回りくどい帰結

来条恵夢

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年越

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 翌朝、目を覚ますと外はすっかり明るくなっていた。
 少し体を動かしてみると、重いような感覚は大分抜けている。熱っぽさもあらかた引いて、代わりのようにバスローブがすっかり汗を吸い込んでいた。
 もう一度シャワーを浴びようと体を起こしたところで、人の腕が乗っていたことに気付いてぎょっとする。
 隣のベッドで寝ていたはずのアキラが、なかばこちらに転がり込んで来ていた。
 ツインベッドなのだが、真横に二台並んでいるから落ちずに済んだのだろう。前の船室はもう少し部屋が広くベッド同士は離れていたが、あの時は別に落ちてはいなかったはずだが。
 何より、全く気付かず熟睡していたことに驚く。

「…腹減った」

 ぼそりとつぶやいて、ベッドを降りる。昨日飲み残したスポーツドリンクを空にして、手早くシャワーを浴びた。
 頭をきながら時計を確認して、朝食はついていたはずだなと記憶を手繰たぐる。聞いたプランでは、宿泊客は昼頃までは昨夜のメイン会場での飲食が提供されるはずだ。
 英を起こそうかと思ったが、まだ時間はあるし、結局昨夜はほとんど食べていないのでお腹がいている。身支度を待つのも面倒だ。
 とりあえず携帯端末と電源スロットにまとめて刺さっていたカードキーを一枚引き抜いて、部屋を後にした。眼鏡をかけようかとも思ったが、どこにあるのかがわからなかった。
 ジャケットは着回すつもりでいたが使えないので、幸いにもかばんに入れていたカーディガンを羽織はおったが、甲板かんぱんには出ないようにしようと思う。日差しはまぶしいが、絶対に寒い。

「おはようございます」

 ホールに入ったところをスタッフの挨拶で迎えられ、なんとか返したものの、雪季セツキは目を奪われていた。ホールの中央に、妙なものが花開いている。
 つた植物を集めたような、成人男性でも抱えきれないだろう太さの「何か」。
 鉢のようなものから真上に天井近くまで伸びているが、植物に詳しくない雪季には、こういう植物があるのか、生け花のように寄せ集めたものなのかもわからない。
 そして、絡み合う蔦のようなものの隙間にはいろいろと差し込まれていて、花だったり正月飾りだったり折り紙で作った何かだったり、間違った七夕飾りかクリスマスツリーのような様相をていしている。小さな鏡餅までぶら下がっていた。紐で串刺しになっている。

「斬新…なのか…?」

 ぽかんと見上げてしまう。
 どのくらいかただただ見ていたが、チーズの匂いに空腹を思い出した。セミオーダー制のビュッフェ形式なので、作り立てのものが追加されたのか誰かが注文したものができたのか。
 グラタンのようで、美味おいしそうだが今はもう少し消化に良さそうなものがいい。

「Oh! NINJYA boy!」
「え」

 いきなりはずんだ流暢りゅうちょうな英語で声をかけられ、雪季は硬直した。
 頑張って単語を拾うが、どうも、忍法は使えないのかとか手裏剣を投げて見せてくれとか言われているような気がする。何だそれは。
 そういえば昨夜突っ込み損ねた、少年忍者とかいうたわごとがあった。

「いや…えっと…ノット ニンジャ…」
「That can't be true!」

 聞き覚えのあるフレーズに意味は分かったが、そんなはずがないと言われても、雪季は忍者になった覚えはない。更に興奮したように早口で喋り立てられ、軽く天をあおぐ。

「May I speak to you a minute?」

 するりと割り込んで来た女性は、ホテルマンのようなスーツに身を包んでいた。なめらかに、赤ら顔の中年男性と会話を始める。
 最終的に、話しかけてきた男性は少し残念そうに、しかし力強く雪季の手を握って去って行った。
 船のスタッフであることを表す名札をつけた女性は、男性客を腰を折って見送り、顔を上げると、にこりと雪季に微笑ほほえみかけた。

「失礼いたしました」
「いえ、助かりました。…あの人は、何を?」
「忍者のあなたとお知り合いになりたいと、出来ることなら技を見せてほしいと。隠密行動中なのでご遠慮くださいとお伝えしたら、それなら仕方がないと」
「…忍者」

 勘弁してくれ、という思いが声か顔に出たのか、女性スタッフは、くすりと笑みこぼした。

「昨夜はご活躍されたそうで。無理もありませんよ」

 この時間に勤務しているということは、昨夜は居合わせなかったのではないのか。それとも、通しての勤務なのだろうか。
 後者ならいいが、前者なら、どれだけ話が広まっているのかと考えると頭が痛い。もっと他に方法があっただろうと、今になると思う。多分、コートを投げかけるだけでも英が殴り倒す助けになって片付いただろう。
 女性はみを収めると、深々と頭を下げた。

「昨夜はありがとうございます、誠に申し訳ありませんでした。河東カトウ様には先にご挨拶をさせていただきましたが、キャプテンがぜひお目にかかりたいと申しております」
「…先にご飯を食べてもいいですか」
「失礼いたしました。ご都合のよろしい時に、お声がけください」

