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梅雨
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「あー。味噌汁とか久しぶり」
「簡単ですよ」
「いや無理、一人分作るとか面倒すぎる」
そう言いながら、白米は昨夜進士自身がセットしていたのだから、言っている以上に自炊しているのではないだろうか。
進士と二人でご飯とみそ汁、卵焼きの朝食を食べているが、雪季の基準では朝ご飯には少々遅い時間だ。寝過ごした。しかしそれでも、眠りについた時間を考えれば、睡眠時間は全く足りていないが。
「豆腐と揚げなんてあったっけ?」
「近くで買ってきました」
「やっぱりかー。悪いな」
「レシートこれです」
「…おー」
「野菜買った方がいいですよ」
「いつもいるわけじゃねえからなあ。いくら冷蔵庫に入れててもしなびてたら厭だろ?」
「根菜系は結構もちますよ」
話しながら、一人分には多すぎる米はではどういうつもりだろうと思っていたが、食べ終えた後に疑問は氷解した。ついでだからと手伝わされて、いくつものおにぎりを握っている。具は、昨日残った鯖缶とカツオ節、ふりかけと梅干。
それぞれ数個は作って、大皿に並んでいるのを見ると師の店での手伝いを思い出す。おにぎり自体はその場で握ることが多かったが、焼きおにぎりは先に作っておいたものを焼いていたため、開店前にこんな風に並べていたりした。
「いつ食べるんですか、これ」
「ん? どうして?」
「具入りで手作りのおにぎりって、食中毒の素になったりするので」
「え、マジで?」
「一回、具入りのおにぎりを次の日に食べて一家総出でお腹壊したことが」
まだ小学生だった日の思い出がこぼれ出る。そんなこともあったなと、忘れていたはずの記憶に少し戸惑った。
「まあ、冷蔵庫に入れておけば一日くらいは大丈夫だと思いますけど」
「昼頃にはなくなってるだろうから、それならいいか」
あの時は、何を考えたのか常温で置いていた。初夏の頃だったはずだ。大量に作った分が残ってもったいないからと次の日も食べて、三人ともが腹を下した。その程度で、病院にも行かずに済んだのだから笑い話ではあったが。
「なくなってるって、食べるのは谷崎さんではなく?」
「俺も食べるかもだけど、事務所の奴らが案外腹空かしてて」
「…社長が食堂のおじさんもやるんですか」
「食堂のおじさん」
わざわざ繰り返して、楽しげに笑う。何か面白いことを言っただろうかと首をひねりながら、雪季は片付けに取り掛かった。おにぎりはもう少し粗熱をとるとして、朝食の食器や炊飯窯を片付けていく。
こういうのは久しぶりだなと、ふと思った。
休みの日に作り置きをするために料理をそれなりの量作ることはあるが、誰かと一緒にというのは久々だ。以前は、師の店を手伝ったり飲食店でのバイトをしたりで誰かと一緒に作ることが多かったが、今はそんな機会もない。
今でもたまにバイトに入るのは、昨夜のバーや以前英の兄弟の結婚式があったホテルのように、直接調理をするような仕事ではない。
「手際いいなあ」
「慣れですよ。やることがあるなら、さっさと片づけた方が気分もいいですし」
「考え事をする時間を作りたくない、とかじゃないよな?」
返事が思い浮かばなかった。
食器の泡を水で洗い流す手は止まらないが、いきなり洗い物にだけ集中するはずもなく、言葉に詰まったことは気づかれただろう。英も、雪季が休日にバイトを入れていることに気づいたら勘付くだろうかと思考が横滑りする。
「今度は心理分析の真似事ですか?」
「…まあ、がんばりすぎるなよ」
どこか曖昧な言葉を、進士がどんな顔で発したのかは見なかった。
並んで、雪季が洗った食器を進士が拭いて置いていく。洗い終えると、拭かれた食器を棚に収める。二人だけでそれほど食器を使いもせず、片付けはすぐに終わってしまった。
そろそろ帰ろうかと何気なく周囲を見回した雪季は、不意に明け方の記憶を思い出した。
「…明け方、誰か来てましたか?」
「…は?」
「誰か…女の人? 逆か、いたところに俺がお邪魔しちゃったんですか? 言ってくれたら長居しなかったのに」
「いや、待て、いねーよ。いたら言われなくても追い返してるわ。…気のせいだろ」
「煙草。吸うんですね」
「…見てた?」
「いえ、残り香が」
