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年越
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どうしてこうなったんだろうと思いながら、雪季は伊達巻を切っていた。
表面の焼き色が模様となって、卵色の中に茶色い渦巻きを形作る。簀の子がなかったから無理矢理クッキングシートとタオルで巻いたが、完璧とは言えなくてもある程度形になってくれたようだ。
昨日は船長から謝罪と感謝を受け入れ、口止めを兼ねた礼金は断ったもののコートの弁償に船内のショップのものはどれでもと言われてよくわからないままに英に任せたら雪季ですら知っているブランドのタグを発見し、調べて普段雪季が買うような物とは一桁違った値段だったことに気付いたときには既に遅く。
ちなみに、口止めはあの酔漢を不問に付したことについてだった。
なんでも、雪季が呆然と見入った会場の謎のオブジェの作者だったようで、詳しくは聞かなかったがそれだけ高名なり船会社との付き合いがあるなりの人物だったらしい。
警察への通報もされていないようで、殴られた人との示談も済んだのだろうか。
英が立ち回ったという映像や画像の顔出しNGは徹底していて、雪季や英だけではなく、酔漢も他の客、船を特定できるようなものもすべてに及んでいたらしく、まさかこれを見越していたのだろうかと思うとややげんなりとする。何手先まで読んでいるのだろう。
そうした諸々を気分の上では全て置き去って船を降りたのは昼過ぎで、帰宅したところで簡単に食事を済ませ、雪季は布団に直行した。何度か目を覚ましてはトイレに行ったり水分補給をしたり、何か食べたり。
そうするうちに朝を迎え、体調をほぼ快復させたのは、雪季も我ながらどうかと思う。考えてみれば、風邪薬も漢方薬も飲み忘れていたというのに。
明日も明後日もパーティー続きの予定なのでお節は作りも買いもしなかったが、多少の正月気分を出そうかと用意しておいた餅で雑煮を作って食べていたら、今まで正月をどう過ごしていたかという話になり。
『会社を作ってからは、ずっとこんな感じか?』
『こんなって?』
『年末から一週間くらいは何かと宴会続きだろ。正月休み、丸一日空いてるの今日だけじゃないか』
『あー…河東の家に行ってからは割とずっとこんな感じだったかな。せっかく増えた手駒だから、なるべく役立てようといろんな人に会わされたし。家にたくさん人呼んだり呼ばれたりで、学校始まってからの方がのんびりできた感じ』
特に感情も込めずに言うせいで、英がそのことをどう思っていたのかはよくわからなかった。雪季であれば息苦しいと思ってしまうそれらを、英はこうやって淡々と受け流して過ごしていたのかもしれない。
いつの間にか餅を食べ終えてほぼ汁だけになった器を抱え、英は、雪季に真っ直ぐに視線を向けた。
『雪季は? おせち料理と雑煮つついてた?』
『両親が生きてた頃は。母親が重箱に詰めて、三日間きっちり』
『全部手作り? うわーできるんだそんなこと』
そもそも買う風習が生まれたのが比較的最近のことではないのか。元は、正月に煮炊きを控えるための保存食だ。だが、英には心底意外だったようだ。
『種類はどのくらい? 何が好きだったとかあるのか?』
『あまりしっかりとは覚えてないけど…子どもだったし、甘いのが好きだったな。伊達巻とか、きんとんとか』
そういえば伊達巻は、あの人も作ってくれた。一度は師と仰いだ、小さな居酒屋の店主も兼ねるあの人。
元旦だけ休んで、残りの三が日限定で伊達巻や他数品のおせち料理を出していた。売り物だからと、形の悪い端の切り落としは雪季たちの腹に収まった。それを、少しばかり懐かしく思い出す。
気付けば、英がじっと見ていた。
『…なんだ』
『それ、作れる?』
『…は?』
『だてまきと、きんとん。栗きんとんのこと? 作れるか?』
『まあ…ネットで見つかるレシピでいいなら…食べたいのか? 今日からスーパーも開いてるし、まだ売ってるんじゃないか?』
雪季自身が一人で全て作ったことはないが、そこまで難しくはなかったはずだ。ただ、多少道具が足りないかも知れず、食材も今あるものだけでは足りないだろう。覚えているだけでも、はんぺんと栗の甘露煮がない。
どうせ買い物に行くなら、そしてまだ売っているなら、雪季が慣れないまま作るよりはそちらの方が美味しいような気がする。
だが英は、はっきりと首を振った。
『雪季が作れるなら、食べてみたい』
作れないなら、買うのではなく要らないと。そして今に至る。
思った通りにそれほど難しいものではなく、伊達巻は卵とはんぺん、出汁と調味料をミキサーで混ぜてオーブンで焼いて、巻き整える。栗きんとんはさつまいもを茹でて裏ごししたら茹で汁を加えて弱火にかけて砂糖や甘露煮のシロップで味を調える。
多少時間はかかるが、手順もおぼろげではあっても覚えていたので、レシピを探せばそれなりには形になった。味も、悪くはないと思う。
しかし夕飯がこれだけでは足りないので、一人分の小鍋をそれぞれ用意する。
普通に鍋でもいいのだが、雪季が体調を崩した原因が感染性のものだった場合、今度は英が倒れかねない。船では同室だったし今更な気はするが、新年絡みのパーティーは英がいなければ意味がないので、やらないよりはましだろう。
「あー疲れた。なんかべらべら喋った挙句に今度遊びに来るって。バレンタインの催事で日本に来るからって、招かれてるの大阪なのになんでこっちまで来るんだっていうさー。二月の下旬くらいで適当に調整しといて」
「…名前と職業」
「ベッテル。イタリアのパティシエ」
「会社のパソコンにメールしといてくれ」
「はーい」
食事の際の定位置の椅子を引き、携帯端末を覗き込みながら腰を落とす。
大人しく二階にこもっていると思ったら、新年のあいさつでも捌いていたようだ。特に疲れた様子はないが、楽しそうでもない。
それとなく窺っていた雪季の視線に気付いていたのか、英は不意に顔を上げ、にやりと笑みを形作った。
「そこそこ日本語喋れる奴だから、安心しろよ」
「…安心も何も」
端末をテーブルに伏せ、体ごとキッチンカウンターの雪季の方を向いた英は、腹が立つくらいににこやかな笑顔をしている。雑誌の表紙でも飾りそうな胡散臭さに、雪季は内心身構えた。
「雪季、俺が日本語じゃない言葉でやりとりしてると迷子になったみたいな顔してるけど?」
「…して、ない」
「自分じゃ自分の顔なんて見られないのに、なんで断言できるんだ?」
「そろそろできるからガスコンロ出せ。二つ」
一人暮らしでなくても多くの家に一台しかなさそうなガスコンロが数台あるのは、社員寮の名残なのか誰かが持ち込んだまま引き上げるのを忘れたのか。
雪季が居ついて三か月ほどだが、相変わらず、所蔵されている諸々のバランスが悪い。
素直に収納場所から引っ張り出す英が楽しそうで、腹立たしいが図星とまではいかなくとも痛いところを突かれたとわかった上で無理やり話を逸らしたので、文句の言いようがない。
実際、様々な人と多言語を駆使して対等に渡り歩く英を見ていると、言葉がどれだけ武器になるかを実感する。
人は、程度の差こそあれ、言葉を扱うからこそ人なのかもしれない。例えば、テレパシーや身ぶりや絵などが発達して言葉が廃れたとしたら、それはもう「人」ではないのだろう。別種の生き物だ。
逃避じみた妄想を英に勘付かれる前に振り払い、料理を運ぶ。
味噌仕立ての小鍋が二つと伊達巻だけなので、すぐに終わった。最後に冷凍ご飯でおじやを作って栗きんとんを出すとしても、いつもよりも大分品数が少ない。それでも、英は不満を言うでもなく嬉し気に箸をのばす。
