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河東英
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「河東君」
「…何?」
名前を呼ばれて、返事をし損ねそうになるとは思わなかった。
以前の母の名字でも、新しくなった父の名字でも、借り物とは思うが問題なく己のものと認識しているはずなのに何故だろうと考えて、呼びかけられると思わず驚いたのかと気付いてそのことに驚いてしまう。
机の前に立つ中原雪季は、年相応に不愛想なかおをしていた。
「小論文。河東君で最後なんだけど。書けてる?」
「あー…」
黒板の端に視線を向けると、日直のところに中原と名があった。提出物の回収かと、机に手を入れたところで動きを止めた。
ちらりと見上げると、変わらずこちらを見ている。
幼さの残る顔立ちは、中性的だ。手足もか細く、それほど力がありそうにないのに、どうしてすれ違った一刺しで人が殺せたのだろう。
「忘れたなら、後で直接持って行って」
「あ。いや。あー…あとちょっとだから、待ってもらっていい?」
「…小論文書きかけって、器用だな」
率直な感想なのか、思いがけない返事に笑ってしまう。
「ごめん、すぐ終わるから、ちょっとだけ待って」
「わかった」
短く応じて、後ろの自分の席に戻っていく。どうするのかと窺っていると、携帯端末とイヤホンを取り出して、何か聞き始めていた。
どんな曲を聞くのだろうと思ってから、そんなことにも興味をひかれるのかと自分で驚く。
「アキラ、部活は?」
「課題がちょっと残ってて。遅れるって言っといて」
「へー、珍し。早く来いよ」
「ああ」
ひらひらと部活仲間に手を振って、英は、書き上げている小論文を机の上に引き上げる。
同じ部活でクラスメイトで、よくつるんではいるが強い興味は湧かない。クラスの中の大体の立ち位置で、なんとなく一緒にいるだけで。
篠原に関しては意識はしているが、警戒であって興味ではない。
父親が警察官で本人も進路をそこに定めているというのも、一人っ子というのも、何かしら知っておいた方が良いかと思って覚えているだけで、知りたかったわけではない。
中原雪季に関して、ただ、人を殺したのに淡々と日常生活を送っている様子に興味を持っただけだと思っていた。色々と話を聞いてみたい、と。きっと、少し話を聞ければ興味も尽きるだろうと。
どうも違いそうだなと、英は心の内で呟いた。どうも自分は、中原雪季と話をしてみたいようだと、ようやく気付いた瞬間だった。
人殺しの話でも、書きかけの小論文の話でも、好きな曲のことでもいい。こちらが話して向こうも話すという、それが面白そうだと思っているようだ、と。
我ながら、意外な発見だった。
どう話しかければ向こうも興味を持ってくれるだろう。いつだって人を動かす言葉は簡単に出てくるのに、考えてもよくわからない。あまり覚えのない感覚に、わくわくしていることに気付く。
「あれえ、英? 部活は?」
「…そっちは?」
ひょいと顔をのぞかせた篠原は、もうジャージ姿になっていた。忘れ物でも取りに来たのだろう。案の定、自分の机の中を覗いた。
「忘れ物。帰るときには忘れてるから今取って来ようと思って。今日バスケ部休みじゃないよね?」
「ちょっと課題残ってて。今から行く」
「へえ。じゃあ、ばいばい」
「ああ」
教室を出ていく篠原を見送って、英は、胸の内で息を吐いた。浮かれて、忘れていた。英が急に中原雪季と親しくなれば、どうして興味を持ったのかと篠原に関心を持たれかねない。
変に勘の鋭い篠原を関わらせたくはない。
ため息をついて、英は立ち上がった。かばんと小論文のノートとをつかんで、後方の席へと向かう。
「中原ごめん、これ、よろしく」
「ああ」
イヤホンをしたままの中原雪季にあっさりと背を向けて、あーあ、と、顔には出さないままにぼやく。篠原がいなければ、他にはどうとでも誤魔化せただろうに、と思う。
それにしても、と、英はこれも胸の内で呟いた。「中原」よりも「雪季」の方がずっと似合っているな、と。今は呼べない名を、胸に刻んだ。
