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結婚式
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「手を引いてもらえないか」
首筋にナイフを突きつけながら言うような言葉ではないかな、と思いながらも、雪季は淡々と押し出した。
相手は、呼吸すら抑え気味のまま、冷や汗を流している。
ろくに身動きすらできず、反抗のかけらさえ見取れない様子を、情けないとは雪季は思わない。腕力に自信がないわけではないだろうに、無駄な抵抗をしないだけ冷静だ。そういった冷静さは、生き延びるのに役に立つ。
「素直に応じてくれるなら、君が桐生組とつながろうとしていることは黙っておく」
刺すように睨まれて、雪季は表情を変えることなく見つめ返した。
進士がラッツを出る少し前に頭角を現してきた鈴木が、ひそかに桐生組の幹部に渡りをつけていることは、今回雪季が情報を求めた葉月や明音、進士ら全てから知らされたものだった。傘下に入ろうとしているのか、ラッツの機構そのものを売りつけようとしているか。
少なくとも、個人的な親交や目的ではないだろうというのも、三人から得られた情報からは思われた。
そして雪季は、英に倣うわけではないが平然と嘘をついている。三人からの情報を基に窺える鈴木の性格からすれば、ここで一旦引いたとしても何らかの報復を考えるだろう。そんなものに付き合うつもりはないので、この情報を核に解体を狙うつもりだ。
はじめからそうせず、こうやってわざわざラッツの根城めいているこの雑居ビルに忍び入ったのは、ただの時間稼ぎと恨みの対象を雪季に絞るためだ。
その結果、雪季の近辺にいる結愛やツナグの社員にまで累が及ぶ可能性もあるが、どうせなら大本の標的だった英に向いてくれた方が対処はしやすい。
何事もなくラブホテルを出たところで襲撃を受けたので、不本意ながら、そういった仲だと誤解してくれればそちらに向かう公算は高くなるのだが。
「この状態では喋りにくいか。暴れないのであれば、ナイフは引こう」
かすかに頷いたのを確認して、ナイフは鞘に納める。当然のようにその隙を突こうとした鈴木の鳩尾を、強く踏みつけながら。
「代わりに、手足は拘束させてもらう」
「っ、なんなんだ、お前!?」
「…そのくらいのことも知らずに仕事を請けたのか?」
雪季は数年のうちに何度かラッツと揉めている。顔や素性を丸ごと知っている進士のような存在はさすがに少ないとはいえ、少しでも英の近辺を調べていれば、そのついでに何かしら引っ掛かりそうなものだが。
言うなれば恐怖政治を敷いているとのことだったが、人望がないのは本当のようだ。そんなだから、信頼できる仲間や部下も置けずにあっさりと襲撃される羽目になる。
「己の統率力に見切りをつけたという点では、賢明な方なのかもしれないな。ラッツを手土産に幹部に、とでも思っていれば、ただの馬鹿だが」
「…何なんだよ、お前」
見上げる眼にいくらか怯えが混じり、雪季は溜息を呑み込んだ。鈴木の影を恐れているだろう、ラッツの下っ端たちが気の毒にすらなる。裸の王様ならぬ張りぼての王。
英の見通せないようなものとは大違いの底の浅さに、ラッツは疾うに終わりを迎えていたのだなと、ふと雪季は思う。
「ラッツのはじまりを知っているか」
鈴木を床に転がしたまま、雪季は手近な机に浅く腰かけた。軽く足が浮く。英や進士であれば床についたままだろうと思うと、どうしようもないことだが少し悔しさも感じる。
待っても返事がなかったので、勝手に先を続ける。
「ただの与太話だったそうだ。ごっこ遊びとでも言えばいいのか。こういう仕組みの組織があれば厄介だろうな、という冗談のようなもので。ただ、気付けばそんなごっこ遊びが増殖して、実体化した。発端になったのは、大学生と自称警察官と…商社マンと多分小学生、だったかな」
