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河東英
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よく似合った名前だと、名簿を調べた時に思った。
雪季。生まれた時に雪でも降っていたのだろうか。白雪姫ではないが、周りと比べて白い肌に艶やかな髪の黒色が映えている。
「ちょっと、聞いてる~? ねぇ、アキラってばぁ」
「…ん? あーごめん、ちょっとぼーっとしてた。何?」
「カラオケでも行こうよぉ、二人でぇ」
こっそりと耳元で囁くのは、本人は甘いだろうと思っている声。語尾を変に間延びさせているのが耳障りでしかないのだが、彼女が気付く日は来るのだろうか。
教室に残る女子の目が厳しい事には気付いているだろうが、それも勲章とでも思っていそうだ。
今は、馬鹿な女で遊びたい気分じゃないなと英はにこやかな笑みの下で切り落とした。
「篠原も誘っていい? 最近あいつ、新しい曲仕入れたとかで置いて行ったら恨まれそう」
「えっ…うん、いいよぉ?」
一瞬の逡巡のうちに、二人きりとクラスのナンバーツー両方ととどっちがいいかと秤にかけた様が透けて見えた。浅い女だと、興味がマイナスに潜る。
英は「王子様系」で篠原は「ワイルド系」だと、ベタな分類をしているのを聞いたことがある。
表立ってとっかえひっかえ遊んでいる篠原よりも英を狙ったのだろうが、結局は、どちらでも構わないだろう。それなら押し付けようとさっさと決める。
だが、この馬鹿と篠原とだけでは英が面倒くさい。
「あ。ごめん、篠原に連絡しようとしてみんなに送っちゃった、メッセージ」
「え」
「まあ、人数多い方が楽しいよね」
「えっ…う、うん、そう、だよね!」
印象を悪くしたくないのだろう、頑張って笑顔をつくるが少し引き攣っている。英は笑顔で応じ、カラオケいいねーと集まって来るいつもの面子を適当にあしらう。
窓際の席でノートと教科書を広げていた雪季を盗み見ると、荷物をまとめていた。またスーパーに直行かなと、以前つけた時のことを思い返す。
誰に挨拶をすることもなく教室を出て行こうとして、近い後方の出口を英たちが塞いでいることに気付き、迂回している。
目でも合えば申し訳なさそうな表情でも作ろうかと思ったが、全くこちらを見る気配がない。
英とて、何も知らなければ存在すら気付かずにいただろう。実際、見覚えはなかったし名前も知らなかった。友人めいた存在はないでもないようだが、授業中くらいしか、声を聞いた覚えもない。
中原雪季。彼が人を殺したと知っているのは、英くらいのものだろう。
一月ほど前の、真夏の一日。
つい最近引っ越した棲家に引きこもっても面白いことなどないし、かといって誰かといる気分でもなくて、気侭にその辺りを歩き回っていた時に、雑踏の中で見たのは、赤色だった。
何か光ったような気がして注意を惹かれ、次いで、妙に赤色が飛び込んできた。
金属製の細長いものが光を反射し、では赤はと思えば、やや後方で人の倒れる音がした。驚いたようなどよめきと、気分でも悪いんですか、という声が聞こえた。
それらが結びついて「血」と思ったのは、ただの勘だっただろう。だが、正解だった。
その時点では判らないままに、視界をかすめた赤色の元――針のような、錐やアイスピック状の何かを手にしていたはずの誰か――を探して、足が動いていた。
まだ子どもだなと、思ったのを覚えている。
身長がそれほどないせいか、後の観察で気付いたが歩幅が小さめなせいか、後ろ姿だけでも年齢よりも幼く感じた。
そんな子どもが何故血を――あれは多分、刺したのだろう。
思ったより長くは移動せず、枝道に入り込んだ子どもは、素早く血の付いた凶器をバックパックに仕舞うと、何故かそのまま立ち尽くしていた。
伏せた顔が、ぎりぎり見えた。写真集に収められるような写真の一葉のようだった。
声をかけてみようか、と迷っていると、後方から悲鳴が聞こえた。ようやく刺し傷に気付いたのかと、つい振り返ったのが間違いだった。視線を戻すと、もう路地裏に人影はなかった。
その後、この殺人事件は一時注目を浴びたものの目撃者もなく何かがわかるような遺留物もなく、ひっそりと忘れられていった。
あんなにも鮮やかに手際よく人を殺しながら、なぜあの少年は泣きそうになっていたのだろう。
