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閑話
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「ここにもこたつ置く?」
「…そのまま寝ない自信があるならどうぞ」
「何その条件」
「酔っぱらってこたつで寝て風邪でも引かれたら困る」
「え。雪季が優しい!」
「…寝込まれるとスケジュールの調整が面倒臭い」
「きっちり秘書としての発言だった。ひどい、弄ばれた」
何を言うでもなくひたと見据えると、顔を隠すようにグラスを干した。カランと、グラスの中で氷が音を立てる。隠すも何も、そもそも表情らしきものはほぼ浮かんでいないのだが。
声音だけが情感豊かで、いっそホラーの領域だ。
「飲み過ぎるなよ」
さすがに、結愛のところでたっぷりと食べた後だけに、つまみを作る気にもなれなかったし、並べる気にもなれない。洋酒に切り替えて、定番のナッツやチーズを並べている。
普段からあまりつまみに手を伸ばさない英の飲むペースが厭に早く、いっそ取り上げようかとも思うが、それはそれで面倒だ。二日酔い程度なら、迷惑をこうむるのは当人だけだろうと解決を放り投げる。
いい加減、このローテーブルで酒杯を交わすのも見慣れた光景だ。
「酔わない酒なんて何が楽しいんだ」
「味」
「…何でもいいみたいな顔しといて案外酒好きだった…。え。てかそれなら早く言えよ、たっかいのとかがんがん買うけど!?」
何故か目を輝かせて身を乗り出して来た英に、雪季は身体を引く。そろそろ寝ようかな、と思う。明日も昼頃から夜更けまで、多人数を渡り歩かなければいけない。仕事だ。
「バブル期のオヤジか」
「…ある意味合ってる?」
「なるほど。オヤジ。金払いの良さしか能がない感じか」
言ったところで、バブル期と言えば雪季が生まれたかどうかの頃ではなかっただろうか。期間がそもそも曖昧なので、はっきりとはわからないが。年長者から話を聞くことはあるが、せいぜいがドラマや小説での知識しかない。
英は、大げさに顔をしかめて見せた。
「そこじゃない」
「どうでもいいが、高かろうと安かろうと、違いが判る気はしないぞ。好きかどうかの問題だから、ムダ金を使うな」
「…雪季ってどこまでいってもマイペースだよな」
「…お前が言うか」
雪季としては英にさんざん振り回されていると思っているのだが、果たして自覚はあるのだろうか。いささか、向ける視線が恨みがましくなる。
それでも、あそこで雪季自身が選ばなければ、今はなかったのだろう。
新しく酒と氷を追加した英は、カランと、響かせるようにグラスを揺らした。
「真柴さんのところ、泊まってくればよかったのに」
「お前みたいなのを上げてやっただけでも感謝しろ。大体、女性の一人暮らしのところに男二人で居座るわけにもいかないだろ」
「色々突っ込みどころありすぎるけど、俺一人で帰っても良かったんだよ、ってこと」
眉間にしわが寄るのが判った。
「…はしゃぎすぎて熱でも出たか?」
「そのバカな犬見るみたいなのやめて?!」
「……もう切り上げて寝た方がいいんじゃないか」
熱が出ているのでなければ、思っていたよりも酔っ払っているのではないだろうか。英のグラスを取り上げたものか、少し迷う。
英は、軽く肩をすくめて見せた。
「悟った」
「…は?」
いよいよおかしくなったのかと、つい、探る目を向けてしまう。英は、おそらくはわかっていて、素知らぬ顔で見返す。笑みさえ浮かべて。
「雪季にとって、真柴さんは本当に別枠なんだろうなあって。生き別れた妹とかのレベルで。まあ俺、妹いないからよくわからないけど。家族信仰ないし。でもとにかく、簡単に縁を切ることのできない相手なんだろうってことは理解した。実感した」
結愛は姉と言っていたな、と、雪季の頭にまず浮かんだのはそれだった。
どう反応したものかがわからずただ視線を投げる雪季に、英は温度の感じられない眼を向ける。
「友達として喧嘩しようと、恋人として別れようと、手放す気はないんだろうなと思った。それなら、俺はもうどうこう関わるものじゃないかなって。むしろ、ちょっとからかって不憫だなって見てるくらいの方が面白いかもと…急に暴力ふるうのなんとかならない?」
