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人形屋
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* * *
早く出ていかなければ、とばかり思っていたサラだったが、しばらくはメデュナの優しさに甘えることにした。いつか、出会ってきた人形たちに、「私は、人形じゃない」と言える自信がつくその時まで。
「あなたは人間よ」とメデュナは言った。あの日からしばらく経つが、もちろんメデュナは、一度もサラを人形扱いしたことはない。それどころか、時折人形たちの夢を見て、うなされて涙を流すサラの頭を、メデュナは優しく撫でてくれるのだった。
そんなメデュナと日々を過ごしていくうちに、メデュナの手伝いも、『日頃の優しさのお返し』という意識ではなくなってきた。自分がしてあげたいからするのだ。そんなことにも気付けなかったくらいには、それこそ人形のように心が空っぽだったのかもしれなかった。
「じゃあ、買い物に行ってくるね、メデュナさん」
「うん、いってらっしゃい」
サラは、メデュナが繕ってくれた服に身を包んで、バスケット片手に店を出た。
「サラ! いってらっしゃい!」
「行ってきます」
ショーウィンドウの中の人形に見送られるのも、もはや日課だ。サラが「私が買い物に行く」と言い出した日以来、日中の買い物はサラの役目になっていた。メモを見ながらその日の献立を予想するのも楽しみの一つだ。
こんなふうに、何気ないことが楽しく感じるようになってきていた。少しずつだが、変われているのかもしれない。人形たちと出会って気づかされた、人形のようだった自分から。
そしてそれは明らかに、あの日サラを助けてくれたメデュナのおかげだ。
メモに書いてある買い物を済ませて歩いている途中、花のいい香りがして振り返った。移動式の花屋のようで、車の荷台が花で溢れかえっている。サラは物珍しさについ、そちらに脚を運んだ。
「お? お嬢ちゃん、お使いかい? どうだい、お母さんへのプレゼントに」
「プレゼント……」
買い物のお釣りは自由にしていいと言われてきたが、サラは今まで全部それを突っぱねてきた。今日ももちろんそうしようと思っていたのだが、プレゼント、の一言に少し揺らいだ。
いつの間にか、サラがメデュナに拾われてから一ヶ月が経とうとしていた。そして、ふと気がつく。
──ありがとうって気持ち、まだ伝えられてない。
今まで負い目で手伝いをしていた分、感謝の気持ちは伝えていなかった。一ヶ月も経つのに、だ。
──プレゼントと一緒なら、言えるかな……。
あの日、メデュナに拾われていなかったら、サラは死んでいたかもしれない。人形のように空っぽなまま──人の温もりを知らないまま。本当なら、感謝してもしたりないくらいなのだ。
「……あの。一輪、包んでもらえますか? 大切な人への、プレゼントにします」
「おう! どの花にすっかい?」
「えぇと……じゃあ、このピンク色のお花で」
「あいよっ、ちょっと待ってなー」
淡いピンクで、ひらひらとした花びらがフリルのように重なった花だった。花に詳しくはないから、完全に見た目で選んだが、メデュナは気に入ってくれるだろうか。
気のいい店主は、ニコニコと花の包装をし始めた。だんだんと贈り物になっていく一輪の花を眺めながら、店先に置かれたラジオの音に耳を傾けた。電波が悪いのか、それとも機械が古いからなのか、音が途切れ途切れである。なんとか聞き取れたそのニュースを聞いたその時、サラの心臓は大きく脈を打った。
《……さんのご令嬢はまだ見つかっておらず、誘拐の可能性も視野に入れ、より一層捜索を強化し……》
「!!」
きっと、誰か違う人のことだ。そう自分に言い聞かせるが、体の震えが止まらない。
「誘拐なんて物騒だなぁ? お嬢ちゃんも可愛いんだから、気をつけなっ」
「あ、はは……」
うまく笑えない。今更ながらショールをかぶりなおして、店主から目をそらした。早く次のニュースに行け、とだけ願う。しかし、ラジオはさらに冷徹に、サラに事実を突きつけた。
《……行方不明となったサラ・アルピナさん12歳は、長い金髪に碧の瞳、身長150㎝前後の女の子です。心当たりのある方は……》
「──ッ!!」
目の前が真っ暗になったように思えた。息が止まる。
──探されているんだ。
財閥の娘が家出だなんて、公表できないはずだ。だから今までひた隠しにしてきたのだろうに、とうとう隠しきれなくなって、「誘拐」だなんて言葉を使って、公に捜索を始めたのだ。冷や汗が止まらなくて、うまく呼吸ができない。
怖い。怖い、怖い怖い怖い。家の人に見つかるのが。また、人形に、戻るのが。
「お嬢ちゃん、できたよー……って、大丈夫かい!? 具合、悪ぃかい!?」
「だ、いじょ……」
「顔色が良くねぇじゃねぇか!? ちょっと見せて──」
半ば強引に、かぶっていたショールを降ろされる。顔が露わになって、店主は少し黙った。
「お嬢ちゃん、もしかして……」
「……っ!」
やだ。
いやだ。いやだ。いやだ。
いやだ、いやだいやだいやだいやだ!
