深紅に浮かぶ月

来条恵夢

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第三章

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 宿やどに戻ると、潦史ラオシは借りている部屋の四方にを貼り、少女の首に、今でもヒラクが身につけている青い石を借りてかけた。代わりに、少女のしているぎょくのついた腕輪を取る。
「まあ、これくらいで大丈夫だろ。ヒラク、お前はここに残っててくれ。なるべく、この娘の体に触れてる状態で。一応、用心にこしたことはないからな」
「俺は何かあるか?」
李兄リケイ
 となりで、治工チコウとがめるように名を呼んだが、史明シメイは一向に気にする様子はない。他の者は帰らせたので、この部屋には史明と治工、潦史にヒラクと少女の五人しかいない。それでも、二人部屋なので少し窮屈きゅうくつだ。
「なあ、おじさん」
「…だからお前な」
「このむらの地理にはくわしいか?」 
「まあな」
「じゃあ、地図いてくれる?」
「地図? そんなことより、直接案内した方がいいだろ。どこに行くんだ?」
「いや、別にどこってのじゃなくて。ひょっとしたらいるかも知れないってくらいで」
「じゃあ尚更なおさら行った方が早いな。何かしぶる理由でもあるのか?」
「んー…多分、危ない」
「そんなの、今更いまさら気にしねえよ。いつだ?」
「日付けが変わる頃。でも、やっぱ」
「しかし、これでやまいなおるのか。便利だな」
 迷う様子を見せる潦史に、史明は話題を変えた。四隅に張った符を示して感心した素振そぶりを見せると、潦史は観念したのか、肩をすくめる。
「いや、これは妖魅ようみが原因だから。本当の病なら、せいぜい進行を抑えるくらい」
「妖魅?」
「うん」
 思わずき返す史明にあっさりとうなずいて、娘の腕輪を左手にめる。色鮮やかな飾りは、質素な道衣どうい姿からは、ひどく浮き立っていた。
「あのシュウ商人が取り引きしたんだろう。ヒラクが触れてると落ち着いたのも、気の制御をしてる影響を受けて、この娘とつながってる妖魅との気の流れを切ったからだと思う」
 そうして、史明を見る。
「やっぱりやめないか?」
「まさか」
 史明はさらに言葉を続けようとしたが、戸を叩く音がしてやめた。
「どうぞ」
「食事できましたよ。食べに下りてきます? 持って来ます?」
 店も忙しいだろうのに、香蘭コウランが顔をのぞかせる。男四人の視線を一斉いっせいびたが、酒屋けん宿屋の娘として慣れているのか、平然としている。
 返事をうながすように、首をかしげた。
「悪いけど、持って来てもらえる? あんたらも、ここでいいだろ?」
「ああ」
「ってことで。悪いな」
「いいえ。少し待っててくださいね」
「治工、手伝ってやれ」
「はい」
 二人が部屋を後にすると、史明は潦史の両頬を正面から引っ張った。 
「なっ!」
「いいか、よく聞け小僧。お前がえさちらつかせて俺らを釣り上げた時点で、もうめいいっぱい迷惑かけてんだ。今更遠慮なんてするんじゃねえよ」
「わ…わひゃっらろ」
「…よくのびるなあ、お前」
阿呆あほうっ! 死んでも知らねーからなっ」
 史明の手を振り払って軽く殴りつける。史明も応じて、軽い喧嘩けんかか動物のじゃれあいのようになってくる。そこに香蘭と治工が戻ってき、そうすると潦史は史明よりも食事に意識を移して、香蘭に笑顔で礼を言った。
 そのときに香蘭が頬を赤く染めたというのは、史明と治工の一致するところ。少女は、すぐに階下に戻ってしまった。
「小僧といえど、あなどれねえな」
「あなたがそれを言うんですか」
「うるせえ」
 そんなやりとりをする二人を置いて、潦史は自分とヒラクの分を持って窓側に移動する。そして窓辺まどべに座ったヒラクに差し出し、首を傾げた。
「どうかしたか?」
「へ?」
 座ったまま、ヒラクは潦史を不思議そうに見上げた。ヒラクの分の食事を押しつけると、そのとなりに腰を下ろす。
「不気味なくらいに口数少ないし大人しい。何かあったか?」
「あー…いや。何がどうなってるのかわからなくて」
 あっさりと、失礼ともとれることを言われたとも気付かず、そう口に出したことで落ち着いたのか、ヒラクはさじを手に取った。今は、食欲の方が優先のようだ。
 無心むしんに米を食べるヒラクを見て、こいつが人ってたなんて嘘みたいだ、と潦史は思った。手負いの獣のような外皮を取るとこんなにも世間知らずで無邪気な中身があるなどと、詐欺さぎのような気もする。もっとも、潦史もよく、外見と中身がそぐわないと言われるが。
「簡単に言うとだな」
 一匙すくって食べ、潦史はげんいだ。ヒラクが、期待を込めた目で見ている。
「その娘が妖魅にねらわれてるから、その妖魅をつぶすんだ。わかったか?」
「うん」
 淡々と食事を続ける潦史と納得がいって普段の何も考えていないような笑顔に戻ったヒラクに、問題の少女の眠る寝台をはさんだ部屋の反対側にいた史明と治工は、いくらなんでも簡単すぎるんじゃないかと、声には出さずにつぶやく。これが小さな子供であればともかく、史明や治工に近い年齢の男がこれか。
 本当にこいつらは何なんだと、実は潦史自身が答えようのない疑問を、改めてかかえる。
「具体的にはどうするんだ?」
「んー?」
 心の中の声は出さずに、史明が訊く。潦史は、少し考えるように斜め上を見た。匙をくわえたままのところが、子供っぽく見える。
「夜中…真夜中だな、やっぱ。人いない方が楽だから。むらに出れば、向こうから来ると思う。おとり使うから。人がいなくなったくらいに外に出て適当に…」
「囮?」
「ああ」
 史明と治工が、「いやな予感がする」とでも言うように眉根を寄せた。二人は、一瞬目を見交みかわすと、史明が口を開いた。
「それは、その娘を使う…ってわけじゃねえんだよな?」
「当たり前だろ」
 憮然ぶぜんとして潦史が答えると、二人はますます顔をくもらせた。
 潦史は食べ終えた皿を置くと、片あぐらのまま、髪をたばねていたひもいた。長い黒髪が、流れるようにすべり落ちる。
「心配しなくても、おじさんたちにやれなんて言わねーよ」 
 そう言って潦史は、髪をゆるくみはじめた。やっぱりそうなるのかと、向かいに座る二人は溜息をつくのだった。危険極まりない。
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