猫のハルタと犬のタロウ

小池 月

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<学校行事>
 「ハル、お前マジ体調、大丈夫かよ?」
雅樹に問われる。
「うん。途中ヤバかったら棄権するね」
ここのところ、夜は夢が怖くて眠れない。胃がキリキリして食事がとれない。ゼリーの栄養剤が頼りの日々。一か月で体重が四キロ減った。真剣にフラフラするけれど仕方ない。うちの高校は高校三年の六月に受験に向けて体力づくりとしてミニ登山がある。雨で中止になれ、と願っていたのに晴天。がっかりだった。とにかく一日乗り切れば明日は土曜日。休めるから大丈夫、と自分に言い聞かせる。
「俺、一緒のペースで行くから調子悪ければ言えよ」
ここのところ、すごく面倒を見てくれる雅樹。
「うん。頼りにしているよ」
今日の体調を考えると一人はさすがにしんどかったから助かる。
チラリと目にはいった虎太郎君。彼女が腕に巻き付いている。彼女に向ける優しい顔。見てしまって後悔する。キリっと胃が痛んだ。ムカムカと気持ち悪さが襲う。何かに気づいたのか僕と虎太郎君を遮るように雅樹が立つ。ほっと一息つけた。雅樹は何でもお見通しだ。スゴイな。
「ありがとう」
きっと伝わるだろう。雅樹はフイっと横を向いた。さりげない優しさが嬉しかった。

 遊歩道が整備された道。登山入り口の公園がスタートゴール。正午までに山頂の先生の名簿チェックをして昼食。十五時までに元の公園に帰ってくる。地元のウォーキングに利用されている山。体調がいいときなら高校生に問題のないコース。だけど今日の僕にはかなり厳しい。説明を聞いているだけでクラクラする。
「先に行っていいからね」
念のため雅樹に伝える。途中リタイヤすると受験に落ちると言われている。
「ばーか」
頭をぐしゃぐしゃにされて二人で笑いあう。雅樹は優しい。上手に誘導して僕の目線に虎太郎君が映らないようにしている。良いやつだな。

 猫のハルに教えてあげたい。もう君の所にタロは帰ってこないんだ。待っても無駄なんだ。もうタロのことを忘れて天国にお行き。僕の中に残っていても僕は何もできないよ。僕の中の可哀そうなハル。せっかく会えたのにね。耳を垂れて小さく震えて泣いている姿が脳をかすめる。締め付けられる思いを噛みしめる。

