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そうして、事態は終わる
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「記憶。戻った」
「ええと…良かった、の、よね…?」
「弟がいた。弟は強くて、誰よりも強かったから命を狙われて、そのくらい簡単にあしらっていた。俺は、足手まといでも弟と一緒にいた。記憶をなくして、置いて行かれた。そのくらい、あいつなら簡単に戻せただろうに。俺も、あいつにとっては他の奴と変わらず邪魔なだけだったってことか」
独り言なのか私に聞かせたいのかがわからない、ぼんやりとした言葉。
響にも――悪魔でも、家族がいるのか。
「命を狙われるのなら、巻き込みたくなかったのではないの?」
応えはない。…放してもくれない。
「響。あのー、多分だけど、これ結構間抜けな絵面になってるのじゃないかと思うのだけど」
だから放してほしいなあ、と。この言葉自体が間抜けだと思いつつも、言わずにはいられない。
淋しくなった時に抱きしめるぬいぐるみのような感覚なのかもしれないけど、私は物言わぬぬいぐるみではなくていろいろと考えたりもする人だ。
記憶を失っていたという響がそれを取り戻して、この先何かが変わるのかもしれないけれど、とりあえず顔を合わせるのをためらいそうになるような、妙なことは避けたい。
響がどうも思っていなくても、私の方で意識してしまえば気まずい。
考えるような間を置いてから、響はむくりと上体を起こした。私を抱えたまま。
おかげで、響の膝に座って抱き寄せられているような状態だ。放してくれそうな気配が全くない。むしろ余計に、よくわからない体勢になってしまった。
「あのね、響?」
「あいつのことはよく覚えてないが、俺や弟を恨んでる奴なんて、掃いて捨てるほどいる。お互い様だが、それくらいのことはやって来た。本当は…こんなふうに、晧の側にいていいはずは、ないんだ」
「…はい?」
「わかってる。わかってる、つもりなんだ…」
響の鼓動が、少し早くなっているのがわかる。本当に、本気で、そう思っているのだろうけど。
「響、メフィストフェレスとファウスト博士の話、知ってたわよね?」
「……?」
「他にも知ってる? ベルゼブブとか、ルシファーとか、私たち人間がたくさんの悪魔に名前を付けていて、そういった話をあちこちに残していること。どのくらい、本当のことが含まれているのかは知らないけれど」
「ああ…一通りは…」
「それなら。私は響のことを悪魔だと思っているけど、そもそも悪魔に、清廉潔白なイメージを持っているとは思わないとは思わないの?」
絶句したのがわかった。抱きしめられているせいで顔は見られないけど、表情はまず間違いなく固まっているだろう。
悪魔、という言葉は元々は仏教用語でキリスト教の諸々の翻訳の時に流用したらしいけれど、元の意味でもいい意味ではない。悟りを邪魔する、つまりは厄介者だし取り除きたい障害だ。
流用された先でも、人を退廃へと導く者とのイメージは強く、元の仏教用語そのままと言えばそのままだ。
「響が今までどんなことをしてきていても、それでもいいと思って手を取ったのよ。その上、私と一緒にいるときの響は、心配になるくらいに誠実だし私のことを大切にしてくれる。そんなことを言われても、今更すぎるわ」
「…記憶が戻って、今までとは同じにならないかも知れない」
「でも今、やっぱりあなたは心配になるくらいに誠実だと思うわよ?」
狡賢くて自分勝手で、裏切りや退廃が大好物。そんな悪魔のイメージを、響にはどうにも適用できない。それはきっと、出会った時からずっと。
「響、少し腕をゆるめて。逃げたりしないから」
私を抱きしめたままなのは、恐れているからなのだろう。放せば、変わってしまったという響の元から去るのではないかと。
今の私の状態で、逃げ出すどころか響に去られてしまうといろいろと成り立たなくなるのはこちらの方だとは気付きもしていないのではないだろうか。
切羽詰った時、視野が狭くなるのはごく普通だろうとは思うけど。一体、これまでにどれだけどんな酷いことをしてきたというのだろう。
だけど、ゆるめられた腕の中から響を見上げると、出会った時と変わらなかった。むしろ、わかりやすい。
「迷子みたいな目をしているなと、出会った時に思ったの。本当に迷子だったのね」
不安そうに揺れる目に、笑いかける。伸ばした手で頭をなでると、響の顔が泣きそうに歪んだ。
「響が私と一緒にいてくれるなら嬉しい。これからも、よろしくお願いします」
