あなたの涙、いただきます。〜美食家の舌鼓〜

天乃 彗

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温かい涙を、流しましょう

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 落ちた。第一志望だった大学に。
 あそこに受かるためだけに必死に勉強していたというのに、こんな結末ったらない。毎日毎日、8時間くらい勉強して、寝る間も惜しんできたというのに。無情にもあの掲示板には、私の受験番号は載っていなかったのである。
 帰ってきた私に、親は何も言わなかった。いや、言えなかった、の方が正しいかもしれない。あの様子を見たら誰だって結果は察する。暗い顔をしたまま部屋に向かって、夕飯の時間になっても降りてこなかった私に、何も言えないのも無理はない。

 帰ってきてから、何時間が経ったのか。その間、私は何をしていたのだろう。そう考えても、「息」ってくらいしか思い浮かばなくて、なおさら落ち込んだ。涙さえ、出なかった。暗い部屋でただ呆然と座り込んで数時間、私はただ息をしていただけだったのだ。

 お腹が空いた。それでも、動く気にはなれなくて、ぎゅっと膝を抱え込んだ。
 寒い。そういえば暖房もつけてない。それでも、やっぱり動く気にはなれない。

 机に視線を向けると、ボロボロになった参考書が目に入る。付箋紙も手垢もたくさんついた、参考書。机の上の壁には、確かに自分で書いた『絶対合格!』の貼り紙。こんなにこんなに頑張ったのに、無駄だったんだ。
 「努力は無駄にならないよ」とかって、きっと先生や周りの人は言うだろう。でも、そんなの綺麗事だ。だって、この結果がその答えでしょう。「ほら見てみろ、お前の努力は無駄だったんだ」って、そういうことでしょう。今まで、受験に失敗して自殺するような人の気持ちなんて考えたこともなかったけど、今ならわかる気がする。このままご飯を食べなかったら死ぬかなぁなんて、ぼんやりと考えてしまっている自分がいる。そんな自分に反対するように、腹の虫がぐぅ、と鳴った。

「……死にたい」

 小さく呟いた。それは本心なのか違うのか、自分でもわからなかった。だって、合わす顔がないよ。応援してくれてた先生にも、「玲奈なら絶対受かるよ!」って言ってくれて、手紙をくれた友達にも、何より、影ながら私を支えてくれていた両親にも。いろんな人の顔が走馬灯のように流れてきて、今更、涙が遅れてきたらしい。目の前がじんわりゆがんできて、それを見たくなくて目を閉じた。

「……あぁっ! もう少しでしたのに!」

 気のせい、だろうか。なんだか聞きなれないおじさんの声が聞こえた気がした。もう少し? 受験のこと? 幻聴が聞こえるほど、心が病んでしまっているのか。私は声の正体を探るため、恐る恐る目を開けた。すると、目の前の……というか私の膝の上の、小さいおじさんと目が合ったのである。

「……は?」

 そういえば、昔テレビで話題になった気がする。幸せを呼ぶ小さいおじさんの都市伝説。妖精だかなんだからしくて、見ると幸せになれるとか。馬鹿らしいと思って話半分に聞いていたけれど、もしこの人が本当にそうだとしたら……。

「遅いよ、バカ!」

 なんで落ちた後に来るんだ。遅い。本当に遅い。せめて受験前に来てくれていたら、こんな結果にはならなかったかもしれないのに。おじさんは、目を白黒させている。何のことだがさっぱりわからないと言った顔で、おずおずと私を見上げている。

「ええと、わたくし、貴女と何か約束をしていましたっけ」
「約束は、してないけど」
「おお、よかった。貴女のような素敵なレディとの約束を知らぬ間に破ってしまったのかと思ってヒヤヒヤしました」

 素敵なレディ……歯の浮くような台詞をサラッと言われて、私は何とも言えなかった。そういえば、このおじさんはタキシードを着ている。紳士イコールタキシードっていう考えは単純すぎるかもしれないけど、見た目通り紳士なのかもしれない。紳士、のわりには、頭にはタキシードとはミスマッチなヘルメットをしているし、何やら大きなバケツを持っているけれど。

「しかし、遅い、とはどの様なことで?」

 確かに、約束もしてないのに遅いだなんて言われたのだ。ちょっと理不尽だったかもしれない。私は自分勝手な発言を少しだけ反省した。

「……だって、あなた、小さいおじさんでしょう? 幸せを呼ぶっていう」
「幸せを? おお、とんでもございません!」

 おじさんは手をブンブン振って否定する。

「私にそのような力はございません。私はただの美食家でございます。世界中を旅して、涙をご馳走になっているだけの」
「……涙を?」
「ええ、私の主食は涙なのです」

 涙が主食? 変なことを言うおじさんだ、と思った。まぁ、小さい時点で変なおじさんなのに違いはないけど。おじさんは、辺りをキョロキョロと見回した後、ブルっと身震いをした。

「しかし、今夜は冷えますな。暖房をお付けにならないのですか?」
「……めんどくさいの。何もかも」
「おやおや、そうなのですか」

 人の怠惰を責めるわけでもなく、おじさんは言った。ただやっぱり寒いようで、両の手のひらで身体をさすっている。

「冷えますなぁ。このような晩は、温かい涙をご馳走になりたいものです。お嬢さん、もし宜しければここで1つ、温かい涙を、流しましょう」
「……涙に温かいも何もないでしょ」

