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花見
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柵に寄りかかってハイボールの缶を揺らしていると、ビールを手にした英が隣に並んだ。気付いていた雪季は、視線も向けずに声をかける。
「四十万さん戻って来た?」
「いや。戻って来たら、連絡あるか探しにでも来るだろ」
飲まない四十万が運転手になって、駅まで三浦を、葉月の家まで女子社員三人を送り届けに行っている。予想通りに中原は眠り込んでしまい、戻って来た四十万の運転で揃って社員寮への泊まり込みが決まっている。
今は、四十万待ちだ。
はじめは五階の事務所にいたのだが、明後日には返す屋上の鍵を持って、ふらふらと戻ってしまった。
思った通りに、少しばかり欠けた月が浮かんでいる。残念ながら地上の光がまぶしすぎて見とれるほどには綺麗ではないが、花見の次に月見なんて贅沢だなと思う。
「葉月と何話してた?」
「…しっかり生きろって言われた」
「あー。あーあ、見透かされちゃって」
「…そういうのとは違うと思う」
わざとらしく笑うこともなく、淡々とした言葉は素直に聞けてしまって、ごく普通に返してしまう。こういうところをずるいと感じてしまうのは違うだろうなと不満を呑み込む。ずるいのはきっと、雪季の方だ。
そう酔えるわけでもないが、まだ口をつけたばかりだった缶を傾けて、半分ほどをあける。炭酸が思ったよりもきつくて、少し噎せそうになった。
「河東」
「ん?」
缶ビールはまだ開けられていないようで、英は何故かくるくると手元で回していた。声だけ返るが、視線はどこか遠くへ向いている。
あの時の船の上を思い出す。柵の位置は、あの時よりも少し高いが。
「もう半年くらい経って。俺が罪の意識に潰れることもなく呑気に暮らしていて。何を期待していたのかは知らないが、残念だったか?」
遠くを向いていた顔が、雪季に向いた。薄暗い上に影になって、表情までは判らない。
「雪季こそ、何を期待してたんだ?」
不思議そうな声に、え、と見えない顔を凝視する。はぐらかされたり誤魔化されたりするならともかく、予想外で言葉が思い浮かばない。
「ん? あー…ああ。もしかして、雪季、俺が雪季が壊れると思ってると思ってた? そんなありがちで面白味のないもの、期待するはずないだろ。あ、でも、壊れかけたところを俺だけに依存させるのは面白いかも? …うーん、俺に従順すぎる雪季っていうのは面白くないか…」
「…俺が悪かった。その未来はないから、即刻捨ててくれ」
薮蛇ではないが、無駄な勘繰りだったと気付いて頭を抱えたくなった。むしろ、今ここで英を殴れば上手い具合に記憶喪失になってくれないだろうかと真剣に考えてしまって、いよいよ頭が痛い。そんな都合のいいことがあるはずがない。
丹念に記憶を掘り起こせば、どうなるかが知りたいとしか言っていなかった。子どものように善悪にも構わない好奇心だと、雪季自身それを受けて思ったはずだった。つまりは、ただ勘繰りすぎたということだろう。
柵の外に両腕を投げ出すように胸で凭れ掛かり、英は、笑い声をあげた。
「たまに、変なところで可愛いこと言い出すな、雪季」
「…忘れてくれ」
「俺の事信用しないから、そういう恥ずかしいことになるんだよ」
「信用できるか、嘘吐きを」
「そう言う割に、雪季は俺の言葉を信じるんだから不思議だな。特に俺が酔ってるときとか」
反論の言葉が思い浮かばず、雪季は、無言で缶を傾けた。すぐに飲み干してしまう。
呑み込んだ溜息を吐き出すように、英とは逆向きに、背を預けるように柵にもたれかかって空を仰ぐ。少し目を逸らしたうちに輝きを強くしたような月をぼんやりと眺め、不意に人の動く気配を感じて隣に視線を向けた雪季は、息を呑んだ。
英の背を白くほっそりとした手が突く瞬間を目撃して、咄嗟に片手で柵を、片手で英のベルトをつかむ。
「…何か既視感が」
「…奇遇だな」
柵に叩きつけられたようになった英は、柵に寄りかかったままずるずると座り込み、巻き込まれかけた雪季は急いで手を放し、腕の主を探し――絶句した。
隠れる場所がないとは言わないが、ある程度整備をしているとはいえ吹きさらしのビルの屋上で、近寄るときはともかく逃げ去る時にも足音を完全に消すことは可能だろうか。そもそも、英が上がって来た時にはにぎやかに開閉した扉を、どうやって音もなく開けられたのだろう。
