106 / 130
邂逅
9
しおりを挟む
「言っとくけど、あいつが雪季のストーカーを始めたそもそもには俺は噛んでないからな。今だって無条件に調べたり情報くれたりするのは雪季絡みのことだけなんだから。他ではしっかり分捕られてる」
「…そんな怖いことになってたのか」
「怖いってどっちに対して、ストーカー? 俺が金むしり取られてること?」
「ストーカー。冗談で言ってるのかと」
「ええー。ひくくらいガチだって。なんだったら、引っ越し初日の盗聴器のどれかは葉月が仕掛けてても驚かない」
雪季はそっと、眼を閉じた。自分の周りには、やはり妙な人しかいないのだろうか。しかし葉月を引き付けたとすれば自業自得で、そうなるとやはり「妙」の中心は雪季自身になってしまう。
いささか自棄になって、グラスを傾ける。濃厚に甘くて、温くて、何かで割りたいと思った。
「ってことでどうせたどり着くだろうから、もう全部話してくれた方が早くていいんだけど?」
「…ちょっと考えさせてくれ」
「妥協点でも探す? そもそも何を嫌がってるんだよ」
考えさせろと言っているのに、全く時間をくれずに畳みかけてくる。いつの間にか、英はブランデーらしき瓶を手元に引き寄せていた。
間を取るためにも、氷を取りに立ち上がる。
「前に言わなかったっけ。俺、雪季を手放すつもりはないよ」
アイスペールを用意する前に、英はワイングラスに無造作に飴色の液体を注いだ。先ほどとは違った、甘い香りが立ち上る。
「…でも少し、安心した」
何を言い出すのかと、雪季は思わず英の顔を見た。
視線に気付いていないのか、ぼんやりとトマトのあたりに目を向けている。テーブルに音を立ててアイスペールを置いても、顔は上がらなかった。
気付けば、ワインの瓶が空いている。そもそも量の少ないボトルではあったが、雪季はまだ一杯目を半分ほどしかあけておらず、ほとんど英が一人で飲んでいる。
友人たちと軽く飲んでいたのか、帰って来た時にアルコールの匂いはしていた。一体、今の時点でどれだけの酒量を胃に入れているのか。
それぞれのグラスに氷を入れたが、英は気付いたのかどうか、また、くるくるとグラスを回す。雪季はそっと、酒瓶を遠ざけた。
「ここ来たばっかの頃なら、黙って出て行ってただろ。断りも書き置きもなしに、あのちっさいスポーツバッグに全部詰めて、最初っからいなかったみたいにサクッと」
ああなるほどと、雪季はため息と一緒にワインを飲み込む。冷えて、少し薄まって幾分飲みやすくなったような気がする。
言われた通りに、一年前なら簡単に逃げ出しただろう。
結愛とも英とも距離を置いて、忘れられた頃にでも、結愛のところには顔を出したかも知れない。それが、先に相談するようなことを言ってしまったのは、そうしたくはないと思ったからだろう。
今度はしっかりとため息を落として、チーズのつまみに手を伸ばす。魚のすり身のシートに挟まれているのは、ただのチーズではなくスモークチーズだった。
「そうだな。そうすれば良かった」
言ってから、英の完璧な笑顔を見て、しまったと気付いたが遅い。
「雪季が勝手に俺から離れるっていうなら、真柴さんとでも付き合おうかな」
「………は?」
「全く好みではないけど、あの子と一緒にいれば、雪季は直接は会いに来なくても様子くらい見に来るだろ? それに、雪季がそこまで大事にしてるって点では興味はあるし」
「…向こうもお前に興味はないと思うが」
「別にあの子自体が欲しいわけじゃないから、いくらでもやりようはある」
考えるよりも先に動いた腕を、易々と抑えられた。やはり崩れない笑顔のまま、英はまっすぐに雪季の目を覗き込んだ。
覗き込まれている側なのに、止め処ない闇を見せつけられている気分になる。
「そんな怖い顔しなくても。雪季が、俺の納得なしに勝手に離れないっていうならそんな未来はないよ?」
「…口約束を守るとでも?」