サラは小銭を投げつけるように渡して、包装が出来上がった花を店主から奪った。逃げなきゃ、と本能が叫んでいる。見つかってしまった。このままでは、連れて行かれてしまう。とにかく逃げなければ。まだ、メデュナの家にいることはばれていないはずだ。とにかく急いで帰って、隠れるなりなんなりして──。
それで大丈夫だろうか。無理やり連れて行かれたら、それこそもう、おしまいだ。せっかく人間に戻れてきたのに。メデュナに感謝の言葉が言えると思ったのに。
──そんな風に終わるのは、嫌だ……!
「サラ、おかえりなさ──サラ?」
ショーウィンドウの中の人形が、驚いたように呟いた。呑気にただいまを言っている余裕は今のサラにはなかった。カウンターにメデュナが座っている。カウンターは備え付けになっていて、外からは中の様子が見えない。
──隠れなきゃ。
恐怖でいっぱいだったサラは、店の奥に行くという考えに至れなかった。
「おかえり、早かったのね……サラ?」
メデュナの出迎えの言葉にも答えることは出来ず、サラは一目散にカウンターの下に潜り込んだ。その体は小さく震えていて、何も聞かされていないメデュナにも、異常事態が起きていることはわかった。
「サラ? どうしたの、落ち着いて」
メデュナが心配して必死に声をかける。それにも答えられないで、ただ震えて身をぎゅっと抱きしめる。
──見つかってしまう。
サラの頭の中はそのことに対する恐怖でいっぱいで、他のことは考えられなかった。
「しっかり深呼吸をして。吸って、吐いて。吸って、吐いて。そう、いい子よ」
赤子をあやすように、サラの頭を撫でながら、優しい声でメデュナは言う。その声は穏やかに脳に響いて、ようやくその言葉通り深呼吸をすることが出来た。でも、恐怖は拭えない。身体の震えはまだ止まらない。
「大丈夫。大丈夫よ、サラ」
メデュナはずっとサラの頭を撫でていた。
「私がついてる──だから、大丈夫」
「……っ、」
メデュナの目は真剣で、真っ直ぐサラを捕らえていた。優しくて、強いその瞳に、サラは思わず涙をにじませた。
「……メデュナ、さん……っ!」
怖くて、不安で、サラはメデュナのスカートの裾をぎゅっと握った。
やっと人間に戻れそうなのだ。この人がいなくなったら、また宙ぶらりんの操り人形に戻ってしまう──。
「メデュナー、サラー。久しぶりのお客さんかなぁ? こっちに歩いてくるよ」
ショーウィンドウの人形が、こちらに向かって言っている。サラはその声にびくりと肩を震わせる。
「あれれ? サラ、知り合い? サラのお写真持ってるよ」
「──ッ!!」
見つかった。もうおしまいだ、と思った。またあの頃に戻されてしまう。生気を失った目で母に従い、毎晩父に犯される毎日を過ごすのだ。
より一層、メデュナのスカートを握りしめた。それに気づいたメデュナが「どうしたの」とサラに声をかけるよりも早く、男の低い声がした。
早く出ていかなければ、とばかり思っていたサラだったが、しばらくはメデュナの優しさに甘えることにした。いつか、出会ってきた人形たちに、「私は、人形じゃない」と言える自信がつくその時まで。
「あなたは人間よ」とメデュナは言った。あの日からしばらく経つが、もちろんメデュナは、一度もサラを人形扱いしたことはない。それどころか、時折人形たちの夢を見て、うなされて涙を流すサラの頭を、メデュナは優しく撫でてくれるのだった。
そんなメデュナと日々を過ごしていくうちに、メデュナの手伝いも、『日頃の優しさのお返し』という意識ではなくなってきた。自分がしてあげたいからするのだ。そんなことにも気付けなかったくらいには、それこそ人形のように心が空っぽだったのかもしれなかった。
「じゃあ、買い物に行ってくるね、メデュナさん」
「うん、いってらっしゃい」
サラは、メデュナが繕ってくれた服に身を包んで、バスケット片手に店を出た。