「…河東。どこかで幽霊をひっかけた覚えは」
「えー? 雪季そういうの信じるんだ。まあ、船の時からおかしいとは思ってたけど。そもそも、女の人で体当たりもせずに手だけで俺を突き落としそうになるほど強く押せるかな」
コンクリートの地面にすっかり腰を落ち着けた英は、雪季も気付いていたはずだがおそらくは敢えて無視していたことをするりと口にする。馬鹿げたことを、とは言わなかった。
雪季としては、今まで何人か殺したのに一人として祟り出てきたりはしなかったのだからそんなものはないと、考えた事すらほとんどないほどにないものだと思っていたというのに。
「何か…トリックとか…」
「んー。まあ、無事だったしいいんじゃない? 二回とも、ちゃんと雪季が助けてくれてるし」
「…柵が錆びてたりしたら終わってる」
「じゃあお祓いでもする? あ、でもこれ、雪季といるときだけだし、原因俺とは限らないかも? あー…でも狙われたの俺だし、そう考えると、俺が雪季にとって害になるから排除しようとしてるとかのがあり得る? その場合、手の人って雪季の守護霊とかになっちゃう? だったら祓ったらダメか」
「よくそう色々と思いつくな」
まるで結愛と話しているような気分になって、半ば感心する。英は、右の掌で目元を覆うようにして、空いている左の手をひらひらと動かした。
「勉強の成果ってやつ。漫画でも小説でもノンフィクションでも、人の感情や行動がわかりそうなのは目についたの片っ端から読んだからさ。思いついたわけじゃなくて、読んだ中から引っ張り出してるだけ」
「…十分凄い」
図書部屋の本は、それでは、全て英が読み終えたものだったのだろうか。もしかすると、雪季よりもずっと他人の感情を推測できるのではないだろうか。本がその教科書になるとすれば、の話ではあるが。
「国語の問題と一緒だろ。彼女は逃げ出した、に傍線引いてあって、理由を説明しろって。ああいうのって、案外作者本人がやってみても間違えるらしくて。実際どうかはともかく、ある程度の正解はパターンに沿えば出せるんだ。あとは知識量とか推理力の問題で」
「ちゃんと努力できるのは凄いと思う。…悪い。多分、色々と誤解してた」
「…どんな?」
何をどこまで話したものか、そもそも人一人をどう捉えていたかというのは簡単に言い表せるものでもない。言葉に詰まった雪季は、下から真っ直ぐに見つめて来る英に、きまりの悪い視線を向けた。
どうにもさっきから、墓穴を掘ってばかりいる気がする。現実の墓穴なら、一つあれば事足りるのだが。
「…人の心なんてわからないし気にしてないんだろう、と…」
「…雪季。推測できるのと理解できるのは別物だ。別にそれ、誤解じゃないと思うな」
「…それなら何のために推測を」
「あー…。妖怪人間ベムじゃなくて、サリーちゃんみたいな?」
なんだそれは、と思ったのが露骨に顔に出たのか、英は笑いながら言葉を足した。
「人間になりたい、じゃなくて、魔物だって追い払われないように馴染んで見せるため、って言ったらわかるか? 連続殺人犯が捕まるまでは付き合いやすい隣人だと思われてたってパターン。共感するふりっていうのは、たまに吃驚するくらい効果を発揮するから」
どちらにしても、自分を人ではない何かと認めているのではないか。そこに苦痛やかなしさは窺い取れないが、別物だという認識が続く感覚は、決して楽しくはないだろう。あっさりと人を殺してしまえた雪季も、それとは無縁ではない。
それでもやはり、誤解は誤解なのだろうと、雪季は思う。
「そんな古い…アニメ? 漫画? よく知ってたな」
「その口ぶりは雪季も知ってるんだろ。いやまあ言われてみれば…多分、心理学関係のサブカル絡みの本でざっくり概要くらい知ったのかな。よく覚えてないけど、有名作品のあらすじはなんだか知ってる、みたいなものじゃないか? 西遊記とかドンキ・ホーテとか。読んだことはないのになんとなく知ってるっていう」
何故こんな話になったのだったかと考えかけたところで、屋上の扉のドアノブが回され、叩かれてびくりとする。
入り口からは離れている上に激しく音を立てるせいで聴こえはしないだろうが、自然と声を潜めてしまう。座り込んだままではどう動くにも一拍遅れそうで、英の腕をつかんで立たせながら話しかける。
「…鍵、閉めてたのか? 四十万さん…では、ないよな…?」
「来た時に、半分癖で。あと四十万は事務所じゃないかな。鍵かけてろって言っといたし」