「スリッパは脱いでやっただろ」
雪季のスリッパには鉄板が仕込んである。
だが、弁慶の泣き所を蹴られるのはなかなかなダメージだろう。わかってやっている。ただ、無表情で向う脛をさする様子からは、いまいち効果があったのかが判りにくいが。
「DV」
「配偶者でも恋人でもない」
「残念」
「…そういうのじゃないって言ってなかったか」
心持ち、距離を取る。
表情を消されると、冗談や軽口なのか本気なのかが汲みづらく、圧倒的に不利だ。それをわかってやっている節もあるから、なおさらに厄介だ。
英が、グラスを呷った。
「幽霊の話、いきなり振ってあれって通常運転?」
「…ああ」
「…君ら、普段どんな話してるの」
何故か怪訝そうに見られ、そこは読み取れなくてもどうでもよかったのだがと内心ため息をつく。
「お互い、漫画や小説なんかのわからないところを訊いて意見を聞いてるうちにどれだけ突飛な仮定の話をしても普通になった。真柴が言い出したら構想を練ってる漫画の話や日常生活で出てきた疑問のことだろうし、俺が訊いたらどこかで見聞きした話の疑問点だろうと思ってると思う」
出会った当初は、そうやって話すことで、少しずつ「日常」を組み立てていった。
両親も家も一気に失った雪季はからっぽになっていて、結愛の漫画を読みながら、話をしながら、昔確かにあったものを掘り返したり、新しくつくったり。
それらの会話は、結愛にとっても有益だったのだろう。他者の常識や普通を知るのは、案外難しい。
カラン、と、音がした。
「やっぱりちょっと、ずるい」
「は?」
「…そういう積み重ね、どうやったって俺にはない。真柴さん、ずるい」
「何を馬鹿なことを」
「俺もずっと雪季と話したかったのに、真柴さんは俺が雪季を知るよりもずっと前からたくさん話してて。そんなの敵いっこない。諦めたけど、ずるいって思うのは仕方ない」
「……そろそろ寝る。お前も適当に切り上げた方がいいぞ」
「ん」
とりあえず雪季の分のグラスを片付け、歯磨きだけして自室に引き上げる。相変わらずよくわからない執着だと、首を傾げる他なかった。
戸を閉める直前に、カランと、氷の音が聞こえた気がした。
「…そのまま寝ない自信があるならどうぞ」
「何その条件」
「酔っぱらってこたつで寝て風邪でも引かれたら困る」
「え。雪季が優しい!」
「…寝込まれるとスケジュールの調整が面倒臭い」
「きっちり秘書としての発言だった。ひどい、弄ばれた」
何を言うでもなくひたと見据えると、顔を隠すようにグラスを干した。カランと、グラスの中で氷が音を立てる。隠すも何も、そもそも表情らしきものはほぼ浮かんでいないのだが。
声音だけが情感豊かで、いっそホラーの領域だ。
「飲み過ぎるなよ」
さすがに、結愛のところでたっぷりと食べた後だけに、つまみを作る気にもなれなかったし、並べる気にもなれない。洋酒に切り替えて、定番のナッツやチーズを並べている。
普段からあまりつまみに手を伸ばさない英の飲むペースが厭に早く、いっそ取り上げようかとも思うが、それはそれで面倒だ。二日酔い程度なら、迷惑をこうむるのは当人だけだろうと解決を放り投げる。
いい加減、このローテーブルで酒杯を交わすのも見慣れた光景だ。
「酔わない酒なんて何が楽しいんだ」
「味」
「…何でもいいみたいな顔しといて案外酒好きだった…。え。てかそれなら早く言えよ、たっかいのとかがんがん買うけど!?」
何故か目を輝かせて身を乗り出して来た英に、雪季は身体を引く。そろそろ寝ようかな、と思う。明日も昼頃から夜更けまで、多人数を渡り歩かなければいけない。仕事だ。
「バブル期のオヤジか」
「…ある意味合ってる?」
「なるほど。オヤジ。金払いの良さしか能がない感じか」
言ったところで、バブル期と言えば雪季が生まれたかどうかの頃ではなかっただろうか。期間がそもそも曖昧なので、はっきりとはわからないが。年長者から話を聞くことはあるが、せいぜいがドラマや小説での知識しかない。
英は、大げさに顔をしかめて見せた。
「そこじゃない」
「どうでもいいが、高かろうと安かろうと、違いが判る気はしないぞ。好きかどうかの問題だから、ムダ金を使うな」
