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閑話
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「やっぱりユキちゃんのご飯おいしいね」
「いや…鍋セットなんだから、誰が作っても同じだろ」
ご機嫌でお猪口に手を伸ばす結愛に水のグラスをつかませて、どう見ても食べるよりも飲む方が多い英の器に肉団子と白菜を放り込む。
気付くと、結愛にじっと見られていた。
「…何だ」
「ユキちゃん、鍋奉行通り越してお母さんみたいになってる」
英が盛大に噴き出して、雪季はしばし瞑目した。
煮込まれて溶けかかっている葛切りを、三人ともの器に移していく。だからそういうところ、という結愛の追い打ちは聞かなかったことにする。ついでに、英の笑い声がうるさいので、こたつの中で足蹴にしておく。
こたつに鍋というとても冬の日本らしい情景ながら、うっかり間違えて迷い込んだ異世界か、あるいは夢の中の出来事ではないだろうかとやや逃避もした。
それくらいに、年の瀬に結愛の部屋で結愛と英と鍋を囲むという情景が信じられない。
「雪季、大根おろしもうないんだけど」
「擦れ」
「俺が?」
「他に誰が?」
そっと伸ばしかけた結愛の手を留め、すりおろし板とセットで置いていた大根を英の前に押し出す。
やや不満げに、どこかおっかなびっくりといった態で大根をつかんだ英を見届けて、空いた銚子に酒を入れ、ぬる燗につけた。
はじめは、忙しい時期だけどお鍋を食べに来ませんか、との結愛の誘いだった。自分で買ったのかもらったのかすらあやふやな冷凍鍋セット(二~三人前)が賞味期限を迎えそうです、とのこと。
年末年始に実家に帰るときにでも持って行くか他に誘う当てはないのかとは訊いたのだが、要約すると、折角の機会だしたまには一緒にお鍋が食べたい、ということだった。しかし年の瀬も迫り、日中は空いていないし夜も、と思ったら一日だけ空いていた。
しかし夜はまずいだろう、と断ろうとしたところを英に掻っ攫われた。物理的に、携帯端末を。
雪季の手元に返って来た時には、葉月と英と雪季の三人が結愛の家に鍋を食べに行くことが決まっていた。
だからといってやめさせることはできただろうし、葉月が体調を崩して諦める、となった時にも中止なり延期なりをする口実には十分だった。
それなのに。
「なんで、ユキちゃんって呼んでるの?」
不意に投げ込まれた言葉に、雪季は思わず結愛を見た。そっくり同じように、結愛も雪季を見ていた。どちらが話す、と譲り合うような間を置いて、結愛が思い出すように視線をやや上に向けた。
その間雪季は、似たようなやり取りをしたことはなかっただろうかとひそかに首をひねる。それが夢の中の出来事だったとは覚えておらず、気のせいだろうかと終らせた。
「完全に、私の読み間違いで」
「ほう」
「雪季って書いてユキって読むのかなって。考えてみたら、一度も同じクラスになったことないんだよね、小学校半分くらいから高校までずっと同じ学校だったのに」
「え、でも、間違えてたらすぐ訂正しない? そのままあだ名にしちゃった?」
もう一度、雪季と結愛は顔を見合わせた。今度は譲られ、雪季がやや上を見る。
「多分…聞き流してた気がする」
「え?」
「大体一対一で話してたから、どう呼びかけられようと気にしてなかったというか」
「うん。ユキちゃんがユキちゃんって誰だって言ったのってずいぶんと後だった気がする。そのときにはもう、ユキちゃんで慣れちゃってて。それでいいよって言ってくれたからそのまま」
「他に人がいる場所で呼ばれる機会もなかったからいいかと」
何故か、話せば話すほどに英の顔に張り付いた薄い笑みが強固なものになっていく。そうして、顔を伏せるようにして大きくため息を落とす。
「…のろけ聞かされた気分」
「はぁ?」
「ええ?」
深々と息を吐いてから顔を戻した英は、今度は完璧な笑顔を見せつけた。いつもながらに、そのまま、何かの雑誌の表紙を飾れそうだ。
「じゃあ、俺もユキちゃんって呼んでいい?」
「断る」
「早。ずるい」
「うるさい。黙れ。そろそろご飯入れるか?」
後半は明らかに結愛に向けてで、英はわかりやすくふくれて見せたが、雪季はきっぱりと無視を通す。結愛は、そんな英をいいのかと伺うように雪季に目線で問いかけたが、ややあって小さく首を傾げた。
「仲良いね?」
「うん」
「…用意するぞ」
軽く額を押さえてから、雪季は、炊いてあるご飯を取りに立ち上がる。何故か、英がついて来た。
思わず胡乱な目を向けると、肩をすくめて返される。
「トイレ借りるねー」
「どうぞー」
トイレはキッチンを抜けた奥なので、流しに身を寄せて道を開ける。それなのに英は、こちらも身を寄せて来る。
「なんだかんだ言って、二人は付き合い損ねてるだけなんだと思ってた」
思い切り強い、英の言う「コンビニ前にたむろするひねた高校生のような」声を上げそうになって、飲み込む。狭い部屋なので、ごく普通に話すだけでも結愛に筒抜けだ。
一応、英も声を潜めている。
「少なくとも、向こうは、愛情はたっぷりとあっても全然色恋は含んでなさそう。あんな人間もいるんだな」
「…人間規模か」
「男も女も、いくつになったって大好きだろ、コイバナ」
「……」
何をどう返したものか言葉を見つけられず、雪季は、英の足を軽く蹴って追い立て、当初の目的通りに炊飯器を開ける。熱いくらいの湯気が上がる。
