月夜の猫屋

来条恵夢

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短編

月夜の猫屋 活動日記2

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 ――よりにもよって?
 正義まさよしは、わずかに口の端を持ち上げた。口元に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。陰のある笑みに、あきらやロクダイが居合せれば、どのような表情をしただろうか。
 一つ息を吐いて、目的地へ向かう。交差点の中央。そこには、大学生くらいの男が一人、立ち尽くしていた。
 見覚えがある。そのはずだ、数年前まで、いやというほど付き合わせていた顔。多少変わったとはいえ、見間違えるはずがない。

「うわすっげー、芸術品! なんでこんなの作れんの?」
 つややかに光る飴色のアップルパイに目を輝かせ、正義は歓声を上げた。焼き立てなので、香ばしい匂いがする。尊敬の眼差しを送るかのように美月みつきを見つめると、照れたような笑顔がそれに応えた。
「どこの班も似たようなものだよ。パイ生地だって、市販のシートだったし」
「ちょっとセイギ、勝手に食べたら殴るわよっ」
 少し離れた位置で紅茶をらしている祐子ゆうこが、こぶしを見せつける。
「なんだよ、ほとんど美月ちゃんが作ったようなもんじゃないか。お前が威張いばって言うなよ」
「班行動。授業中だってこと忘れてるでしょ、アンタ」
「出来たら食べていーって言ってたじゃん」
「紅茶がまだ」
 きっぱりと言いきられて、首をすくめる。
「ちぇ。…なあなあ、美月ちゃん、こんど俺に差し入れ作ってきてよ。今週末、試合だし」
「おい」
 机越しに身を乗り出していたところを、襟首をつかんで引き戻される。正義は、「ぐえっ」と、多少大袈裟に声を上げた。
「…んだよ、パン屋」
「人の彼女に手ぇ―出すなって」
 仏頂面を作っている友人がいた。長い付き合いの正義には、それが、実は笑いを噛み殺しているのだということが判る。
 元々、この男と美月は、正義が引き合わせたようなものだった。
「なんだ、自信ないのか? ま、しょーがねーよな―。俺のがずっと、優しくてかっこいいんだからな」
「バカがほざいてら」

 正義は、交差点の中央で、体をすりぬけていく車に戸惑っている男を、歩道まで引っ張っていった。その必要はないのだが、気分の問題だ。
「車に体すり抜けられて、楽しいか?」
「なっ………おま…っ……! 成仏してなかったのか!?」
 本心から、苦笑する。
 もっとこだわりを感じると思ったが、こうなってみると、一気に時間が引き戻される。記憶よりも多少大人びた友人に、正義は、彰を真似まねて人の悪い笑みを浮かべた。
「俺、信仰心ないからな。仏教徒じゃないし。成仏は出来ないよ」
 成仏というのは、仏教用語だ。だから、仏教徒でなければできはしない。だが相手には、その意は伝わらなかったようだった。肩をつかみ、真剣な表情で。
「寺行こう、寺! おはらい代くらい、俺が出すから」
「お前、自分もその状況だってことわかってっか?」
 はっとして立ち止まる姿に、本気で忘れてたなコイツ、と心中呟く。頭を抱えて黙り込む友人を、正義は複雑な思いで眺めていた。
 ――いっそ、死んでりゃ楽だったんだけどな。
 胸中を、くらい感情がよぎる。
 今、この男は危ういところにいる。死ぬ予定ではないが、このままの状態でいれば、一日ともたないだろう。自分が、何も言わずにいれば――…。
「こうなったら、一緒に探そう。古典とかであるだろ、お経読んでたぼーさんのおかげで成仏できたとかって」
 そういえば国語好きだったんだよな、コイツ。で、数学系全然駄目で、生物の簡単な計算も出来なくて。よく、二人がかりで教えていた。
「なあ、美月ちゃん、今どうしてる? ついでに祐子も」
 一瞬驚いたように、正義を見る。その表情は、全くと言っていいほどに変わっていなかった。
「…あいつ、泣くかな。――まだ付き合ってたんだよ、俺達。…祐子とは、大学離れてろくに会ってないんだけど…」
光秀みつひで
 恥ずかしいから呼ぶな、と言われていた下の名前に、呼ばれた方は眉をひそめる。でもせめて、これくらいの嫌がらせはしてやりたい。
「お前、帰れよ。見えるだろ。道」
 光秀のそれは、道というよりも割れ目クレバスに似ていた。大きい。それだけ、生命力が強い。
 正義は、光秀をそこに突き落とした。見開かれた瞳に、今、自分はどう映っているだろう。
「皆によろしくな、光秀」
 届いただろうか。それ以前に、ここでのことを覚えているだろうか。大半は、こういったときの記憶は、残っていないものだ。
 割れ目が閉じるのを確認すると、正義は伸びをした。
「さーて」
 帰ろう。
 紅玉でも買って、久々に生地からのアップルパイを作ろうか。小麦粉は十分にあったはずだが、バターは買わないとな。そんな計画を素早く立てながら、正義の口元には微笑が浮かんでいた。あのときは、見ているだけだったのに。
 ――変わったな。
 時間は、誰にも平等に。いつか、あのくらい想いさえ、懐かしめるようになるだろうか。
 正義は、信号を待って道路を渡った。 
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