリンが消えることは意味がある。リンは今後自分が『リーン殿下』としてしか存在しないと心に誓う。全てはカロール殿下のためだ。
リンにできる最期の愛は、カロール殿下にリンを忘れてもらうことだ。リン・ジャルルはもう居ないのだ。そう考えるとリンの心が悲しみと切なさで沈み込む。美しい湖を眺めて、リンの目からホロリと涙が流れた。
「あれ? リン、どうかした?」
リンの涙に気が付いてカロール殿下が歩みを止める。心配そうなカロール殿下。優しさがリンの心に染みこむ。リンは優しく微笑み返す。
「何でもありません。自然の美しさに涙が流れました」
精一杯の作り笑いを顔に貼り付ける。カロール殿下は何も言わずハンカチでリンの涙を拭いてくれた。
ふとリンの脳裏にカロール殿下に会った頃が過った。カロール殿下に会った頃は、お高くとまった貴族オメガを演じて嫌われようと気を張っていた。
あの頃はカロール殿下から三行半をもらおうと奮闘していた。今はカロール殿下の心からリンを消すために頑張らなくてはいけない。目的は違っても、カロール殿下と離れる事ばかりを考えている自分に気が付く。カロール殿下と一緒になる道は、もとから無かったのだろう。愛してもどうにもならないこともあるのだ、と考えてリンの心が痛む。目の奥が熱くなる。零れる涙を止められず、リンは悲しく空を見上げた。
セレス達より先に戻ったリン達は、大きなクッションに座り自然の空気を満喫した。悲しい心は消えてくれないけれど、涙は止まった。リンは心の苦しさを隠すように、微笑みを顔に貼り付けて過ごした。
リンの気持ちを察したのか、カロール殿下は口数が少なかった。寂しそうに微笑むカロール殿下を見ると、リンの心がズキっと痛んだ。
その内にセレスとドーラ殿下が戻ってきた。二人は手を繋いでお揃いの花を胸ポケットに着けていた。付き合いたての恋人のような可愛らしさにリンの心が癒された。セレスの幸せそうな姿だけがリンの救いだった。
馬車の窓からセレスが指さす。
「本当だ。もう少ししたら収穫全盛期だね。早いなぁ。去年の今頃は『アルファ王子に嫌われる作戦』考えていたかな?」
「そうだね。去年が遠い昔のようだ」
懐かしい景色を窓から眺める。湖畔までの三十分ほどの道のり。馬車は二台。カロール殿下とドーラ殿下、リンとセレスに分かれて乗っている。
ドーラ殿下はセレスと乗りたがったが、湖畔へ行く懐かしさとセレスとの時間を心に刻んでおきたいリンの気持ちを優先させてもらった。
ドーラ殿下はすごく不満そうだった。カロール殿下は「リーン殿下の好きにしていいよ」と微笑んでいた。リンは先ほどカロール殿下と性的なことをしてしまった気まずさがあり、セレスと二人で馬車に乗れて安堵していた。
このままカロール殿下と二人で居たら、自分がリンだと告げて殿下の腕の中に戻りたくなってしまいそうだったから。でも、それは絶対に出来ない。もし罪人であるリンがカロール殿下と接していたと知られれば、逆賊として公開処刑だ。その場合、カロール殿下が死刑執行を下す。
それは嫌だ。そんな悲惨な現実は耐えられないと心が悲鳴を上げる。リンはこの旅が終わったらひっそり一人で死にたい。誰の迷惑にならず、負担もかけずにリンの人生を終わらせたい。だからリンは死に場所を不法の森と決めている。不法の森ならばリンが死んでも死体は放置され調べられることはない。アローラ国の法律もザザ国の法律も通用しないから。もう痛い思いはしたくない。一瞬で絶命できる毒が欲しいなぁ、とリンは考える。
「リン。もう湖畔だよ。ぼんやりしていたね」
愛らしい手がリンの目の前をヒラヒラ動く。ハッと目を見開きセレスを見た。
「疲れた?」
優しく聞いてくるセレスは美しい。オメガの最高峰と言っていい外見。まっすぐな心。リンの大切な親友。どうかセレスはドーラ殿下と幸せになれますように、そう願って愛らしいセレスを抱き締める。
「わわ、ちょっと、リン。なになに? 懐かしい抱擁だ」
「うん。セレスに甘えたくなった」
「そんなの大歓迎だ。いつでも甘えてよ」
二人でクスクス笑い合う。今はリンの暗い気持ちは心に閉じ込めて、楽しまなくてはダメだ。愛らしいセレスにリンの心が癒される。
「セレス、ありがとう。もう大丈夫だ」
「果実水でも飲む?」
「う~~ん。サンドイッチの時に一緒に飲むからいいや。馬車降りよう。湖畔の澄んだ空気を吸い込みたい」
「だね! 敷物もクッションもたくさん積んできたよ。またゴロゴロしようよ」