「サラ! いってらっしゃい!」
「行ってきます」
ショーウィンドウの中の人形に見送られるのも、もはや日課だ。サラが「私が買い物に行く」と言い出した日以来、日中の買い物はサラの役目になっていた。メモを見ながらその日の献立を予想するのも楽しみの一つだ。
こんなふうに、何気ないことが楽しく感じるようになってきていた。少しずつだが、変われているのかもしれない。人形たちと出会って気づかされた、人形のようだった自分から。
そしてそれは明らかに、あの日サラを助けてくれたメデュナのおかげだ。
メモに書いてある買い物を済ませて歩いている途中、花のいい香りがして振り返った。移動式の花屋のようで、車の荷台が花で溢れかえっている。サラは物珍しさについ、そちらに脚を運んだ。
「お? お嬢ちゃん、お使いかい? どうだい、お母さんへのプレゼントに」
「プレゼント……」
買い物のお釣りは自由にしていいと言われてきたが、サラは今まで全部それを突っぱねてきた。今日ももちろんそうしようと思っていたのだが、プレゼント、の一言に少し揺らいだ。
いつの間にか、サラがメデュナに拾われてから一ヶ月が経とうとしていた。そして、ふと気がつく。
──ありがとうって気持ち、まだ伝えられてない。
今まで負い目で手伝いをしていた分、感謝の気持ちは伝えていなかった。一ヶ月も経つのに、だ。
──プレゼントと一緒なら、言えるかな……。
あの日、メデュナに拾われていなかったら、サラは死んでいたかもしれない。人形のように空っぽなまま──人の温もりを知らないまま。本当なら、感謝してもしたりないくらいなのだ。
「……あの。一輪、包んでもらえますか? 大切な人への、プレゼントにします」
「おう! どの花にすっかい?」
「えぇと……じゃあ、このピンク色のお花で」
「あいよっ、ちょっと待ってなー」
淡いピンクで、ひらひらとした花びらがフリルのように重なった花だった。花に詳しくはないから、完全に見た目で選んだが、メデュナは気に入ってくれるだろうか。
気のいい店主は、ニコニコと花の包装をし始めた。だんだんと贈り物になっていく一輪の花を眺めながら、店先に置かれたラジオの音に耳を傾けた。電波が悪いのか、それとも機械が古いからなのか、音が途切れ途切れである。なんとか聞き取れたそのニュースを聞いたその時、サラの心臓は大きく脈を打った。
《……さんのご令嬢はまだ見つかっておらず、誘拐の可能性も視野に入れ、より一層捜索を強化し……》
「!!」
きっと、誰か違う人のことだ。そう自分に言い聞かせるが、体の震えが止まらない。
「誘拐なんて物騒だなぁ? お嬢ちゃんも可愛いんだから、気をつけなっ」
「あ、はは……」
うまく笑えない。今更ながらショールをかぶりなおして、店主から目をそらした。早く次のニュースに行け、とだけ願う。しかし、ラジオはさらに冷徹に、サラに事実を突きつけた。
《……行方不明となったサラ・アルピナさん12歳は、長い金髪に碧の瞳、身長150㎝前後の女の子です。心当たりのある方は……》
「──ッ!!」
目の前が真っ暗になったように思えた。息が止まる。
──探されているんだ。
財閥の娘が家出だなんて、公表できないはずだ。だから今までひた隠しにしてきたのだろうに、とうとう隠しきれなくなって、「誘拐」だなんて言葉を使って、公に捜索を始めたのだ。冷や汗が止まらなくて、うまく呼吸ができない。
怖い。怖い、怖い怖い怖い。家の人に見つかるのが。また、人形に、戻るのが。
「お嬢ちゃん、できたよー……って、大丈夫かい!? 具合、悪ぃかい!?」
「だ、いじょ……」
「顔色が良くねぇじゃねぇか!? ちょっと見せて──」
半ば強引に、かぶっていたショールを降ろされる。顔が露わになって、店主は少し黙った。
「お嬢ちゃん、もしかして……」
「……っ!」
やだ。
いやだ。いやだ。いやだ。
いやだ、いやだいやだいやだいやだ!
