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三、知っている人と知らない人
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問一、最近読んだ本を答えてください。
問二、好きな本をひとつ挙げてください。
問三、覚えている限りではじめて読んだ本は何ですか?
問四、印象深かった本をひとつ挙げてください。
問五、春といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問六、夏といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問七、秋といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問八、冬といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問九、ロマンチックな本をひとつ挙げてください。
問十、怖かった本をひとつ挙げてください。
番外、何かあればどうぞ。
読書部の入部試験に時間制限はなく、珍妙なものを見た、と言わんばかりのかおをしたうちの数人は、馬鹿らしいといった捨て台詞を吐いて視聴覚教室を後にした。
問と問の間はたっぷりと空白が取ってあり、これは本の題名以外も期待してるのかなと思いつつ、司は、回答を考えてみた。
問一は、『現代民話考』の十巻。送り狼について、知識のおさらいをしたくて書棚から引き抜いた。
問二は、ひとつと言われても困るので措いておく。
問三は、題名は覚えていないが、ふかふかと毛皮の気持ち良さそうなねずみの出てくる絵本。話の筋など覚えていないのだが、眼鏡をかけたねずみが可愛らしくて、何故か巨大だと思い込んでいた司は、抱きついたら気持ちいいだろうなと思ったのを覚えている。
問四は、『はてしない物語』。本の内容よりも、それとつながった装丁に射抜かれた。
問五は、小学生一年の教科書に載っていた、熊が花の種を落とす話。
問六は、『夜の神話』だろうか。あるいは、『ぼくらのミステリー学園』。
問七は、…料理の本、というのは反則だろうか。月見団子の作り方の載ったレシピ本があったはずだ。
問八は、『火よう日のごちそうはひきがえる』。冬の話だったかどうか自信はないが、雪の描写があったような気がする。
問九は、これも題名は覚えていない、科学者たちのいろいろなエピソードをまとめたノン・フィクション。それか、科学者のエッセイ集でもいい。科学者なんてものは、夢想家でなければ到底やっていられないと思う。
問十、聖書。
ざっと考えてみて、児童書が多いことに気付いて苦笑する。幼年期よりも現在の方が多く読んでいるはずなのに、案外こんなものなのだろうか。
そして、それぞれの問いに回答を思い浮かべながら、司は、白紙のままの解答用紙を置いて席を立った。名前すら書いていない。
隣の席では、ルナが楽しそうに書き込んでいる。ちらりと見た解答用紙は、小さな可愛らしい文字で着々と埋まっていた。案外、入部する気になったのかもしれない。
まだそれなりの人数のいる教室を後にした司は、すぐ隣を割り当てられている図書室に行こうかと思ったが、そこには、入部試験を放棄した生徒が数人、溜まって諒を囲んでいた。舌打ちしたい思いで背を向ける。
諒が司書教諭になるのを認めたのは間違いだったかもしれない。せっかくの憩いの場が、ひとつ減った。
そうして向かった駐輪場では、宮凪が待ち構えていた。足はとりあえず治ったらしく、松葉杖はついていない。そうすると、合宿中の松葉杖は、念のためか、あるいは、なるべく参加を避けるためのポーズだったのかもしれない。
思わず、溜息がこぼれ落ちる。平穏な学校生活を送らせてください。
「ちょっといい?」
「良くないですさようなら」
