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「真柴、」
合鍵で無造作に扉を開けてから、たたきの男物の靴に気付いて言葉を呑み込んだ。
使い込まれてはいるが手入れのされた革靴だ。間柴ナツキのアシスタントや、あの兄や弟ではないだろう。編集者でも来ているのだろうかと、どう呼び掛けたものかと迷っているうちに、長身の男が顔をのぞかせた。
一目でしっかりとした社会人と判る服装と身形。初対面のはずだが、どこか既視感があり、雪季は内心首を傾げた。
「中原雪季君?」
「…はい」
「はじめまして、結愛の兄です。真柴裕哉」
上の義理の兄か、と、既視感の理由に気付く。わずかだが、下の兄と顔立ちに似通ったところがある。こうなると、二人の父親か母親も体格がいいのだろうか。
「上がって。結愛は寝てる」
「…おじゃまします」
「邪魔なのはむしろこっちだけど。悪いね、近くまで来たから寄ってみたら、被ったみたいで。君が来たら起こせって言われたんだけど、少し、いい?」
「…はい」
これで、結愛の兄弟との顔合わせは制覇してしまった。そのうち、両親とも顔を合わせる機会ができてしまうのではないかと、どう扱っていいのか見当もつかない感情とともに予想してしまう。
いつも結愛と向かい合うローテーブルで正面に向かい合い、座ってから、お茶を淹れようかと腰を浮かすが制された。
「仕事の途中ですぐに出るから、お気遣いなく。結愛が何かとお世話になっているようだから、お礼を…というのは建前で」
穏やかに淡々と、誠実そうな見かけそのままの声と視線を向けられ、雪季は言葉もない。結愛ごと、何もかもを騙しているのだと思うと、気が重い。
だが、結愛の兄は、生真面目に頭を下げた。
「弟が迷惑をかけたようで、申し訳ない」
「え」
「大樹が、上の弟が…あれも、悪気はないんだが、自分の言ったことがどう受け取られるかを考えてから言葉にするってことを全く覚えてくれなくて。不愉快な思いをさせただろう」
「…俺よりも、結愛さんの方が」
それどころかこの人は、その弟のせいで、家族一同の前で離婚理由を説明させられたのではなかっただろうか。それなのに代わりに頭を下げるんだなと、兄弟のいない雪季は、どこか不思議に思う。
深々と、ため息が落とされた。
「困ったことに、あまりに馬鹿すぎて周りの反応からまずいことを言ったかも知れない、くらいしか理解できてない」
「…少し手厳しいのでは」
「君にあれだけ言われてあまり反省していない、といえば手に負えなさをわかってもらえるだろうか」
ああ、と納得して、それを素直に態度に出してしまったことに気付いた雪季は、慌てて結愛の兄を見た。可笑しそうに、いくらか共犯者めいた笑みが返される。
なるほど結愛の兄だな、と思ってから、血は繋がっていないし兄妹になったのは十数年を生きた後だと気付くが、この二人はどこか似たところがある。それが、偶然なのか多少なりと一緒に育ったからなのかまでは、雪季には判らないが。
「これからも迷惑をかけるかもしれないが、何かあれば遠慮なくやり返してもらえるとありがたい。手が出るようなら、最悪、警察を呼んでもらってもいい」
「…躱すよう努力します」
完全な力尽くだと危ないが、あの程度ならいくらでもやりようはある。まさか、実の兄からお墨付きをもらうとは思わなかったが。
そして、そんなことを言いながらも嫌悪したり疎んだりしているわけではなさそうなところが不思議だ。身内だからなのか、この人の特性なのかは判らない。
しかし、結愛も、嫌ってはない。そういうものなのだろうか。
何かあった時のために、と連絡先を交換して、結愛の兄は帰って行った。
雪季としては、寝室に入るのは気が引けるので結愛を起こして行って欲しかったのだが、言い出せる雰囲気でもなかった。恋人のはずなのにそんなことを言えば、不審がられるだろう。
嘘などつくものではないなと、しみじみと頭を抱え込む。
「…ユキちゃん」
「真柴。起きたのか」
「起きてたけど出られなかった…だい兄すごくお兄ちゃんぽかったし」
それはどういう理由なのか。
とりあえず、這うようにして寝室から移動してきた結愛を座らせ、椅子の背にかけてあったカーディガンを着せかける。
「体調どうだ? 何か、食べるか飲むかするか?」
そもそも、会社でもらった大量のリンゴのおすそ分けに電話したところ、結愛の不調に気付いて仕事終わりに足を運んだのだ。まさか、そこで結愛の兄に遭遇するとは思ってもみなかった。
「ちょっとだるいくらいで、さっき測ったら微熱だった。大丈夫」
「…夕飯に、ご飯入れて煮るだけでいいようにしておく。リンゴ、先に食べるか?」
「ありがと」
立ち上がるが、結愛からの視線が外れない。どうしたのかと見返すと、長々と息を吐かれた。
「…何?」
「いったい何をどうやったら今までの恩返しができるのかさっぱりわからないなあ、と思って。甘えてばっかりだなって。ちぃ兄のことだって色々任せちゃったし。付き合ってるって嘘までつかせちゃったし。籍入れて、版権の相続権ユキちゃんにあげても返しきれないよね?」
「疲れてるときに馬鹿なこと考えるな。…好きでやってることだ、気にしなくていい」
「ええー」
「心配しなくても、俺も真柴からは色々ともらってるよ」
不思議そうな結愛を置いて、台所へと足を向けた。
雑炊の用意と、明日の朝にでも飲めるように、何かスープも作っておこう。その前にリンゴの皮を剥いて、と、算段を立てていく。
