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中編
第四幕1
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とりやが月夜の猫屋の店内から死者リストを運んできたとき、三人は桜の中にいた。
俯いたまま座り込んでいるゆかり。桜の木の根元に、背を向けて腰掛けているセイギ。彰は、木に寄りかかって舞う花びらを見ていた。
とりやの姿に気付いた彰が、一度目を閉じる。開くと、微笑を浮かべた。
「ありがとう、とりやさん。ごめんね。手間かけさせちゃって」
クー、と鳩特有の高い声を出して、器用に首を振る。そして、彰の手元にあるのとは別の、持ち主もなく木に立て掛けられた棒を見て、哀しげにないた。
彰は、その頭を優しく撫でると、とりやを空に放った。ここに届けさせたことも、かなり無理をさせている。まだ仕事は終っていないはずだ。
「またね、とりやさん」
そう声をかけた彰自身が、その言葉の不確かさをよく知っていた。約束が絶対だと信じていたのは、もうずっと前のことだ。
白い鳩を見送ってから頭を降って考えを切り替えると、彰は死者リストを広げた。何度か念押しに繰り返し読むと、封筒に戻す。
顔を上げると、少し赤いセイギの眼と視線が合った。静かに肯く。
「ゆかり、これからどうするか決めよう」
彰の声に、無言で座り込んでいたゆかりが顔を上げる。自分よりも年少に見える少女は、最初と変わらず元気で優しそうに見えた。
「…どう、って…」
「まず、謝らないといけない。あなたはまだ、完全には死んでない」
「……え?」
「判断ミスだった。どこにいるとかどういう状態なのかとかはわからないけど、死んでないことは確かなんだ。ごめん」
「で…も…でも、だって私は…確かに事故に遭って…それに、セイギさんだって…見分けられるって…」
語尾の消える反論に肯いて、セイギを見る。だがセイギは首を振った。今口を開けば、何を言うかわからない。
「わかり難いときもあるんだ。死んだのにまだ生きられる人とか――この生きられる人っていうのは、あたしたちみたいに中途半端にじゃなくてちゃんと百パーセント人間でってことだけど。そんな人とか、凄く死にたがってる人とか」
ゆかりが、目を見開く。信じられない。だが一方では、酷く納得がいった。
「私…」
「泣きたいなら、後で好きなだけ泣けばいい。今は、生きるのか逝くのか決めるのが先」
「でも…っ、今、生きてるって…」
「うん、まだ死んでない。でもこのままここにいれば、遠くない未来に死ぬことになる」
魂が長く肉体を離れると死ぬという話を、ゆかりは思い出していた。このままここにいれば、死ねるのだろうか。痛さもなく、もうつらさも感じなくてすむようになるのか。そしてそれは――翼を手に入れることになるだろうか。
その考えに、真理の言葉が突き刺さった。
「どうする? 勝手な言い方で悪いけど、あたしたちにはあなたにどのくらいの時間が残されてるのかわからない。戻ることが出来なくて、でも生きたいと思いながらここを歩いてても、逝くことはできない」
「それは、どういう…」
「生に執着してれば、『死者』になる」
ロクダイの体が塵のように消えた場面を思い出す。ついさっきのことだ。
ロクダイとセイギから遠ざかり、始めは目も耳も塞いでいた。だがそのうち、気になって恐る恐る様子を覗った。
彰がロクダイを踏みつけ、棒を突き立てた全てを、ゆかりも見ていた。
「で、でも…本当に私…生きてるんですか…?」
本当に死にたいと思っていたのか。普通ならわかるというセイギが、間違えるほどに。
だが彰は、あっさりと肯いた。
「このリストに載ってないから、まだ死ぬ予定ではないよ」
ひょっとしたら手遅れかもしれないけど、という言葉は飲み込む。
あのときリストを見たのはロクダイだけだったから、確認するためにとりやに持ってきてもらった。リストを見た時点で何も言わなかったのは、あのとき既に思うところがあったからだろうか。
それは、彰にとってもいつ訪れてもおかしくない感情だろう。
「どうする。生きる? 逝く?」
「でも私…逝けるの…?」
「じゃ、戻る?」
「だけど…」