「…雪季ってどこまでいってもマイペースだよな」
「…お前が言うか」
雪季としては英にさんざん振り回されていると思っているのだが、果たして自覚はあるのだろうか。いささか、向ける視線が恨みがましくなる。
それでも、あそこで雪季自身が選ばなければ、今はなかったのだろう。
新しく酒と氷を追加した英は、カランと、響かせるようにグラスを揺らした。
「真柴さんのところ、泊まってくればよかったのに」
「お前みたいなのを上げてやっただけでも感謝しろ。大体、女性の一人暮らしのところに男二人で居座るわけにもいかないだろ」
「色々突っ込みどころありすぎるけど、俺一人で帰っても良かったんだよ、ってこと」
眉間にしわが寄るのが判った。
「…はしゃぎすぎて熱でも出たか?」
「そのバカな犬見るみたいなのやめて?!」
「……もう切り上げて寝た方がいいんじゃないか」
熱が出ているのでなければ、思っていたよりも酔っ払っているのではないだろうか。英のグラスを取り上げたものか、少し迷う。
英は、軽く肩をすくめて見せた。
「悟った」
「…は?」
いよいよおかしくなったのかと、つい、探る目を向けてしまう。英は、おそらくはわかっていて、素知らぬ顔で見返す。笑みさえ浮かべて。
「雪季にとって、真柴さんは本当に別枠なんだろうなあって。生き別れた妹とかのレベルで。まあ俺、妹いないからよくわからないけど。家族信仰ないし。でもとにかく、簡単に縁を切ることのできない相手なんだろうってことは理解した。実感した」
結愛は姉と言っていたな、と、雪季の頭にまず浮かんだのはそれだった。
どう反応したものかがわからずただ視線を投げる雪季に、英は温度の感じられない眼を向ける。
「友達として喧嘩しようと、恋人として別れようと、手放す気はないんだろうなと思った。それなら、俺はもうどうこう関わるものじゃないかなって。むしろ、ちょっとからかって不憫だなって見てるくらいの方が面白いかもと…急に暴力ふるうのなんとかならない?」
「スリッパは脱いでやっただろ」
雪季のスリッパには鉄板が仕込んである。
だが、弁慶の泣き所を蹴られるのはなかなかなダメージだろう。わかってやっている。ただ、無表情で向う脛をさする様子からは、いまいち効果があったのかが判りにくいが。
「DV」
「配偶者でも恋人でもない」
「残念」
「…そういうのじゃないって言ってなかったか」
心持ち、距離を取る。
表情を消されると、冗談や軽口なのか本気なのかが汲みづらく、圧倒的に不利だ。それをわかってやっている節もあるから、なおさらに厄介だ。
英が、グラスを呷った。
「幽霊の話、いきなり振ってあれって通常運転?」
「…ああ」
「…君ら、普段どんな話してるの」
何故か怪訝そうに見られ、そこは読み取れなくてもどうでもよかったのだがと内心ため息をつく。
「お互い、漫画や小説なんかのわからないところを訊いて意見を聞いてるうちにどれだけ突飛な仮定の話をしても普通になった。真柴が言い出したら構想を練ってる漫画の話や日常生活で出てきた疑問のことだろうし、俺が訊いたらどこかで見聞きした話の疑問点だろうと思ってると思う」
出会った当初は、そうやって話すことで、少しずつ「日常」を組み立てていった。
両親も家も一気に失った雪季はからっぽになっていて、結愛の漫画を読みながら、話をしながら、昔確かにあったものを掘り返したり、新しくつくったり。
それらの会話は、結愛にとっても有益だったのだろう。他者の常識や普通を知るのは、案外難しい。
カラン、と、音がした。
「やっぱりちょっと、ずるい」
「は?」
「…そういう積み重ね、どうやったって俺にはない。真柴さん、ずるい」
「何を馬鹿なことを」
「俺もずっと雪季と話したかったのに、真柴さんは俺が雪季を知るよりもずっと前からたくさん話してて。そんなの敵いっこない。諦めたけど、ずるいって思うのは仕方ない」
「……そろそろ寝る。お前も適当に切り上げた方がいいぞ」
「ん」
とりあえず雪季の分のグラスを片付け、歯磨きだけして自室に引き上げる。相変わらずよくわからない執着だと、首を傾げる他なかった。
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