高級料亭の料理だって食べ慣れているだろうに、居酒屋崩れの素人料理を喜んで食べるのは何だろう。
ふとそう思って、逆なのかも知れないとも思う。そこそこ食べられる程度の素人料理だからこそ、珍しいのではないか。個人経営の定食屋に、プロの味ではなく所謂「おふくろの味」を求めるようなもので。
…やはりこれは子育てではないのだろうかと、雪季は、一抹のむなしさを抱く。
小さな子どもならそれでもいいが、相手は同い年の上司。何が哀しくて、そんなところに手を尽くさなければならないのか。
「雪季?」
「なんだ」
「眉間にしわ。そっちの味付け間違えた?」
「いや…気にするな」
さてそれでは英は雪季を何と思っているのか。
友達になりたいと昨夜改めて言われたが、果たして英の中の「友達」とはどんな代物なのか。あまり明るいものは思い描けず、雪季はそっと溜息を呑み込んだ。
「雪季、ため息なんてついたところで何も解決しないんだから、不満があるなら言ってみた方がいいんじゃないか?」
一瞬考え、首を振る。
「面倒臭い」
「…たまに、俺よりずっと君の方が人として問題があるんじゃないかという気がするんだけど」
「問題のない人間があんな経緯でこんなところにいると思うのか」
「なるほど」
「それはそれとして、お前にそう認識されるのはかなり腹が立つ」
一度ぴたりと動きを止め、英は、大きな笑い声を上げた。
雪季は無視して、自分の鍋へと箸をのばす。残っていた白菜と葱を全て放り込み、ぶつ切りの鶏肉と豆腐、油揚げと大根、人参と白滝、もやし。
味噌は焦げ付きやすいので、様子を見て日本酒や水を足していくつもりだ。
「雪季、素直すぎるだろ」
「あと、名前呼びすぎ。鬱陶しい。二人しかいないんだから、俺に話しかけてることくらいわかる」
唐突に笑い声を収め、英は、表情を消した。
おそらくこういった切り替えに本人は気付いていないだろうと、雪季はようやく気付いていた。全てではないだろうが、意図してのものではなく英にとっては無表情の方が自然なのかもしれない。
「…だってまだ、嘘みたいだから。全部、夢なんじゃないかって」
「はぁ?」
「雪季は、俺がどれだけ我慢してたか知らないから。観察してるだけでいいなんて、嘘だ。ちゃんと話してみたかったけど、話して、結局ほかの人みたいに面白いと思えなくなったらつまらないから。ずっと、我慢してた。こんなに話しても興味が尽きないなんて、信じられない。その上雪季がちゃんとここにいて俺を見てくれてるってことも、まだちゃんとは信じられない」
「…大分気色悪いことを言ってる自覚は?」
「?」
何を言ってるんだと言わんばかりに首を傾げられ、雪季は天を仰いだ。
一体、どこからこれほどの執着が生じたのだろう。雪季には自分が多少規格外れの人生を送っている自覚くらいはあるが、だからといってそれがこれほどの執着を作り出すようなものだとも思えない。
まだいっそ、単純な色恋だという方が話は簡単だったような気がする。雪季が応じるか否かはともかくとして、求めるものがそれであれば、断りようも落としどころの見つけようもあったのではないか。そしてまだ、納得のしようもあった。
実際問題、雪季にとって英は悪い雇用主ではない。
その上で、多少面倒ではあっても、友人として考えるとしても付き合いづらさはなく、むしろ気遣いが必要ない分楽ですらある。ただその拠り所がこの妙な執着となれば、いつまで保つものか。
「名前の件はもういい、忘れてくれ。鍋、煮詰まるぞ」
話していたせいですっかり手の止まっていたそれぞれの鍋に水を足す。英は素直に箸をのばし、食べ進む。
「ん。伊達巻ってあれに似てないか。寿司屋の卵焼き」
「…食べたことがないからわからないが、材料なり調理法なりが似てるんだろ」