「はぁ?」
「いやー、ストーカー拾ったっぽくて?」
今にもドアノブが壊れて外れそうな扉を思わず指し示す。英は、笑顔で頷いた。
「四十万さん戻って来た?」
「いや。戻って来たら、連絡あるか探しにでも来るだろ」
飲まない四十万が運転手になって、駅まで三浦を、葉月の家まで女子社員三人を送り届けに行っている。予想通りに中原は眠り込んでしまい、戻って来た四十万の運転で揃って社員寮への泊まり込みが決まっている。
今は、四十万待ちだ。
はじめは五階の事務所にいたのだが、明後日には返す屋上の鍵を持って、ふらふらと戻ってしまった。
思った通りに、少しばかり欠けた月が浮かんでいる。残念ながら地上の光がまぶしすぎて見とれるほどには綺麗ではないが、花見の次に月見なんて贅沢だなと思う。
「葉月と何話してた?」
「…しっかり生きろって言われた」
「あー。あーあ、見透かされちゃって」
「…そういうのとは違うと思う」
わざとらしく笑うこともなく、淡々とした言葉は素直に聞けてしまって、ごく普通に返してしまう。こういうところをずるいと感じてしまうのは違うだろうなと不満を呑み込む。ずるいのはきっと、雪季の方だ。
そう酔えるわけでもないが、まだ口をつけたばかりだった缶を傾けて、半分ほどをあける。炭酸が思ったよりもきつくて、少し噎せそうになった。
「河東」
「ん?」
缶ビールはまだ開けられていないようで、英は何故かくるくると手元で回していた。声だけ返るが、視線はどこか遠くへ向いている。
あの時の船の上を思い出す。柵の位置は、あの時よりも少し高いが。
「もう半年くらい経って。俺が罪の意識に潰れることもなく呑気に暮らしていて。何を期待していたのかは知らないが、残念だったか?」
遠くを向いていた顔が、雪季に向いた。薄暗い上に影になって、表情までは判らない。
「雪季こそ、何を期待してたんだ?」
不思議そうな声に、え、と見えない顔を凝視する。はぐらかされたり誤魔化されたりするならともかく、予想外で言葉が思い浮かばない。
「ん? あー…ああ。もしかして、雪季、俺が雪季が壊れると思ってると思ってた? そんなありがちで面白味のないもの、期待するはずないだろ。あ、でも、壊れかけたところを俺だけに依存させるのは面白いかも? …うーん、俺に従順すぎる雪季っていうのは面白くないか…」
「…俺が悪かった。その未来はないから、即刻捨ててくれ」
薮蛇ではないが、無駄な勘繰りだったと気付いて頭を抱えたくなった。むしろ、今ここで英を殴れば上手い具合に記憶喪失になってくれないだろうかと真剣に考えてしまって、いよいよ頭が痛い。そんな都合のいいことがあるはずがない。
丹念に記憶を掘り起こせば、どうなるかが知りたいとしか言っていなかった。子どものように善悪にも構わない好奇心だと、雪季自身それを受けて思ったはずだった。つまりは、ただ勘繰りすぎたということだろう。
柵の外に両腕を投げ出すように胸で凭れ掛かり、英は、笑い声をあげた。
「たまに、変なところで可愛いこと言い出すな、雪季」
「…忘れてくれ」
「俺の事信用しないから、そういう恥ずかしいことになるんだよ」
「信用できるか、嘘吐きを」
「そう言う割に、雪季は俺の言葉を信じるんだから不思議だな。特に俺が酔ってるときとか」
反論の言葉が思い浮かばず、雪季は、無言で缶を傾けた。すぐに飲み干してしまう。
呑み込んだ溜息を吐き出すように、英とは逆向きに、背を預けるように柵にもたれかかって空を仰ぐ。少し目を逸らしたうちに輝きを強くしたような月をぼんやりと眺め、不意に人の動く気配を感じて隣に視線を向けた雪季は、息を呑んだ。
英の背を白くほっそりとした手が突く瞬間を目撃して、咄嗟に片手で柵を、片手で英のベルトをつかむ。
「…何か既視感が」
「…奇遇だな」
柵に叩きつけられたようになった英は、柵に寄りかかったままずるずると座り込み、巻き込まれかけた雪季は急いで手を放し、腕の主を探し――絶句した。
隠れる場所がないとは言わないが、ある程度整備をしているとはいえ吹きさらしのビルの屋上で、近寄るときはともかく逃げ去る時にも足音を完全に消すことは可能だろうか。そもそも、英が上がって来た時にはにぎやかに開閉した扉を、どうやって音もなく開けられたのだろう。
「…河東。どこかで幽霊をひっかけた覚えは」
「えー? 雪季そういうの信じるんだ。まあ、船の時からおかしいとは思ってたけど。そもそも、女の人で体当たりもせずに手だけで俺を突き落としそうになるほど強く押せるかな」
