あなたの涙、いただきます。〜美食家の舌鼓〜

天乃 彗

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後悔の涙は、苦いのです

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 私は弱くて、最低の人間だ。

「田中って、香織のこと好きらしいんだよね」

 ある日そんなことを言い出したのは、クラスのスクールカースト最上位の加奈子ちゃんだった。うちのクラスの女子の大半は、加奈子ちゃんの言葉には逆らえず、みんな加奈子ちゃんの機嫌を損なわないように必死だった。
 その加奈子ちゃんが隣のクラスの田中くんのことを好きだということは、みんな知っていた。だからみんな必要以上に田中くんと関わらないようにしていたのだ。
 香織──それは私がいつも行動を共にしている親友の名だった。香織は田中くんと委員会が一緒で、加奈子ちゃんのことは知っているけど、自然と田中くんと一緒にいることが多い。でも、だからって。じわり、と背中に嫌な汗をかいた。

「マジムカつく……ブスのくせに。今度から香織のことは全員でシカトだから。分かった?」

 みんな、嫌だとは言えなかった。……私も言えなかった。ここで加奈子ちゃんに楯突いて、自分が標的になることが怖かったのだ。


 次の日から、香織へのいじめが始まった。クラスのみんな、香織のLINEをブロックするように命じられたし、話しかけられても徹底的にシカトするように言われた。香織はもちろんそんなこと知らないから、戸惑いながらも私に話しかけてきていたけど、加奈子ちゃんの視線が怖くて、私も香織のことを無視した。
 目をつけられたくないから、加奈子ちゃんのグループの子達と行動を共にした。加奈子ちゃんのグループの子達は、隙あらば香織の悪口を言っていた。否定すると目をつけられると思って、話を合わせて笑った。
 香織はもちろん一人で行動するようになった。日に日に元気が無くなっていくのがわかって、加奈子ちゃんはざまあみろって笑っていた。


 ある日の部活中、香織はありえないミスを連発して、顧問にも怒られていた。普段はそんなミスしない。原因は明白だった。彼女は加奈子ちゃん達の──私たちのせいで、精神的に滅入っているんだ。
 ギクリ、と心臓が嫌な音をたてた。もしかして私、とんでもないことをしてるんじゃないか。自分の身がかわいいからって、何年も一緒に過ごした親友に、酷いことをしている。当たり前のことに、今さら気がついた。
 帰りに1人でとぼとぼ歩く彼女の背中に、声をかけようと思った。でも、かけれなかった。こんな最低なことをしておいて、今さらどんな顔して、何を言えばいいんだろう。


 * * *


──また今日も声をかけられなかった。
 私は教室から、門を出る彼女の背中を眺める。1人で歩く背中は、どこか前よりすっきりして見えた。……私のことなんてもう気にしてないんだろうか。でも、当然だ。私は最低なことをした。

「もう……何やってんだろう」

 なんであの時、私はやらないって言えなかったんだろう。
 なんであの時、香織のことを庇ってあげなかったんだろう。
 今更次から次へと湧き出る後悔の念に押し潰されそうだった。
 あの時私が加奈子ちゃんにやらないって言えてたら。
 香織は田中くんのことは好きじゃないってちゃんと説明していれば。
 私がシカトなんかに加担してなかったら。
……たら。……れば。
……たら。……れば。
 そんな考えばかりが浮かんだ。自分の弱さが招いた結果なのに、私は最低だ。前みたいに、香織と笑って話したい。楽しかった頃の思い出が頭をよぎり、じんわりと涙がにじんだ。もう、遅いのかな……。

「よしよしいい感じです。ゆっくりと雫を落としてください。焦らずゆっくりでいいのです」

──……? 
 小さな声が、聞こえた。誰かいたのかと思って、焦る。教室で1人泣いてるなんて、誰にも見られたくない! 