目覚めたときに、鼻先をかすめた。寝る前には覚えがなく、部屋の片隅には少しだけ吸って押しつぶされたたばこの吸い殻の入った灰皿があった。が、ジョギングと食材調達がてら外に出て戻ってみると、消え去っていた。換気されたのか、香りも消えていた。
どちらも気のせいかとも思ったが、この反応からすると違うのだろう。進士は一度天を仰いだかと思うと、下を向いてため息を落とした。
「…あんま言いふらすなよ」
「はあ…?」
思い出してつい訊いただけなので、はぐらかされるようなら深追いするつもりもなかったのだが、何かを話してくれるようだ。進士の躊躇う様子に、やめておけばよかったかとちらりと思う。いまだ、関係をはかりかねているというのに。
進士は、真っ向から雪季を見据えた。
「幽霊っていると思うか?」
「………わかりません」
以前なら「いないと思う」と答えていただろうが、英の背を押した手のことを考えるとわからなくなる。
「俺もよくわからん」
「はあ」
「だからまあ、実は精神科にでも行った方がいいのかもしれないとも思わないでもないんだが。かと言って、気のせいで片付けるには符号が合いぎるというか」
「はあ」
「幽霊っぽいものをよく見るし、話しかけられるし会話が成り立つときもあるし、危害加えられそうになったり追い払ったりとかも」
「…いわゆる、霊能力がある、という?」
「…って言うしかないよなあ」
長く深いため息をつく進士は、不本意そうだった。音を立てて頭を掻く。
「全部自己流だし、自称霊能力者とか霊感あるんですって奴と語り合ったりもないんだけどな。昨日は、なんかふよふよお前について女が来てた。で、煙草で散らした。蚊取り線香でもよかったんだけど、まだ買ってなくて」
「…煙…? 燻すんですか、幽霊」
狸を巣穴から追い出す方法がそれではなかっただろうか。
進士はぴたりと動きを止め、数瞬置いて噴き出した。笑われて、雪季も、妙なことを口走ったと気づく。
「…忘れてください」
「いやちょっと無理、なるほどなあ」
「何がなるほどですか。そろそろ帰ります」
「ああ。飯ありがとな」
まだ笑いを含みながらも、進士は穏やかに、雪季に手を上げて見せた。
色々とうやむやにしてしまった。結局のところ、進士とはその距離感が居心地がいいような気もした。雪季のただの独りよがりなのかもしれないが。
「簡単ですよ」
「いや無理、一人分作るとか面倒すぎる」
そう言いながら、白米は昨夜進士自身がセットしていたのだから、言っている以上に自炊しているのではないだろうか。
進士と二人でご飯とみそ汁、卵焼きの朝食を食べているが、雪季の基準では朝ご飯には少々遅い時間だ。寝過ごした。しかしそれでも、眠りについた時間を考えれば、睡眠時間は全く足りていないが。
「豆腐と揚げなんてあったっけ?」
「近くで買ってきました」
「やっぱりかー。悪いな」
「レシートこれです」
「…おー」
「野菜買った方がいいですよ」
「いつもいるわけじゃねえからなあ。いくら冷蔵庫に入れててもしなびてたら厭だろ?」
「根菜系は結構もちますよ」
話しながら、一人分には多すぎる米はではどういうつもりだろうと思っていたが、食べ終えた後に疑問は氷解した。ついでだからと手伝わされて、いくつものおにぎりを握っている。具は、昨日残った鯖缶とカツオ節、ふりかけと梅干。
それぞれ数個は作って、大皿に並んでいるのを見ると師の店での手伝いを思い出す。おにぎり自体はその場で握ることが多かったが、焼きおにぎりは先に作っておいたものを焼いていたため、開店前にこんな風に並べていたりした。
「いつ食べるんですか、これ」
「ん? どうして?」
「具入りで手作りのおにぎりって、食中毒の素になったりするので」
「え、マジで?」
「一回、具入りのおにぎりを次の日に食べて一家総出でお腹壊したことが」
まだ小学生だった日の思い出がこぼれ出る。そんなこともあったなと、忘れていたはずの記憶に少し戸惑った。
「まあ、冷蔵庫に入れておけば一日くらいは大丈夫だと思いますけど」
「昼頃にはなくなってるだろうから、それならいいか」
あの時は、何を考えたのか常温で置いていた。初夏の頃だったはずだ。大量に作った分が残ってもったいないからと次の日も食べて、三人ともが腹を下した。その程度で、病院にも行かずに済んだのだから笑い話ではあったが。
「なくなってるって、食べるのは谷崎さんではなく?」