 行きの登り道。一時間は頑張った。六月にしては暑い気候。それも僕の体力を奪った。雅樹と二人で全生徒の最後になっていた。トリを歩く先生が「もうスタート地点に戻りなさい」と声をかけて僕たちのクラスと氏名のチェックをしていった。戻るにしても眩暈がして少し休まないと歩けない。
「俺が、もうちょい身長あったらな。ハルの事おんぶして戻るのに」
ここまで迷惑かけているのに、おんぶなんていいよ。乾いた笑いで返事をする。ふと雅樹に汗を確認される。
「あれ? さっきまで出ていた汗が出てない」
そう? それが何か問題ある? 口が震えて声が出せず目線で問いかける。ちょっと怖い顔の雅樹。いつも余裕ぶってるのに、めずらしい。
「ハル、水飲めるか?」
差し出される水筒を持つ手が震える。持っていられず水筒を落としてしまう。あ、水筒汚れちゃう、ぼんやりと水筒を目線で追った。
「おい! ハル、こっち見ろ!」
なに? 目線を動かすと、ぐらりと視界が揺れる。気持ち悪い。
「これ、マズイな。やばい。おい、ハル。意識保つように、俺をちゃんと見とけ。絶対意識失うなよ」
強い口調。何度も意識を保て、と言われる。そのうち唇に柔らかい感触。口の中に冷たい水が流れ込む。美味しい。コクリと飲み込む。何度か口に流し込まれる水。
「おい! 何してんだ!」
声がする。頭がグワングワンしていて良く分からない。何かしゃべっている。僕を抱える人に水が欲しくて
「もっと……」
とすがる。急にグイっと抱き起され唇にまた柔らかい感触。口に流れ込む冷たい甘い水。スポーツドリンクだ。身体に染みこむ。それに、まるでタロに抱き込まれた時のような幸福感。絶対の安心感。
「タロ……」
小さくつぶやいていた。静かに涙が流れた。また何度も口に流し込まれるスポーツドリンク。餌をもらうひな鳥のように与えられるだけ飲み込んでいた。
 徐々に頭がはっきりしてくる。僕は地面に寝かせられていた。上ジャージは脱がされ半そで体操着は濡れている。首元に濡れタオルが当てられている。僕を覗き込む二人。雅人と虎太郎君。タロが僕を見ている。夢のようだと思った。
「気づいたか? これでダメなら消防呼ぶところだった」
「……え?」
起き上ろうとするが頭痛がして顔をしかめる。
「まだ起きなくていい。熱中症だよ。意識失う前に水分補給できたから、身体の熱逃がして何とかなった。良かった」
少し笑う虎太郎君。タロの優しさが重なる。
「意識が戻ったなら、おんぶするよ。さすがに意識ないやつは怖くて運べない」
僕に向けて虎太郎君が、タロが話しかけている。嬉しさに心が震える。夢のようで目線が外せない。
「ハル、大丈夫?」
そっと横から声をかける雅樹。じっと雅樹を見て、また迷惑かけちゃったな、と反省する。
「……ごめんね」
一言を伝えると苦笑いのような顔をする雅樹。そのまま虎太郎君におんぶされた。荷物は雅樹が持ってくれた。夢だと思った。この僕のベッドにまた入れるなんて。支える腕の逞しさに犬のタロのカッコいい足が重なる。ゆらゆらと気持ちがいい。眠くなると「落とすと怖いから頑張って起きていて」
と声がかかる。眠くなるタイミングが分かっているみたい。さすがタロだなぁ。幸せな温かさだ。

 スタート地点の公園に戻ると直ぐに救急車で搬送されたらしい。そのあたりの記憶は残っていない。中等度熱中症と診断され総合病院の救急外来で点滴を受けた。入院せずにすみ駆け付けた母と帰宅した。雅樹が助けてくれたと言っていた。虎太郎君が居た気がするけれど、ぼんやりとしか覚えていないから僕の妄想なのかもしれない。
 熱中症のあと頭痛と眩暈が残り二日間学校を休んだ。どうにか気持ちを立て直していかないと体力が持たない。そう真剣に考えるようになった。

 学校を休んだ二日目の夕方。雅樹が来た。
「体調どう?」
「うん。いいよ。明日から学校行く予定。よく家が分かったね」
「あぁ、おばさんに病院で聞いた。状況伝えるために一緒に行ったから」
「あ、そっか。ありがとう。雅樹がいてくれて助かったよ」
おぉ、と軽く返事をして出したお茶を飲む雅樹。つられて僕もお茶を飲む。
「ハル、お前、何を抱えているんだよ?」
急に話題を振られてドキリとする。
「ちゃんと話せ。こんな風に横で倒れられるのは、嫌だ。体調が自己管理できるレベルなら、自分の中だけの問題でいいと思う。だけど、もうお前だけで対応できる状況じゃないだろ。抱えきれてないんだよ」
思いがけない言葉に雅樹を見つめる。
「どんな事でも俺が受け止めてやる。俺はそこそこ信用できる男だぞ。そしてあまり動じないから大丈夫だ」
真面目な顔で自意識過剰な言葉を言うから少し笑ってしまった。
「なんで雅樹はそんなに優しいんだよ。でも、ちょっと、話すには勇気がいるから」
「ばかやろう。学校じゃ話せないだろうから来てんだよ。内容を知ればハルをどう助ければいいかわかる。当てずっぽうに動くより全然いい。辛そうなお前見るのは苦しい。今のお前には支えがあったほうが良い」
雅樹は冷静に考えるなぁ、と感心してしまった。雅樹なら頼ってみても許されるかな。
「雅樹になら、話せる、と思う。ちょっとオカシイ奴って思うかもしれないけど……」
「アホ。井川のことじっと見つめる時点でオカシイ認定しているから安心しろ」
これには笑った。そりゃそうか。
「うん。じゃ、話すよ。」