「ないのか? まあそのうち接待がてら食べに行くこともあるんじゃないかな」
お互いよくわからないままでもいくらでも話すことはできるんだなと、雪季は、半ば呆れ半ば感心した。
表面の焼き色が模様となって、卵色の中に茶色い渦巻きを形作る。簀の子がなかったから無理矢理クッキングシートとタオルで巻いたが、完璧とは言えなくてもある程度形になってくれたようだ。
昨日は船長から謝罪と感謝を受け入れ、口止めを兼ねた礼金は断ったもののコートの弁償に船内のショップのものはどれでもと言われてよくわからないままに英に任せたら雪季ですら知っているブランドのタグを発見し、調べて普段雪季が買うような物とは一桁違った値段だったことに気付いたときには既に遅く。
ちなみに、口止めはあの酔漢を不問に付したことについてだった。
なんでも、雪季が呆然と見入った会場の謎のオブジェの作者だったようで、詳しくは聞かなかったがそれだけ高名なり船会社との付き合いがあるなりの人物だったらしい。
警察への通報もされていないようで、殴られた人との示談も済んだのだろうか。
英が立ち回ったという映像や画像の顔出しNGは徹底していて、雪季や英だけではなく、酔漢も他の客、船を特定できるようなものもすべてに及んでいたらしく、まさかこれを見越していたのだろうかと思うとややげんなりとする。何手先まで読んでいるのだろう。
そうした諸々を気分の上では全て置き去って船を降りたのは昼過ぎで、帰宅したところで簡単に食事を済ませ、雪季は布団に直行した。何度か目を覚ましてはトイレに行ったり水分補給をしたり、何か食べたり。
そうするうちに朝を迎え、体調をほぼ快復させたのは、雪季も我ながらどうかと思う。考えてみれば、風邪薬も漢方薬も飲み忘れていたというのに。
明日も明後日もパーティー続きの予定なのでお節は作りも買いもしなかったが、多少の正月気分を出そうかと用意しておいた餅で雑煮を作って食べていたら、今まで正月をどう過ごしていたかという話になり。
『会社を作ってからは、ずっとこんな感じか?』
『こんなって?』
『年末から一週間くらいは何かと宴会続きだろ。正月休み、丸一日空いてるの今日だけじゃないか』
『あー…河東の家に行ってからは割とずっとこんな感じだったかな。せっかく増えた手駒だから、なるべく役立てようといろんな人に会わされたし。家にたくさん人呼んだり呼ばれたりで、学校始まってからの方がのんびりできた感じ』
特に感情も込めずに言うせいで、英がそのことをどう思っていたのかはよくわからなかった。雪季であれば息苦しいと思ってしまうそれらを、英はこうやって淡々と受け流して過ごしていたのかもしれない。
いつの間にか餅を食べ終えてほぼ汁だけになった器を抱え、英は、雪季に真っ直ぐに視線を向けた。
『雪季は? おせち料理と雑煮つついてた?』
『両親が生きてた頃は。母親が重箱に詰めて、三日間きっちり』
『全部手作り? うわーできるんだそんなこと』
そもそも買う風習が生まれたのが比較的最近のことではないのか。元は、正月に煮炊きを控えるための保存食だ。だが、英には心底意外だったようだ。
『種類はどのくらい? 何が好きだったとかあるのか?』
『あまりしっかりとは覚えてないけど…子どもだったし、甘いのが好きだったな。伊達巻とか、きんとんとか』
そういえば伊達巻は、あの人も作ってくれた。一度は師と仰いだ、小さな居酒屋の店主も兼ねるあの人。
元旦だけ休んで、残りの三が日限定で伊達巻や他数品のおせち料理を出していた。売り物だからと、形の悪い端の切り落としは雪季たちの腹に収まった。それを、少しばかり懐かしく思い出す。
気付けば、英がじっと見ていた。
『…なんだ』
『それ、作れる?』
『…は?』
『だてまきと、きんとん。栗きんとんのこと? 作れるか?』