頭の片隅で、本当に結愛と結婚してあの兄の弟になったら身内扱いしてもらえるのだろうか、と考えた。それは、少しばかり楽しそうな気もした。
合鍵で無造作に扉を開けてから、たたきの男物の靴に気付いて言葉を呑み込んだ。
使い込まれてはいるが手入れのされた革靴だ。間柴ナツキのアシスタントや、あの兄や弟ではないだろう。編集者でも来ているのだろうかと、どう呼び掛けたものかと迷っているうちに、長身の男が顔をのぞかせた。
一目でしっかりとした社会人と判る服装と身形。初対面のはずだが、どこか既視感があり、雪季は内心首を傾げた。
「中原雪季君?」
「…はい」
「はじめまして、結愛の兄です。真柴裕哉」
上の義理の兄か、と、既視感の理由に気付く。わずかだが、下の兄と顔立ちに似通ったところがある。こうなると、二人の父親か母親も体格がいいのだろうか。
「上がって。結愛は寝てる」
「…おじゃまします」
「邪魔なのはむしろこっちだけど。悪いね、近くまで来たから寄ってみたら、被ったみたいで。君が来たら起こせって言われたんだけど、少し、いい?」
「…はい」
これで、結愛の兄弟との顔合わせは制覇してしまった。そのうち、両親とも顔を合わせる機会ができてしまうのではないかと、どう扱っていいのか見当もつかない感情とともに予想してしまう。
いつも結愛と向かい合うローテーブルで正面に向かい合い、座ってから、お茶を淹れようかと腰を浮かすが制された。
「仕事の途中ですぐに出るから、お気遣いなく。結愛が何かとお世話になっているようだから、お礼を…というのは建前で」
穏やかに淡々と、誠実そうな見かけそのままの声と視線を向けられ、雪季は言葉もない。結愛ごと、何もかもを騙しているのだと思うと、気が重い。
だが、結愛の兄は、生真面目に頭を下げた。
「弟が迷惑をかけたようで、申し訳ない」
「え」
「大樹が、上の弟が…あれも、悪気はないんだが、自分の言ったことがどう受け取られるかを考えてから言葉にするってことを全く覚えてくれなくて。不愉快な思いをさせただろう」
「…俺よりも、結愛さんの方が」
それどころかこの人は、その弟のせいで、家族一同の前で離婚理由を説明させられたのではなかっただろうか。それなのに代わりに頭を下げるんだなと、兄弟のいない雪季は、どこか不思議に思う。
深々と、ため息が落とされた。
「困ったことに、あまりに馬鹿すぎて周りの反応からまずいことを言ったかも知れない、くらいしか理解できてない」
「…少し手厳しいのでは」
「君にあれだけ言われてあまり反省していない、といえば手に負えなさをわかってもらえるだろうか」
ああ、と納得して、それを素直に態度に出してしまったことに気付いた雪季は、慌てて結愛の兄を見た。可笑しそうに、いくらか共犯者めいた笑みが返される。
なるほど結愛の兄だな、と思ってから、血は繋がっていないし兄妹になったのは十数年を生きた後だと気付くが、この二人はどこか似たところがある。それが、偶然なのか多少なりと一緒に育ったからなのかまでは、雪季には判らないが。
「これからも迷惑をかけるかもしれないが、何かあれば遠慮なくやり返してもらえるとありがたい。手が出るようなら、最悪、警察を呼んでもらってもいい」
「…躱すよう努力します」
完全な力尽くだと危ないが、あの程度ならいくらでもやりようはある。まさか、実の兄からお墨付きをもらうとは思わなかったが。
そして、そんなことを言いながらも嫌悪したり疎んだりしているわけではなさそうなところが不思議だ。身内だからなのか、この人の特性なのかは判らない。
しかし、結愛も、嫌ってはない。そういうものなのだろうか。
何かあった時のために、と連絡先を交換して、結愛の兄は帰って行った。
雪季としては、寝室に入るのは気が引けるので結愛を起こして行って欲しかったのだが、言い出せる雰囲気でもなかった。恋人のはずなのにそんなことを言えば、不審がられるだろう。
嘘などつくものではないなと、しみじみと頭を抱え込む。
「…ユキちゃん」
「真柴。起きたのか」
「起きてたけど出られなかった…だい兄すごくお兄ちゃんぽかったし」
それはどういう理由なのか。
とりあえず、這うようにして寝室から移動してきた結愛を座らせ、椅子の背にかけてあったカーディガンを着せかける。
「体調どうだ? 何か、食べるか飲むかするか?」
そもそも、会社でもらった大量のリンゴのおすそ分けに電話したところ、結愛の不調に気付いて仕事終わりに足を運んだのだ。まさか、そこで結愛の兄に遭遇するとは思ってもみなかった。
「ちょっとだるいくらいで、さっき測ったら微熱だった。大丈夫」
「…夕飯に、ご飯入れて煮るだけでいいようにしておく。リンゴ、先に食べるか?」
「ありがと」
立ち上がるが、結愛からの視線が外れない。どうしたのかと見返すと、長々と息を吐かれた。
「…何?」
「いったい何をどうやったら今までの恩返しができるのかさっぱりわからないなあ、と思って。甘えてばっかりだなって。ちぃ兄のことだって色々任せちゃったし。付き合ってるって嘘までつかせちゃったし。籍入れて、版権の相続権ユキちゃんにあげても返しきれないよね?」
「疲れてるときに馬鹿なこと考えるな。…好きでやってることだ、気にしなくていい」
「ええー」
「心配しなくても、俺も真柴からは色々ともらってるよ」
不思議そうな結愛を置いて、台所へと足を向けた。
雑炊の用意と、明日の朝にでも飲めるように、何かスープも作っておこう。その前にリンゴの皮を剥いて、と、算段を立てていく。
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