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引越
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「明日、車は空いてるか」
缶詰を加熱しただけだったり、混ぜたり和えたり、あとはクラッカーや麺と、テーブルに並べるうちに保存食の大処分をしている気分になってきた。実際、大差ない。
並べ終えないうちにワインをそれぞれのグラスに注ぎ、食べ物にも手をのばしていた英は、ちゃんと口の中のものを呑み込んでから応える。細かなところで行儀はいい。
「使わないけど、どこ行くんだ?」
「まともなフライパンと鍋と炊飯器と米がほしい。調味料も買い足したいし、食材関係買い込むから足がほしい。なんでバルサミコ酢やオリーブ油や岩塩はあるのに米酢や味醂やサラダ油がないんだこの家は」
「雪季、君、実は主婦だろう」
「…お前のところで会社員になるという話だったが?」
明後日の月曜が初出勤になる。
雇主は、クラッカーにオイルサーディンを乗せながら、そういうことじゃなくてと笑う。
「夕飯だって、引っ越してきたばかりなんだから奢るのに、先に片付けたいとか言ってこれだし。手際よすぎ。フライパンや鍋だって、あるのにあれはちゃんとしてないのか?」
「使えなくはないが、今までの扱いが悪すぎていつ穴が開いてもおかしくない」
「言っていい? 雪季、今まで俺が料理作ってもらった誰よりも手際がいいし手慣れてる」
「だから何だ」
「いや。秘書と護衛を雇ったと思ったら、料理人まで手に入れてたんだなと思って」
「かかった費用は全部お前に請求するからな」
どうしてこんなことになっているのだろうと、改めて思う。
一応社員寮とはいえ家を間借りするような形になって、こうやって、酒を呑み交わしながらだらだらと夕食を摂っている。あの船旅のせいもあってか、一緒にいることへの抵抗が薄れていることに驚く。
へらへら笑いも、すっかり見慣れてしまった。
「いいよ。運転、俺がしようか?」
「車だけ貸せ」
「そう言われると、俺も連れてかなきゃ貸さないって返したくなるんだけど」
そういう奴だった、と、雪季は眉間にしわを寄せた。白ワインと塩胡椒を加えただけのアスパラガスの水煮をフォークで刺す。
必要以上に力がこもった。
「この缶詰って、賞味期限早かったとか? 片付けたいってそういうこと?」
わざとかただ気になったのか、英が話を変える。
今テーブルに並んでいるのは、大半が無害な小山の缶詰だった。
「賞味期限はそれほど関係ない。百年以上前の缶詰が食べられたという記録があるくらいだから、きちんと保管されていれば期限が切れていようと、味の保証はないとしても食べられる。中には、期限切れの方が美味しいものもあるくらいだし」
「え、そうなんだ」
「イギリスで、百十何年だったか、問題なく食べられたらしい。そうなって来ると、あとは好みの問題だな。このアスパラも、昼間の桃も。煮込んだから判りにくいかもしれないが、かなりやわらかいだろ」
「ああ…すぐに崩れるね」
食べられればなんでもいいと言いながら、味や食感の違いがわからないわけではないらしいところが妙なやつだと雪季は思う。違いに気付くなら、まずいものは苦痛にはならないのだろうか。
まあ雪季の知ったことではない。
「どちらも期限切れだ」
「どのくらい?」
「一年は経ってない。もっと早ければ、もう少し歯ごたえはしっかりとしていただろうな。油や味の回り具合や、柔らかさが変わってくるんだろう」
「へー」
「ただそれは、ちゃんと保管されていればの話だ。気温や小さな穴やへこみで、中身が変質することはある。分けたのは、そういった危なそうなやつ」
「あー。だから、何個かは捨ててたのか。マメだな」
ぽつぽつと特に実もない言葉を交わしながら、並べた食べ物も酒も、二人の胃に消えていく。