あまりに毒っ気のない様子に、結愛への妙な干渉は防げそうだが、果たして喜んでいいことなのだろうかと首をひねらずにはいられなかった。
「いや…鍋セットなんだから、誰が作っても同じだろ」
ご機嫌でお猪口に手を伸ばす結愛に水のグラスをつかませて、どう見ても食べるよりも飲む方が多い英の器に肉団子と白菜を放り込む。
気付くと、結愛にじっと見られていた。
「…何だ」
「ユキちゃん、鍋奉行通り越してお母さんみたいになってる」
英が盛大に噴き出して、雪季はしばし瞑目した。
煮込まれて溶けかかっている葛切りを、三人ともの器に移していく。だからそういうところ、という結愛の追い打ちは聞かなかったことにする。ついでに、英の笑い声がうるさいので、こたつの中で足蹴にしておく。
こたつに鍋というとても冬の日本らしい情景ながら、うっかり間違えて迷い込んだ異世界か、あるいは夢の中の出来事ではないだろうかとやや逃避もした。
それくらいに、年の瀬に結愛の部屋で結愛と英と鍋を囲むという情景が信じられない。
「雪季、大根おろしもうないんだけど」
「擦れ」
「俺が?」
「他に誰が?」
そっと伸ばしかけた結愛の手を留め、すりおろし板とセットで置いていた大根を英の前に押し出す。
やや不満げに、どこかおっかなびっくりといった態で大根をつかんだ英を見届けて、空いた銚子に酒を入れ、ぬる燗につけた。
はじめは、忙しい時期だけどお鍋を食べに来ませんか、との結愛の誘いだった。自分で買ったのかもらったのかすらあやふやな冷凍鍋セット(二~三人前)が賞味期限を迎えそうです、とのこと。
年末年始に実家に帰るときにでも持って行くか他に誘う当てはないのかとは訊いたのだが、要約すると、折角の機会だしたまには一緒にお鍋が食べたい、ということだった。しかし年の瀬も迫り、日中は空いていないし夜も、と思ったら一日だけ空いていた。
しかし夜はまずいだろう、と断ろうとしたところを英に掻っ攫われた。物理的に、携帯端末を。
雪季の手元に返って来た時には、葉月と英と雪季の三人が結愛の家に鍋を食べに行くことが決まっていた。
だからといってやめさせることはできただろうし、葉月が体調を崩して諦める、となった時にも中止なり延期なりをする口実には十分だった。
それなのに。
「なんで、ユキちゃんって呼んでるの?」
不意に投げ込まれた言葉に、雪季は思わず結愛を見た。そっくり同じように、結愛も雪季を見ていた。どちらが話す、と譲り合うような間を置いて、結愛が思い出すように視線をやや上に向けた。
その間雪季は、似たようなやり取りをしたことはなかっただろうかとひそかに首をひねる。それが夢の中の出来事だったとは覚えておらず、気のせいだろうかと終らせた。
「完全に、私の読み間違いで」
「ほう」
「雪季って書いてユキって読むのかなって。考えてみたら、一度も同じクラスになったことないんだよね、小学校半分くらいから高校までずっと同じ学校だったのに」
「え、でも、間違えてたらすぐ訂正しない? そのままあだ名にしちゃった?」
もう一度、雪季と結愛は顔を見合わせた。今度は譲られ、雪季がやや上を見る。
「多分…聞き流してた気がする」
「え?」
「大体一対一で話してたから、どう呼びかけられようと気にしてなかったというか」
「うん。ユキちゃんがユキちゃんって誰だって言ったのってずいぶんと後だった気がする。そのときにはもう、ユキちゃんで慣れちゃってて。それでいいよって言ってくれたからそのまま」
「他に人がいる場所で呼ばれる機会もなかったからいいかと」
何故か、話せば話すほどに英の顔に張り付いた薄い笑みが強固なものになっていく。そうして、顔を伏せるようにして大きくため息を落とす。
「…のろけ聞かされた気分」
「はぁ?」
「ええ?」
深々と息を吐いてから顔を戻した英は、今度は完璧な笑顔を見せつけた。いつもながらに、そのまま、何かの雑誌の表紙を飾れそうだ。
「じゃあ、俺もユキちゃんって呼んでいい?」
「断る」
「早。ずるい」
「うるさい。黙れ。そろそろご飯入れるか?」
後半は明らかに結愛に向けてで、英はわかりやすくふくれて見せたが、雪季はきっぱりと無視を通す。結愛は、そんな英をいいのかと伺うように雪季に目線で問いかけたが、ややあって小さく首を傾げた。
「仲良いね?」
「うん」
「…用意するぞ」
軽く額を押さえてから、雪季は、炊いてあるご飯を取りに立ち上がる。何故か、英がついて来た。
思わず胡乱な目を向けると、肩をすくめて返される。
「トイレ借りるねー」
「どうぞー」
トイレはキッチンを抜けた奥なので、流しに身を寄せて道を開ける。それなのに英は、こちらも身を寄せて来る。
「なんだかんだ言って、二人は付き合い損ねてるだけなんだと思ってた」
思い切り強い、英の言う「コンビニ前にたむろするひねた高校生のような」声を上げそうになって、飲み込む。狭い部屋なので、ごく普通に話すだけでも結愛に筒抜けだ。
一応、英も声を潜めている。
「少なくとも、向こうは、愛情はたっぷりとあっても全然色恋は含んでなさそう。あんな人間もいるんだな」
「…人間規模か」
「男も女も、いくつになったって大好きだろ、コイバナ」
「……」
何をどう返したものか言葉を見つけられず、雪季は、英の足を軽く蹴って追い立て、当初の目的通りに炊飯器を開ける。熱いくらいの湯気が上がる。
あまりに毒っ気のない様子に、結愛への妙な干渉は防げそうだが、果たして喜んでいいことなのだろうかと首をひねらずにはいられなかった。
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