コンクリートの地面にすっかり腰を落ち着けた英は、雪季も気付いていたはずだがおそらくは敢えて無視していたことをするりと口にする。馬鹿げたことを、とは言わなかった。
雪季としては、今まで何人か殺したのに一人として祟り出てきたりはしなかったのだからそんなものはないと、考えた事すらほとんどないほどにないものだと思っていたというのに。
「何か…トリックとか…」
「んー。まあ、無事だったしいいんじゃない? 二回とも、ちゃんと雪季が助けてくれてるし」
「…柵が錆びてたりしたら終わってる」
「じゃあお祓いでもする? あ、でもこれ、雪季といるときだけだし、原因俺とは限らないかも? あー…でも狙われたの俺だし、そう考えると、俺が雪季にとって害になるから排除しようとしてるとかのがあり得る? その場合、手の人って雪季の守護霊とかになっちゃう? だったら祓ったらダメか」
「よくそう色々と思いつくな」
まるで結愛と話しているような気分になって、半ば感心する。英は、右の掌で目元を覆うようにして、空いている左の手をひらひらと動かした。
「勉強の成果ってやつ。漫画でも小説でもノンフィクションでも、人の感情や行動がわかりそうなのは目についたの片っ端から読んだからさ。思いついたわけじゃなくて、読んだ中から引っ張り出してるだけ」
「…十分凄い」
図書部屋の本は、それでは、全て英が読み終えたものだったのだろうか。もしかすると、雪季よりもずっと他人の感情を推測できるのではないだろうか。本がその教科書になるとすれば、の話ではあるが。
「国語の問題と一緒だろ。彼女は逃げ出した、に傍線引いてあって、理由を説明しろって。ああいうのって、案外作者本人がやってみても間違えるらしくて。実際どうかはともかく、ある程度の正解はパターンに沿えば出せるんだ。あとは知識量とか推理力の問題で」
「ちゃんと努力できるのは凄いと思う。…悪い。多分、色々と誤解してた」
「…どんな?」
何をどこまで話したものか、そもそも人一人をどう捉えていたかというのは簡単に言い表せるものでもない。言葉に詰まった雪季は、下から真っ直ぐに見つめて来る英に、きまりの悪い視線を向けた。
どうにもさっきから、墓穴を掘ってばかりいる気がする。現実の墓穴なら、一つあれば事足りるのだが。
「…人の心なんてわからないし気にしてないんだろう、と…」
「…雪季。推測できるのと理解できるのは別物だ。別にそれ、誤解じゃないと思うな」
「…それなら何のために推測を」
「あー…。妖怪人間ベムじゃなくて、サリーちゃんみたいな?」
なんだそれは、と思ったのが露骨に顔に出たのか、英は笑いながら言葉を足した。
「人間になりたい、じゃなくて、魔物だって追い払われないように馴染んで見せるため、って言ったらわかるか? 連続殺人犯が捕まるまでは付き合いやすい隣人だと思われてたってパターン。共感するふりっていうのは、たまに吃驚するくらい効果を発揮するから」
どちらにしても、自分を人ではない何かと認めているのではないか。そこに苦痛やかなしさは窺い取れないが、別物だという認識が続く感覚は、決して楽しくはないだろう。あっさりと人を殺してしまえた雪季も、それとは無縁ではない。
それでもやはり、誤解は誤解なのだろうと、雪季は思う。
「そんな古い…アニメ? 漫画? よく知ってたな」
「その口ぶりは雪季も知ってるんだろ。いやまあ言われてみれば…多分、心理学関係のサブカル絡みの本でざっくり概要くらい知ったのかな。よく覚えてないけど、有名作品のあらすじはなんだか知ってる、みたいなものじゃないか? 西遊記とかドンキ・ホーテとか。読んだことはないのになんとなく知ってるっていう」
何故こんな話になったのだったかと考えかけたところで、屋上の扉のドアノブが回され、叩かれてびくりとする。
入り口からは離れている上に激しく音を立てるせいで聴こえはしないだろうが、自然と声を潜めてしまう。座り込んだままではどう動くにも一拍遅れそうで、英の腕をつかんで立たせながら話しかける。
「…鍵、閉めてたのか? 四十万さん…では、ないよな…?」
「来た時に、半分癖で。あと四十万は事務所じゃないかな。鍵かけてろって言っといたし」
「はぁ?」
「いやー、ストーカー拾ったっぽくて?」
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