月夜の猫屋

来条恵夢

文字の大きさ
37 / 73
短編

夏参り

しおりを挟む
 暑い。暑すぎる。夏だからって、冗談じゃない。んだばかりの水も、すぐにぬるくなりそうな暑さ。地面が土のここでさえこれなら、道路なんて歩こうものなら…。
 本当は、もっと色々と考えなきゃならないこと――例えば、大学受験のこととか――があるのに。そんな気にもなれなくて、ただ暑さにうなっている。
「ごめんね、おばあちゃん。こんな口実になんて使っちゃって」
 私の他には誰もいない。最近じゃあ、お墓参りなんて人、少ないのかもしれない。まあ、私の家族だって今頃は沖縄にでもいるんだろうけど。なんだって、こんな暑い季節に暑いところに行きたがるんだろう。
「大体、あの人たちは向こうに行ったってクーラーの効いたホテルにいるほうが多いに決まってるのよね。あーあ、バカバカしい」
「え?」
「……え?」
 人が、いた。
 誰もいないと思ったのは見間違いだった。墓石の陰になってて気付かなかったんだ。恥ずかしすぎ…。それに、おばあちゃんのお墓の前にいたんじゃ避けようもない。変な格好だけど、結構いい線いってるのに。
「あ、あの、そのお墓に何か用ですか?」
 びっくりした顔が、すぐに優しい、でもどこか陰のある表情に変わる。ひょっとして、「結構」どころか「かなり」かっこいい?
「知り合いがここに眠っておってな。…毎年この日は、どうしても来てしまうんじゃよ」
「知り合い?」
「そうじゃが、それが何か?」
「それって、おばあちゃん…上田八重うえだやえのこと、ですか?」
「お前さんは、八重さんの孫なのか?」
 見掛けに似合わない、今時お年寄りでも使わないような言葉遣いなのに、なぜかしっくりときた。
 こんな…二十歳ぐらいで美形の、時代がかった喋り方と着物を着た人が、おばあちゃんの知り合い?
 言っちゃなんだけど、おばあちゃんは全く普通の人だった。そこそこ優しくて厳しい人。どこの町にも一人はいそうな、「おばあちゃん」。こんな、いろんな意味で人目をひくような人と知り合いだったなんて、信じられない。
「よりによって今日、か」
「何が、ですか?」
「ああ…。今日は、ちょいと因縁のある日でな。なあ…あの人は、幸せだったか…?」
「幸せ?」
 優しかったおばあちゃん。笑顔が多かった。でもそれは「幸せ」の証拠にはならない。
「そんなの、わからないよ」
 その人が淋しげな顔をして初めて、自分が声に出してしまっていたことに気付いた。
「変なことを訊いてしまって、悪かった。気にしないでくれぬか」
「あっ、待って、違うの。そうじゃなくて、ただ、本当にわからなくて、だから…」
 行き掛けた体が、止まる。振り向いた顔は、逆光に遮られて見えなかった。でも、その口元に微笑が浮かんでいるのは判った。人によっては嫌味にも見えるのに、全然嫌な感じはなくて、やっぱり淋しそうに見えた。
「おばあちゃん、いつも笑ってたから。どんなこと愚痴っても、笑って聞いてくれて。でも、時々だけど、本当に時々だけど、凄く淋しそうなかおしてたの」
 仏壇のある自分の部屋で、一人で座ってるときなんかに。私が声をかけられないでいると、おばあちゃんの方が気付いてくれて、そこにはすぐに優しい笑顔が浮かんでいた。
「古いボタン握って、泣いてたの見たことがあるの。大切な人がたった一つだけ残したものだって。…おじいちゃんよりも先に結婚してた人がいたんだって。でも、一ヶ月も一緒にいられないうちに、死んじゃったんだって」
 なんでこんなこと言ってるんだろう。
 この人がかっこいいから? もっと何か、会っていられる理由が欲しいから?
 違う、と思いたいけど、よくわからない。なんだろう。黙っていたらいけない気がする。あのまま放っていては、いけない気がする。
「おじいちゃんも好きだけど、でも絶対にその人は忘れないんだって。命の恩人で―― 一番、大切な人だって」
 眼が合った。
「だから、私にはわからないの。大切な人がいなくなって、その後の幸せがどんな重みを持つのか。それが本当に、幸せなのか」
 戦争が終わってすぐだったって。これで一緒に暮らせるねって、言っているときだったって。徴兵にとられることもないからって。物を盗むところを見てしまって、その犯人と眼があってしまって。
 動けなかったんだよ。どうして、動かなかったんだろうね。どうして、見てしまったんだろうね。どうして、ススムさんは私なんかを助けたんだろうね。 
 おばあちゃんは、ずっとその人を覚えていた。その瞬間を。
「ありがとう。大切な話を、聞かせてくれて」
「全然、話まとまってなくて…」
「お前さん、名は?」
「え。あ。和歌わか、です。上田和歌。万葉集なんかの和歌です」
「…和歌さん、お前さんは、八重さんのことが好きだったか?」
 優しい眼をしている。おばあちゃんの眼を、思い出す。淋しそうなのに、凄く優しそうで。
「大好きです」
 家族で一番。たくさん相談に乗ってもらったのに、もういないんだ。もう、会えないんだ。
「無理はせん方が良いよ」
 頭に手が置かれる。自分が、泣きそうになっていることに気付いた。お葬式も実感がなくて、泣けなかった。来てた人たちは、雨が降って嫌だねなんて話をしていた。和歌ちゃんも受験生なのに大変ね、なんて。泣けなかった。
 私は、暑さも忘れて泣き出していた。

 和歌の姿を見送ってから、すすむは八重の墓を見た。少し、影が長くなっている。他に人はいない。手を、墓に置いた。
「八重。例え自己満足でも、君を護れて良かったと思うよ」
 頭上では、傾いた太陽が照り付けていた。   
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

処理中です...