じゃ、と手を上げて自転車にまたがるが、気付けば荷台を押さえられている。見るからにか弱そうな宮凪につかまれたところで発進できるが、下手をしたら怪我をさせかねない。
はあぁ、と息を吐いて、司はクラスメイトの美少女を見た。
文句なしの和風美人で、艶やかな髪は見事に長い。輪郭のはっきりとした体ではないが、姿勢がいいところが高得点。ブレザーの制服よりも古典的なセーラー服の方が似合いそうで、それは少しばかり残念だ、と考えると諒の思考が感染ったようで、司は少しだけ顔をしかめた。
ルナ情報によると家の手伝いで巫女をしていたりするそうだが、ストーカー手前のファンがいてもおかしくなさそうだ。
「話があるの」
「そう。こっちにはないんだけど」
「はじめに声をかけて来たのはそっちでしょう?!」
「はいはいはい。長引く?」
え、という形に小さく開かれた口を眺め、司は頭をかいた。
「話長くなるなら、場所を移そう。自覚があるのかないのか知らないけど、あなたは結構な有名人なんだ。それでなくても、目立つ容姿だし。こちらとしては、有名人になるのは避けたいんだよね」
諒でもいれば、手遅れだ、あるいは、無理だ、とでも突っ込んだだろうが、相手は初対面に等しい。黙り込んだところからすると、自分が有名人との自覚はあるようだ。
「坂を下りたら信号渡って、そのままひたすら真っ直ぐ、郵便局を右に曲がって少し行ったあたりに、気球屋って喫茶店があるからそこで。歩いて十分そこそこ。自転車ならもっと早い」
「逃げるつもり?」
「逃げてどうする。明日も明後日も、下手をしたらこの先三年間毎日顔を会わせるってのに? 心配なら、鞄貸して。交換」
「交換?」
「こっちの分だけ預けてもいいけど、二人分持つ? 罰ゲームじゃあるまいし」
肩をすくめ、前かごに突っ込んでいた制かばんを差し出す。荷台にくくりつけるよう言われているが、納まるからいいじゃないかと不精をしている。
宮凪はきゅっと唇を引き結び、渋々とかばんを受け取った。代わりに、見た目は大差がないのに妙に重い、宮凪の鞄が渡される。
「じゃあ、後で」
荷台から手が離れているのを確認し、司は、ひらりと手を振ってペダルをこいだ。
坂をほぼブレーキをかけずに走り下り、信号近くで緩めのブレーキと自転車を横にして勢いを殺す。すぐに変わった信号を渡り、この間太郎と行ったばかりのメルヘンチックな喫茶店へと向かった。閉まっていたらどうしよう、と一瞬考えたが、ドアにかけられた板は「OPEN」が表になっている。
「いらっしゃいませー」
軽やかに、大学生くらいだろう女性店員の声が響く。
カウンターに座る、堅気と思いがたい雰囲気を発する中年男は、もしや、太郎の同僚だろうか。そう言えば、引き継ぎは片付いたが残り二件は手付かずだ。帰りに病院に寄ってみるかなと考える。
そんなことを考えながら、入ってすぐ目に付くよう、入り口真正面の奥のテーブルに着く。今日は大人しくパフェだけをたのんだ。
宮凪が到着したのは、既に半分ほど、司がパフェに手をつけた頃だった。注文に迷い、パフェが出てくるまでに、十分は確実に経過していたはずなのだが。
「歩きだった?」
「…自転車よ」
これは道に迷ったな、と思ったが、指摘しないでおく。果たして、迷うような道だっただろうか。
座った宮凪の目の前に水の入ったグラスが置かれ、ポニーテールの店員が、ご注文は後ほどお伺いします、と言い置いて去って行った。
とりあえずかばんを交換し直し、なにやら困惑顔の宮凪に、司は首をかしげた。
「お金、持って来てなかった?」
「あるわよ。……こういうことろ、入ったことがないだけ」
「わあ、それは天然記念物。ファーストフードも? それよりは戸惑わないんじゃない、ほしいものたのめば持って来てくれて、帰りはそのまま置いて、お金払えばいいだけだから」
少しだけ泣きそうにも見える表情で、睨むようにメニューを見ていた宮凪はケーキセットをたのみ、紅茶シフォンとアールグレイが運ばれてきた。
それで、と、パフェを食べきってしまった司が促す。
