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中編
第四幕5
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「ここから離れた所に行っててくれないか。行きすぎても危ないから、離れすぎないところに」
「危ない」の意味を悟って、ゆかりは息を呑んだ。
ここにいると危ないとわかるのだが、もし他の「死者」にも襲われたらどうなるだろうと考えてしまうと、足が竦んでなかなか動かなかった。
その間にも、人影は大きくなっていく。判別できるほどになった人影に、セイギは口の端をわずかに持ち上げた。
「よお」
声が出せることが、ちゃんと考えられることが、不思議だった。一言冗談だと言われれば信じたくなるくらいに、それほどに訪れてほしくなかった状況。
真っ直ぐに突き出される棒を避けて、鳩尾を力いっぱい殴る。棒のためらいのない動きに、もう駄目だと確信する。
棒を持つ手を狙って蹴り上げると、一瞬だけ手が緩んで、すぐに持ち直した。再び突き出される棒を寸前で逃れて、足払いをかける。
倒れたが、セイギも動けなかった。
「全部お前に習ったんだぜ…? なあ、なんでだよ…ロクダイ、なんでだよ…っ」
起きあがって自分に向けて棒を構えるのを、ただ見ていた。
「――セイギ!」
強い声に、眼をつぶる。
走ってきた彰は、二人の間に割って入った。眼だけは前に向けたまま、口からはしっかりとした言葉が出る。
「ばかセイギ、あたしがいないからってぼうっとしてるんじゃないよ」
「悪ぃ…」
いつもと変わらない声に、泣きたくなる。
何も出来ない自分。わかっていて、割りきれない自分。なんて弱いんだろうと、強く思う。そして同じくらい、動じない彰に苛立ちを憶える。
ついさっきまで一緒にいたのに。笑って、話してたのに。
泣きそうになる。
「セイギ。これはロクダイじゃない」
動かない二人を、改めてセイギは見た。彰は少し、怒ったような顔をしている。それは、誰に対してだろう。
「突っ立ってるだけなら、あっち行ってて。あたしだって守れるかわからないんだよ。あっちで何かあったとき、守るのも仕事だってわかってるよね。――これ相手じゃなかったら、まだましに動けるでしょ」
「彰!」
その言い方はないだろうと言うのを、かろうじて堪えた。少し考えればわかるはずだ。動じてない――誰が。
「だって、言ったんだよ。ああはなりたくないって、ロクダイが言ったんだ」
反応のないそれを見据えて、彰が先に動いた。
待っていたかのように突き出された棒を凪ぎ、棒ごと手首をつかんで足払いをかける。捉えていた手を足で押さえつけて、倒れた体に両手で棒を構える。
自我を失えば、何も残らない。油断すれば、つらさに手を緩めてしまえば、被害が拡大するだけだ。それは、ロクダイの望んだことではない。
何人目だろう。棒を握り締めて、彰は思った。今まで、何人こうやって仲間を葬ってきただろう。普段の仕事と大差ないはずなのに、何故知っているだけで、こんなにもつらいのだろう。
重力のままに、棒を下ろす。
「――ばいばい。ロクダイ」
涙も出なかった。
「危ない」の意味を悟って、ゆかりは息を呑んだ。
ここにいると危ないとわかるのだが、もし他の「死者」にも襲われたらどうなるだろうと考えてしまうと、足が竦んでなかなか動かなかった。
その間にも、人影は大きくなっていく。判別できるほどになった人影に、セイギは口の端をわずかに持ち上げた。
「よお」
声が出せることが、ちゃんと考えられることが、不思議だった。一言冗談だと言われれば信じたくなるくらいに、それほどに訪れてほしくなかった状況。
真っ直ぐに突き出される棒を避けて、鳩尾を力いっぱい殴る。棒のためらいのない動きに、もう駄目だと確信する。
棒を持つ手を狙って蹴り上げると、一瞬だけ手が緩んで、すぐに持ち直した。再び突き出される棒を寸前で逃れて、足払いをかける。
倒れたが、セイギも動けなかった。
「全部お前に習ったんだぜ…? なあ、なんでだよ…ロクダイ、なんでだよ…っ」
起きあがって自分に向けて棒を構えるのを、ただ見ていた。
「――セイギ!」
強い声に、眼をつぶる。
走ってきた彰は、二人の間に割って入った。眼だけは前に向けたまま、口からはしっかりとした言葉が出る。
「ばかセイギ、あたしがいないからってぼうっとしてるんじゃないよ」
「悪ぃ…」
いつもと変わらない声に、泣きたくなる。
何も出来ない自分。わかっていて、割りきれない自分。なんて弱いんだろうと、強く思う。そして同じくらい、動じない彰に苛立ちを憶える。
ついさっきまで一緒にいたのに。笑って、話してたのに。
泣きそうになる。
「セイギ。これはロクダイじゃない」
動かない二人を、改めてセイギは見た。彰は少し、怒ったような顔をしている。それは、誰に対してだろう。
「突っ立ってるだけなら、あっち行ってて。あたしだって守れるかわからないんだよ。あっちで何かあったとき、守るのも仕事だってわかってるよね。――これ相手じゃなかったら、まだましに動けるでしょ」
「彰!」
その言い方はないだろうと言うのを、かろうじて堪えた。少し考えればわかるはずだ。動じてない――誰が。
「だって、言ったんだよ。ああはなりたくないって、ロクダイが言ったんだ」
反応のないそれを見据えて、彰が先に動いた。
待っていたかのように突き出された棒を凪ぎ、棒ごと手首をつかんで足払いをかける。捉えていた手を足で押さえつけて、倒れた体に両手で棒を構える。
自我を失えば、何も残らない。油断すれば、つらさに手を緩めてしまえば、被害が拡大するだけだ。それは、ロクダイの望んだことではない。
何人目だろう。棒を握り締めて、彰は思った。今まで、何人こうやって仲間を葬ってきただろう。普段の仕事と大差ないはずなのに、何故知っているだけで、こんなにもつらいのだろう。
重力のままに、棒を下ろす。
「――ばいばい。ロクダイ」
涙も出なかった。
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