妙にのんべんだらりとした空気に、雪季は、少しばかり落ち着かない気分になる。船旅の時も思ったが、へらへらとした笑みの消えない英は、誰に対しても、やたらと合わせるのが上手い男だ。
そのことに据わりの悪さを覚えるのは、雪季の側に問題があるように思えてしまうせいだろうか。
気付くと、軽い寝息が聞こえている。
「おい、寝るなら部屋に行け」
空のグラスを握ったままの手からもぎ取り、声をかけるが起きる気配がない。
放置して片付けにかかるが、二人で赤と白のワインを一本ずつとブランデーとウイスキーも多少。つまみの味が濃かったせいもあって、つい飲みすぎたようだ。いくらか、思考がとっ散らかる。
「…日本酒も買うか」
やたらと種類も数も多い酒類は、洋酒とリキュールに偏っていた。雪季は何でも飲むが、自分で選べば辛口の日本酒が多い。
それにしても、と、片付け終えて最後の一杯にブランデーのロックを舐めながら一向に起きる気配のない英を見る。
この馬鹿は、本当に雪季が殺人業をやめたと信じているのだろうか。やめていないときも、隣で呑気に眠っていたが。
別に、嘘はついていない。英の会社に世話になるつもりもある。
雪季自身拍子抜けするほど、もう仕事を請けないとの申し出はすんなりと通った。漫画のように裏の掟や制裁があるとは思っていなかったものの、本当にいいのかとつい訊いてしまったほどだ。
本当に、あれで終わりでいいのだろうかとは今も思う。ただ泳がされているだけかもしれない。
当人ですら疑うそれを、英はあっさりと受け入れた。言い出したのが英とはいえ、果たしてこれは、信用されているのかどうでもいいと思っているのか。
「変な奴」
己の感情を持て余して、つい言葉がこぼれる。まあ、育ち損ねた子どもの考えなど、探ろうとするだけ徒労かも知れないと諦める。
グラスを片づけて、雪季は自分の部屋になった奥の和室に引き上げた。ソファーで半分座ったまま眠っている英は放っておく。夏は終わったとはいえ、一晩くらいで風邪もひかないだろう。
雪季もしっかりと、酔っていた。だからかその夜、夢を見た。
缶詰を加熱しただけだったり、混ぜたり和えたり、あとはクラッカーや麺と、テーブルに並べるうちに保存食の大処分をしている気分になってきた。実際、大差ない。
並べ終えないうちにワインをそれぞれのグラスに注ぎ、食べ物にも手をのばしていた英は、ちゃんと口の中のものを呑み込んでから応える。細かなところで行儀はいい。
「使わないけど、どこ行くんだ?」
「まともなフライパンと鍋と炊飯器と米がほしい。調味料も買い足したいし、食材関係買い込むから足がほしい。なんでバルサミコ酢やオリーブ油や岩塩はあるのに米酢や味醂やサラダ油がないんだこの家は」
「雪季、君、実は主婦だろう」
「…お前のところで会社員になるという話だったが?」
明後日の月曜が初出勤になる。
雇主は、クラッカーにオイルサーディンを乗せながら、そういうことじゃなくてと笑う。
「夕飯だって、引っ越してきたばかりなんだから奢るのに、先に片付けたいとか言ってこれだし。手際よすぎ。フライパンや鍋だって、あるのにあれはちゃんとしてないのか?」
「使えなくはないが、今までの扱いが悪すぎていつ穴が開いてもおかしくない」
「言っていい? 雪季、今まで俺が料理作ってもらった誰よりも手際がいいし手慣れてる」
「だから何だ」
「いや。秘書と護衛を雇ったと思ったら、料理人まで手に入れてたんだなと思って」
「かかった費用は全部お前に請求するからな」
どうしてこんなことになっているのだろうと、改めて思う。
一応社員寮とはいえ家を間借りするような形になって、こうやって、酒を呑み交わしながらだらだらと夕食を摂っている。あの船旅のせいもあってか、一緒にいることへの抵抗が薄れていることに驚く。
へらへら笑いも、すっかり見慣れてしまった。
「いいよ。運転、俺がしようか?」
「車だけ貸せ」
「そう言われると、俺も連れてかなきゃ貸さないって返したくなるんだけど」
