回りくどい帰結

来条恵夢

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 廊下を歩いて来る人の気配に、雪季セツキはヘッドホンの音源を切った。パソコンのモニタの中で、ドラマについて話していたナンシーとケインが停止する。
 モニタのはしに表示されている時刻は、そろそろお茶時だ。
 部屋の前に置いておいた食事はったのか、トイレにでも立っただけかこちらにやってきて声をかけるか、引き返すか。
 どう来るかな、と、雪季は声に出さずにつぶやきを落とす。

「あの…ごちそうさま、でした」

 一拍置いて、振り向いてヘッドホンを外す。手に持っている皿は空だ。

「流しに置いておいて。お茶れるけど、何か飲む?」
「あの…あの人は…?」
河東カトウ? 出掛けてるよ。そういえば俺、名前言ってなかったね。中原ナカハラ雪季です」
「俺、は…衣笠キヌガサ三津弥ミツヤ、です」

 そちらは聞いて知っているが、わざわざ言うことでもない。頷いて立ち上がると皿を受け取り、キッチンへと足を向ける。

「何飲む? コーヒーか紅茶か、麦茶と緑茶とほうじ茶と、カルピスとオレンジジュースと…ココアもあったな」

 背後から襲い掛かられて、雪季は、わざとらしくない程度に皿をソファーに投げた。上手く着地して、割れずに済んだようだ。
 うつぶせに組み伏せられ、左肩を打つ。
 そろそろ冬支度の季節でもあるし、カーペットをいた方がいいかと考える。しかし、あれはあれでほこりまりやすくなるし、無精ぶしょうをした英がそのまま寝入ったりしないだろうか。
 あいつ、バーベキューだとか言って丸投げして行ったな、と、雪季は溜息ためいきみ込んだ。

『俺はもう悪い警官をやっちゃったから、雪季が善い警官ってことでよろしく』

 そんな置き台詞ぜりふを思い出して、思い通りに行くものかと内心ぼやく。おまけに既視感のある展開に、どいつもこいつもと腹も立って来る。

「なんだ…あんたは、全然強くないじゃないか。あんな化物と一緒にいて、それでやっていけるのかよ」

 全く、どんな「説得」をしたのか。
 全然知りたくはないが、少しばかり想像もついて、いよいようんざりとした。あと、あれと一緒にしないでほしい。一般的に見て、どちらが化物かと言えばどっちもどっちだとしても。
 雪季は小柄なので、どうしても奇襲が多くなる。真正面から行くよりも断然、そちらの方が成功率が上がる。ただその体格差も、使いようはある。

「なんなんだよあんたら、横から口出してきて、関係ないだろ。何も知らないくせに…っ」

 激昂してか、わずかに腕が緩んだ隙を狙い、振り払う。半回転して床に手を突くと、思い切り蹴り上げた。反撃を予想もしていなかったのか、雪季よりも重みのありそうな体が吹き飛んだ。
 着地点は、皿と違ってソファーをややずれてしまい、むしろソファーとテーブルの両方の角をかすめて落ちたようで、痛そうだと顔をしかめる。受け身を取った様子もなかった。
 おまけに、テーブルに置いたパソコンが跳ねてきもを冷やす。壊れたところで英の私物だが。

三浦ミウラさんに八つ当たりするのに、ここを選んだのが運の尽きと諦めるしかないんじゃないかな。いや…河東に目をつけられた時点で、お気の毒としか言いようがないか」

 うめき声しか返らない。やはり、かなり痛そうだ。
 雪季は溜息を落とし、思い出してキッチンカウンターの端に手をのばした。見張っていたわけでもないのに逃げ出さなかった理由がこれかも知れない。数字の書かれた、小切手。

「返し忘れてた、これ」
「なん…っ」
「ああ、無理に起き上がらない方が。少し冷たいが、そのまま寝てた方がいい」

 テーブルを少し動かして、寝転がるのに十分なスペースを作る。ついでにそのテーブルに、小切手を置く。
 仰向あおむけになった三津弥は、顔を隠すように腕を引き上げていた。

「手加減できなくて悪い。あと、ルームシューズに鉄板が入ってるから、蹴ったところあざになるかも」
「なんでそんな…」
「体格差が不利だから、小細工が必要で。油断しただろ?」
「…結局あんたも化物かよ」
「あいつと一緒にするのは勘弁してくれ」

 「説得」の際に英が何をどう言ったのかは知らないが、どうせめ言葉ではないだろう。褒められても嬉しくもないが。
 とりあえず雪季は、ミルクパンに牛乳を入れて火にかけ、マグカップを二つ用意する。

「チョコレートとマシュマロ、どっちがいい? 返事をしなければ、両方入れるけど」
「…何の話?」
「ココアに。はじめから砂糖が入ってる粉末しかないから、かなり甘くなると思うけど。ココアでいいんだよな?」
「なんで…?」
「ココアって言った時だけ、少し反応した」