「話っていうのは?」
「…ありがとう」
「はい?」
「兄さんを、助けてくれて。私のことも」
視線を逸らしているのは、照れ臭いからだろう。なんとも素直で、司は、参ったなと心中で舌打ちをした。
おひやのコップを持ち上げると、からりと氷が音を立てた。
「話って、それだけ? だったら、用事があるから帰る」
「待って。私…何か、手伝えないかしら…?」
財布を取り出し小銭を数えていた司は、顔を上げて宮凪を見つめた。緊張しているのだろう、綺麗な顔が強張っている。
司はあえて不思議そうに、首をかしげて見せた。
「実力も経験もない人に、何を助けてもらえばいい?」
瞬間、宮凪の顔が凍りつく。すうと、光の退いた眼には、心持ち、涙が盛り上がっていた。
珍しく端数まできっちりとそろっていた小銭を裏返された伝票に乗せ、司は、席を立った。ごちそう様、と、カウンターの中の厨房に声をかけ、連れが払いますと言い置いて店を後にした。
店を出たところで、太郎と鉢合わせた。
「…さぼり?」
「阿呆、捜査本部から逃亡した人がいるから捕まえに来ただけだ」
「あ、多分その人、カウンターの端にいた」
じゃあ、と軽く手を上げて横を抜けようとしたのだが、どいてくれない。通路を塞がれた形で、何の冗談かと軽く睨むと、太郎が、無表情に司を見下ろしていた。
太郎の無表情な眼に見据えられると、司でさえやってもないことを自白しそうになる。だから、チンピラ程度の犯罪者であれば太刀打ちできるはずがない。風の噂に、犯行現場の野次馬の中にいた放火犯を、一睨みで自首させたと聞く。
威圧感あるなあ、怖いよ天狗、と、司は、無論心の中でつぶやいた。わざわざ口に出して、空気を険悪にする趣味はない。
「いいのか、あれで」
あれって何、と言いかけて、太郎の、というよりも妖関係の大半が耳がよかったことを思い出し、苦笑がこぼれる。
「立ち聞きは感心しないなあ?」
「聞こえただけだ」
いくらなんでもそれでは日常生活に不便で、多少は耳をすませたのが本当のところだろう。だが司は、追い討ちはかけずに笑顔を作った。
「足手まといに足手まといって言って、何か不都合でも?」
「誤魔化すな」
「自分一人をどうにか守るのに精一杯な人間に、他人に構う余裕なんてない。大切なものを作ってむざむざと失うだけなら、はじめから大切なものなんて持たないほうがいい。何も持っていなければ、失うことはないんだから」
祖母を喪ったときのことを思い出す。司は危うく、要までも失うところだった。
親しい人が、司の弱点になり得るというだけで巻き込まれたこともある。そうでなくても、近くにいれば、巻き込まれる機会は増えるだろう。
実際に巻き込んでしまったとき、司が取る行動はわかっている。
極力助ける努力をする――ただし、そこには必ずも絶対もない。今までの経験上、親しい人を手にかけることもあると、知っている。
だから、はじめから巻き込まないことが最善なのだ。
ルナと距離を置こうと思った矢先に、この宮凪からの申し出だ。何かを試されているのかと思わないでもないが、ただの偶然だろう。
太郎を相手にさらりと断言した司は、それで、と言葉を継ぐ。
「真っ正直な意見が聞けて、満足した? 中に用事なんでしょ。入れば?」
「司――あの時、どんなことをしても止めておくべきだった」
「ねえ太郎さん、今更だよ。あたしは自分で決めたの。太郎さんがどれだけ反対しても、やっぱり今を選んだと思うよ」
太郎の痛ましげな視線を真っ向から受け止め、微笑んで見せる。気遣いはありがたいが、時として重荷にもなる。
「せめて――俺が補佐になれば、良かった」
「ありがとう。でもそれ、諒に言ったら嫌味しか返ってこないと思うから、思うだけにしておいた方がいいな」
立ち尽くす太郎の体を軽く押すと、今度は片側に身を寄せて道をあけてくれた。ありがとうと声に出して、置いている自転車に向かう。
司の自転車は、宮凪のだろうものと並び、日向ぼっこをしていた。
