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短編
お祭りの夜
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浴衣姿の人達が行き交う。多分あの人達は、私がここにいるなんて知らない。
奇妙な感じがした。悲しいとか、淋しいとかいうのとは違って。ただ…なんだろう、私はいなくてもいいのかもしれないと思う。それは、絶望なんかじゃなくて、不思議と落ち着いた感覚。
「そんなところで何やってるの?」
パーカーにハーフパンツの男の子…いや、女の子かな。とにかく、小学生くらい。その子が、不意に声をかけてきた。
「気持ち悪いとか? 誰か呼んできた方がいい?」
心配そうな声。天使みたいだと一瞬見取れて、慌てて首を振った。
「ちょっと疲れただけ。ありがとう、大丈夫よ」
「そう?」
「うん。もう帰るところだし。あなたこそ一人でいていいの? 誰かと一緒じゃないの?」
「あたしは…」
「アキラ! 迷子になるなよな」
声と共に、浴衣姿の高校生くらいの男の人が走ってくる。下駄の音が、雑踏に紛れながら小さく響く。凄く感じのいい人。その人は、女の子の肩をつかんだ。走ってきて疲れたらしく、息が切れている。
アキラという女の子は、そんな様子も気にせずに笑顔で返した。
「ロクダイは?」
「あいつも、いなくなって…」
「じゃあ、あたしだけが迷子ってわけじゃないじゃない」
男の人が、真面目に考えるような表情をした。なんだか、かわいく思えてしまう。…こんな人が、クラスにいたらなあ。
「失礼」
近くで声がして、下駄を脱がされた。瞬間、痛みがはしる。
「ロクダイ」
私が声をあげるよりも早く、アキラちゃんが言った。もう一人は、驚き、次いで、呆れたような表情になった。
「変質者だぜ、それ」
「何か言うたか」
その人は、同じく浴衣姿で二人の方を見上げた。
しゃがんでいてはっきりはわからないけど、きっと背は高いだろう。その背中が、何故かお父さんに似て見える。だけど、私を見た顔は、まだ二十代くらいで、おまけに凄くかっこ良かった。
「軽く擦っておるな。帰ってから消毒した方が良いぞ」
そう言って、濡らしたハンカチで傷を拭き、手早くどこかから出してきた包帯を足に巻いてくれる。なんだか、恥ずかしい。
応急処置は、すぐに終った。
「それにしても、二人揃って気付かんとは。情けないのう」
「そんなこと言われたって、座ってたんだし」
「セイギ。ロクダイにそれは通用しないって。女の人のことは鋭いからね」
「人間じゃないくらいにな」
セイギ…さんが呟いて、ロクダイさんに睨まれる。それを、アキラちゃんが笑って見ている。凄く、仲が良さそう。
「家まで送ろうか?」
ロクダイさんが言って、他の二人も肯くように私を見る。夜祭の喧騒が、どこか遠くで聞こえる。
それは、『お約束』の言葉だったから。お祭からきりあげる、合図だった。『当然でしょ』って、応えてた。一年、経ったのに。
「どうして…」
泣いていた。どうしようもなくて、ただ、涙が止まらない。
誰かが肩に手を置いてくれるのだけがわかって、やっぱりそれは、お父さんに似ていた。だから余計に。
中学生になったのに色気も何もないなって言われた。折角なんだから、浴衣くらい着てみたらどうだって。一回も着て見せなかった浴衣に、涙がシミをつくっていく。
「…ごめんなさい。急に泣いたりして」
「慣れてるから」
「そうじゃないだろ」
「無理をすることはない。我慢ばかりしても、辛くなるだけじゃよ」
ロクダイさんが、優しく微笑んでいる。やっぱり凄くかっこ良くて、お父さんになんて似ても似つかないのに。どうしてこんなに重ねて見てしまうんだろう。
「わしらで良ければ、話を聞くよ」
丁度一年前に、お父さんが死んで。毎年、お父さんとお母さんが離婚してからも、この夏祭りに二人で来ていて。浴衣なんてはじめて着た。もう、大丈夫なはずなのに。馬鹿みたい、ひたっちゃって。
支離滅裂なことばかり、言った。
自分でもよくわからない。何を、言ってるんだろうって。それでも、三人は静かに、同情じゃない優しさで聞いていてくれた。
「大好きだったんだね。お父さんのこと」
「…うん。いつまでも、こんな風に引き摺ってちゃ駄目だってわかってる。でも…」
「今日くらいは構わぬじゃろう」
穏やかな瞳。