 二人分、温めた牛乳で溶かし込んで、片方にはインスタント珈琲をぜてある。ココア粉末のみの方は、三津弥からの返事がないので、割った板チョコと白いマシュマロとを入れる。
 テーブルの、小切手の隣に三津弥の分を置き、雪季は、皿を少しずらしてソファーに腰かけた。

「冷めないうちに飲んだ方がいい」
「…なんなんだよあんたら…」
「会社員とその雇い主」

 事実を言ったのに、疑い深げな視線を向けられた。肩をすくめて、カップを傾ける。やはり、雪季には少しくどい。

「俺も河東も、強制はしない。昨日渡した北海道と鹿児島と、希望があるなら海外も選択肢に加えてもいい。でも、全部蹴って前の生活に戻りたいなら止めない。三浦さんは気の毒だけど、だからといって全部なげうってまで君を追いかけるようなこともしないだろうし。後は、君がどこで成り上がろうと野垂のたれ死のうと、俺たちには関わりのないことだ」
「…甘い」

 むくりと起き上がった三津弥は、聞いている年齢よりも幼いむくれ顔でカップをあおった。溶けたチョコレートが唇に貼りついている。

「横取りする気じゃなかったのかよ」
「もらういわれがないだろう。個人的には、それは自分自身のために使った方がいいと思うけど。せっかくだから、高認取って大学に入るとか」
「学校が何の役に立つって言うんだ」
「知識は個人で持つ最大の武器だから。無知は罪ではなくて、損だよ。知らないというだけで、不利な立場に追い込まれる。下手をすれば、そうることすら判らない」

 大学には進まなかった雪季の言うことではないかも知れないが、中途半端にとはいえ「裏側」にも関わり合った身としては実感はある。
 間に師が噛んでいたこともありあまり横のつながりを持たなかった雪季ではあるが、知らなかったがために「あちら」に関わってしまった人をいくらでも知っている。
 ついでに言えば、今更に英語の勉強をしている身としては、学生時分にもう少し真面目にやっていればよかったと思う。
 英の交友関係が、ひいては会社の関わりが国際色豊かなために、最低限英語の聞き取りが必要だと気付いて、地道に勉強中だ。時間をかけていいなら文章はある程度読めるが、会話となればさっぱりだ。
 英は自分が話すから問題ないと言うが、それでは本当にただのお飾りだ。

「…甘いものなんて、ほとんど食べさせてもらえなかった。飲み物も」

 カップを抱えたまま、ぼそりと三津弥が声を出した。どうして誰も彼も、親しくない人に告白をしたがるのだろう。増して、弱みになりかねないようなことを。

「虫歯になるとか体に良くないって。ばあちゃんは、俺が一人で遊びに行ったときにはこっそりと色々と出してくれた。ばあちゃん自身は甘いものが苦手だったって、後で知った。ココアも、俺のためだけに買っておいて、作ってくれて。…ばあちゃんだけが、俺のことも褒めてくれた」

 三津弥がはたらいていた特殊詐欺は、主には高齢者を対象にしていたはずだが。そのあたりに矛盾はなかったのだろうか。
 あるいはそれこそが甘えだったのだろうか。手を貸してほしいと、あるいは、何故助けてくれないのかという裏返しの。だとすれば迷惑極まりない。

「親兄弟を捨てるには、ちょうどいい機会だろう」
「…は…?」
「君の親や兄弟がどんな人かは知らないけど、手切れ金をくれるくらいには向こうも関わってほしくはないんだろう? 縁を断つ絶好の機会じゃないか」

 信じられない、とでも言い出しそうな表情で雪季を見る。カップを抱えたまま、雪季は肩をすくめた。

「今までにかけてもらった養育費は心的外傷の対価とでもしておいて、君は君で生活の基盤を立てていった方が前向きじゃないか。お祖母さんとの思い出を温めておくのはいいけど、あまり血のつながりに夢を見ない方がいい。案外、他人よりも身内の方が憎しみも強いものだし」

 身内だからこそ許せないというものはあるし、近親憎悪という言葉もある。逆に、身内であれば許せるということもあるから複雑だが。

「言葉も、与えてくれないことも、ものによっては虐待だ。例え血が流れなくても、傷が本人にすら見えなくても、あるものはある。…三年ほど児童養護施設で過ごしたことがあるけど、親が子どもを捨てるのに比べて、子どもが親を捨てるのはなんて大変なんだろう、と思ったよ。傷つけられて捨てられるようにして施設に預けられた子どもが、親が呼ぶと喜んで戻っていく。そうしてまた、傷付けられて帰って来たりもする。あれは愛情なんてものではなくて、呪いに近いように思える」

 三津弥は押し黙ったかと思うと、ココアを飲み干し、乱暴にカップを叩きつけると口の端にチョコレートをつけたまま立ち上がった。溶けかけのマシュマロで火傷やけどでもしていないかと少し心配になる。
 そのまま、葉月ハヅキの部屋へと引き上げるようだった。忘れられているのか、小切手は残されていた。
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