彰は、溜息をついた。一度、深呼吸をする
俯いたまま座り込んでいるゆかり。桜の木の根元に、背を向けて腰掛けているセイギ。彰は、木に寄りかかって舞う花びらを見ていた。
とりやの姿に気付いた彰が、一度目を閉じる。開くと、微笑を浮かべた。
「ありがとう、とりやさん。ごめんね。手間かけさせちゃって」
クー、と鳩特有の高い声を出して、器用に首を振る。そして、彰の手元にあるのとは別の、持ち主もなく木に立て掛けられた棒を見て、哀しげにないた。
彰は、その頭を優しく撫でると、とりやを空に放った。ここに届けさせたことも、かなり無理をさせている。まだ仕事は終っていないはずだ。
「またね、とりやさん」
そう声をかけた彰自身が、その言葉の不確かさをよく知っていた。約束が絶対だと信じていたのは、もうずっと前のことだ。
白い鳩を見送ってから頭を降って考えを切り替えると、彰は死者リストを広げた。何度か念押しに繰り返し読むと、封筒に戻す。
顔を上げると、少し赤いセイギの眼と視線が合った。静かに肯く。
「ゆかり、これからどうするか決めよう」
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「まず、謝らないといけない。あなたはまだ、完全には死んでない」
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「で…も…でも、だって私は…確かに事故に遭って…それに、セイギさんだって…見分けられるって…」
語尾の消える反論に肯いて、セイギを見る。だがセイギは首を振った。今口を開けば、何を言うかわからない。
「わかり難いときもあるんだ。死んだのにまだ生きられる人とか――この生きられる人っていうのは、あたしたちみたいに中途半端にじゃなくてちゃんと百パーセント人間でってことだけど。そんな人とか、凄く死にたがってる人とか」
ゆかりが、目を見開く。信じられない。だが一方では、酷く納得がいった。
「私…」
「泣きたいなら、後で好きなだけ泣けばいい。今は、生きるのか逝くのか決めるのが先」
「でも…っ、今、生きてるって…」
「うん、まだ死んでない。でもこのままここにいれば、遠くない未来に死ぬことになる」
魂が長く肉体を離れると死ぬという話を、ゆかりは思い出していた。このままここにいれば、死ねるのだろうか。痛さもなく、もうつらさも感じなくてすむようになるのか。そしてそれは――翼を手に入れることになるだろうか。
その考えに、真理の言葉が突き刺さった。
「どうする? 勝手な言い方で悪いけど、あたしたちにはあなたにどのくらいの時間が残されてるのかわからない。戻ることが出来なくて、でも生きたいと思いながらここを歩いてても、逝くことはできない」
「それは、どういう…」
「生に執着してれば、『死者』になる」
ロクダイの体が塵のように消えた場面を思い出す。ついさっきのことだ。
ロクダイとセイギから遠ざかり、始めは目も耳も塞いでいた。だがそのうち、気になって恐る恐る様子を覗った。
彰がロクダイを踏みつけ、棒を突き立てた全てを、ゆかりも見ていた。
「で、でも…本当に私…生きてるんですか…?」
本当に死にたいと思っていたのか。普通ならわかるというセイギが、間違えるほどに。
だが彰は、あっさりと肯いた。
「このリストに載ってないから、まだ死ぬ予定ではないよ」
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あのときリストを見たのはロクダイだけだったから、確認するためにとりやに持ってきてもらった。リストを見た時点で何も言わなかったのは、あのとき既に思うところがあったからだろうか。
それは、彰にとってもいつ訪れてもおかしくない感情だろう。
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「でも私…逝けるの…?」
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「だけど…」
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