そのうち、実体化したラッツに実際に関わるようになったのは大学生と商社マン。当時大学生だったのが進士だ。
十数年前のことで、小学生と推測される一人の年齢が合っていれば、雪季と同年代の誰かが関わっていたことになる。そのうち姿を消したそうなので、その人物はこの現状を知っているのだろうか。だからどうというものでもないが。
そして、鈴木はそんな雪季よりも年下、まだ二十歳にもなっていない。今はラッツ創立の頃の進士と同年代だが、当時は小学生ですらないはずだ。余程の早熟でもない限り、さすがにネットの片隅のそんな雑談を知る由もないだろう。
「…それがどうした」
「与太話としては、随分と保単語った方じゃないか。変な夢を見ずに、もう少し地に足のついた方向を目指した方がいいんじゃないか? まだ、いくらでもやり直しがきく歳だろう」
「偉そうに。説教かよ」
「言える立場でもないが、傍から見ても危なっかしくて。とりあえず、今回は引いてもらえるか。人を殺しておいて殺される覚悟もない人間にこれ以上引っ掻き回されるのも面倒だ」
鈴木の顔を、安っぽい蛍光灯が照らす。一時怯えが消えて、嘲るような色が浮かぶ。さてこちらの顔はどんな風に映っているのだろうと、雪季は少しばかり興味を覚える。
「捕まるのは、使われるしかない馬鹿ばっかりだ。あんな奴ら、どうせ似たり寄ったりの事件を起こすだけなんだから、有意義に使われただけましってもんだろ?」
「自分はそうではないとでも」
「あんな奴らと一緒にするな!」
「…色々と撤回。ただの思い上がったガキだったか」
凄むような威嚇のような声が上がるが、怖くて鳴き声を上げる犬よりもひどい。
進士もいくらなんでもこんなのに追い出されるようなタイミングでラッツを抜けなくても、と思うが、当人はそんなことを気にはしていないだろう。気付いていないとは思わないから、興味がないのだろう。
雪季も、相手をするが馬鹿らしくなってきた。このまま息の根を止めてしまえば、手っ取り早くはあるのだが。人望がないだけに、証拠を残さないだけで適当に内部犯とでも勘違いされるだろう。
だが、そういう手段は確かにあっても、それだけが今の雪季の仕事ではない。
巡り巡れば、鈴木は英に感謝すべきなのだろうかと考えて、そもそも英への依頼を請けなれば彼の王国はもう少しは続いたかもしれないと気付き、何とも言えない気分になる。
何かわめいている鈴木を放置して、雪季は、一旦携帯端末を抜いた。葉月にかけて、イヤホンで受け答えできるようにしてポケットに戻す。
機械操作は疎くはないにしても得意でもないが、葉月の指示に従って鈴木の使っていたパソコンにお手製のソフトをダウンロードすれば、後はお任せだ。
完了の報告を受けるまでは手持無沙汰で、葉月の独り言なのか経過報告なのかわからない声を聞き流しながら、時折混じる雑談に相槌を打ち、部屋の中を見るともなく眺めやる。
ありふれた雑居ビルの一室で、思い返してみれば、進士と初めて顔を合わせたのもこの場所だった。もっとも、その時はすぐに外に出たので一歩踏み入った程度でしかなかったが。
壁面の棚やキャビネットには、今までの何らかの資料が詰め込んであるのか、単に形だけあつらえたものなのか。
一応、ここに直接依頼人が来ることもあると聞いている。窓口の一つなのだと。他には、電話やネット。外で会うこともあるとか。
『ウチに来ないか? 鉄砲玉じゃなく戦士が一人いるだけで、色々とやり方も変えられんだよな』
『…お断りします』
『ふられたかー残念。ま、どう考えてもそっちの方が実入りいいだろうしな』
言葉ほどに残念そうでもなく、捉えどころのない男だな、と思ったのを覚えている。長目の髪や軽い言葉遣いのせいか軽い印象を受けるのに、どこか老成したような妙な貫禄があった。
本人に言うと、老けてるってことか、と混ぜっ返されたが。