 僕は前世の記憶が残っている事、それが猫のハルであること。犬のタロと恋人だったこと。柔らかな温かい日々の事。急に訪れた別れと待ち続ける恐怖。そして孤独に死んだことを、ゆっくり話した。雅人は、ただ僕を見ていて何も言わなかった。
そしてタロの生まれ変わりが間違いなく井川虎太郎君であること。虎太郎君はタロの記憶がない事。もうハルのタロではないことを、どうしても受け入れられない自分がいる事。僕の中のハルが哀れで仕方ない事。

 そこまで話して雅樹を見ると、静かに泣いていた。一言「ハル、苦しいな」と漏らした。それが猫のハルに向けた言葉なのか、人間の春人に向けた言葉なのか分からなかった。ただその一言に、雅樹の涙に、こらえていた悲しみが溢れ出た。わんわん泣いた。声を上げて泣き続けて気が付いたら雅樹に抱きしめられていた。この腕はタロの腕じゃない。だけど安心できる。人の温もりに少し心が癒された。
 「ハル、いや、ハルトって呼ぶわ。ハルだといつまでも猫の頃を思い出すだろ。ハルトは今生まれ変わったんだ。本当なら井川が忘れているように猫のハルの思いから解放されていい。ただ、それだけ辛い思いを残したんだろうな、ハルは。なぁ、ハルト。井川とお前が現実にタロとハルのようになると思うか?」
はっとした。人間の女子と付き合っている虎太郎君。僕に興味がない虎太郎君。タロがハルに向けた包み込む愛情は虎太郎君から僕に向けられるのか? 絶対、無理だろう。ゾクリと背中が震えた。僕の中で猫のハルが、知りたくない、と耳をふさぐ。
「だけど僕の中のハルが可哀そうだ。ずっとタロだけを待っているのに」
「そうだな。ハルの気持ちは大切にすればいい。ハルトがハルトとして満たされたら少し考え方も変わるかな?」
何を言っているのだろう。ハルはハルトだし、僕の中では一緒なのに。
「ハルト、俺と付き合ってみるか」
「え? 雅樹と? ぼくが? なんで?」
「ハルトとして生きてみるんだよ。俺はお前が好きだ。この気持ちは隠しておくつもりだった。ハルトの少し不思議な掴めないところも人との距離が適度なところも。あ、そうか。時々撫でまわしたくなるのは猫だからか。なんか分かった気がする。そこも含めてハルトとして大切にしたい」
僕の頭には神谷さんと付き合っている虎太郎君の笑顔が浮かんでいた。僕もタロ離れするべきなのかも。
「僕、雅樹の事好きなのか分からないよ。それでもいいのかな」
「いいよ。まず、それでいい」
笑う雅樹を見てどこか安心する気持ちと、ハルの弱い鳴き声が聞こえた気がした。


 学校で雅樹との距離が近くなった。雅樹が真剣な顔をしながら猫じゃらしのオモチャを出した時には大笑いしてしまった。「今はコレに興味がない」と伝えた。目の前でオモチャを振りながら「じゃ、なんでタロの事は今も引きずるのかな」と言われた。そう言われればそうか。猫の頃好きだったものは、今は好きじゃない。雅樹に話してみて新しい気づきが生まれた。人と共有できたことで僕の気持ちがだいぶ軽くなっている。雅樹が居てくれて良かった。

 放課後、教室で虎太郎君と神谷さんが手をつないでキスをしていた。目の前が真っ暗になる瞬間だった。足が震えた。僕一人なら耐えられない衝撃をしっかり支えてくれる雅樹。素直に泣ける場所があることが嬉しかった。雅樹は本当に何でも受け入れてくれた。
 付き合うと言っても手をつなぐまで。それでも心を支えてくれる雅樹に少しずつ惹かれていた。心の中の小さな震えるハルに、ごめんね、と毎日謝った。

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