「俺は約束を守らないかも知れないけど、雪季は守るだろ? 雪季に嫌われるのはともかく、憎まれるのは嬉しくないから、見張ってればちゃんと、真柴さんにはあんまり近付かないようにしとくしさ」
つまり、近くに居ろと。
雪季は、腕の力を抜いた。そのことに気付いて、英も抑えていた手を放す。空かさず、無警戒の頭をはたいた。
「痛っ! 暴力反対! ってか殴られる流れだった今?!」
「腹が立った」
「だからたまにノリがヤンキーなんだけど雪季!」
腹立ちついでにグラスを干すと、遠ざけたはずの酒瓶を英が傾ける。止める間もなくたっぷりと注がれ、水割りにするどころか、氷を追加する余地もない。
睨み付けるが意に介さず、いつの間にか半分ほどに減っていた自分のグラスに、無造作に追加している。手を離したところで無言で取り上げ、酒瓶を再度遠ざける。
「…お前を巻き込んでも気にするのはやめることにする」
「どうぞー。俺だってがっつりお家騒動に巻き込んでるんだし、今更遠慮はいらないって」
巻き込むと言うが、そこには雇用が発生しているので問題が違う、と雪季は思うが、逃げ道を塞いだのは英なので考えるのはやめた。
先程の発言は本気だろうので、英の元を離れるのは英が雪季に興味を失うか、雪季か英のどちらかの死亡といったあたりになるのだろう。
それがどのくらいの付き合いになるのかはわからないが、長くなればなるほど、巻き込むことを恐れるのは時間の無駄のような気がしてきた。
問題は周囲の人だが、そこはもう、その時に考えるしかない。
グラスの酒を舐めるように含んで、甘やかな香りとアルコールの熱を喰らう。かなりいい酒のように思えるが、英が無造作に飲むのでいまいちありがたみが薄れてしまう。
「河東」
「ん?」
「黙って出て行ったりはしない」
「うん」
「ただ、当てつけに手を出すなら息の根を止める」
「…当てつけってわけじゃないんだけどなあ。あー、睨むなよ。わかってる、大丈夫やらないって。俺色気ある人が好きだし」
軽い調子に胡乱な視線を向けるが、へらりと笑い流される。
「…そんな怖いことになってたのか」
「怖いってどっちに対して、ストーカー? 俺が金むしり取られてること?」
「ストーカー。冗談で言ってるのかと」
「ええー。ひくくらいガチだって。なんだったら、引っ越し初日の盗聴器のどれかは葉月が仕掛けてても驚かない」
雪季はそっと、眼を閉じた。自分の周りには、やはり妙な人しかいないのだろうか。しかし葉月を引き付けたとすれば自業自得で、そうなるとやはり「妙」の中心は雪季自身になってしまう。
いささか自棄になって、グラスを傾ける。濃厚に甘くて、温くて、何かで割りたいと思った。
「ってことでどうせたどり着くだろうから、もう全部話してくれた方が早くていいんだけど?」
「…ちょっと考えさせてくれ」
「妥協点でも探す? そもそも何を嫌がってるんだよ」
考えさせろと言っているのに、全く時間をくれずに畳みかけてくる。いつの間にか、英はブランデーらしき瓶を手元に引き寄せていた。
間を取るためにも、氷を取りに立ち上がる。
「前に言わなかったっけ。俺、雪季を手放すつもりはないよ」
アイスペールを用意する前に、英はワイングラスに無造作に飴色の液体を注いだ。先ほどとは違った、甘い香りが立ち上る。
「…でも少し、安心した」
何を言い出すのかと、雪季は思わず英の顔を見た。
視線に気付いていないのか、ぼんやりとトマトのあたりに目を向けている。テーブルに音を立ててアイスペールを置いても、顔は上がらなかった。
気付けば、ワインの瓶が空いている。そもそも量の少ないボトルではあったが、雪季はまだ一杯目を半分ほどしかあけておらず、ほとんど英が一人で飲んでいる。
友人たちと軽く飲んでいたのか、帰って来た時にアルコールの匂いはしていた。一体、今の時点でどれだけの酒量を胃に入れているのか。
それぞれのグラスに氷を入れたが、英は気付いたのかどうか、また、くるくるとグラスを回す。雪季はそっと、酒瓶を遠ざけた。
