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第六章
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一体、誰の謀なのか。赤い短刀を弄びながら、史明は埒もないことを考えた。
大衆宿の寝台にはヒラクが眠り、階下では、まだ祭り前の騒ぎが続いているようだ。立ち回りを演じて疲れたこともあり、史明も休みたかったが、それには問題が多すぎる。
祭り前夜の賑やかな空気は考え事をするには向いていないが、そんなことを言っている場合でもない。
「…呼べば、早いんだろうがなあ…」
ぼそりと呟く。
紐を通して首に下げている、黄色い石の指輪を思う。再会したヒラク曰く、潦史はどこか遠くに出かけているらしいが、呼べば駆けつけて来るだろう。いや、無視されるかもしれないが。どちらにしても、まだ決心がつかない。
伝手を頼りに情報を集め、潦史を追っていた。
一月ほど前に訪れたと聞き、何の役にも立たないだろうと思いながらも訪れたまちは、祭り前で混み合っていた。それでもどうにか宿を取り、同室者があってもいいかと問われた。わざわざ訊かれることは珍しく、断るようなことでもない。承諾したのだが、同室者がヒラクだと知り、しかも無邪気に再会を喜ばれ、正直なところ、その衝撃は大きかった。
亡くしたもののために売り渡した相手だ。わざわざ説明までしたのに、躊躇いなく信頼を寄せてくる存在は、想像していた以上に辛いものがあった。罵られる方が、いくらかましだっただろうと思う。
しかし、それとじっくり向かい合う間もなく、来襲者の出現があった。
大人しそうだった、三人組。最初は偶然、一階の酒場で同席することになったのだと思っていた。それが襲いかかってきて、伸びた一人をひきずって出て行ったのを、周りはただのありふれた喧嘩と思っただろう。
史明も、酒から眠り薬の臭いがして、それに気付いた途端に襲われたのでなければ、そう思っただろう。ヒラクの飲物にも、同じものが入れられていた。おかげで今は、正体なく眠っている。
残された短刀のこともある。刃の形が軽くねじれるように歪んだ短刀は、紅刃という集団の象徴だ。儀式の際には、必ずこの短刀が用いられるという。
「…って、悩んでても仕方ねえか」
そう呟いてみるものの、まだ決心がつかない。ここまできて、まだ踏ん切りがつかないというのも情けない話だ。治工たちのことも、頭を過ぎる。
直接に人を殺すことこそやっていないが、真っ当な暮らしではなかった。そう簡単に、足を洗うこともできないだろう。どうにも、厄介ごとだけを振り撒いている気がする。
「――潦史。聞こえてるんだろう。…罠じゃねえから、来いよ」
裏切った自分に会いに来るのか、判らないまま、史明は待っていた。そもそも、「判る」というのが声がそのまま聞こえているのか、ただ感じるだけなのかも判らない。
床の軋む音がして、顔を上げる。
「何の用だよ。…ヒラク? なんであんたと一緒?」
訝しげというよりは困惑気味に、道衣に身を包んだ潦史は言った。だが史明も、困惑していた。覚悟を決めて呼びはしたものの、何をどう話しかければいいのかがわからない。
「……今日は、まともな格好してるんだな」
「あれは忘れろ。記憶から即刻消せ」
「無茶言うな」
ばかばかしいやり取りのあと、沈黙が落ちる。そこに、計ったように同じ間合いでため息が出た。潦史も少し笑ったようで、束の間、空気がゆるむ。
「…ちゃんと、生きてたんだな」
「死ぬように見えたか」
「…立ち直れるまで、見てるべきだったんだとは、思った」
何を言っているのかと、潦史を見る。史明が二度も妻子を喪うことになったのは、ただの自業自得だ。多少なりと巻き込まれた潦史は、腹を立てこそすれ、気に病むようなことは何もないはずだった。
潦史は、珍しく目を伏せたまま言葉を続けた。
「俺も、きっと同じことをした。あのまま…妹を喪っていれば。そこを分けたのは、ただたまたま、俺には天界の伝手があったってだけのことだろ。…恨むのは、わかるよ」
ようやく。史明は、自分が仕出かしたことの側面を知った。
たしかに、史明があの青年のささやきに耳を貸してしまったのは、迷い続けた一線を越えてしまったのには、潦史が天界の力を使って妹を助けたと聞いたこともあっただろう。何故そちらは助かってこちらは駄目だったのかと、たとえそれがただの理不尽であっても、思わずにはいられなかった。
それをこの聡い少年は、正確に読み取ってしまった。
「もう一度訊く。俺に、何か用か?」
ここで、責める言葉を吐けば、どんなことをしてでも償おうとするのかもしれない。そんな危うい色を見て取って、史明は、馬鹿だなあと、声をかけたくなった。