『まあ…ネットで見つかるレシピでいいなら…食べたいのか? 今日からスーパーも開いてるし、まだ売ってるんじゃないか?』
雪季自身が一人で全て作ったことはないが、そこまで難しくはなかったはずだ。ただ、多少道具が足りないかも知れず、食材も今あるものだけでは足りないだろう。覚えているだけでも、はんぺんと栗の甘露煮がない。
どうせ買い物に行くなら、そしてまだ売っているなら、雪季が慣れないまま作るよりはそちらの方が美味しいような気がする。
だが英は、はっきりと首を振った。
『雪季が作れるなら、食べてみたい』
作れないなら、買うのではなく要らないと。そして今に至る。
思った通りにそれほど難しいものではなく、伊達巻は卵とはんぺん、出汁と調味料をミキサーで混ぜてオーブンで焼いて、巻き整える。栗きんとんはさつまいもを茹でて裏ごししたら茹で汁を加えて弱火にかけて砂糖や甘露煮のシロップで味を調える。
多少時間はかかるが、手順もおぼろげではあっても覚えていたので、レシピを探せばそれなりには形になった。味も、悪くはないと思う。
しかし夕飯がこれだけでは足りないので、一人分の小鍋をそれぞれ用意する。
普通に鍋でもいいのだが、雪季が体調を崩した原因が感染性のものだった場合、今度は英が倒れかねない。船では同室だったし今更な気はするが、新年絡みのパーティーは英がいなければ意味がないので、やらないよりはましだろう。
「あー疲れた。なんかべらべら喋った挙句に今度遊びに来るって。バレンタインの催事で日本に来るからって、招かれてるの大阪なのになんでこっちまで来るんだっていうさー。二月の下旬くらいで適当に調整しといて」
「…名前と職業」
「ベッテル。イタリアのパティシエ」
「会社のパソコンにメールしといてくれ」
「はーい」
食事の際の定位置の椅子を引き、携帯端末を覗き込みながら腰を落とす。
大人しく二階にこもっていると思ったら、新年のあいさつでも捌いていたようだ。特に疲れた様子はないが、楽しそうでもない。
それとなく窺っていた雪季の視線に気付いていたのか、英は不意に顔を上げ、にやりと笑みを形作った。
「そこそこ日本語喋れる奴だから、安心しろよ」
「…安心も何も」
端末をテーブルに伏せ、体ごとキッチンカウンターの雪季の方を向いた英は、腹が立つくらいににこやかな笑顔をしている。雑誌の表紙でも飾りそうな胡散臭さに、雪季は内心身構えた。
「雪季、俺が日本語じゃない言葉でやりとりしてると迷子になったみたいな顔してるけど?」
「…して、ない」
「自分じゃ自分の顔なんて見られないのに、なんで断言できるんだ?」
「そろそろできるからガスコンロ出せ。二つ」
一人暮らしでなくても多くの家に一台しかなさそうなガスコンロが数台あるのは、社員寮の名残なのか誰かが持ち込んだまま引き上げるのを忘れたのか。
雪季が居ついて三か月ほどだが、相変わらず、所蔵されている諸々のバランスが悪い。
素直に収納場所から引っ張り出す英が楽しそうで、腹立たしいが図星とまではいかなくとも痛いところを突かれたとわかった上で無理やり話を逸らしたので、文句の言いようがない。
実際、様々な人と多言語を駆使して対等に渡り歩く英を見ていると、言葉がどれだけ武器になるかを実感する。
人は、程度の差こそあれ、言葉を扱うからこそ人なのかもしれない。例えば、テレパシーや身ぶりや絵などが発達して言葉が廃れたとしたら、それはもう「人」ではないのだろう。別種の生き物だ。
逃避じみた妄想を英に勘付かれる前に振り払い、料理を運ぶ。
味噌仕立ての小鍋が二つと伊達巻だけなので、すぐに終わった。最後に冷凍ご飯でおじやを作って栗きんとんを出すとしても、いつもよりも大分品数が少ない。それでも、英は不満を言うでもなく嬉し気に箸をのばす。
高級料亭の料理だって食べ慣れているだろうに、居酒屋崩れの素人料理を喜んで食べるのは何だろう。