「いいね。最高だ」
笑い合って馬車のドアを開けた。馬車の外には微笑む二人の殿下。二人の精悍なアルファ王子が緑豊かな自然の中に立つ姿は絵画のようだ。不思議な魅力がある。
隣のセレスを見ると頬を染めてドーラ殿下を見ている。そっとセレスの背を押す。セレスがリンを見て微笑む。リンが微笑み返すと、セレスは小走りに馬車から降りてドーラ殿下に抱き着いた。「わぁ」と声を上げてドーラ殿下がセレスを抱き留める。ドーラ殿下は最高にうれしそうだ。幸せそうに頬を染めて笑い合う二人。まるで演劇のワンシーンのようで見ているリンが幸せを感じる。
「リン」
カロール殿下の小さな声。カロール殿下が優しく微笑み手を差し伸べている。リンはセレスのように殿下の胸に飛び込むことが出来ない。でも今だけはこのカロール殿下の優しさに甘えたい。
「はい」
今だけだから、と自分に言い聞かせて大きな手にリンの手を預けた。
「このあたりで昼食といたしましょう」
セレスの言葉にリンが微笑んで答える。
「はい。湖の静かな輝きと木陰の空気が気もちいいですね」
二十分ほど湖畔を歩いて、いつもセレスと過ごしていた場所に着いた。久しぶりでも変わりない自然の美しさにリンは小さく感動した。
「これは良い場所だな。絵本の中に入ったようだ。ニッゼン家は良い領地を持っているな」
「そうだな。アローラ国の豊かさを知れて嬉しいよ」
二人の王子殿下も気分が良さそうに深呼吸をする。自然の美しさに四人で笑顔になる。木漏れ日が幻想的だ。ニッゼン家の侍従が敷物とクッション、ランチの支度をしてくれる。
「カロール殿下とドーラ殿下にはワインと果実酒もお持ちしております」
セレスの言葉にカロール殿下が応える。
「いいね。ドーラ、飲めるか?」
「もちろん」
二人ともアルコールに強そうだ、とリンは小さく微笑む。
「ニッゼン家領地は果実畑が多くワインや果実酒製造が盛んです。良質なものが作られておりますのでお楽しみいただけると思います」
大きく広げた絨毯に乗る。触れた感覚で分かる。ジャルル家領地の特産織物だ。懐かしい。
「この敷物は隣領地のジャルル伯爵領特産品です。ジャルル伯爵邸にも立ち寄る予定と聞いております。ジャルル家は当ニッゼン家より爵位も高く素晴らしい領地をお持ちです」
セレスがリンの家の紹介をしてくれる。少し照れくさい。
「それは楽しみにしておきます。なぁ、リーン」
「はい」
ドーラ殿下に微笑みながらリンは返事をする。ジャルル家に行くことを考えて小さく溜息をつく。ジャルル家に行って赤の他人として過ごせるだろうか。自分の存在はジャルル家ではどうなっているのだろう。それらを考えるとリンには不安しか出てこない。きらめく水面を見つめてリンは小さくため息をつく。
「はい、あ~~ん」
声と共にリンの口にブドウが一粒入ってくる。驚いたがそのまま咀嚼する。口に広がる甘い味。口がいっぱいで言葉を発せずカロール殿下を見つめる。
「美味しいね。秋の収穫までまだ早いけれど、これはニッゼン家のハウス栽培ブドウだって」
ごくりと甘いブドウをリンは飲みこむ。
「甘いです」
「うん。ほら、乾杯しよ」
振り返ると敷物の中心には低いテーブルが用意されている。テーブルには豪華な食事の数々。
「はぁ? これはどうしたのですか?」
「殿下をお連れするのにいつもの軽食では絶対にダメだ、と父が用意してくれました。でも多すぎですよね」
困ったようにセレスが肩をすくめている。何のパーティーかと突っ込みたくなり、セレスと顔を見合わせて笑う。
「すっかり仲良しになっているじゃないか。俺とドーラは敬称略で気軽に話しているよ。リーン殿下とセレスも気軽に話していいんじゃないか? これから一緒に過ごすし気遣いなしにいこうよ。俺もリーンと呼びたいし」
「カロールの言う通りだな。俺もセレスと呼びたい」
カロール殿下とドーラ殿下の提案にリンはセレスと頷き合う。セレスをセレス卿と呼ぶことに抵抗があったから。これで気兼ねなく過ごせる。
「はい。僕はそれで構いません」
「僕も、です」
セレスと『やったね』と目配せをした。
カロール殿下の乾杯の合図でグラスを傾ける。リンとセレスは果実水。カロール殿下とドーラ殿下はワインを飲んでいる。和やかに互いの国の様子を話す。現実から切り取られた絵本のようだ。リンはまるで夢の中にいるかのような幸福感に胸がいっぱいだった。このまま時が止まれば良いのに、と思った。
「さて、食後の散歩でもしようかな。良ければリーンは俺と一緒に歩こう」