「…っ」
再びそっと抱きしめられて、あやすように、その背を軽く叩いた。
「ええと…良かった、の、よね…?」
「弟がいた。弟は強くて、誰よりも強かったから命を狙われて、そのくらい簡単にあしらっていた。俺は、足手まといでも弟と一緒にいた。記憶をなくして、置いて行かれた。そのくらい、あいつなら簡単に戻せただろうに。俺も、あいつにとっては他の奴と変わらず邪魔なだけだったってことか」
独り言なのか私に聞かせたいのかがわからない、ぼんやりとした言葉。
響にも――悪魔でも、家族がいるのか。
「命を狙われるのなら、巻き込みたくなかったのではないの?」
応えはない。…放してもくれない。
「響。あのー、多分だけど、これ結構間抜けな絵面になってるのじゃないかと思うのだけど」
だから放してほしいなあ、と。この言葉自体が間抜けだと思いつつも、言わずにはいられない。
淋しくなった時に抱きしめるぬいぐるみのような感覚なのかもしれないけど、私は物言わぬぬいぐるみではなくていろいろと考えたりもする人だ。
記憶を失っていたという響がそれを取り戻して、この先何かが変わるのかもしれないけれど、とりあえず顔を合わせるのをためらいそうになるような、妙なことは避けたい。
響がどうも思っていなくても、私の方で意識してしまえば気まずい。
考えるような間を置いてから、響はむくりと上体を起こした。私を抱えたまま。
おかげで、響の膝に座って抱き寄せられているような状態だ。放してくれそうな気配が全くない。むしろ余計に、よくわからない体勢になってしまった。
「あのね、響?」
「あいつのことはよく覚えてないが、俺や弟を恨んでる奴なんて、掃いて捨てるほどいる。お互い様だが、それくらいのことはやって来た。本当は…こんなふうに、晧の側にいていいはずは、ないんだ」
「…はい?」
「わかってる。わかってる、つもりなんだ…」
響の鼓動が、少し早くなっているのがわかる。本当に、本気で、そう思っているのだろうけど。
「響、メフィストフェレスとファウスト博士の話、知ってたわよね?」
「……?」
「他にも知ってる? ベルゼブブとか、ルシファーとか、私たち人間がたくさんの悪魔に名前を付けていて、そういった話をあちこちに残していること。どのくらい、本当のことが含まれているのかは知らないけれど」
「ああ…一通りは…」
「それなら。私は響のことを悪魔だと思っているけど、そもそも悪魔に、清廉潔白なイメージを持っているとは思わないとは思わないの?」
絶句したのがわかった。抱きしめられているせいで顔は見られないけど、表情はまず間違いなく固まっているだろう。
悪魔、という言葉は元々は仏教用語でキリスト教の諸々の翻訳の時に流用したらしいけれど、元の意味でもいい意味ではない。悟りを邪魔する、つまりは厄介者だし取り除きたい障害だ。
流用された先でも、人を退廃へと導く者とのイメージは強く、元の仏教用語そのままと言えばそのままだ。
「響が今までどんなことをしてきていても、それでもいいと思って手を取ったのよ。その上、私と一緒にいるときの響は、心配になるくらいに誠実だし私のことを大切にしてくれる。そんなことを言われても、今更すぎるわ」
「…記憶が戻って、今までとは同じにならないかも知れない」
「でも今、やっぱりあなたは心配になるくらいに誠実だと思うわよ?」
狡賢くて自分勝手で、裏切りや退廃が大好物。そんな悪魔のイメージを、響にはどうにも適用できない。それはきっと、出会った時からずっと。
「響、少し腕をゆるめて。逃げたりしないから」
私を抱きしめたままなのは、恐れているからなのだろう。放せば、変わってしまったという響の元から去るのではないかと。
今の私の状態で、逃げ出すどころか響に去られてしまうといろいろと成り立たなくなるのはこちらの方だとは気付きもしていないのではないだろうか。
切羽詰った時、視野が狭くなるのはごく普通だろうとは思うけど。一体、これまでにどれだけどんな酷いことをしてきたというのだろう。
だけど、ゆるめられた腕の中から響を見上げると、出会った時と変わらなかった。むしろ、わかりやすい。
「迷子みたいな目をしているなと、出会った時に思ったの。本当に迷子だったのね」
不安そうに揺れる目に、笑いかける。伸ばした手で頭をなでると、響の顔が泣きそうに歪んだ。
「響が私と一緒にいてくれるなら嬉しい。これからも、よろしくお願いします」
「…っ」
再びそっと抱きしめられて、あやすように、その背を軽く叩いた。
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