そういう奴だった、と、雪季は眉間にしわを寄せた。白ワインと塩胡椒を加えただけのアスパラガスの水煮をフォークで刺す。
必要以上に力がこもった。
「この缶詰って、賞味期限早かったとか? 片付けたいってそういうこと?」
わざとかただ気になったのか、英が話を変える。
今テーブルに並んでいるのは、大半が無害な小山の缶詰だった。
「賞味期限はそれほど関係ない。百年以上前の缶詰が食べられたという記録があるくらいだから、きちんと保管されていれば期限が切れていようと、味の保証はないとしても食べられる。中には、期限切れの方が美味しいものもあるくらいだし」
「え、そうなんだ」
「イギリスで、百十何年だったか、問題なく食べられたらしい。そうなって来ると、あとは好みの問題だな。このアスパラも、昼間の桃も。煮込んだから判りにくいかもしれないが、かなりやわらかいだろ」
「ああ…すぐに崩れるね」
食べられればなんでもいいと言いながら、味や食感の違いがわからないわけではないらしいところが妙なやつだと雪季は思う。違いに気付くなら、まずいものは苦痛にはならないのだろうか。
まあ雪季の知ったことではない。
「どちらも期限切れだ」
「どのくらい?」
「一年は経ってない。もっと早ければ、もう少し歯ごたえはしっかりとしていただろうな。油や味の回り具合や、柔らかさが変わってくるんだろう」
「へー」
「ただそれは、ちゃんと保管されていればの話だ。気温や小さな穴やへこみで、中身が変質することはある。分けたのは、そういった危なそうなやつ」
「あー。だから、何個かは捨ててたのか。マメだな」
ぽつぽつと特に実もない言葉を交わしながら、並べた食べ物も酒も、二人の胃に消えていく。
妙にのんべんだらりとした空気に、雪季は、少しばかり落ち着かない気分になる。船旅の時も思ったが、へらへらとした笑みの消えない英は、誰に対しても、やたらと合わせるのが上手い男だ。
そのことに据わりの悪さを覚えるのは、雪季の側に問題があるように思えてしまうせいだろうか。
気付くと、軽い寝息が聞こえている。
「おい、寝るなら部屋に行け」
空のグラスを握ったままの手からもぎ取り、声をかけるが起きる気配がない。
放置して片付けにかかるが、二人で赤と白のワインを一本ずつとブランデーとウイスキーも多少。つまみの味が濃かったせいもあって、つい飲みすぎたようだ。いくらか、思考がとっ散らかる。
「…日本酒も買うか」
やたらと種類も数も多い酒類は、洋酒とリキュールに偏っていた。雪季は何でも飲むが、自分で選べば辛口の日本酒が多い。
それにしても、と、片付け終えて最後の一杯にブランデーのロックを舐めながら一向に起きる気配のない英を見る。
この馬鹿は、本当に雪季が殺人業をやめたと信じているのだろうか。やめていないときも、隣で呑気に眠っていたが。
別に、嘘はついていない。英の会社に世話になるつもりもある。
雪季自身拍子抜けするほど、もう仕事を請けないとの申し出はすんなりと通った。漫画のように裏の掟や制裁があるとは思っていなかったものの、本当にいいのかとつい訊いてしまったほどだ。
本当に、あれで終わりでいいのだろうかとは今も思う。ただ泳がされているだけかもしれない。
当人ですら疑うそれを、英はあっさりと受け入れた。言い出したのが英とはいえ、果たしてこれは、信用されているのかどうでもいいと思っているのか。
「変な奴」
己の感情を持て余して、つい言葉がこぼれる。まあ、育ち損ねた子どもの考えなど、探ろうとするだけ徒労かも知れないと諦める。
グラスを片づけて、雪季は自分の部屋になった奥の和室に引き上げた。ソファーで半分座ったまま眠っている英は放っておく。夏は終わったとはいえ、一晩くらいで風邪もひかないだろう。
雪季もしっかりと、酔っていた。だからかその夜、夢を見た。
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