「…何?」
名前を呼ばれて、返事をし損ねそうになるとは思わなかった。
以前の母の名字でも、新しくなった父の名字でも、借り物とは思うが問題なく己のものと認識しているはずなのに何故だろうと考えて、呼びかけられると思わず驚いたのかと気付いてそのことに驚いてしまう。
机の前に立つ中原雪季は、年相応に不愛想なかおをしていた。
「小論文。河東君で最後なんだけど。書けてる?」
「あー…」
黒板の端に視線を向けると、日直のところに中原と名があった。提出物の回収かと、机に手を入れたところで動きを止めた。
ちらりと見上げると、変わらずこちらを見ている。
幼さの残る顔立ちは、中性的だ。手足もか細く、それほど力がありそうにないのに、どうしてすれ違った一刺しで人が殺せたのだろう。
「忘れたなら、後で直接持って行って」
「あ。いや。あー…あとちょっとだから、待ってもらっていい?」
「…小論文書きかけって、器用だな」
率直な感想なのか、思いがけない返事に笑ってしまう。
「ごめん、すぐ終わるから、ちょっとだけ待って」
「わかった」
短く応じて、後ろの自分の席に戻っていく。どうするのかと窺っていると、携帯端末とイヤホンを取り出して、何か聞き始めていた。
どんな曲を聞くのだろうと思ってから、そんなことにも興味をひかれるのかと自分で驚く。
「アキラ、部活は?」
「課題がちょっと残ってて。遅れるって言っといて」
「へー、珍し。早く来いよ」
「ああ」
ひらひらと部活仲間に手を振って、英は、書き上げている小論文を机の上に引き上げる。
同じ部活でクラスメイトで、よくつるんではいるが強い興味は湧かない。クラスの中の大体の立ち位置で、なんとなく一緒にいるだけで。
篠原に関しては意識はしているが、警戒であって興味ではない。
父親が警察官で本人も進路をそこに定めているというのも、一人っ子というのも、何かしら知っておいた方が良いかと思って覚えているだけで、知りたかったわけではない。
中原雪季に関して、ただ、人を殺したのに淡々と日常生活を送っている様子に興味を持っただけだと思っていた。色々と話を聞いてみたい、と。きっと、少し話を聞ければ興味も尽きるだろうと。
どうも違いそうだなと、英は心の内で呟いた。どうも自分は、中原雪季と話をしてみたいようだと、ようやく気付いた瞬間だった。
人殺しの話でも、書きかけの小論文の話でも、好きな曲のことでもいい。こちらが話して向こうも話すという、それが面白そうだと思っているようだ、と。
我ながら、意外な発見だった。
どう話しかければ向こうも興味を持ってくれるだろう。いつだって人を動かす言葉は簡単に出てくるのに、考えてもよくわからない。あまり覚えのない感覚に、わくわくしていることに気付く。
「あれえ、英? 部活は?」
「…そっちは?」
ひょいと顔をのぞかせた篠原は、もうジャージ姿になっていた。忘れ物でも取りに来たのだろう。案の定、自分の机の中を覗いた。
「忘れ物。帰るときには忘れてるから今取って来ようと思って。今日バスケ部休みじゃないよね?」
「ちょっと課題残ってて。今から行く」
「へえ。じゃあ、ばいばい」
「ああ」
教室を出ていく篠原を見送って、英は、胸の内で息を吐いた。浮かれて、忘れていた。英が急に中原雪季と親しくなれば、どうして興味を持ったのかと篠原に関心を持たれかねない。
変に勘の鋭い篠原を関わらせたくはない。
ため息をついて、英は立ち上がった。かばんと小論文のノートとをつかんで、後方の席へと向かう。
「中原ごめん、これ、よろしく」
「ああ」
イヤホンをしたままの中原雪季にあっさりと背を向けて、あーあ、と、顔には出さないままにぼやく。篠原がいなければ、他にはどうとでも誤魔化せただろうに、と思う。
それにしても、と、英はこれも胸の内で呟いた。「中原」よりも「雪季」の方がずっと似合っているな、と。今は呼べない名を、胸に刻んだ。
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