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別れの涙は、またひとしおです
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「やぁやぁ、またお会いしましたね」
別に顔見知りになどなったつもりはないが、目の前の老紳士はにこりと笑ってそう言った。
老紳士、という肩書きすらあっているのか分からない。何故ならその男は、せいぜい10センチぐらいの背丈しかないのだから。
不自然なのは身の丈だけではない。彼は黒いタキシードに蝶ネクタイをしているが、頭にはなぜか黄色い安全ヘルメットをつけており、また、彼のサイズには大きすぎるバケツを抱えている。
この男に会うのは今日が二度目だ。だからか、初めて会ったときほど驚きはしなかった。一度目も、ちょうどこの日だった。3年間の締めくくりとなる、この日。3年前も俺は、この窓から黒い筒を手にしてたむろする生徒たちを眺めていた。
「また、ここでお泣きになっていたのですか?」
図星だった。最後のホームルームが終わり、誰もいなくなった教室。ここは例年の俺の泣きスポットだった。
「……当たり前だ、生徒の前でなんて泣けるか」
生徒には3年間、愛情と厳しさを持って接してきた。時には叱責することもあった。そんな俺が、最後の最後に泣き顔を見せるなんて、プライドが許さない。
「ふぅむ。私には、その気持ちは分かりませんが」
そう言いながら、美食家(前に会ったときにそう名乗った)はバケツを傾けてごくりごくりと中の液体を飲んだ。彼が言うには、それは人の涙らしい。いつの間に俺の涙を回収してやがった。うっとりとした顔で口からバケツを離すと、胸元のハンカチで口を拭った。
「いやぁ、満足満足。卒業のこのシーズンはたらふく涙をご馳走になれて万々歳ですな」
「そうかいそうかい……」
俺はため息をつきながら、また窓に目を向けた。美食家は、このシーズンを嬉しいと言うが、俺たち教師にとっては、慌ただしくもあり嬉しくもあり悲しくもありってところだ。苦労して苦労して、やっとのことで俺のもとから巣立っていく生徒を見るのは、何度経験しても、言葉にできないものである。
「前に頂いた涙より、少ししょっぱいですね。よもや、手のかかる生徒さんがいらっしゃった?」
「……よくわかるな」
「美食家ですから」
誇らしげに胸をはられても。俺は苦笑を浮かべて、窓の外に目を向けた。生徒たちは、一向に帰る気配はない。
「いやはや、涙とは素晴らしいものです。別れの涙は、またひとしおです」
「別れの涙?」
俺は無意識のうちに美食家の言葉を聞き返した。美食家はこくり、と頷くと、俺と同じように窓の外を見た。
「別れの涙はですね、口に含むとその方の思い出が伝わってくると言いますか……とにかく、素晴らしい」
「思い出……」
「思い出の味、と言ってもいいかもしれませんね」
思い出、か。俺はぼんやりと考える。この3年間、いろいろあったなぁ。真新しい制服に身を包んでいたあいつらが、今や立派に卒業だもんな。毎日が目まぐるしく過ぎていって、今日が来るのがあっという間だった。俺の「思い出」には、いつでも生徒たちの姿があったのに、それが明日からなくなってしまう。そう考えると、また涙が滲んできた。
「そうそう、貴方の生徒さんたちの涙も頂きましたよ」
「……あいつらの?」
「ええ。やはり、貴方は──」
美食家が言いかけたところで、突然教室の扉が開いた。驚いて振り向くと、さっき別れたばかりの生徒たちがぞろぞろと入ってきた。
「お、お前ら。どうした、急に」
慌てて涙を拭った。きっと泣いていたことはバレていないはずだ。
「先生……」
委員長だった塩田が、一枚の色紙を俺に差し出してきた。副委員長の山本は、色とりどりの花束を渡してくる。
「これ……先生に」
「……お前らが? 俺に?」
その色紙は、俺に向けて書かれた寄せ書きだった。細かすぎて読めないほど小さな字で書いてあったり、汚い字で一言だけ書いてあったり、生徒の個性が詰まった寄せ書きだ。
「……っ、みんな、せーのでだよ。──せーのっ」
「「先生、今まで、ありがとうございました!」」
全員が一斉に、俺に向かって深々と頭を下げた。
──あぁ。
やっぱり、俺の役目は終わってしまったんだ。だって、こいつらは、こんなに立派に、育ってくれたんだから。
「あー! 先生が泣いてる!」
「え……」
頬に触れる。確かに濡れている。無意識のうちに泣いてしまっていたようで、恥ずかしさから慌てて顔を隠す。
「う、うるさい! これは鼻水だ!」
「……っ、やだ、せんせぇ……うそへただよぉ……」
「……ひっく、先生……ありがとぉ……」
式中もずっと泣いていた塩田が、また泣き出した。それにつられてか、何人かがまた涙を流し始めたのだった。
「これは……困りました。もうお腹がいっぱいで飲めそうにありません!」
耳元で美食家が叫んだ。お前の腹具合はどうでもいいよ、と思いつつ、俺は流れる涙をそのままにしておいた。もうバレてしまったから、隠しても仕方が無い。
「そうだ、先程言いかけたことですが」
そういえば、聞いていなかった。美食家は窓枠に跳びうつり、俺と生徒を交互に見て笑った。
「ここにいる皆さんの思い出には、必ず貴方の姿がありました。前の時も感じましたが、やはり貴方は──素敵な教師のようですね」
「え……」
その言葉を最後に、美食家は居なくなっていた。勝手に現れて勝手に消えるとは、本当に意味の分からない奴だ。
別れの涙は思い出の味だと、彼は言った。人は、別れを繰り返し、涙を流しながら成長していく。大切な思い出を胸に。
