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Ⅲ章 ロンと片耳の神の御使い

1 小さな恋〈side:ロン〉

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 十歳の時に母が死んだ。大好きな母だった。

丸い狸耳がピクピク可愛いお母さん。大きな熊獣人の父がいつも優しく抱き運んでいた。心配性ですぐに母を抱き上げる父。

「お母さんは病気だから、たくさん大切にして、いっぱい甘やかしているんだ。ロンもお母さんを甘やかしてあげよう」
「バカね、あなた。親が子供を甘やかすんでしょ? でも、そうね。ロン、毎日お母さんのこと、ぎゅって抱きしめてくれる?」
「そりゃいいな」
笑うお父さんとお母さん。
「じゃ、毎日、百回抱きしめるよ!」

そう言うと父も母も笑って撫でてくれた。優しい家庭。楽しかった。お母さんが病気でも、ずっと一緒だと思っていた。


 九歳の頃。母の病気がグンと進行した。頭と首の神経の付け根にある悪い塊が大きくなって神経を圧迫していると言っていた。その悪い塊が大きくなると段々身体が動かせなくなり、最後には呼吸する力が無くなってしまう、と医者から言われた。

家族三人で泣いた。母は「もう少し時間が欲しかった」と寂しそうに俺を撫でた。俺は母を抱きしめて「死なないで。居なくならないで」と必死に母にお願いした。そんな俺を、母は泣きながら撫でてくれた。撫でてくれる手の力が前より弱かった。すでに足は動かなくなっていて、手の力が徐々に弱ってきていた。母の病気の進行が怖かった。

「神様、お願い。お母さんを助けて。お母さんを空に呼ばないで。奪わないで」
毎日必死にそう願った。
その頃、「神の御使い」が出現したと騒ぎになっていた。


 俺が十歳の頃には、身体を起こすことも出来なくなっていた母。父が全ての世話を焼き、泣きそうな顔で「大丈夫だよ、きっと大丈夫だから」と口癖のように言っていた。まるで父自身に言い聞かせているようで聞いているのが辛い言葉だった。

そんな父に母はいつも微笑みかけていた。動かない身体に辛いことがあっただろう。それでも母は目を開けると微笑んでくれた。

病気に関しても身体の苦しさも、少しも弱音を言わなかった母。でも俺は知っていた。夜中に「死にたくない。もっとロンとリドと生きたい。神様、助けて」と泣いていた。きっと聞かれたくない母の本心。穏やかな微笑みで覆い隠している心。ただ泣けた。子供ながらに聞かなかったことにしようと思った。

静かに自室に戻って、布団をかぶって泣いた。



 「神の子さま、西区に、来るのね。会って、みたいわね……」

天の川の神に二度も助けられたと国中の噂である「神の子」タクマ様。王都に来ているらしいけれど、なかなか城の外に来ない。極時々、買い物に来ていたらしい、とかアイスを食べに来るらしいとか噂に聞くくらい。最近は話すことも大変になった母が微笑みながら神の子さまに会いたいと言った。]

「警護されているし、我々一般人は会えないかもしれないけれど、写真を撮ってくるよ! 出来るだけ近くまで頑張るぞ! 母さんにとびきりの神の子の写真をプレゼントするぞ」

父が大張り切りで母に声をかける。「まぁ、楽しみ」と小さな声で微笑む母。

この頃には、母はして欲しいことを言わなくなっていたから、父はがぜんヤル気になっている。俺たち家族は何となく察していた。母の死期が近い事を。だからこそ、何でもいいから母にしてあげたかった。大好きな母を甘やかして、幸せな顔をして欲しかった。


 「じゃ、行ってくるよ。母さんを頼んだぞ」
「うん。大丈夫。僕が全部できるよ。それより、ちゃんと神の子さまの写真とってね」
「任せとけ! 母さんへのプレゼントだ!父さん張り切ってくるぞ」

とびきりの笑顔の父。大好きな母のためなら神の子さまを連れてきてしまいそうだ、と笑いながら送り出した。


 夕方に戻るはずの父が戻らなかった。普段は母を心配させることはしない父。
「ロン、様子を、見てきて?」
母に声をかけられて頷く。
「わかったよ。すぐ行ってくる。一時間で戻るよ」

最速で王都に走った。西区の街がざわついている。

「事故だってさ。木材が倒壊したって」
街のざわめきを聞き心臓が跳ねる。すぐに事故近くに行くと、大型熊獣人の父は救助にあたっていた。コレはしばらく帰れないだろう。無事な姿を見られたからいい。それより母のもとに帰らなくては。

そう考えてすぐに戻ろうとすると、目に入る、黒髪の耳なし獣人。広場に座っている。動物耳が、ない。もしかして。声をかけると、本物の神の子さま。即座に逃がさないように背負って連れて来た。あまりに一気に駆け抜けて足がガクガクした。