しかし、出てくる言葉は違った。
大衆宿の寝台にはヒラクが眠り、階下では、まだ祭り前の騒ぎが続いているようだ。立ち回りを演じて疲れたこともあり、史明も休みたかったが、それには問題が多すぎる。
祭り前夜の賑やかな空気は考え事をするには向いていないが、そんなことを言っている場合でもない。
「…呼べば、早いんだろうがなあ…」
ぼそりと呟く。
紐を通して首に下げている、黄色い石の指輪を思う。再会したヒラク曰く、潦史はどこか遠くに出かけているらしいが、呼べば駆けつけて来るだろう。いや、無視されるかもしれないが。どちらにしても、まだ決心がつかない。
伝手を頼りに情報を集め、潦史を追っていた。
一月ほど前に訪れたと聞き、何の役にも立たないだろうと思いながらも訪れたまちは、祭り前で混み合っていた。それでもどうにか宿を取り、同室者があってもいいかと問われた。わざわざ訊かれることは珍しく、断るようなことでもない。承諾したのだが、同室者がヒラクだと知り、しかも無邪気に再会を喜ばれ、正直なところ、その衝撃は大きかった。
亡くしたもののために売り渡した相手だ。わざわざ説明までしたのに、躊躇いなく信頼を寄せてくる存在は、想像していた以上に辛いものがあった。罵られる方が、いくらかましだっただろうと思う。
しかし、それとじっくり向かい合う間もなく、来襲者の出現があった。
大人しそうだった、三人組。最初は偶然、一階の酒場で同席することになったのだと思っていた。それが襲いかかってきて、伸びた一人をひきずって出て行ったのを、周りはただのありふれた喧嘩と思っただろう。
史明も、酒から眠り薬の臭いがして、それに気付いた途端に襲われたのでなければ、そう思っただろう。ヒラクの飲物にも、同じものが入れられていた。おかげで今は、正体なく眠っている。
残された短刀のこともある。刃の形が軽くねじれるように歪んだ短刀は、紅刃という集団の象徴だ。儀式の際には、必ずこの短刀が用いられるという。
「…って、悩んでても仕方ねえか」
そう呟いてみるものの、まだ決心がつかない。ここまできて、まだ踏ん切りがつかないというのも情けない話だ。治工たちのことも、頭を過ぎる。
直接に人を殺すことこそやっていないが、真っ当な暮らしではなかった。そう簡単に、足を洗うこともできないだろう。どうにも、厄介ごとだけを振り撒いている気がする。
「――潦史。聞こえてるんだろう。…罠じゃねえから、来いよ」
裏切った自分に会いに来るのか、判らないまま、史明は待っていた。そもそも、「判る」というのが声がそのまま聞こえているのか、ただ感じるだけなのかも判らない。
床の軋む音がして、顔を上げる。
「何の用だよ。…ヒラク? なんであんたと一緒?」
訝しげというよりは困惑気味に、道衣に身を包んだ潦史は言った。だが史明も、困惑していた。覚悟を決めて呼びはしたものの、何をどう話しかければいいのかがわからない。
「……今日は、まともな格好してるんだな」
「あれは忘れろ。記憶から即刻消せ」
「無茶言うな」
ばかばかしいやり取りのあと、沈黙が落ちる。そこに、計ったように同じ間合いでため息が出た。潦史も少し笑ったようで、束の間、空気がゆるむ。
「…ちゃんと、生きてたんだな」
「死ぬように見えたか」
「…立ち直れるまで、見てるべきだったんだとは、思った」
何を言っているのかと、潦史を見る。史明が二度も妻子を喪うことになったのは、ただの自業自得だ。多少なりと巻き込まれた潦史は、腹を立てこそすれ、気に病むようなことは何もないはずだった。
潦史は、珍しく目を伏せたまま言葉を続けた。
「俺も、きっと同じことをした。あのまま…妹を喪っていれば。そこを分けたのは、ただたまたま、俺には天界の伝手があったってだけのことだろ。…恨むのは、わかるよ」
ようやく。史明は、自分が仕出かしたことの側面を知った。
たしかに、史明があの青年のささやきに耳を貸してしまったのは、迷い続けた一線を越えてしまったのには、潦史が天界の力を使って妹を助けたと聞いたこともあっただろう。何故そちらは助かってこちらは駄目だったのかと、たとえそれがただの理不尽であっても、思わずにはいられなかった。
それをこの聡い少年は、正確に読み取ってしまった。
「もう一度訊く。俺に、何か用か?」
ここで、責める言葉を吐けば、どんなことをしてでも償おうとするのかもしれない。そんな危うい色を見て取って、史明は、馬鹿だなあと、声をかけたくなった。
しかし、出てくる言葉は違った。
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