「ここ来たばっかの頃なら、黙って出て行ってただろ。断りも書き置きもなしに、あのちっさいスポーツバッグに全部詰めて、最初っからいなかったみたいにサクッと」
ああなるほどと、雪季はため息と一緒にワインを飲み込む。冷えて、少し薄まって幾分飲みやすくなったような気がする。
言われた通りに、一年前なら簡単に逃げ出しただろう。
結愛とも英とも距離を置いて、忘れられた頃にでも、結愛のところには顔を出したかも知れない。それが、先に相談するようなことを言ってしまったのは、そうしたくはないと思ったからだろう。
今度はしっかりとため息を落として、チーズのつまみに手を伸ばす。魚のすり身のシートに挟まれているのは、ただのチーズではなくスモークチーズだった。
「そうだな。そうすれば良かった」
言ってから、英の完璧な笑顔を見て、しまったと気付いたが遅い。
「雪季が勝手に俺から離れるっていうなら、真柴さんとでも付き合おうかな」
「………は?」
「全く好みではないけど、あの子と一緒にいれば、雪季は直接は会いに来なくても様子くらい見に来るだろ? それに、雪季がそこまで大事にしてるって点では興味はあるし」
「…向こうもお前に興味はないと思うが」
「別にあの子自体が欲しいわけじゃないから、いくらでもやりようはある」
考えるよりも先に動いた腕を、易々と抑えられた。やはり崩れない笑顔のまま、英はまっすぐに雪季の目を覗き込んだ。
覗き込まれている側なのに、止め処ない闇を見せつけられている気分になる。
「そんな怖い顔しなくても。雪季が、俺の納得なしに勝手に離れないっていうならそんな未来はないよ?」
「…口約束を守るとでも?」
「俺は約束を守らないかも知れないけど、雪季は守るだろ? 雪季に嫌われるのはともかく、憎まれるのは嬉しくないから、見張ってればちゃんと、真柴さんにはあんまり近付かないようにしとくしさ」
つまり、近くに居ろと。
雪季は、腕の力を抜いた。そのことに気付いて、英も抑えていた手を放す。空かさず、無警戒の頭をはたいた。
「痛っ! 暴力反対! ってか殴られる流れだった今?!」
「腹が立った」
「だからたまにノリがヤンキーなんだけど雪季!」
腹立ちついでにグラスを干すと、遠ざけたはずの酒瓶を英が傾ける。止める間もなくたっぷりと注がれ、水割りにするどころか、氷を追加する余地もない。
睨み付けるが意に介さず、いつの間にか半分ほどに減っていた自分のグラスに、無造作に追加している。手を離したところで無言で取り上げ、酒瓶を再度遠ざける。
「…お前を巻き込んでも気にするのはやめることにする」
「どうぞー。俺だってがっつりお家騒動に巻き込んでるんだし、今更遠慮はいらないって」
巻き込むと言うが、そこには雇用が発生しているので問題が違う、と雪季は思うが、逃げ道を塞いだのは英なので考えるのはやめた。
先程の発言は本気だろうので、英の元を離れるのは英が雪季に興味を失うか、雪季か英のどちらかの死亡といったあたりになるのだろう。
それがどのくらいの付き合いになるのかはわからないが、長くなればなるほど、巻き込むことを恐れるのは時間の無駄のような気がしてきた。
問題は周囲の人だが、そこはもう、その時に考えるしかない。
グラスの酒を舐めるように含んで、甘やかな香りとアルコールの熱を喰らう。かなりいい酒のように思えるが、英が無造作に飲むのでいまいちありがたみが薄れてしまう。
「河東」
「ん?」
「黙って出て行ったりはしない」
「うん」
「ただ、当てつけに手を出すなら息の根を止める」
「…当てつけってわけじゃないんだけどなあ。あー、睨むなよ。わかってる、大丈夫やらないって。俺色気ある人が好きだし」
軽い調子に胡乱な視線を向けるが、へらりと笑い流される。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる