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梅雨
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「うわ、なんだこれ。旨い」
鯖缶とクリームチーズのディップに目を瞠る進士に、笑みがこぼれる。喜んでもらえるのは、素直にうれしい。
作り方を伝えると、案外簡単なんだなあとひどく感心したような声が返る。思えば、進士は、実際のところ本心かどうかはともかく、心からと思えるような反応が多い。そこが、妙に気安く思えるところなのだろうか。英もだが、人との距離の取り方がうまい。
そうして一通り味を確かめるようにつまんでいくと、眼差しから笑みを引いた。グラスは片手にしたまま、真っ直ぐに雪季を見る。
「この頃、白雪って通り名で動いてる奴がいてな。十八番は毒。…毒と言うか薬と言うか」
「広い意味では同じものですね」
「だな。で、依頼の受付に仲介人が立って、素性が分かりにくいのもお前と同じだ」
雪季が殺人を生業にしていた頃、仕事の受注は師に任せていた。最終的な決定権は委ねられていたが、雪季のところに話が回ってくる時点で師の選別が入っていたし、条件のすり合わせや依頼人との面談などを雪季が行ったことはほとんどない。
仲介人が入ること自体はそう珍しくもないが、極力正体を隠してくれていたのは、職を変えた今となると殊更にありがたかった。それでも多少の情報は流れていたしスノーホワイトとして雪季を知る者もいないではなかったが、女装を活用したことでいくらか目くらましにもなっていた。
隙を突いての一撃必殺が多かったことと相俟って、スノーホワイトは女性ではないかとの噂も流れていた。
女性でもできそうな殺害方法であったためで、そして、毒殺というのも古来、非力な女性が選びがちな殺害方法だ。
「…それで、俺が復職したのではないかと?」
「そもそも名前が被ってたからな。スノーホワイトの実績を取り込もうとしたのかたまたまかは知らないが、両方を知ってりゃ、もしかして、くらいは考えるだろ」
「とりあえず覚えはありません」
「…そんなにあっさり手の内さらしていいのか?」
雪季に向けられた眼は強いままで、それもそうだと思いながら、グラスを傾ける。
「初めて会った時」
「ん?」
進士と初めて出会ったのは、仕事の障害になりそうだったラッツの様子を窺いに行った時。
ほんの様子見のつもりだったから、むしろ風景に溶け込むかと脱ぎ捨てたばかりの制服姿でふらふらとしていたのに、何故か進士に勘付かれた。
「…父を思い出しました」
「…いや待て会った時って俺まだ二十半ば…」
「三十手前ですよね?」
「どっちにしても高校生の息子持つような歳じゃない!」
「中学生と間違えた癖に」
「それとこれとは関係ないだろ」
本当に不満げで、少し笑ってしまう。そんな雪季に、進士はいよいよ口を尖らせ、たっぷりとディップを乗せたクラッカーを口に放り込み、グラスを傾ける。空いたところに、雪季が新しく注ぐ。
雪季の父が、家で酒を飲むのは見たことがなかった。
「全然似てないんですけどね。年齢だって…今の谷崎さんと同じくらいかな。裏表のない人だったんですけど、ちょっと、笑い方が似てるんです」
「…お前の親父さんって」
「裏表がなさ過ぎて、社会を渡って行くのは不向きだったみたいです。俺が中学に上がる前に殺されました」
なんとなく揺らしたグラスの中で、氷がからんと音を立てる。
記憶の中の最後の方の父が、今の進士と同じくらいの年だということが奇妙に感じられる。雪季も、あと十年ほどでそこに追いつくということが信じにくい。
父も母も、絶対的な「大人」だった。小学生の頃の親なんて、そんなものだろうと思う。それを実感を伴って覆す機会は、雪季に来るだろうか。もう二人には、会えることはないままで。
ぼんやりと自らの内に浸っていることに気づいて、もう一度からりと氷を鳴らして切り替える。苦笑がこぼれた。
「今の俺は、ただの一般人ですから。手の内を曝すも何もないですよ。それに、これまでのことで報いを受けるなら仕方ないです」
何故かぎょっとしたように目を見開いた進士は、数瞬でそれを打ち消し、深々とため息をついた。
「お前なあ。俺よりも十も若いってのに、投げやりなこと言うんじゃねえよ」
「…投げやりというつもりはないんですが」
「投げてるだろ、自分を。危なっかしい奴だとは思ってたけど、ここまでとはな」
「勝手に話を進めないでください」
ホタテのオムレツを切り取る。思ったよりも柔らかく、もう少し汁気を減らすべきだったろうかと考える。味は、缶詰と顆粒スープの素なので大体想像していた通りだ。
対面の進士は、注いだばかりのハイボールを一息に傾ける。
「お前さ、子どもの頃は…なんて言うか、ちゃんとした家で、ちゃんと育って来ただろ」
「はあ…?」
「何の因果であんな人でなしのおやっさんに弟子入りしたんだか知らねえけど、親だか親代わりだかに愛情注がれてただろ。そういう根っこのところがしっかりしてる奴はなんとなくわかる。こっち側は俺みたいな根っこが植わってないのが多いから、余計にわかりやすい。そりゃあ何不自由なく愛情もたっぷりに育てられても、こっちに転げ落ちてくる奴はいるけど…あの時はまだ俺も若かったんだな。そんなのを、面白いと思っちまったんだから」
「…年寄扱いすると怒るのでは?」
話の行方が見えず、進士の空になったグラスを気にしながらも、雪季はゆっくりと自分のハイボールを飲み進めた。今注ぐとまた一気飲みしそうな気がするので、しばらく置いた方がいいだろうか。
「誰が年寄りだ。…でも俺も、俺なりに歳は喰って来たんだよ。お前に会った時に、面白がるんじゃなく叱り飛ばすくらいすべきだったんじゃなかったかって思うくらいには年取ったんだよ」
真っ向から見据えられての発言に、雪季は、とりあえずグラスを置いてゆっくりと瞬きをして一度考えこみ、結局首を傾げた。
そもそも進士と出会ったときは、敵対とまでは言わなくとも対抗はしていた。そんな相手に叱られたところで到底素直に聞き入れたとは思えず、そのままただ対立者として物別れに終わるよりも、こうやってなんとなくでも友好関係が続いている方が雪季としては有り難いのだが。
「…もしかして谷崎さん、酒弱いですか?」
「阿呆。このくらいで酔うか」
そう言うが、どうにも眼が据わっているような気がする。
「…お前がなんでだか…って、さっきの話からすると父親に似てるからか? なついてくれたのは知ってる。でも、どうしても俺が邪魔になればあっさり始末しただろ」
「仕事でもないのに人殺しなんてしませんよ」
「あーそうかい。じゃあ、俺を殺せって仕事が来たら、引き受けただろ」
「まあ…引き受けていれば、遂行しようとはしたと思います」
「なんでそうなるんだよ…」
非常識なものを見る眼差しを向けられ、雪季は心外だと内心で憤慨した。
非常識な反応であることはわかっているが、かつてラッツの代表者のような立場にいて、最終的にはそのとどめを刺した街金だか闇金だかの経営者に言われたくない。
雪季の不満を感じ取ったのか、酒の催促をして、進士はがりがりと頭を掻いた。
「流れに乗りすぎだろ、お前。もう少し自分を大切にしろ」
「…何か無茶苦茶なことを言ってませんか?」
「こだわらなすぎるのもひたすら流れに身を任せるのも、自分をモノ扱いしてなきゃできねえよ。もうちょっと、自分に執着持て」
「…ないわけでもないですよ」
「どうだか」
雪季自身のことなのに自信たっぷりに断言され、そういうものかと思いそうになるが、いやいや、と首を振る。
「今と以前では違います。多分、あの頃よりは谷崎さんのことを信頼してるんじゃないですか?」
「…多分に最後なんで疑問形」
「なんとなく」
「なんだそれ」
進士は呆れたような表情になったが、少し薄めに作ったハイボールを一気に飲み干し、ふわりと力の抜けた笑みをこぼした。こういう、無防備に思える表情が漏れ出るところがモテる秘訣だろうなあと、不意に明後日の方向に思考が飛ぶ。
空のコップを示されて、ウイスキーは尽きたのでカシスリキュールを炭酸水で割る。
「うわ、凄い色。何これ?」
「カシスです。甘いの平気でした?」
「作ってから言うなよ、平気だけど。…まあ、変わったならいいさ。俺なんかを信頼するあたり、まだ危なっかしいけどな」
そういえば進士のこともあまり知らないのだと、今更に雪季は気付く。それでも、だからといってこの信頼が消えたりはしない。
クラッカーにディップを塗り付けていると、掻っ攫われた。
「関係ないならないでいいけど、変な影響もあるかもしれないからな。注意はしとけよ」
「はい、ありがとうございます」
「…返事だけは素直なんだけどなあ」
別段、含みも反意も持っていなかった雪季は、納得のいかない思いで新しいクラッカーを手に取った。
鯖缶とクリームチーズのディップに目を瞠る進士に、笑みがこぼれる。喜んでもらえるのは、素直にうれしい。
作り方を伝えると、案外簡単なんだなあとひどく感心したような声が返る。思えば、進士は、実際のところ本心かどうかはともかく、心からと思えるような反応が多い。そこが、妙に気安く思えるところなのだろうか。英もだが、人との距離の取り方がうまい。
そうして一通り味を確かめるようにつまんでいくと、眼差しから笑みを引いた。グラスは片手にしたまま、真っ直ぐに雪季を見る。
「この頃、白雪って通り名で動いてる奴がいてな。十八番は毒。…毒と言うか薬と言うか」
「広い意味では同じものですね」
「だな。で、依頼の受付に仲介人が立って、素性が分かりにくいのもお前と同じだ」
雪季が殺人を生業にしていた頃、仕事の受注は師に任せていた。最終的な決定権は委ねられていたが、雪季のところに話が回ってくる時点で師の選別が入っていたし、条件のすり合わせや依頼人との面談などを雪季が行ったことはほとんどない。
仲介人が入ること自体はそう珍しくもないが、極力正体を隠してくれていたのは、職を変えた今となると殊更にありがたかった。それでも多少の情報は流れていたしスノーホワイトとして雪季を知る者もいないではなかったが、女装を活用したことでいくらか目くらましにもなっていた。
隙を突いての一撃必殺が多かったことと相俟って、スノーホワイトは女性ではないかとの噂も流れていた。
女性でもできそうな殺害方法であったためで、そして、毒殺というのも古来、非力な女性が選びがちな殺害方法だ。
「…それで、俺が復職したのではないかと?」
「そもそも名前が被ってたからな。スノーホワイトの実績を取り込もうとしたのかたまたまかは知らないが、両方を知ってりゃ、もしかして、くらいは考えるだろ」
「とりあえず覚えはありません」
「…そんなにあっさり手の内さらしていいのか?」
雪季に向けられた眼は強いままで、それもそうだと思いながら、グラスを傾ける。
「初めて会った時」
「ん?」
進士と初めて出会ったのは、仕事の障害になりそうだったラッツの様子を窺いに行った時。
ほんの様子見のつもりだったから、むしろ風景に溶け込むかと脱ぎ捨てたばかりの制服姿でふらふらとしていたのに、何故か進士に勘付かれた。
「…父を思い出しました」
「…いや待て会った時って俺まだ二十半ば…」
「三十手前ですよね?」
「どっちにしても高校生の息子持つような歳じゃない!」
「中学生と間違えた癖に」
「それとこれとは関係ないだろ」
本当に不満げで、少し笑ってしまう。そんな雪季に、進士はいよいよ口を尖らせ、たっぷりとディップを乗せたクラッカーを口に放り込み、グラスを傾ける。空いたところに、雪季が新しく注ぐ。
雪季の父が、家で酒を飲むのは見たことがなかった。
「全然似てないんですけどね。年齢だって…今の谷崎さんと同じくらいかな。裏表のない人だったんですけど、ちょっと、笑い方が似てるんです」
「…お前の親父さんって」
「裏表がなさ過ぎて、社会を渡って行くのは不向きだったみたいです。俺が中学に上がる前に殺されました」
なんとなく揺らしたグラスの中で、氷がからんと音を立てる。
記憶の中の最後の方の父が、今の進士と同じくらいの年だということが奇妙に感じられる。雪季も、あと十年ほどでそこに追いつくということが信じにくい。
父も母も、絶対的な「大人」だった。小学生の頃の親なんて、そんなものだろうと思う。それを実感を伴って覆す機会は、雪季に来るだろうか。もう二人には、会えることはないままで。
ぼんやりと自らの内に浸っていることに気づいて、もう一度からりと氷を鳴らして切り替える。苦笑がこぼれた。
「今の俺は、ただの一般人ですから。手の内を曝すも何もないですよ。それに、これまでのことで報いを受けるなら仕方ないです」
何故かぎょっとしたように目を見開いた進士は、数瞬でそれを打ち消し、深々とため息をついた。
「お前なあ。俺よりも十も若いってのに、投げやりなこと言うんじゃねえよ」
「…投げやりというつもりはないんですが」
「投げてるだろ、自分を。危なっかしい奴だとは思ってたけど、ここまでとはな」
「勝手に話を進めないでください」
ホタテのオムレツを切り取る。思ったよりも柔らかく、もう少し汁気を減らすべきだったろうかと考える。味は、缶詰と顆粒スープの素なので大体想像していた通りだ。
対面の進士は、注いだばかりのハイボールを一息に傾ける。
「お前さ、子どもの頃は…なんて言うか、ちゃんとした家で、ちゃんと育って来ただろ」
「はあ…?」
「何の因果であんな人でなしのおやっさんに弟子入りしたんだか知らねえけど、親だか親代わりだかに愛情注がれてただろ。そういう根っこのところがしっかりしてる奴はなんとなくわかる。こっち側は俺みたいな根っこが植わってないのが多いから、余計にわかりやすい。そりゃあ何不自由なく愛情もたっぷりに育てられても、こっちに転げ落ちてくる奴はいるけど…あの時はまだ俺も若かったんだな。そんなのを、面白いと思っちまったんだから」
「…年寄扱いすると怒るのでは?」
話の行方が見えず、進士の空になったグラスを気にしながらも、雪季はゆっくりと自分のハイボールを飲み進めた。今注ぐとまた一気飲みしそうな気がするので、しばらく置いた方がいいだろうか。
「誰が年寄りだ。…でも俺も、俺なりに歳は喰って来たんだよ。お前に会った時に、面白がるんじゃなく叱り飛ばすくらいすべきだったんじゃなかったかって思うくらいには年取ったんだよ」
真っ向から見据えられての発言に、雪季は、とりあえずグラスを置いてゆっくりと瞬きをして一度考えこみ、結局首を傾げた。
そもそも進士と出会ったときは、敵対とまでは言わなくとも対抗はしていた。そんな相手に叱られたところで到底素直に聞き入れたとは思えず、そのままただ対立者として物別れに終わるよりも、こうやってなんとなくでも友好関係が続いている方が雪季としては有り難いのだが。
「…もしかして谷崎さん、酒弱いですか?」
「阿呆。このくらいで酔うか」
そう言うが、どうにも眼が据わっているような気がする。
「…お前がなんでだか…って、さっきの話からすると父親に似てるからか? なついてくれたのは知ってる。でも、どうしても俺が邪魔になればあっさり始末しただろ」
「仕事でもないのに人殺しなんてしませんよ」
「あーそうかい。じゃあ、俺を殺せって仕事が来たら、引き受けただろ」
「まあ…引き受けていれば、遂行しようとはしたと思います」
「なんでそうなるんだよ…」
非常識なものを見る眼差しを向けられ、雪季は心外だと内心で憤慨した。
非常識な反応であることはわかっているが、かつてラッツの代表者のような立場にいて、最終的にはそのとどめを刺した街金だか闇金だかの経営者に言われたくない。
雪季の不満を感じ取ったのか、酒の催促をして、進士はがりがりと頭を掻いた。
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「…何か無茶苦茶なことを言ってませんか?」
「こだわらなすぎるのもひたすら流れに身を任せるのも、自分をモノ扱いしてなきゃできねえよ。もうちょっと、自分に執着持て」
「…ないわけでもないですよ」
「どうだか」
雪季自身のことなのに自信たっぷりに断言され、そういうものかと思いそうになるが、いやいや、と首を振る。
「今と以前では違います。多分、あの頃よりは谷崎さんのことを信頼してるんじゃないですか?」
「…多分に最後なんで疑問形」
「なんとなく」
「なんだそれ」
進士は呆れたような表情になったが、少し薄めに作ったハイボールを一気に飲み干し、ふわりと力の抜けた笑みをこぼした。こういう、無防備に思える表情が漏れ出るところがモテる秘訣だろうなあと、不意に明後日の方向に思考が飛ぶ。
空のコップを示されて、ウイスキーは尽きたのでカシスリキュールを炭酸水で割る。
「うわ、凄い色。何これ?」
「カシスです。甘いの平気でした?」
「作ってから言うなよ、平気だけど。…まあ、変わったならいいさ。俺なんかを信頼するあたり、まだ危なっかしいけどな」
そういえば進士のこともあまり知らないのだと、今更に雪季は気付く。それでも、だからといってこの信頼が消えたりはしない。
クラッカーにディップを塗り付けていると、掻っ攫われた。
「関係ないならないでいいけど、変な影響もあるかもしれないからな。注意はしとけよ」
「はい、ありがとうございます」
「…返事だけは素直なんだけどなあ」
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