驚くほど静かに、気が静まっていく。大丈夫だと、思えてくる。不思議だった。
見知らぬ、ただの通りすがりの人なのに。
「…ありがとうございます。そろそろ帰ります、私」
「送ろう」
「送ろうか?」
ロクダイさんとセイギさんが、揃って言う。二人は顔を見合わせると、小さく唸った。
「無理しなくていいんだぜ、御老体」
「危なっかしくて見ては居れぬよ、若造」
「あはは。ごめんねー、馬鹿ばっかで。二人で送ればいいのにねえ?」
一番子供のはずのアキラちゃんが、一番落ち着いたことを言う。少し面白くて、ついつい笑ってしまった。
ロクダイさんが微苦笑して、セイギさんが少し情けないようなカオをする。
「いえ。大丈夫です。すぐそこだから。それじゃあ、本当にありがとうございました!」
かっこいい二人に送ってもらえるというのは凄く魅力的だったけど、一人で帰ることにした。もう大丈夫なのだと、確信したかったのだろう。
――ねえ、お父さん。忘れるつもりはないけど、もうお祭りがあっても泣かないよ。
浴衣姿の青年二人に普段着の子ども一人の三人組は、浴衣姿の少女を見送っていたが、近付いてきた人影に振り返った。
「ありがとう」
そこに立つのは、いささか体のたるんだ、四十前後と思しき男だった。長くはないのにまとまりのない髪と、怒っているのかと間違えるような見開かれた瞳。
冴えない中年と呼べなくもない、男だった。
「こんなことを頼んで、すまなかったね」
寂しそうな声に、彰が首を振る。
「お互い様だよ。こういった抜け道は、大概が使ってるからね。同僚なんだし。情けは人の為ならず、だよ」
「…なんだか、その姿でそういうことを言われると驚くなあ。本当は私よりもずっと先輩なんだと思い出すよ」
「中身と外見の差がありすぎるんだよな、彰は」
「それを言うならセイギなんて、ぴったりすぎて困るよね。そのまま中身の成長なんて来ないんじゃないかと思うよねー」
「くっ」
じゃれ合う彰とセイギをいくらかまぶしそうに見やる男に並んで、ロクダイは立っていた。片手には扇子がある。
「素直なお嬢さんじゃな」
「ええ。…素直すぎて。良かったですよ、泣き止んでくれて。私のためになんて泣いてくれなくても、良かったんですよ。身勝手な親だったんだから」
夜の闇に紛れて、四人は佇んでいた。
奇妙な感じがした。悲しいとか、淋しいとかいうのとは違って。ただ…なんだろう、私はいなくてもいいのかもしれないと思う。それは、絶望なんかじゃなくて、不思議と落ち着いた感覚。
「そんなところで何やってるの?」
パーカーにハーフパンツの男の子…いや、女の子かな。とにかく、小学生くらい。その子が、不意に声をかけてきた。
「気持ち悪いとか? 誰か呼んできた方がいい?」
心配そうな声。天使みたいだと一瞬見取れて、慌てて首を振った。
「ちょっと疲れただけ。ありがとう、大丈夫よ」
「そう?」
「うん。もう帰るところだし。あなたこそ一人でいていいの? 誰かと一緒じゃないの?」
「あたしは…」
「アキラ! 迷子になるなよな」
声と共に、浴衣姿の高校生くらいの男の人が走ってくる。下駄の音が、雑踏に紛れながら小さく響く。凄く感じのいい人。その人は、女の子の肩をつかんだ。走ってきて疲れたらしく、息が切れている。
アキラという女の子は、そんな様子も気にせずに笑顔で返した。
「ロクダイは?」
「あいつも、いなくなって…」
「じゃあ、あたしだけが迷子ってわけじゃないじゃない」
男の人が、真面目に考えるような表情をした。なんだか、かわいく思えてしまう。…こんな人が、クラスにいたらなあ。
「失礼」
近くで声がして、下駄を脱がされた。瞬間、痛みがはしる。
「ロクダイ」
私が声をあげるよりも早く、アキラちゃんが言った。もう一人は、驚き、次いで、呆れたような表情になった。
「変質者だぜ、それ」
「何か言うたか」
その人は、同じく浴衣姿で二人の方を見上げた。
しゃがんでいてはっきりはわからないけど、きっと背は高いだろう。その背中が、何故かお父さんに似て見える。だけど、私を見た顔は、まだ二十代くらいで、おまけに凄くかっこ良かった。
「軽く擦っておるな。帰ってから消毒した方が良いぞ」
そう言って、濡らしたハンカチで傷を拭き、手早くどこかから出してきた包帯を足に巻いてくれる。なんだか、恥ずかしい。
応急処置は、すぐに終った。
「それにしても、二人揃って気付かんとは。情けないのう」