サラは小銭を投げつけるように渡して、包装が出来上がった花を店主から奪った。逃げなきゃ、と本能が叫んでいる。見つかってしまった。このままでは、連れて行かれてしまう。とにかく逃げなければ。まだ、メデュナの家にいることはばれていないはずだ。とにかく急いで帰って、隠れるなりなんなりして──。
それで大丈夫だろうか。無理やり連れて行かれたら、それこそもう、おしまいだ。せっかく人間に戻れてきたのに。メデュナに感謝の言葉が言えると思ったのに。
──そんな風に終わるのは、嫌だ……!
「サラ、おかえりなさ──サラ?」
ショーウィンドウの中の人形が、驚いたように呟いた。呑気にただいまを言っている余裕は今のサラにはなかった。カウンターにメデュナが座っている。カウンターは備え付けになっていて、外からは中の様子が見えない。
──隠れなきゃ。
恐怖でいっぱいだったサラは、店の奥に行くという考えに至れなかった。
「おかえり、早かったのね……サラ?」
メデュナの出迎えの言葉にも答えることは出来ず、サラは一目散にカウンターの下に潜り込んだ。その体は小さく震えていて、何も聞かされていないメデュナにも、異常事態が起きていることはわかった。
「サラ? どうしたの、落ち着いて」
メデュナが心配して必死に声をかける。それにも答えられないで、ただ震えて身をぎゅっと抱きしめる。
──見つかってしまう。
サラの頭の中はそのことに対する恐怖でいっぱいで、他のことは考えられなかった。
「しっかり深呼吸をして。吸って、吐いて。吸って、吐いて。そう、いい子よ」
赤子をあやすように、サラの頭を撫でながら、優しい声でメデュナは言う。その声は穏やかに脳に響いて、ようやくその言葉通り深呼吸をすることが出来た。でも、恐怖は拭えない。身体の震えはまだ止まらない。
「大丈夫。大丈夫よ、サラ」
メデュナはずっとサラの頭を撫でていた。
「私がついてる──だから、大丈夫」
「……っ、」
メデュナの目は真剣で、真っ直ぐサラを捕らえていた。優しくて、強いその瞳に、サラは思わず涙をにじませた。
「……メデュナ、さん……っ!」
怖くて、不安で、サラはメデュナのスカートの裾をぎゅっと握った。
やっと人間に戻れそうなのだ。この人がいなくなったら、また宙ぶらりんの操り人形に戻ってしまう──。
「メデュナー、サラー。久しぶりのお客さんかなぁ? こっちに歩いてくるよ」
ショーウィンドウの人形が、こちらに向かって言っている。サラはその声にびくりと肩を震わせる。
「あれれ? サラ、知り合い? サラのお写真持ってるよ」
「──ッ!!」
見つかった。もうおしまいだ、と思った。またあの頃に戻されてしまう。生気を失った目で母に従い、毎晩父に犯される毎日を過ごすのだ。
より一層、メデュナのスカートを握りしめた。それに気づいたメデュナが「どうしたの」とサラに声をかけるよりも早く、男の低い声がした。
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