カロール殿下がリンに向けて手を差し伸べてくる。四人で行かずに二手に分かれて行動するつもりだろうか。カロール殿下の手を取りながら、リンはドーラ殿下とセレスを見た。
「じゃ、セレスは俺と。カロール達と逆方向を歩こうよ」
ドーラ殿下が嬉しそうにセレスに手を差し伸べる。
「はい」
ドーラ殿下の手を取りながらセレスがリンに視線を向ける。少し不安そうなセレスにリンは会釈で『いってらっしゃい』と返事をする。リンを見てから、安心したように頬を染めて歩いていくセレスを見送った。
「俺たちも行こうよ。歩いて大丈夫かな?」
「大丈夫です。ただ、長く歩くのは無理かもしれません」
「あぁ、そうだよね。出発前に疲れさせてしまったからな」
カロール殿下の発言に、セレスの部屋でしてしまったことを思い出してリンは耳まで赤くなる。
「あはは。ごめん。リンが可愛くて意地悪してしまった」
「……カロール殿下、僕はリーンです」
「分かっている。それでも二人の時にはリンと呼んでいいだろうか? リーンはきっと思い出す。俺は愛する者を間違えたりしない」
リンを正面から見つめるカロール殿下。リンの心臓がドキドキと動きを速くする。
「ほら。せっかくだから俺たちもデートしよう」
楽しそうにリンの手を握り歩み始めるカロール殿下。「気持ちがいい場所だね」「そうですね」と他愛もない会話をしながら静かに歩いた。
カロール殿下はリンがすでに国に存在できない存在だと分かっているはず。もし罪人のリンと共に生きるのならカロール殿下が廃位して国外亡命するしかないだろう。だが、カロール殿下は王位継承権一位であり現王の唯一の実子。
カロール殿下が廃位すれば現王の兄弟殿下に王位継承権が移るが、その場合権力争いが激化する。国内紛争は避けなたほうが国のためだ。カロール殿下を見つめる。リンの視線に微笑みを返すカロール殿下。
カロール殿下は王族という血筋とアルファというバース性に恵まれた人だ。これからのアローラ国を統べていくに相応しい方。恋や愛だと一時的な感情で王位継承権を放棄していい人ではない。カロール殿下はリンとは存在価値の違う方だ。リンの不運に巻き込んではいけない。
リンの事を忘れればカロール殿下は新たな婚約者を作り結婚して、国の王として華やかな道が開ける。オメガはリンの他にもいるのだから。だからこそリンが消えることは意味がある。リンは今後自分が『リーン殿下』としてしか存在しないと心に誓う。全てはカロール殿下のためだ。
リンにできる最期の愛は、カロール殿下にリンを忘れてもらうことだ。リン・ジャルルはもう居ないのだ。そう考えるとリンの心が悲しみと切なさで沈み込む。美しい湖を眺めて、リンの目からホロリと涙が流れた。
「あれ? リン、どうかした?」
リンの涙に気が付いてカロール殿下が歩みを止める。心配そうなカロール殿下。優しさがリンの心に染みこむ。リンは優しく微笑み返す。
「何でもありません。自然の美しさに涙が流れました」
精一杯の作り笑いを顔に貼り付ける。カロール殿下は何も言わずハンカチでリンの涙を拭いてくれた。
ふとリンの脳裏にカロール殿下に会った頃が過った。カロール殿下に会った頃は、お高くとまった貴族オメガを演じて嫌われようと気を張っていた。
あの頃はカロール殿下から三行半をもらおうと奮闘していた。今はカロール殿下の心からリンを消すために頑張らなくてはいけない。目的は違っても、カロール殿下と離れる事ばかりを考えている自分に気が付く。カロール殿下と一緒になる道は、もとから無かったのだろう。愛してもどうにもならないこともあるのだ、と考えてリンの心が痛む。目の奥が熱くなる。零れる涙を止められず、リンは悲しく空を見上げた。
セレス達より先に戻ったリン達は、大きなクッションに座り自然の空気を満喫した。悲しい心は消えてくれないけれど、涙は止まった。リンは心の苦しさを隠すように、微笑みを顔に貼り付けて過ごした。
リンの気持ちを察したのか、カロール殿下は口数が少なかった。寂しそうに微笑むカロール殿下を見ると、リンの心がズキっと痛んだ。
その内にセレスとドーラ殿下が戻ってきた。二人は手を繋いでお揃いの花を胸ポケットに着けていた。付き合いたての恋人のような可愛らしさにリンの心が癒された。セレスの幸せそうな姿だけがリンの救いだった。
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