台風の目(仮)

来条恵夢

文字の大きさ
4 / 229
探索

1-2

しおりを挟む
 昼食を、宿の一階――宿代とは別料金で食事を作ってくれる――ですませると、シュムはカイを伴って宿を出た。 
 服は寝起きに慌ただしく着込んだものから変わらないが、髪はまとめて束ね、少ない荷もかばんに詰め込んで肩から掛けている。
 いつもであれば宿の主人にでも預けるところだが、今は大金が詰めこんであるため、そうもいかない。そもそも、それでは意味がない。 
 しかし、本当に何もないところだ。 
 まだこれが、真冬の閑農期であれば保養地として名高いだけに客も多く、それを見込んだ商売人もいるのだが、今はそれには早すぎる。
 貴族の中にはむしろそういう時期に来る者もいるらしいが、そんな人々は各自の別荘地を作っており、専用の温泉も引いている。旅人にすぎないシュムが、顔を合わせることはまずないだろう。 
 そうなると、ただの狭い田舎村。一周するのはすぐだし、回ってしまえば他に見るものもない。 
「…長閑のどかだねえ、カイ」 
 わかってはいたけど、とぼんやりと呟く。 
 ひまなのは嫌いではないが、物足りない思いがするのも確かだ。小高い丘で若木に背を預けて膝の上に乗せたカイをなんとなく撫でながら、シュムは溜息をついた。 
 そして不意に思い出して、カイの頭をつついて注意を引く。 
「あのさ、セレンと会った? この間会ったとき、カイと連絡取れないって淋しがってたよ」 
「お嬢さん、動物と喋る癖があるのかい?」 
 背後からの声に、シュムは外には表さずに臨戦体勢をとっていた。張り詰めない程度に緊張し、警戒する。 
 後ろは森だ。夏という季節柄、虫も多い。例え野生の獣といえど、シュムに気配を悟られずに近付くのは困難なはずだった。それを易々と。
 カイは、毛を逆立てて声のした方を睨みつけているようだった。 
 まだ若い。せいぜい、二十半ばの男だ。 
 声からそう判断して、シュムはゆっくりと振り返った。 
「…なんだ」 
 呟いて、体を戻す。男は、断りもなくシュムの隣に腰を下ろした。 
 仕立てのいい、ふんだんに布を使った服が、ふわりと風をはらんですぐに、戻る。長い金髪をゆるく編んでいるさまからも、どこかの裕福な貴族のぼんくら息子だろうと予想がつく。 
 見覚えはないが、確実に知っている相手だ。姿を変えたところで、わかるものはわかる。 
 シュムよりも先に誰なのかに気付いていたカイは、まだ毛を逆立てて男を睨みつけていた。 
 しかし、男は冷たい二通りの対応にも一向にひるむことなく、にこりと笑いかけた。
 普通に見れば、羨望と嫉妬を浴びそうなくらいには魅力的な笑顔だ。社交界では、さぞもてはやされることだろう。
 もっとも、シュムには効かず、顔をそむける。 
「ひどい対応だなあ。久々の再会だっていうのに」 
「久々ねえ。ふうん、三日って、久々なのかあ」 
「君に会えなければ、一日でも永遠のようだよ」 
「それじゃあ、あたしに恋してるみたいだよ。薬飲ませて何かしようとした相手に言うことじゃないと思う」
「何?!」 
 嫌味たっぷりのシュムの言葉に、男よりも先にカイが反応する。 
 可愛らしいオレンジの小動物は、シュムの膝から跳ね上がると、空中で一回転して草地に着地した。ただし、人形ひとがたの、長身でオレンジの髪を刈り上げた体で。 
 一瞬の変身に密かにシュムが眼を丸くして、驚きつつ感心していたのだが、男二人がそのことに気付いた様子はなかった。小さく拍手をしてみたが、あえなく無視される。 
「何考えてんだ、テメェ!」 
 絞め殺しかねない勢いで、カイが男の襟首を掴む。男は、それでも笑みを浮かべたままだった。余裕のある態度が、余計にカイの神経を逆撫でする。 
「ああ、君、いたんだ? 小さすぎて気付かなかったよ」 
「テメェ…!」 
「あー、はいはい。そこらへんでやめとこうね。無事だったんだし。それに多分、今アルを殺しちゃったら、ハーネット家ともめることになるんじゃないかな」 
 これ以上手が出る前にと、シュムは溜息を呑み込んで、カイを申し訳程度に押しとどめた。力ではかなうはずもないが、十分に意思表示にはなる。応じて、カイが一応勢いを緩める。 
 おや、とアルと呼ばれた男が不思議そうな表情をした。 
「どうしてわかったんだい?」 
「紋章」 
 一振りの剣に蛇が巻きついた意匠のカフスボタンを指し示す。 
「物によっては出回ってるけど、その細工は違うでしょ。立派すぎる。小間使いが盗むとかってのも、いくつも使ってあって量として難しいだろうから、ハーネット家の内部の人が依頼主か協力者かなんでしょ」 
「こんなもので判るとは。やはり君は、僕に相応しく聡明だ」 
 伸ばされた手を、カイを盾にしてするりとかわす。それを好機としてアルにつかみかかろうとしたカイに、「やめなって」と釘を刺すことも忘れない。 
 シュムは、うんざりとした目を向けた。 
「今まで何回も言ってきたけど、あたしは子どもじゃないんだからね。アルの範疇からは外れてる」 
「いや、問題は見掛けだからね。その外見で、子どもでないと言っても意味はないよ」 
「そうだったのか…。じゃあ、聡明どうこうって関係ないじゃない」 
 溜息を一つ。 
 そして、にっこりと笑いかけた。 
「最後の警告をしよう。もしも今度またあんな真似をしたら、再起不能にするよ?」 
 さらりとした言葉に、アルはもとより、その必要のないはずのカイまでもがかおを引きつらせた。シュムは、満面の笑みを張りつけた。 
 本当なら、三日前に言っておくべきだったのだ。だがあのときは、突然のことにシュムも気が動転していた。あまり認めたくはないが、事実だ。
 いつ敵対することがあってもおかしくないとは思いながらも、裏切られたように感じたのだ。不意打ちのような真似でなければ、そうでもなかったはずなのだが。 
 硬直している二人を放置して、シュムは方々から向けられた視線の先を、軽く見渡した。 
「うーん。人目引いてるなあ」 
 目立つオレンジ頭の男に、明らかに貴族の男。付け加えるなら、アルほどではないにしても、カイも見栄えは悪くはない。
 いくら田舎とはいえ、いや、逆に田舎だからこそ、これで注目されない方が不思議だろう。 
 向けられる視線が好奇や好意なのを見取って、カイの変身は見られなかったらしいと、その点では胸を撫で下ろした。見られたら、どんな騒ぎになるか。得体の知れないものは、るだけで十分に恐怖や排除の対象となる。 
 物足りないからといって、厄介事まで起こす趣味はない。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う

yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。 これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

処理中です...