「ああぁ……よそ見しないで下さい……! せっかくセットしたバケツが……!」

 バケツ? 私は思わず清掃用具入れを見る。人はいない。
 気のせいだったのかと机に視線を戻すと、バケツを掲げた小さいおじさんと目が合った。

「……え?」
「……おや?」

 小さいおじさんは、少し固まった後、バケツをおいて恭しく礼をした。

「いやはや、先程は失礼な口を……どうやら貴女にもわたくしが見えているようですね」
「……喋った……」

 おもちゃかと思ったけど、違うらしい。私はおじさんを凝視しながら突いてみる。

「ひぃっ! 何をなさるんですか! 止めてください! くすぐったいです!」

 おじさんは私の指をあたふたと避けた。……人間、なのかな。
 そのおじさんは工事現場みたいな真っ黄色のヘルメットを頭につけているでも服装はヘルメットに似合わずタキシード。しわ一つないそれには上品ささえもうかがえる。さっき掲げていたバケツは体の割にかなり大きく、持ち運びが大変そうだな、なんて、何故か冷静に思った。
 おじさんは乱れた蝶ネクタイを正しながら、咳払いをした。

「えぇとですね、私は旅の美食家。貴女の涙をご馳走になるべく、こちらに参った次第でございます」
「……はぁ」

 いろいろと疑問はある。でも、そもそもこの人の存在が謎なのだから、聞いても意味がないと思った。

「貴女、今泣くところだったでしょう。さぁさぁ、中断してしまいましたが、続けてください。どうぞ」
「……どうぞと言われても」

 このおじさんのせいで涙なんて引っ込んでしまった。するとおじさんは私の言いたいことが分かったのか、髭をさすりながら言った。

「何で泣きそうだったのです? 順に話してみてください。人に順をおって話してみると込み上げてくることがあるのです」

 おじさんはバケツをおろしながら、私を見上げた。……私以外をあたるっていう選択はないようだったので、私は少しずつおじさんに話し始めた。

「後悔、してるんだ」
「……と、言いますと?」
「友達に、ひどいことをしたの。自分が悪いのに、自分の行動を悔やまずにはいられない……」

 私はおじさんに全部話した。親友がいじめの標的になったのに、何も出来なかったどころか、自分の身を守るためにそれに加担してしまったこと。彼女は深く傷ついていたこと。いまだに謝れていないこと。
 やっぱり話しているうちに涙がにじんできた。話を黙って聞いていたおじさんは、私の涙に気が付いたようだった。早速バケツを用意するのだろう──そう思ったけど、彼は全く違う行動に出た。彼はよいしょ、と取っ手の部分を肩に掛けてバケツを背負い、私を見上げた。

「……今、貴女から涙をいただくのは止めましょう」
「え……?」

 驚いた。あんなに涙を欲しがっていたくせに、どうして? やっぱり心が弱くて汚い奴の涙は美味しくないってこと? 
 おじさんは私の表情を読み取ったらしい。宥めるように、優しく話しだした。

「涙にもいろいろな味がありましてね」

 宥めるんじゃなくてとどめ……? 私は訝しげにおじさんを見た。おじさんは焦ったように早口で話す。

「もちろん個人個人でも味は少しずつ異なりますが……私が言いたいのは感情による味の違いです」
「感情……?」
「はい。涙にもいろいろあるでしょう。嬉し涙、悔し涙、痛い、悲しい、苦しい、──これらは微妙に味が違います」

 おじさんは髭をさすりながら話を続ける。

「今、貴女から流れる涙──それは後悔の涙です。後悔の涙は、苦いのです。私はあまり苦いのは得意でない」
「……ならもうほっといて。勝手に1人で泣いてるから、他当たって」
「まぁ、そう仰らずに」

 そっぽを向く私に、おじさんはゆっくりとした口調で言った。

「私ほどの美食家は、どの方の涙が美味しいかはすぐに分かります。貴女の涙はきっと美味しい。ですから、より美味しい涙をいただきたいのです」
「どうしろって言うの?」
「今からその方に会いに行って、謝りましょう。後悔の苦みがなくなります」
「えっ……! な、何言ってるの!?」