 もう一度丁寧にお辞儀をして頭を上げると、しかし彼女は雪季の顔に視線をえたまま動かない。

「…あの?」
「すみません、少しだけ個人的なことを。…中原君、だよね?」
「え?」

 意外な呼びかけに、雪季は、スタッフの女性を改めて見直した。
 長さのありそうな髪はきっちりとまとめ上げ、制服だろう服も着こなしている。姿勢がいいせいか身長があるような印象を受けるが、雪季よりも低い。やや吊り気味の目だなと思って、何かが記憶をかすめた。
 何も言えない雪季に、彼女はどこか淋しげに苦笑した。

「あの頃は眼鏡をしてて…覚えてないか」
「あ。委員長?」

 ぱっと目を輝かせた彼女は、雪季の知っている中学生の頃のような少女らしさを垣間見せた。いで、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「その呼び方やめてよ。まさか、名前は覚えてないの?」
「あ、いや。…朝倉アサクラさん?」
「はい、正解」

 微笑ほほえむ様はすっかり大人になっていて、よく中学生時代が見ていた最後なのに気付けたものだと記憶の不思議さに驚いてしまう。

「偉そうなことは言えないんだけどね。先にキャビンに行ったんだけど一足遅くて、ちゃんと見つけられるか不安だったし」
「朝倉さんは、よく俺がわかったね」
「珍しい名前だなって印象に残ってたのと、中原君、全然変わらないんだもん。あの頃と同じような格好してるし。今何してるの? アクション俳優とか? 一緒にいるのはマネージャーさん?」

 思いがけない言葉に面喰めんくらっていると、違うの?と、朝倉は首を傾げた。やはりそういったところには、あの頃の幼さがよぎる。
 小中と同じ学校で同じクラスになったこともあるにはあるが、それほど接点はなかったはずだ。それでも覚えていることに、雪季は我ながら意外さを感じる。
 雪季が懐かしさにひたっているうちにも、現実は進む。

「私は直接見てないけど、凄かったって聞いたよ。ものすごく高く跳んで、一瞬で暴れてた人を取り押さえたって」

 間違ってはいないかも知れないが、何をどう言ったものか。頭を抱えたくなる雪季に気付かずかえて無視をしてか、朝倉の言葉は続く。

「中原君が倒れた後、おれさんの手際てぎわも凄かったって。駆け付けたスタッフにてきぱき指示出すし、動画とか写真とか撮ってた人に顔出しNGっていうの徹底させて、仲良く飲み始めちゃって。完全ホスト…ホストクラブの方じゃなくって、おもてなしをする主人っていう方のね、そんな感じで。あの人何者?」

 そんなことは雪季の方が知りたい。
 それはいても、社名を出してもいいものか、出したところで何をどこまで説明したものかがわからない。雪季のことだけに限らないだけに迷う。

「あ。ごめん、詮索せんさくした。失礼しました。わたしでなくてもいいから、都合がついたら声をかけてもらえる? 名前を言ってもらえれば対応するから。本当はこっちから訪ねるべきだけど、ゆっくりと過ごしたいかもとか…」
「ああ、うん、大丈夫。適当に食べたら。一旦部屋に戻るかも知れないけど」
「よろしくお願いします」

 ぺこりと一礼して、きびすを返す。本当に姿勢がいいなと見送っていると、近くに人の気配がした。

「起きたのか」
「起こされた。雪季を探してたけど、会えたんだな。知り合いだった?」
「中学が一緒だった」
「世の中狭いな」

 あくびを噛み殺す英は、オレンジジュースが入っているらしいコップを手にしている。謎の柱に気を取られていた雪季はそれすらまだで、食器のあるあたりを目で探す。
 さすがに泊り客は少ないのかゆっくりと朝を過ごしているのか、下手をするとスタッフの方が多くなりかねないほどに人はまばらだった。ドレスコードがないだけに、それとなくラフな格好の人の方が多い。

「皿取って来る。お前は?」
「起き抜けはあんまり食べないからいい。その辺座ってる」
「ああ。…河東」
「ん?」
「悪かった。色々と」

 英はきょとんとしたように目を見開いて、ゆっくりと首を傾げた。妙に幼く見える。

「何か謝られるようなことあったか? 俺の活躍の場を奪ったってこと?」

 今度は、雪季の方が唖然あぜんとしてしまう。昨夜から散々迷惑をかけたと思うのだが、どうも、本当に気付いていないような反応だ。それだけ、英にとってはなんて事のないようなことだったのだろうか。
 ややあって、はっとしたように英が妙な声を上げる。雪季はつい周囲を気にしたが、それほど注目はされていないようで胸をで下ろす。

「とりあえず頷いて恩着せとけばよかった! しくじった!」
「…全部口に出てる」
「あー…。アタマ回ってない。寝不足かアルコール抜けてないのか…雪季のご飯食べたい…」

 どう考えても自分が作るものより美味しい料理が並んでいるだろうにと思いながら、雪季はそっと踵を返した。
 いくら英が気にしていないとはいえ、雪季の気が収まらないので改めてびるとして、とりあえず空腹をなだめるのが先だ。
 しかしあの駄々洩だだもれ具合は、本当にアルコールが残っているのかもしれない。
 昨日のことを聞いたりやキャプテンに呼ばれていることを相談したかったのだが、下船時刻まではまだ時間もあることだし、手早く食べて部屋に戻ってからの方がいいのかもしれない。人目のあるところで変なことを言い出したら困る。
 こればかりはみずかいた種なので、英を責められないなと、雪季は溜息を落とした。
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