雨舞い

来条恵夢

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昨日の未来

四日目

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「久しぶりだね、霧夜キリヤ君。この間は、私の部下が失礼をした」

 二人きりの最上階で、霧夜は無表情に、相対した初老の男を見返した。男の言葉にとげはなく、いくらか淋しげでもあった。

「ご無沙汰ぶさたしています。お元気そうで」
「君も元気そうでよかったよ。――今は、診療所で働いていると聞いていたのだがね」 
「ええ。先生が、とても良い方なので」

 嘘をつくつもりはない。しかし、素直に全て話すつもりも、全くなかった。

 金城慎次は、霧夜の義理の兄にあたる。
 霧夜の姉が金城と結婚したのが、十数年前のことだ。霧夜が姉やその娘の愛とともに過ごしたのは数年のことで、その間と寮制の学校に通っている間は、霧夜も金城の庇護下にあった。
 ――いや、それは今もなのかも知れない。安全な生活は、後ろ盾があってのことなのかもしれなかった。
 五年前。姉と愛が金城を恨む者に殺された。
 その後も、金城は面倒を見ると言ってくれたが、その手を払ったのは霧夜の方だった。

「ああ…評判は良いようだね」
「はい」
「…また、顔を見せに来てくれると嬉しいよ」

 返事はせず、一礼して背を向けた。
 妻を愛し、子供をいつくしんでいた男が思い出を共有するのは自分だけで、だからこそかなしげな顔をするのだと知っていた。幸せだった時間を思い出すのは霧夜も同じだが、あきらめ懐かしむには、強すぎた。
 霧夜キリヤは今も、姉と姪をうしなったと知ったときの絶望と、金城と己へと向けた憎悪を、鮮やかに思い出せる。二人を護れなかった憎しみは、どうやっても打ち消せなかった。

 建物を出るとすぐに、霧夜は変装に着ていた服を脱ぎ捨てた。
 夜気やき細雨さいうを含んで重く、脱いだ下に来てた黒のシャツも、すぐにじとりと重くなった。草叢くさむらにひそませていたジャケットは、元の倍以上には重く冷たく、着る気にはなれない。

「…どうせなら、一気に降ればいいのに」
「ああっ、やっぱりこんなところで黄昏たそがれてる!」

 三谷をつれ、とうにこの場を離れているはずの羽澄ハスミの声に、霧夜は慌てて顔をそむけた。 

「こっちこっち」

 羽澄は木の下で手招きをしており、霧夜は渋々とそれに応じた。実際のところ、建物を出たばかりの遮蔽しゃへい物のないところに立ち尽くしているのは、無用心に過ぎる。

「あれだけ言っといて、お前のが迷子になるなんて手に負えないよなー?」
「…迷子になったわけじゃ…」
「素直に、暗くて迷ったって認めろよ」

 一歩先を行きながら、小声なのにはっきりと聞きとれる声は、からかうように明るい。 
 その「距離」に、音もなく荒れていた心の内が、少しずつ穏やかさを取り戻していく。き出しになっていた感情が、徐々に収まっていく。
 金城の本拠地から十分に離れ、一時的に三谷を隠した倉庫にたどり着いたときには、霧夜は大分調子を回復させていた。そして何故か話題は、「どっちがコントロールがいいか」になっていた。

「よし、こうなったら決着つけるぞ。銃を二挺用意するから、逃げるなよ」
「射撃の腕とコントロール力とは違わないか? 小石でいいだろう」
「じゃあ、両方。それで文句ないな?」
「そこまでして負けを認めたいというなら、止めはしないよ」
「言った――何してんだ、おっさん」

 言い合いを止めることなく倉庫の扉を開けた羽澄と霧夜は、一斗缶を振りかざした三谷の姿を、呆気に取られて見やった。
 返事はなく、硬直して一斗缶を持ったまま動かない中年男と、お互いとをちらりと見て、二人は溜息をついた。

「説明が足りなかったんじゃないか? ――下ろしますよ。手を離してください」
「ちゃんと言ったと思ったけどなあ。――おっさん、先言っとくけど俺ら、銃もナイフも持ってないからな」
「お前のちゃんとはあてにならない。――とりあえず、座りませんか?」
「うわひどっ、そんな風に見てたなんて。――座れよ。立ってて疲れないか?」

 気軽に会話を続けながら、扉はすぐに閉め、一斗缶も遠ざける。ランタンに火を入れると、羽澄と霧夜は、適当に中身の入った麻袋を引っ張ってきて、その上に座った。
 一人立ち尽くしていた三谷は、もう一度二人から促されるに至ってようやく、不恰好に腰を落とした。糸を切られた人形のようだった。