「そんなこと言われたって、座ってたんだし」
「セイギ。ロクダイにそれは通用しないって。女の人のことは鋭いからね」
「人間じゃないくらいにな」
セイギ…さんが呟いて、ロクダイさんに睨まれる。それを、アキラちゃんが笑って見ている。凄く、仲が良さそう。
「家まで送ろうか?」
ロクダイさんが言って、他の二人も肯くように私を見る。夜祭の喧騒が、どこか遠くで聞こえる。
それは、『お約束』の言葉だったから。お祭からきりあげる、合図だった。『当然でしょ』って、応えてた。一年、経ったのに。
「どうして…」
泣いていた。どうしようもなくて、ただ、涙が止まらない。
誰かが肩に手を置いてくれるのだけがわかって、やっぱりそれは、お父さんに似ていた。だから余計に。
中学生になったのに色気も何もないなって言われた。折角なんだから、浴衣くらい着てみたらどうだって。一回も着て見せなかった浴衣に、涙がシミをつくっていく。
「…ごめんなさい。急に泣いたりして」
「慣れてるから」
「そうじゃないだろ」
「無理をすることはない。我慢ばかりしても、辛くなるだけじゃよ」
ロクダイさんが、優しく微笑んでいる。やっぱり凄くかっこ良くて、お父さんになんて似ても似つかないのに。どうしてこんなに重ねて見てしまうんだろう。
「わしらで良ければ、話を聞くよ」
丁度一年前に、お父さんが死んで。毎年、お父さんとお母さんが離婚してからも、この夏祭りに二人で来ていて。浴衣なんてはじめて着た。もう、大丈夫なはずなのに。馬鹿みたい、ひたっちゃって。
支離滅裂なことばかり、言った。
自分でもよくわからない。何を、言ってるんだろうって。それでも、三人は静かに、同情じゃない優しさで聞いていてくれた。
「大好きだったんだね。お父さんのこと」
「…うん。いつまでも、こんな風に引き摺ってちゃ駄目だってわかってる。でも…」
「今日くらいは構わぬじゃろう」
穏やかな瞳。
驚くほど静かに、気が静まっていく。大丈夫だと、思えてくる。不思議だった。
見知らぬ、ただの通りすがりの人なのに。
「…ありがとうございます。そろそろ帰ります、私」
「送ろう」
「送ろうか?」
ロクダイさんとセイギさんが、揃って言う。二人は顔を見合わせると、小さく唸った。
「無理しなくていいんだぜ、御老体」
「危なっかしくて見ては居れぬよ、若造」
「あはは。ごめんねー、馬鹿ばっかで。二人で送ればいいのにねえ?」
一番子供のはずのアキラちゃんが、一番落ち着いたことを言う。少し面白くて、ついつい笑ってしまった。
ロクダイさんが微苦笑して、セイギさんが少し情けないようなカオをする。
「いえ。大丈夫です。すぐそこだから。それじゃあ、本当にありがとうございました!」
かっこいい二人に送ってもらえるというのは凄く魅力的だったけど、一人で帰ることにした。もう大丈夫なのだと、確信したかったのだろう。
――ねえ、お父さん。忘れるつもりはないけど、もうお祭りがあっても泣かないよ。
浴衣姿の青年二人に普段着の子ども一人の三人組は、浴衣姿の少女を見送っていたが、近付いてきた人影に振り返った。
「ありがとう」
そこに立つのは、いささか体のたるんだ、四十前後と思しき男だった。長くはないのにまとまりのない髪と、怒っているのかと間違えるような見開かれた瞳。
冴えない中年と呼べなくもない、男だった。
「こんなことを頼んで、すまなかったね」
寂しそうな声に、彰が首を振る。
「お互い様だよ。こういった抜け道は、大概が使ってるからね。同僚なんだし。情けは人の為ならず、だよ」
「…なんだか、その姿でそういうことを言われると驚くなあ。本当は私よりもずっと先輩なんだと思い出すよ」
「中身と外見の差がありすぎるんだよな、彰は」
「それを言うならセイギなんて、ぴったりすぎて困るよね。そのまま中身の成長なんて来ないんじゃないかと思うよねー」
「くっ」
じゃれ合う彰とセイギをいくらかまぶしそうに見やる男に並んで、ロクダイは立っていた。片手には扇子がある。
「素直なお嬢さんじゃな」
「ええ。…素直すぎて。良かったですよ、泣き止んでくれて。私のためになんて泣いてくれなくても、良かったんですよ。身勝手な親だったんだから」
夜の闇に紛れて、四人は佇んでいた。
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