ふとそう思って、逆なのかも知れないとも思う。そこそこ食べられる程度の素人料理だからこそ、珍しいのではないか。個人経営の定食屋に、プロの味ではなく所謂「おふくろの味」を求めるようなもので。
…やはりこれは子育てではないのだろうかと、雪季は、一抹のむなしさを抱く。
小さな子どもならそれでもいいが、相手は同い年の上司。何が哀しくて、そんなところに手を尽くさなければならないのか。
「雪季?」
「なんだ」
「眉間にしわ。そっちの味付け間違えた?」
「いや…気にするな」
さてそれでは英は雪季を何と思っているのか。
友達になりたいと昨夜改めて言われたが、果たして英の中の「友達」とはどんな代物なのか。あまり明るいものは思い描けず、雪季はそっと溜息を呑み込んだ。
「雪季、ため息なんてついたところで何も解決しないんだから、不満があるなら言ってみた方がいいんじゃないか?」
一瞬考え、首を振る。
「面倒臭い」
「…たまに、俺よりずっと君の方が人として問題があるんじゃないかという気がするんだけど」
「問題のない人間があんな経緯でこんなところにいると思うのか」
「なるほど」
「それはそれとして、お前にそう認識されるのはかなり腹が立つ」
一度ぴたりと動きを止め、英は、大きな笑い声を上げた。
雪季は無視して、自分の鍋へと箸をのばす。残っていた白菜と葱を全て放り込み、ぶつ切りの鶏肉と豆腐、油揚げと大根、人参と白滝、もやし。
味噌は焦げ付きやすいので、様子を見て日本酒や水を足していくつもりだ。
「雪季、素直すぎるだろ」
「あと、名前呼びすぎ。鬱陶しい。二人しかいないんだから、俺に話しかけてることくらいわかる」
唐突に笑い声を収め、英は、表情を消した。
おそらくこういった切り替えに本人は気付いていないだろうと、雪季はようやく気付いていた。全てではないだろうが、意図してのものではなく英にとっては無表情の方が自然なのかもしれない。
「…だってまだ、嘘みたいだから。全部、夢なんじゃないかって」
「はぁ?」
「雪季は、俺がどれだけ我慢してたか知らないから。観察してるだけでいいなんて、嘘だ。ちゃんと話してみたかったけど、話して、結局ほかの人みたいに面白いと思えなくなったらつまらないから。ずっと、我慢してた。こんなに話しても興味が尽きないなんて、信じられない。その上雪季がちゃんとここにいて俺を見てくれてるってことも、まだちゃんとは信じられない」
「…大分気色悪いことを言ってる自覚は?」
「?」
何を言ってるんだと言わんばかりに首を傾げられ、雪季は天を仰いだ。
一体、どこからこれほどの執着が生じたのだろう。雪季には自分が多少規格外れの人生を送っている自覚くらいはあるが、だからといってそれがこれほどの執着を作り出すようなものだとも思えない。
まだいっそ、単純な色恋だという方が話は簡単だったような気がする。雪季が応じるか否かはともかくとして、求めるものがそれであれば、断りようも落としどころの見つけようもあったのではないか。そしてまだ、納得のしようもあった。
実際問題、雪季にとって英は悪い雇用主ではない。
その上で、多少面倒ではあっても、友人として考えるとしても付き合いづらさはなく、むしろ気遣いが必要ない分楽ですらある。ただその拠り所がこの妙な執着となれば、いつまで保つものか。
「名前の件はもういい、忘れてくれ。鍋、煮詰まるぞ」
話していたせいですっかり手の止まっていたそれぞれの鍋に水を足す。英は素直に箸をのばし、食べ進む。
「ん。伊達巻ってあれに似てないか。寿司屋の卵焼き」
「…食べたことがないからわからないが、材料なり調理法なりが似てるんだろ」
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