「さくさくっとまとめると、自殺するか逃亡するかしたくて、俺を気絶させようとしたけど、予想外に二人いてしかも気付かれて――気付くも何もないけどな、あれじゃ――うわあどうしよう、って状況だったって思っていいのか?」
「色々余計」
「うるさいなあ、間違ってはないだろ。な?」

 二人分の視線と羽澄の呼びかけを受けて、三谷は、息を吐いた。気の抜けたそれが、気の抜けた笑いになる。

「思い出した。――君たちだったのか」
「…それも、言ってなかったのか」
「あー…そういやそうだったような。カオルちゃんに頼まれたってのは言った、ぞ?」  
「やっぱり、全くあてにならないな」
「くっ」
「気付かなかった私が悪い。彼を責めないでくれないか。ええと――遠夜トウヤ君、だったかな」

 どこか、諦めたように笑う。
 視線の先に、誤魔化すように笑う羽澄を捉えながら、霧夜は仕方なく肩をすくめた。勝手に拝借した倉庫は、鍵も閉めてあるからとりあえずは大丈夫だろうが、無駄に時間を使うのも馬鹿げた話だ。

「そっちの君は、弓月ユヅキ君、だったかな。娘に頼まれたというのなら、まさか、あの子が<夜>に依頼をしたというのかな…<夜>は、消えたと聞いていたが…」

 捨てた名前には触れず、羽澄はにこりと笑った。

万屋よろづやの<夜>は消滅したけど、小さなお嬢さんに頼まれて臨時復活でね。感謝なら、無鉄砲なお嬢さんと、お人よしな俺にしてくれよな」
「お人よしじゃなくて、お祭好きなだけだろう」
「まー、あえて否定はしないけどー? 女じゃなくって女の子に弱い奴に、言われてもへこまないしー?」

 拳を握りしめるが、ぶつけずにおく。姪の姿を重ねてしまい、子供に弱いのは事実だ。それに何より、ここで引っかかると、また話がれる。
 文句を溜息に押し込めて、霧夜は三谷を見据みすえた。

「余計とは思いましたが、新薬のデータは消しておきました。書き換えてから消したので、復元しても誤魔化せると思いますよ。書類も、判る範囲では燃やしました。研究室の他にも残っていたのであれば、不十分ですが」
「いや、私の知る限り、持ち出していないはずだ。この数日の間に動かしていたら判らないが。――ありがとう。凄いな、君たちは。そんなことまで知っているなんて」
「あのデータに鍵をかけたのは、あなたですね?」

 三谷は、霧夜の言葉に、自嘲するように笑った。

「ただのおかかえ医師の私が、そんなことをしたのは意外かな」
「あんたは元々、研究者だろ。どっちが本業だっておかしくない」
「全てお見通しか」
「調べたわけじゃないけどな。たまたま耳に入っただけで」
「依存が、これまでの物よりも格段に強い。知らせることを拒んで殺されるなら、いっそ賭けに出ようと思ったんだよ」

 そこで、羽澄が首を傾げた。

「そもそも、新薬の発見だか何だかを知らせなかったら良かったんじゃないのか? 秘密裏に消しとけば、問題なかっただろ?」
「無理だよ」
「なんで?」

 三谷ではなく霧夜からのこたえに、羽澄は、少し頬を膨らませた。おさない仕草に、思わず微笑がこぼれる。
 それで一層むくれる羽澄に、霧夜は、軽く肩をすくめた。

「全てのパソコンに、大なり少なり同じ物が入っていた。共同の研究で、あなたが早くに見極めたというだけのものでしょう?」
「それだったら、どの道発見されるんじゃないか」
「だから、全てにロックをかけて先に進みにくくさせて、自分は取引できるほどの情報を持っていると思わせたかった。違いますか?」
「なんだってそんな面倒なこと」
「それでとりあえず、開発は遅れるからね」
「でも、無視して進められたら――別にいいのか。引き伸ばしには失敗したけど、そもそもは変わらないわけだし」

 なるほどねと呟く羽澄に、霧夜が肯く。三谷は、そんな二人を、半ば呆然と見ていた。 
 そうして、クッと笑う。

「とんでもないな、君たちは」
「それはどうも」

 期せず声が重なってしまい、霧夜はいやそうに、羽澄は楽しそうに、顔を見合わせた。
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