 でも、せっかく連れて来たのに、母を助けてくれなかった。期待したのに裏切られて、神の力を母に使ってくれない悔しさに怒りが沸き上がった。

きっと俺が一般市民だからだ。きっと高貴な人の望みは叶えるんだ。そんなの、偽物だ! 本物じゃない! この時の俺は、そんな思いが心を占めていた。

「お母さん、偽物だったのかも。ごめんね」
そう言うと、薄っすら目を開けていた母は嬉しそうに微笑んだ。

「本物よ。母さんには、分かるわ。ロン、嬉しい。ありがとう」
そう言ってくれた。母さんが幸せそうな顔をしてくれたなら良いと思った。

その内に父が帰宅した。大変な事故だったと話していた。「人助けしたなら、偉いわ」と母が言って微笑んだ。父は、身振り手振りを混ぜて少し興奮気味に事故の話や西区の賑わいの話を母にした。母はニコニコ楽しそうに聞いていた。

しばらくして黙って下を向く父。
「ごめん。倒壊事故の騒ぎでカメラを無くしてしまった」
肩を落として父がポツリと言った。

「いいのよ。カメラより、するべき事をした、そんなあなたを、好きなのよ」
母は優しく微笑みながら、そう言った。項垂れた父の背中が痛々しかった。

 その夜、母が息を引きとった。苦しかっただろうに、浅くなる息とは逆に穏やかな微笑みを残して、母は旅立った。


 葬儀を行う神職に「神の子が助けてくれなかった! 神の子は意地悪だ! あんなの神の子なんかじゃない!」とわめき散らした。今思えは、俺はただ母の死を受け入れられなかっただけだ。タクマ様に怒りをぶつけていただけだ。

 母の死後二か月が過ぎ、父と暗闇のような気持ちで過ごしている時に、王族の訪問があった。そこで俺がとんでもない事をしたと分かった。神の子は本物だった。大人の尋問に、青い顔でひたすら頭を下げ続ける父を見て、全身が恐怖で震えた。

何てことをした、とんでもない子供だ、神への冒涜だ、聞こえるように父と俺にかけられる言葉。非難されるという恐怖。孤立するという苦しさ。

しばらくすると、やつれた父は泣きながら「お父さんと一緒にお母さんのところに行こうか」と言った。

「ごめんなさい。悪い事をして、ごめんなさい」
このときの俺にはそれしか言えなかった。

「いいよ。家族がバラバラになったから、いけなかっただけだよ。ロンのせいじゃない。母さんところに行けば全部、大丈夫だ。大丈夫だよ」
早くからこうすれば良かったな、と寂しそうに微笑む父。ごめんなさい。

母のところに行こうとした、その日に王室護衛から連絡が入った。

神の子が、うちに来る。俺たちを村八分のようにして非難していた住人達も、驚いて周囲に見に来た。神の子と皇子殿下が来るなんて、こんな行幸は滅多にないからだ。


 「君はお母さんの望みを叶えた最高の息子だと思うよ。行動力があって、すごいね」

神の子タクマ様がくれた言葉。向けられる笑顔。責められる日々に疲れていた俺と父を包み込むように癒してくれた優しさ。

タクマ様は本物の神の子だと実感した瞬間。俺たちがルーカス様とタクマ様と和解する場面を見て、近所の獣人は優しくなった。誤解をしてごめんね、と色々サポートをしてくれた。

そこから俺は、目標のために必死に勉強と体力作りを頑張った。そんな俺を見て、父も家業の林業を再開し、前を向くようになった。

タクマ様のために生きるんだ。その思いで王室護衛隊入隊試験に十八歳で合格した。父は大喜びしてくれた。すぐにでもタクマ様護衛になれると期待していた。

会えると思うとドキドキした。子供の頃の俺でも抱き上げられる柔らかく細い身体。小型獣人より愛らしかった。大型の習性だが、可愛くて仕方ない存在。タクマ様を尊敬するようになり崇拝すると、母のことに必死になりこんなに可愛らしいことに気が付かなかった俺は勿体ない事をしたと思ってしまう。いや、あの時は必死だったのだが。


あれから時々、ルーカス殿下とタクマ様がお忍びで家に立ち寄ってくれることがあった。

母のお墓に花を捧げてくれて、手を合わせてくれる。「ロン君、大きくなったね」会うたびに微笑みかけてくれるタクマ様。その度に照れくさいような恥ずかしい気持ちが沸き上がった。

その綺麗な姿に、この美しい神の子に俺がしたことを考えるとゾッとした。歳をとるほどに何てことをしたのだろう、と考えるようになった。

あの時、森に入ってしまったタクマ様を追いかけなかった俺。止めなかった後悔。母を助けて、と責めてしまった後悔。その全てを許して微笑んでくれるタクマ様。感謝と尊敬と、考えるだけで心がホカホカする淡い思いを抱くようになった。

あの美しいタクマ様を守ることができる。傍に、近くに居ることができる。ワクワクと興奮ではち切れそうだった、のに。
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