 驚きと戸惑いで、涙が少し零れた。おじさんはもったいなさそうにそれを見ている。

「許してくれるかどうかなんて分からないよ……っ!」
「きっとうまくいきますよ。私が保障致します」
「何で言い切れるの?」

 眉をしかめる私に、おじさんはただただにっこりと笑った。


 * * *


 おじさんを肩に乗せて、彼女の家のインターホンを鳴らした。緊張でどうにかなってしまいそうだった。

《──はい》

 出たのは彼女だった。カメラ付きのインターホンだから、私だって分かっているはず。それでも一応出てくれたんだ。私はゴクリと唾を飲んだ。

「あの……私……」
《とりあえず、あがって》

 回線が切れると、玄関から彼女が出てきた。彼女は何も言わず、私も何も言えず彼女を追った。しばらくぶりの彼女の部屋はかわってなくて。懐かしくて鼻の奥がツンとした。
 勉強机の椅子に腰掛けて、私に背を向けた彼女に、少しずつ語り掛ける。

「……田中くんの好きな人、香織なんだって」

 彼女の体がピクリと動いた。驚くのも無理はない。

「それで、加奈子ちゃんが……香織のことシカトしようって言い始めたの。私、やらないって、言えなくて……」

 彼女はようやくこっちを見てくれた。

「……香織、ごめんね。ごめん。私、自分が加奈子ちゃんの標的になるのが怖くて、黙って加奈子ちゃん達と一緒になって香織のことシカトしたの。最低だったって、今さら気付いた。許してくれないかもだけど……謝り、たくって……」

 ちゃんと話したいのに、嗚咽が混じって、上手く喋れない。込み上げてくる涙をこらえようとしても、無駄だった。次から次へと出てきてしまう。

「……それ、私に言ってよかったの? 私に言ったことが加奈子ちゃんにバレたら、今度は早紀が……」
「加奈子ちゃんなんか、もうどうでもいい。香織と一緒にいられないことの方が嫌だよぉ……!」

 彼女の方が100倍辛かっただろうけど、シカトしてる間、私もずっと辛かった。嫌われないように作り笑いをする日々は、もう嫌だ。本当に好きな人と、毎日楽しく笑いたい。

「こんな最低なことしておいて……こんなこと言う資格、ないけどっ……! また香織と、仲良くしたい……っ!」

 次の瞬間、私は香織に思い切り抱きしめられていた。ぶつからないように、肩にいたおじさんが慌ててよける。

「謝ってくれて、ありがとう」
「かお……」
「私も、早紀と一緒にいたい。クラスの子たちからシカトされるよりも、早紀からシカトされるのが1番辛かったよ」
「香織……ごめんねぇ……! ほんとに、ごめん……!」
「もういいよ……もう、いいから……」

 次から次へと涙が溢れた。後悔からじゃない。ただただ、嬉しくて、安心して、涙が出た。止まらない。止めたくても、止まらない。
 よかった。本当によかった。大切な親友を、失わないですんだ──。

「……人前で泣かないって、決めてたのに」

 彼女も小さく泣いていた。確かに、初めて見る涙だった。そういえば、おじさんは──? 横目で姿を探すと、もう私の涙を採集して飲み終わったところだった。おじさんはうっとりした顔で呟く。

「やっぱり予想どおり、貴女の涙は美味しかった。嬉し涙はなおさらです」

 思わず笑った。本当に満足気な顔だったから。

「そして、再びご馳走になれたのが嬉し涙でよかった。やっぱり悲し涙より美味しゅうございました」

 おじさんは独り言をもらすと、バケツを背負って立ち上がった。

──行っちゃうんだ。
 後悔の嵐に捕われてた私を救ってくれたおじさん。大切な親友を失わないように、背中を押してくれたおじさん。感謝しなきゃ。でも、嗚咽まじりでうまく声が出せない。
 おじさんはそんなのお見通しなのか、にっこりと笑った。いいんですよ、そう言ってるみたいだった。

「ご馳走様でした」

 そう言い残して、窓から去っていくおじさんを見送った。ありがとう、おじさん。これからは、どんなことがあっても親友を大切にする。
 そう思って彼女を見ると、彼女も窓を眺めて、小さく笑っていた。……あれ? 

「……香織、もしかして」
「……もしかして、早紀も?」

 しばらく顔を見合わせて、吹き出した。あの自身ありげな態度の意味が、やっと分かった。私たちは泣きながら、大笑いをした。今流してる涙は、どんな味がするんだろう。
 分からないけど、きっとあのおじさんなら嬉しそうに「大変美味しゅうございます」と言うのだろう。
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