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短編
夏参り
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暑い。暑すぎる。夏だからって、冗談じゃない。汲んだばかりの水も、すぐにぬるくなりそうな暑さ。地面が土のここでさえこれなら、道路なんて歩こうものなら…。
本当は、もっと色々と考えなきゃならないこと――例えば、大学受験のこととか――があるのに。そんな気にもなれなくて、ただ暑さにうなっている。
「ごめんね、おばあちゃん。こんな口実になんて使っちゃって」
私の他には誰もいない。最近じゃあ、お墓参りなんて人、少ないのかもしれない。まあ、私の家族だって今頃は沖縄にでもいるんだろうけど。なんだって、こんな暑い季節に暑いところに行きたがるんだろう。
「大体、あの人たちは向こうに行ったってクーラーの効いたホテルにいるほうが多いに決まってるのよね。あーあ、バカバカしい」
「え?」
「……え?」
人が、いた。
誰もいないと思ったのは見間違いだった。墓石の陰になってて気付かなかったんだ。恥ずかしすぎ…。それに、おばあちゃんのお墓の前にいたんじゃ避けようもない。変な格好だけど、結構いい線いってるのに。
「あ、あの、そのお墓に何か用ですか?」
びっくりした顔が、すぐに優しい、でもどこか陰のある表情に変わる。ひょっとして、「結構」どころか「かなり」かっこいい?
「知り合いがここに眠っておってな。…毎年この日は、どうしても来てしまうんじゃよ」
「知り合い?」
「そうじゃが、それが何か?」
「それって、おばあちゃん…上田八重のこと、ですか?」
「お前さんは、八重さんの孫なのか?」
見掛けに似合わない、今時お年寄りでも使わないような言葉遣いなのに、なぜかしっくりときた。
こんな…二十歳ぐらいで美形の、時代がかった喋り方と着物を着た人が、おばあちゃんの知り合い?
言っちゃなんだけど、おばあちゃんは全く普通の人だった。そこそこ優しくて厳しい人。どこの町にも一人はいそうな、「おばあちゃん」。こんな、いろんな意味で人目をひくような人と知り合いだったなんて、信じられない。
「よりによって今日、か」
「何が、ですか?」
「ああ…。今日は、ちょいと因縁のある日でな。なあ…あの人は、幸せだったか…?」
「幸せ?」
優しかったおばあちゃん。笑顔が多かった。でもそれは「幸せ」の証拠にはならない。
「そんなの、わからないよ」
その人が淋しげな顔をして初めて、自分が声に出してしまっていたことに気付いた。
「変なことを訊いてしまって、悪かった。気にしないでくれぬか」
「あっ、待って、違うの。そうじゃなくて、ただ、本当にわからなくて、だから…」
行き掛けた体が、止まる。振り向いた顔は、逆光に遮られて見えなかった。でも、その口元に微笑が浮かんでいるのは判った。人によっては嫌味にも見えるのに、全然嫌な感じはなくて、やっぱり淋しそうに見えた。
「おばあちゃん、いつも笑ってたから。どんなこと愚痴っても、笑って聞いてくれて。でも、時々だけど、本当に時々だけど、凄く淋しそうなかおしてたの」
仏壇のある自分の部屋で、一人で座ってるときなんかに。私が声をかけられないでいると、おばあちゃんの方が気付いてくれて、そこにはすぐに優しい笑顔が浮かんでいた。
「古いボタン握って、泣いてたの見たことがあるの。大切な人がたった一つだけ残したものだって。…おじいちゃんよりも先に結婚してた人がいたんだって。でも、一ヶ月も一緒にいられないうちに、死んじゃったんだって」
なんでこんなこと言ってるんだろう。
この人がかっこいいから? もっと何か、会っていられる理由が欲しいから?
違う、と思いたいけど、よくわからない。なんだろう。黙っていたらいけない気がする。あのまま放っていては、いけない気がする。
「おじいちゃんも好きだけど、でも絶対にその人は忘れないんだって。命の恩人で―― 一番、大切な人だって」
眼が合った。
「だから、私にはわからないの。大切な人がいなくなって、その後の幸せがどんな重みを持つのか。それが本当に、幸せなのか」
戦争が終わってすぐだったって。これで一緒に暮らせるねって、言っているときだったって。徴兵にとられることもないからって。物を盗むところを見てしまって、その犯人と眼があってしまって。
動けなかったんだよ。どうして、動かなかったんだろうね。どうして、見てしまったんだろうね。どうして、ススムさんは私なんかを助けたんだろうね。
おばあちゃんは、ずっとその人を覚えていた。その瞬間を。
「ありがとう。大切な話を、聞かせてくれて」
「全然、話まとまってなくて…」
「お前さん、名は?」
「え。あ。和歌、です。上田和歌。万葉集なんかの和歌です」
「…和歌さん、お前さんは、八重さんのことが好きだったか?」
優しい眼をしている。おばあちゃんの眼を、思い出す。淋しそうなのに、凄く優しそうで。
「大好きです」
家族で一番。たくさん相談に乗ってもらったのに、もういないんだ。もう、会えないんだ。
「無理はせん方が良いよ」
頭に手が置かれる。自分が、泣きそうになっていることに気付いた。お葬式も実感がなくて、泣けなかった。来てた人たちは、雨が降って嫌だねなんて話をしていた。和歌ちゃんも受験生なのに大変ね、なんて。泣けなかった。
私は、暑さも忘れて泣き出していた。
和歌の姿を見送ってから、征は八重の墓を見た。少し、影が長くなっている。他に人はいない。手を、墓に置いた。
「八重。例え自己満足でも、君を護れて良かったと思うよ」
頭上では、傾いた太陽が照り付けていた。
本当は、もっと色々と考えなきゃならないこと――例えば、大学受験のこととか――があるのに。そんな気にもなれなくて、ただ暑さにうなっている。
「ごめんね、おばあちゃん。こんな口実になんて使っちゃって」
私の他には誰もいない。最近じゃあ、お墓参りなんて人、少ないのかもしれない。まあ、私の家族だって今頃は沖縄にでもいるんだろうけど。なんだって、こんな暑い季節に暑いところに行きたがるんだろう。
「大体、あの人たちは向こうに行ったってクーラーの効いたホテルにいるほうが多いに決まってるのよね。あーあ、バカバカしい」
「え?」
「……え?」
人が、いた。
誰もいないと思ったのは見間違いだった。墓石の陰になってて気付かなかったんだ。恥ずかしすぎ…。それに、おばあちゃんのお墓の前にいたんじゃ避けようもない。変な格好だけど、結構いい線いってるのに。
「あ、あの、そのお墓に何か用ですか?」
びっくりした顔が、すぐに優しい、でもどこか陰のある表情に変わる。ひょっとして、「結構」どころか「かなり」かっこいい?