教師である俺はその成長を見守りながら、きっとまた、何度でも涙を流すのだろう。
別に顔見知りになどなったつもりはないが、目の前の老紳士はにこりと笑ってそう言った。
老紳士、という肩書きすらあっているのか分からない。何故ならその男は、せいぜい10センチぐらいの背丈しかないのだから。
不自然なのは身の丈だけではない。彼は黒いタキシードに蝶ネクタイをしているが、頭にはなぜか黄色い安全ヘルメットをつけており、また、彼のサイズには大きすぎるバケツを抱えている。
この男に会うのは今日が二度目だ。だからか、初めて会ったときほど驚きはしなかった。一度目も、ちょうどこの日だった。3年間の締めくくりとなる、この日。3年前も俺は、この窓から黒い筒を手にしてたむろする生徒たちを眺めていた。
「また、ここでお泣きになっていたのですか?」
図星だった。最後のホームルームが終わり、誰もいなくなった教室。ここは例年の俺の泣きスポットだった。
「……当たり前だ、生徒の前でなんて泣けるか」
生徒には3年間、愛情と厳しさを持って接してきた。時には叱責することもあった。そんな俺が、最後の最後に泣き顔を見せるなんて、プライドが許さない。
「ふぅむ。私には、その気持ちは分かりませんが」
そう言いながら、美食家(前に会ったときにそう名乗った)はバケツを傾けてごくりごくりと中の液体を飲んだ。彼が言うには、それは人の涙らしい。いつの間に俺の涙を回収してやがった。うっとりとした顔で口からバケツを離すと、胸元のハンカチで口を拭った。
「いやぁ、満足満足。卒業のこのシーズンはたらふく涙をご馳走になれて万々歳ですな」
「そうかいそうかい……」
俺はため息をつきながら、また窓に目を向けた。美食家は、このシーズンを嬉しいと言うが、俺たち教師にとっては、慌ただしくもあり嬉しくもあり悲しくもありってところだ。苦労して苦労して、やっとのことで俺のもとから巣立っていく生徒を見るのは、何度経験しても、言葉にできないものである。
「前に頂いた涙より、少ししょっぱいですね。よもや、手のかかる生徒さんがいらっしゃった?」
「……よくわかるな」
「美食家ですから」
誇らしげに胸をはられても。俺は苦笑を浮かべて、窓の外に目を向けた。生徒たちは、一向に帰る気配はない。
「いやはや、涙とは素晴らしいものです。別れの涙は、またひとしおです」
「別れの涙?」
俺は無意識のうちに美食家の言葉を聞き返した。美食家はこくり、と頷くと、俺と同じように窓の外を見た。
「別れの涙はですね、口に含むとその方の思い出が伝わってくると言いますか……とにかく、素晴らしい」
「思い出……」
「思い出の味、と言ってもいいかもしれませんね」
思い出、か。俺はぼんやりと考える。この3年間、いろいろあったなぁ。真新しい制服に身を包んでいたあいつらが、今や立派に卒業だもんな。毎日が目まぐるしく過ぎていって、今日が来るのがあっという間だった。俺の「思い出」には、いつでも生徒たちの姿があったのに、それが明日からなくなってしまう。そう考えると、また涙が滲んできた。
「そうそう、貴方の生徒さんたちの涙も頂きましたよ」
「……あいつらの?」
「ええ。やはり、貴方は──」
美食家が言いかけたところで、突然教室の扉が開いた。驚いて振り向くと、さっき別れたばかりの生徒たちがぞろぞろと入ってきた。
「お、お前ら。どうした、急に」
慌てて涙を拭った。きっと泣いていたことはバレていないはずだ。
「先生……」
委員長だった塩田が、一枚の色紙を俺に差し出してきた。副委員長の山本は、色とりどりの花束を渡してくる。
「これ……先生に」
「……お前らが? 俺に?」
その色紙は、俺に向けて書かれた寄せ書きだった。細かすぎて読めないほど小さな字で書いてあったり、汚い字で一言だけ書いてあったり、生徒の個性が詰まった寄せ書きだ。
「……っ、みんな、せーのでだよ。──せーのっ」
「「先生、今まで、ありがとうございました!」」
全員が一斉に、俺に向かって深々と頭を下げた。
──あぁ。
やっぱり、俺の役目は終わってしまったんだ。だって、こいつらは、こんなに立派に、育ってくれたんだから。
「あー! 先生が泣いてる!」
「え……」
頬に触れる。確かに濡れている。無意識のうちに泣いてしまっていたようで、恥ずかしさから慌てて顔を隠す。
「う、うるさい! これは鼻水だ!」
「……っ、やだ、せんせぇ……うそへただよぉ……」
「……ひっく、先生……ありがとぉ……」
式中もずっと泣いていた塩田が、また泣き出した。それにつられてか、何人かがまた涙を流し始めたのだった。
「これは……困りました。もうお腹がいっぱいで飲めそうにありません!」
耳元で美食家が叫んだ。お前の腹具合はどうでもいいよ、と思いつつ、俺は流れる涙をそのままにしておいた。もうバレてしまったから、隠しても仕方が無い。
「そうだ、先程言いかけたことですが」
そういえば、聞いていなかった。美食家は窓枠に跳びうつり、俺と生徒を交互に見て笑った。
「ここにいる皆さんの思い出には、必ず貴方の姿がありました。前の時も感じましたが、やはり貴方は──素敵な教師のようですね」
「え……」
その言葉を最後に、美食家は居なくなっていた。勝手に現れて勝手に消えるとは、本当に意味の分からない奴だ。
別れの涙は思い出の味だと、彼は言った。人は、別れを繰り返し、涙を流しながら成長していく。大切な思い出を胸に。
教師である俺はその成長を見守りながら、きっとまた、何度でも涙を流すのだろう。
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