雪季が出会ったばかりの進士は、ラッツという集まりの運営を楽しんでいた節があった。抜けたと知って飽きたのかと思ったが、あるいはそれは、後を継いだという古本屋の持ち主の、父親と何か関係があったのかも知れない。
『路頭に迷う日が来れば、声かけてくれ。こき使ってやるよ』
本気とも冗談ともつかない、熱のない声音だった。そいえばここでもスカウトを受けていたなと、思い出す。
乗っていれば今頃、古本屋の店番をできていたかなとなさそうな未来をふと思い浮かべたりもした。実際には、どう考えても街金の方に回されていただろう。
「こんな事して、ただで済むと思うなよ!」
「…もう少し印象に残る言い回しくらいできないのか?」
床に転がる鈴木に落とした溜息にかぶさるように、葉月からの完了の言葉が届いた。
首筋にナイフを突きつけながら言うような言葉ではないかな、と思いながらも、雪季は淡々と押し出した。
相手は、呼吸すら抑え気味のまま、冷や汗を流している。
ろくに身動きすらできず、反抗のかけらさえ見取れない様子を、情けないとは雪季は思わない。腕力に自信がないわけではないだろうに、無駄な抵抗をしないだけ冷静だ。そういった冷静さは、生き延びるのに役に立つ。
「素直に応じてくれるなら、君が桐生組とつながろうとしていることは黙っておく」
刺すように睨まれて、雪季は表情を変えることなく見つめ返した。
進士がラッツを出る少し前に頭角を現してきた鈴木が、ひそかに桐生組の幹部に渡りをつけていることは、今回雪季が情報を求めた葉月や明音、進士ら全てから知らされたものだった。傘下に入ろうとしているのか、ラッツの機構そのものを売りつけようとしているか。
少なくとも、個人的な親交や目的ではないだろうというのも、三人から得られた情報からは思われた。
そして雪季は、英に倣うわけではないが平然と嘘をついている。三人からの情報を基に窺える鈴木の性格からすれば、ここで一旦引いたとしても何らかの報復を考えるだろう。そんなものに付き合うつもりはないので、この情報を核に解体を狙うつもりだ。
はじめからそうせず、こうやってわざわざラッツの根城めいているこの雑居ビルに忍び入ったのは、ただの時間稼ぎと恨みの対象を雪季に絞るためだ。
その結果、雪季の近辺にいる結愛やツナグの社員にまで累が及ぶ可能性もあるが、どうせなら大本の標的だった英に向いてくれた方が対処はしやすい。
何事もなくラブホテルを出たところで襲撃を受けたので、不本意ながら、そういった仲だと誤解してくれればそちらに向かう公算は高くなるのだが。
「この状態では喋りにくいか。暴れないのであれば、ナイフは引こう」
かすかに頷いたのを確認して、ナイフは鞘に納める。当然のようにその隙を突こうとした鈴木の鳩尾を、強く踏みつけながら。
「代わりに、手足は拘束させてもらう」
「っ、なんなんだ、お前!?」
「…そのくらいのことも知らずに仕事を請けたのか?」
雪季は数年のうちに何度かラッツと揉めている。顔や素性を丸ごと知っている進士のような存在はさすがに少ないとはいえ、少しでも英の近辺を調べていれば、そのついでに何かしら引っ掛かりそうなものだが。
言うなれば恐怖政治を敷いているとのことだったが、人望がないのは本当のようだ。そんなだから、信頼できる仲間や部下も置けずにあっさりと襲撃される羽目になる。
「己の統率力に見切りをつけたという点では、賢明な方なのかもしれないな。ラッツを手土産に幹部に、とでも思っていれば、ただの馬鹿だが」
「…何なんだよ、お前」
見上げる眼にいくらか怯えが混じり、雪季は溜息を呑み込んだ。鈴木の影を恐れているだろう、ラッツの下っ端たちが気の毒にすらなる。裸の王様ならぬ張りぼての王。
英の見通せないようなものとは大違いの底の浅さに、ラッツは疾うに終わりを迎えていたのだなと、ふと雪季は思う。
「ラッツのはじまりを知っているか」