不思議に思い、折に触れて思い出しているうちに夏休みは明けて、新しくなった名字で迎えた新学期に、教室で見つけた記憶の中と同じ顔に、英は仰天した。
英と同じ夏のカッターシャツを身に着けて、同じ教室の片隅に静かに座っている。誰かと久しぶりの話に盛り上がるでもなく、かといってそのことが目立つわけでもなく、見事に埋没していた。
吃驚しすぎると動きが止まるものなんだなと、英はこの時発見した。束の間教室の入り口に立ち尽くし、訝しげな声をかけられる羽目になってしまった。
「二人きりがお望みだったんじゃない?」
からかう気満々の囁き声に、英は、意識を切り替えた。篠原を相手にするのに気を抜いていると、何を言われるか分かったものではない。
「今はほら、箕中先輩がうるさいから。あんまり遊べないんだよね、俺。頑張ってる感じは可愛いんだけどさ」
「ふうん。付き合ってるの隠すからめんどくさいことになるんじゃない? オープンにしたら、もっと気楽に遊べるのに」
「普通逆じゃないか?」
小声ながらも互いに笑みを浮かべ、傍からは仲が良さそうに見えるだろう。
いつもいる面子の中でも、英と篠原はセット扱いをされることが多い。それがどれだけ鬱陶しいか、素直に素をさらすつもりのない英には、吐き出す場すらない。
篠原がいなければ、彼に声をかけることもできただろうにと思うと余計に鬱陶しさが増す。
折角見つけた矛盾のある殺人者に、興味は尽きない。
自分で決めて殺したなら、何故あんな顔をしたのか。手際の良さはどこかで学んだものなのか。報道を見る限りでは個人の怨みではないように思えたが、それなら、どうして殺したのか。依頼を受けてのものなら、そういったことはどんな仕組みで発生するのか。面白かったりするのだろうか。
訊きたいことや知りたいことはたくさんあるのに、変につついてあの事件の犯人が中原雪季とばれることになれば、結局話が聞けなくなってしまう。そんなつまらない事態は願い下げだ。
「アキラー、カズキー、置いてくよー!」
「あー、ごめんごめん」
「行く行く、置いてかないで」
並んで歩きだす英と篠原を、「仲間」たちが何が楽しいのか、笑顔で迎え入れる。英自身も、隣の篠原も、もちろん笑顔で迎え入れられる。
英は周囲になじむように多分に演技をしていて、篠原もきっと似たようなものなのだろうと思っている。だからこそ、英は篠原を警戒するのだ。
雪季。生まれた時に雪でも降っていたのだろうか。白雪姫ではないが、周りと比べて白い肌に艶やかな髪の黒色が映えている。
「ちょっと、聞いてる~? ねぇ、アキラってばぁ」
「…ん? あーごめん、ちょっとぼーっとしてた。何?」
「カラオケでも行こうよぉ、二人でぇ」
こっそりと耳元で囁くのは、本人は甘いだろうと思っている声。語尾を変に間延びさせているのが耳障りでしかないのだが、彼女が気付く日は来るのだろうか。
教室に残る女子の目が厳しい事には気付いているだろうが、それも勲章とでも思っていそうだ。
今は、馬鹿な女で遊びたい気分じゃないなと英はにこやかな笑みの下で切り落とした。
「篠原も誘っていい? 最近あいつ、新しい曲仕入れたとかで置いて行ったら恨まれそう」
「えっ…うん、いいよぉ?」
一瞬の逡巡のうちに、二人きりとクラスのナンバーツー両方ととどっちがいいかと秤にかけた様が透けて見えた。浅い女だと、興味がマイナスに潜る。
英は「王子様系」で篠原は「ワイルド系」だと、ベタな分類をしているのを聞いたことがある。
表立ってとっかえひっかえ遊んでいる篠原よりも英を狙ったのだろうが、結局は、どちらでも構わないだろう。それなら押し付けようとさっさと決める。
だが、この馬鹿と篠原とだけでは英が面倒くさい。
「あ。ごめん、篠原に連絡しようとしてみんなに送っちゃった、メッセージ」
「え」
「まあ、人数多い方が楽しいよね」
「えっ…う、うん、そう、だよね!」
印象を悪くしたくないのだろう、頑張って笑顔をつくるが少し引き攣っている。英は笑顔で応じ、カラオケいいねーと集まって来るいつもの面子を適当にあしらう。
窓際の席でノートと教科書を広げていた雪季を盗み見ると、荷物をまとめていた。またスーパーに直行かなと、以前つけた時のことを思い返す。
誰に挨拶をすることもなく教室を出て行こうとして、近い後方の出口を英たちが塞いでいることに気付き、迂回している。
目でも合えば申し訳なさそうな表情でも作ろうかと思ったが、全くこちらを見る気配がない。