 私が呆れたように言うと、おじさんは勢い良く顔を上げた。

「そんなことございません! 涙にも様々な違いがあるのですよ。それには味の違いもありますが、温度も違うのですよ」
「あーはいはい、わかったから」

 熱く語られても、私にはさっぱりだ。私はおじさんのことを制しながら、はた、と考えた。

「ということは、あなた、私の涙をもらうつもりで?」
「ええ、もちろんです」

 なんということだ。いけしゃあしゃあというか、当然のことのように言うおじさんに呆れた。

「……じゃあ、他を当たった方がいいかも。今の私の涙、多分冷え冷えだよ」
「……と、言いますと? 何か悲しい出来事があったのですか?」
「悲しいなんてレベルじゃないよ。人生大失敗だよ」

 自分で言ってて悲しくなってきた。私はため息をつきながら、おじさんに向き直る。

「受験に失敗したの。お先真っ暗。親にも先生にも友達にも合わせる顔がないよ」
「それはそれは」

 おじさんは、聞いているんだがいないんだかわからない口調で相槌を打った。ちょっとムカついたけど、話し相手がいるだけマシだ。私はポツリポツリと思ったことを漏らし始める。

「あんなに、あんなに頑張ったのにさ。全部無駄だったのかな」
「……」
「あぁ、そうだよね。無駄だったから落ちたんだよね。本当、私ってダメだなぁ。消えちゃいたい。期待に応えることもできないなんて」
「……」

 おじさんは、まじまじと私の部屋を見回した。視線が参考書に、壁に貼った『絶対合格!』の貼り紙に、友達からもらった手紙に、移っていく。
 そうして、おじさんは私に諭すように語り始めた。

「……無駄だったかどうかは、貴女が決めることです」
「……っ、そんなの」
「そして、私から申し上げることはもうひとつだけ。貴女が誰よりも頑張ったことは、きっと、皆様は分かっていますよ」
「何で、そんなこと──」

 言い切れるの、と言い終わる前に、コトリ、という物音が耳に届いた。確かにすぐ近くで聞こえた音だった。場所を探ると──部屋の扉の、外だった気がする。

「……何?」
「確認して見ては如何いかがです?」

 するとおじさんは、器用に私の膝から飛び降りて、床に移動した。私はしぶしぶ、床を這うようにして扉の前に移動した。おじさんもそれにちょこちょことついてきて、私が扉を開けるのを待った。私はおじさんがぶつかってしまわないようにその扉を開ける。
 その瞬間、ふわりと甘い匂いが鼻に届いた。

「……これ……」

 扉の前にあったのは、お盆に乗ったマグカップと、おにぎりが二つ。マグカップには湯気の立つココアがたっぷり注がれている。おにぎりもまだ温かい。空っぽだった胃が、また音を立てた。
 定番メニューだったのだ。これは、夜遅くまで勉強している私に、母が差し入れてくれたもの。これを食べるとなんだか元気が出て、よし、頑張ろうって気持ちになれた。それでも、いつもと違うのは、母の字で書き置きがしてあること。


『お疲れ様。
 少しだけ休憩したら、
 また来年頑張ろうね。
 玲奈が沢山頑張ってたこと、
 ママは知ってるよ。
 ママはいつでも
 玲奈を応援してるからね! 
          ママより』


──あぁ、そうだ。
 母はいつも何も言わず、私のことを見ていた。見ていてくれたのだ。見守ってくれていたのだ。
 私は、夢中でおにぎりを頬張った。温かくて、美味しい。いつもと変わらない味だった。続けて、ココアを流し込む。空っぽだった胃と心を満たすかのように、それは、じんわりと沁みて。

「……お教えしましょう。温かい涙は──」

 ポタリ、と一粒、ココアに溶けた。それを残念そうに見たおじさんだったけど、残りの涙を持っていたバケツに次々と入れていった。

「心が温められた時に、流れるのですよ」

 おじさんは、うっとりとバケツの中身を見つめた後、それをガブガブ飲み始めた。その勢いがすごくて少し驚く。バケツから口を離したおじさんの顔は、なるほどさっきよりも少し火照っているようにも見えた。ふうっ、と一息ついたおじさんは、胸元のポケットで口を拭う。

「大変美味しゅうございました。体もポカポカでございます」
「……みたいだね」

 私はなんだか可笑しくなって、笑ってしまった。さっきまでガタガタ震えていたおじさんが、お風呂上がりみたいだったから。

「……貴女も」
「え?」
「温まりましたか?」

 ニッコリと、微笑みかけられる。私は、持っていたマグカップをぎゅっと握りしめて、微笑み返した。

「……うん。ポカポカ」
「それは良かった。それでは、私はそろそろおいとまいたしましょう」

 おじさんは、持っていたバケツを背中に背負った。なんだか亀みたい。面白い。

「今度お会いする時には、是非とも、嬉し涙をいただきたいですね」
「……あはっ。来年。サクラサイタら、きっと」
「ええ。では……ご馳走様でした」

 私が手を振ると、おじさんは微笑み返して、何処かへ消えてしまった。あぁ、行ってしまった。何故だか寂しくはなかった。
 私が見た小さなおじさんは、幸せを呼ぶわけではなかったけれど──心になんだか温かいものを残していった。
 また来年、頑張ろう。私はココアが冷めてしまわぬうちに、一気にそれを飲み干した。
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