鈴木を床に転がしたまま、雪季は手近な机に浅く腰かけた。軽く足が浮く。英や進士であれば床についたままだろうと思うと、どうしようもないことだが少し悔しさも感じる。
待っても返事がなかったので、勝手に先を続ける。
「ただの与太話だったそうだ。ごっこ遊びとでも言えばいいのか。こういう仕組みの組織があれば厄介だろうな、という冗談のようなもので。ただ、気付けばそんなごっこ遊びが増殖して、実体化した。発端になったのは、大学生と自称警察官と…商社マンと多分小学生、だったかな」
そのうち、実体化したラッツに実際に関わるようになったのは大学生と商社マン。当時大学生だったのが進士だ。
十数年前のことで、小学生と推測される一人の年齢が合っていれば、雪季と同年代の誰かが関わっていたことになる。そのうち姿を消したそうなので、その人物はこの現状を知っているのだろうか。だからどうというものでもないが。
そして、鈴木はそんな雪季よりも年下、まだ二十歳にもなっていない。今はラッツ創立の頃の進士と同年代だが、当時は小学生ですらないはずだ。余程の早熟でもない限り、さすがにネットの片隅のそんな雑談を知る由もないだろう。
「…それがどうした」
「与太話としては、随分と保単語った方じゃないか。変な夢を見ずに、もう少し地に足のついた方向を目指した方がいいんじゃないか? まだ、いくらでもやり直しがきく歳だろう」
「偉そうに。説教かよ」
「言える立場でもないが、傍から見ても危なっかしくて。とりあえず、今回は引いてもらえるか。人を殺しておいて殺される覚悟もない人間にこれ以上引っ掻き回されるのも面倒だ」
鈴木の顔を、安っぽい蛍光灯が照らす。一時怯えが消えて、嘲るような色が浮かぶ。さてこちらの顔はどんな風に映っているのだろうと、雪季は少しばかり興味を覚える。
「捕まるのは、使われるしかない馬鹿ばっかりだ。あんな奴ら、どうせ似たり寄ったりの事件を起こすだけなんだから、有意義に使われただけましってもんだろ?」
「自分はそうではないとでも」
「あんな奴らと一緒にするな!」
「…色々と撤回。ただの思い上がったガキだったか」
凄むような威嚇のような声が上がるが、怖くて鳴き声を上げる犬よりもひどい。
進士もいくらなんでもこんなのに追い出されるようなタイミングでラッツを抜けなくても、と思うが、当人はそんなことを気にはしていないだろう。気付いていないとは思わないから、興味がないのだろう。
雪季も、相手をするが馬鹿らしくなってきた。このまま息の根を止めてしまえば、手っ取り早くはあるのだが。人望がないだけに、証拠を残さないだけで適当に内部犯とでも勘違いされるだろう。
だが、そういう手段は確かにあっても、それだけが今の雪季の仕事ではない。
巡り巡れば、鈴木は英に感謝すべきなのだろうかと考えて、そもそも英への依頼を請けなれば彼の王国はもう少しは続いたかもしれないと気付き、何とも言えない気分になる。
何かわめいている鈴木を放置して、雪季は、一旦携帯端末を抜いた。葉月にかけて、イヤホンで受け答えできるようにしてポケットに戻す。
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言葉ほどに残念そうでもなく、捉えどころのない男だな、と思ったのを覚えている。長目の髪や軽い言葉遣いのせいか軽い印象を受けるのに、どこか老成したような妙な貫禄があった。
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本気とも冗談ともつかない、熱のない声音だった。そいえばここでもスカウトを受けていたなと、思い出す。
乗っていれば今頃、古本屋の店番をできていたかなとなさそうな未来をふと思い浮かべたりもした。実際には、どう考えても街金の方に回されていただろう。
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