英とて、何も知らなければ存在すら気付かずにいただろう。実際、見覚えはなかったし名前も知らなかった。友人めいた存在はないでもないようだが、授業中くらいしか、声を聞いた覚えもない。
中原雪季。彼が人を殺したと知っているのは、英くらいのものだろう。
一月ほど前の、真夏の一日。
つい最近引っ越した棲家に引きこもっても面白いことなどないし、かといって誰かといる気分でもなくて、気侭にその辺りを歩き回っていた時に、雑踏の中で見たのは、赤色だった。
何か光ったような気がして注意を惹かれ、次いで、妙に赤色が飛び込んできた。
金属製の細長いものが光を反射し、では赤はと思えば、やや後方で人の倒れる音がした。驚いたようなどよめきと、気分でも悪いんですか、という声が聞こえた。
それらが結びついて「血」と思ったのは、ただの勘だっただろう。だが、正解だった。
その時点では判らないままに、視界をかすめた赤色の元――針のような、錐やアイスピック状の何かを手にしていたはずの誰か――を探して、足が動いていた。
まだ子どもだなと、思ったのを覚えている。
身長がそれほどないせいか、後の観察で気付いたが歩幅が小さめなせいか、後ろ姿だけでも年齢よりも幼く感じた。
そんな子どもが何故血を――あれは多分、刺したのだろう。
思ったより長くは移動せず、枝道に入り込んだ子どもは、素早く血の付いた凶器をバックパックに仕舞うと、何故かそのまま立ち尽くしていた。
伏せた顔が、ぎりぎり見えた。写真集に収められるような写真の一葉のようだった。
声をかけてみようか、と迷っていると、後方から悲鳴が聞こえた。ようやく刺し傷に気付いたのかと、つい振り返ったのが間違いだった。視線を戻すと、もう路地裏に人影はなかった。
その後、この殺人事件は一時注目を浴びたものの目撃者もなく何かがわかるような遺留物もなく、ひっそりと忘れられていった。
あんなにも鮮やかに手際よく人を殺しながら、なぜあの少年は泣きそうになっていたのだろう。
不思議に思い、折に触れて思い出しているうちに夏休みは明けて、新しくなった名字で迎えた新学期に、教室で見つけた記憶の中と同じ顔に、英は仰天した。
英と同じ夏のカッターシャツを身に着けて、同じ教室の片隅に静かに座っている。誰かと久しぶりの話に盛り上がるでもなく、かといってそのことが目立つわけでもなく、見事に埋没していた。
吃驚しすぎると動きが止まるものなんだなと、英はこの時発見した。束の間教室の入り口に立ち尽くし、訝しげな声をかけられる羽目になってしまった。
「二人きりがお望みだったんじゃない?」
からかう気満々の囁き声に、英は、意識を切り替えた。篠原を相手にするのに気を抜いていると、何を言われるか分かったものではない。
「今はほら、箕中先輩がうるさいから。あんまり遊べないんだよね、俺。頑張ってる感じは可愛いんだけどさ」
「ふうん。付き合ってるの隠すからめんどくさいことになるんじゃない? オープンにしたら、もっと気楽に遊べるのに」
「普通逆じゃないか?」
小声ながらも互いに笑みを浮かべ、傍からは仲が良さそうに見えるだろう。
いつもいる面子の中でも、英と篠原はセット扱いをされることが多い。それがどれだけ鬱陶しいか、素直に素をさらすつもりのない英には、吐き出す場すらない。
篠原がいなければ、彼に声をかけることもできただろうにと思うと余計に鬱陶しさが増す。
折角見つけた矛盾のある殺人者に、興味は尽きない。
自分で決めて殺したなら、何故あんな顔をしたのか。手際の良さはどこかで学んだものなのか。報道を見る限りでは個人の怨みではないように思えたが、それなら、どうして殺したのか。依頼を受けてのものなら、そういったことはどんな仕組みで発生するのか。面白かったりするのだろうか。
訊きたいことや知りたいことはたくさんあるのに、変につついてあの事件の犯人が中原雪季とばれることになれば、結局話が聞けなくなってしまう。そんなつまらない事態は願い下げだ。
「アキラー、カズキー、置いてくよー!」
「あー、ごめんごめん」
「行く行く、置いてかないで」
並んで歩きだす英と篠原を、「仲間」たちが何が楽しいのか、笑顔で迎え入れる。英自身も、隣の篠原も、もちろん笑顔で迎え入れられる。
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