「知り合いがここに眠っておってな。…毎年この日は、どうしても来てしまうんじゃよ」
「知り合い?」
「そうじゃが、それが何か?」
「それって、おばあちゃん…上田八重のこと、ですか?」
「お前さんは、八重さんの孫なのか?」
見掛けに似合わない、今時お年寄りでも使わないような言葉遣いなのに、なぜかしっくりときた。
こんな…二十歳ぐらいで美形の、時代がかった喋り方と着物を着た人が、おばあちゃんの知り合い?
言っちゃなんだけど、おばあちゃんは全く普通の人だった。そこそこ優しくて厳しい人。どこの町にも一人はいそうな、「おばあちゃん」。こんな、いろんな意味で人目をひくような人と知り合いだったなんて、信じられない。
「よりによって今日、か」
「何が、ですか?」
「ああ…。今日は、ちょいと因縁のある日でな。なあ…あの人は、幸せだったか…?」
「幸せ?」
優しかったおばあちゃん。笑顔が多かった。でもそれは「幸せ」の証拠にはならない。
「そんなの、わからないよ」
その人が淋しげな顔をして初めて、自分が声に出してしまっていたことに気付いた。
「変なことを訊いてしまって、悪かった。気にしないでくれぬか」
「あっ、待って、違うの。そうじゃなくて、ただ、本当にわからなくて、だから…」
行き掛けた体が、止まる。振り向いた顔は、逆光に遮られて見えなかった。でも、その口元に微笑が浮かんでいるのは判った。人によっては嫌味にも見えるのに、全然嫌な感じはなくて、やっぱり淋しそうに見えた。
「おばあちゃん、いつも笑ってたから。どんなこと愚痴っても、笑って聞いてくれて。でも、時々だけど、本当に時々だけど、凄く淋しそうなかおしてたの」
仏壇のある自分の部屋で、一人で座ってるときなんかに。私が声をかけられないでいると、おばあちゃんの方が気付いてくれて、そこにはすぐに優しい笑顔が浮かんでいた。
「古いボタン握って、泣いてたの見たことがあるの。大切な人がたった一つだけ残したものだって。…おじいちゃんよりも先に結婚してた人がいたんだって。でも、一ヶ月も一緒にいられないうちに、死んじゃったんだって」
なんでこんなこと言ってるんだろう。
この人がかっこいいから? もっと何か、会っていられる理由が欲しいから?
違う、と思いたいけど、よくわからない。なんだろう。黙っていたらいけない気がする。あのまま放っていては、いけない気がする。
「おじいちゃんも好きだけど、でも絶対にその人は忘れないんだって。命の恩人で―― 一番、大切な人だって」
眼が合った。
「だから、私にはわからないの。大切な人がいなくなって、その後の幸せがどんな重みを持つのか。それが本当に、幸せなのか」
戦争が終わってすぐだったって。これで一緒に暮らせるねって、言っているときだったって。徴兵にとられることもないからって。物を盗むところを見てしまって、その犯人と眼があってしまって。
動けなかったんだよ。どうして、動かなかったんだろうね。どうして、見てしまったんだろうね。どうして、ススムさんは私なんかを助けたんだろうね。
おばあちゃんは、ずっとその人を覚えていた。その瞬間を。
「ありがとう。大切な話を、聞かせてくれて」
「全然、話まとまってなくて…」
「お前さん、名は?」
「え。あ。和歌、です。上田和歌。万葉集なんかの和歌です」
「…和歌さん、お前さんは、八重さんのことが好きだったか?」
優しい眼をしている。おばあちゃんの眼を、思い出す。淋しそうなのに、凄く優しそうで。
「大好きです」
家族で一番。たくさん相談に乗ってもらったのに、もういないんだ。もう、会えないんだ。
「無理はせん方が良いよ」
頭に手が置かれる。自分が、泣きそうになっていることに気付いた。お葬式も実感がなくて、泣けなかった。来てた人たちは、雨が降って嫌だねなんて話をしていた。和歌ちゃんも受験生なのに大変ね、なんて。泣けなかった。
私は、暑さも忘れて泣き出していた。
和歌の姿を見送ってから、征は八重の墓を見た。少し、影が長くなっている。他に人はいない。手を、墓に置いた。
「八重。例え自己満足でも、君を護れて良かったと思うよ」
頭上では、傾いた太陽が照り付けていた。
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