「俺も食べるかもだけど、事務所の奴らが案外腹空かしてて」
「…社長が食堂のおじさんもやるんですか」
「食堂のおじさん」
わざわざ繰り返して、楽しげに笑う。何か面白いことを言っただろうかと首をひねりながら、雪季は片付けに取り掛かった。おにぎりはもう少し粗熱をとるとして、朝食の食器や炊飯窯を片付けていく。
こういうのは久しぶりだなと、ふと思った。
休みの日に作り置きをするために料理をそれなりの量作ることはあるが、誰かと一緒にというのは久々だ。以前は、師の店を手伝ったり飲食店でのバイトをしたりで誰かと一緒に作ることが多かったが、今はそんな機会もない。
今でもたまにバイトに入るのは、昨夜のバーや以前英の兄弟の結婚式があったホテルのように、直接調理をするような仕事ではない。
「手際いいなあ」
「慣れですよ。やることがあるなら、さっさと片づけた方が気分もいいですし」
「考え事をする時間を作りたくない、とかじゃないよな?」
返事が思い浮かばなかった。
食器の泡を水で洗い流す手は止まらないが、いきなり洗い物にだけ集中するはずもなく、言葉に詰まったことは気づかれただろう。英も、雪季が休日にバイトを入れていることに気づいたら勘付くだろうかと思考が横滑りする。
「今度は心理分析の真似事ですか?」
「…まあ、がんばりすぎるなよ」
どこか曖昧な言葉を、進士がどんな顔で発したのかは見なかった。
並んで、雪季が洗った食器を進士が拭いて置いていく。洗い終えると、拭かれた食器を棚に収める。二人だけでそれほど食器を使いもせず、片付けはすぐに終わってしまった。
そろそろ帰ろうかと何気なく周囲を見回した雪季は、不意に明け方の記憶を思い出した。
「…明け方、誰か来てましたか?」
「…は?」
「誰か…女の人? 逆か、いたところに俺がお邪魔しちゃったんですか? 言ってくれたら長居しなかったのに」
「いや、待て、いねーよ。いたら言われなくても追い返してるわ。…気のせいだろ」
「煙草。吸うんですね」
「…見てた?」
「いえ、残り香が」
目覚めたときに、鼻先をかすめた。寝る前には覚えがなく、部屋の片隅には少しだけ吸って押しつぶされたたばこの吸い殻の入った灰皿があった。が、ジョギングと食材調達がてら外に出て戻ってみると、消え去っていた。換気されたのか、香りも消えていた。
どちらも気のせいかとも思ったが、この反応からすると違うのだろう。進士は一度天を仰いだかと思うと、下を向いてため息を落とした。
「…あんま言いふらすなよ」
「はあ…?」
思い出してつい訊いただけなので、はぐらかされるようなら深追いするつもりもなかったのだが、何かを話してくれるようだ。進士の躊躇う様子に、やめておけばよかったかとちらりと思う。いまだ、関係をはかりかねているというのに。
進士は、真っ向から雪季を見据えた。
「幽霊っていると思うか?」
「………わかりません」
以前なら「いないと思う」と答えていただろうが、英の背を押した手のことを考えるとわからなくなる。
「俺もよくわからん」
「はあ」
「だからまあ、実は精神科にでも行った方がいいのかもしれないとも思わないでもないんだが。かと言って、気のせいで片付けるには符号が合いぎるというか」
「はあ」
「幽霊っぽいものをよく見るし、話しかけられるし会話が成り立つときもあるし、危害加えられそうになったり追い払ったりとかも」
「…いわゆる、霊能力がある、という?」
「…って言うしかないよなあ」
長く深いため息をつく進士は、不本意そうだった。音を立てて頭を掻く。
「全部自己流だし、自称霊能力者とか霊感あるんですって奴と語り合ったりもないんだけどな。昨日は、なんかふよふよお前について女が来てた。で、煙草で散らした。蚊取り線香でもよかったんだけど、まだ買ってなくて」
「…煙…? 燻すんですか、幽霊」
狸を巣穴から追い出す方法がそれではなかっただろうか。
進士はぴたりと動きを止め、数瞬置いて噴き出した。笑われて、雪季も、妙なことを口走ったと気づく。
「…忘れてください」
「いやちょっと無理、なるほどなあ」
「何がなるほどですか。そろそろ帰ります」
「ああ。飯ありがとな」
まだ笑いを含みながらも、進士は穏やかに、雪季に手を上げて見せた。
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