大き目の前かごに、荷台、両足スタンド、前輪に取り付けられた個別の鍵を必要とする鍵。俗に言う「ママチャリ」のそれは学校規定で、まだ通学を認める鑑札はもらっていないが、そのうち後輪のタイヤカバーに、大きく校章の入ったシールを張ることになるだろう。
控えめに言って野暮ったく、一言で言い捨ててダサい。
色が黒と銀に限られているのがせめてもの救いのような、何一つ救っていないような。おまけに、高校入学を機に新しく購入したのだが、春休みに散々乗り回したせいか、早くも使い込まれ感が漂いつつある。具体的には、傷や汚れだ。
しかし、そういったことには身なり同様無頓着な司は、軽やかにサドルにまたがると、さてこのまま病院に向かうか一旦戻って着替えるか、と短く悩む。
結論。戻ろう。
「沖田さんっ、沖田司!」
「宮凪果林さん。何か?」
白い肌を紅潮させた宮凪に睨みつけられ、司は、そ知らぬ顔で視線を返した。
束の間とはいえ太郎と話しこんでいたために、追いつかれてしまったらしい。もう少し長く自失してていいのに、と、口に出して言うともっと怒らせそうだ。
「――傲慢よ」
「忠告、痛み入る。だけど残念ながら、爆弾を積んだバスは、そう簡単には止まれないんだ」
「何よそれ。茶化さないで」
微妙に派手なハリウッド映画を、宮凪は知らないのかもしれない。そもそも、それがどうしてこんなところで思い浮かんだのかは口にした当人にも謎だ。
宮凪は、「気球屋」の入り口から離れ、つかつかと司に歩み寄って来た。
「あなた、守人がどれだけ大変かわかっているの?」
「まあ、人並みには?」
「――死ぬわよ」
「不死の人間がいるなら、目の色を変える人が山ほどいるだろうね?」
「意地を張って孤立しないで。わたしの家は、神社なの。兄さんに相談に乗ってもらうことだってできる。何もできないわけじゃないわ。助け合うことも、必要でしょう…?」
ああ善人は手に負えない、と、司は、晴れ渡った春の空を振り仰いだ。雲が白い。
「必要になったなら、そのときはお願いします。けれど当面、不必要です。ありがとうございました」
「っ!」
「じゃあ」
ひらり、と手を振り、ペダルに置いた足を踏み下ろす。司は、宮凪のことを振り返りはしなかった。ただ、追いかけられたら厄介だなとだけ思いながら、流れる景色を眺めやる。
問二、好きな本をひとつ挙げてください。
問三、覚えている限りではじめて読んだ本は何ですか?
問四、印象深かった本をひとつ挙げてください。
問五、春といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問六、夏といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問七、秋といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問八、冬といえば思い浮かぶ本をひとつ挙げてください。
問九、ロマンチックな本をひとつ挙げてください。
問十、怖かった本をひとつ挙げてください。
番外、何かあればどうぞ。
読書部の入部試験に時間制限はなく、珍妙なものを見た、と言わんばかりのかおをしたうちの数人は、馬鹿らしいといった捨て台詞を吐いて視聴覚教室を後にした。
問と問の間はたっぷりと空白が取ってあり、これは本の題名以外も期待してるのかなと思いつつ、司は、回答を考えてみた。
問一は、『現代民話考』の十巻。送り狼について、知識のおさらいをしたくて書棚から引き抜いた。
問二は、ひとつと言われても困るので措いておく。
問三は、題名は覚えていないが、ふかふかと毛皮の気持ち良さそうなねずみの出てくる絵本。話の筋など覚えていないのだが、眼鏡をかけたねずみが可愛らしくて、何故か巨大だと思い込んでいた司は、抱きついたら気持ちいいだろうなと思ったのを覚えている。
問四は、『はてしない物語』。本の内容よりも、それとつながった装丁に射抜かれた。
問五は、小学生一年の教科書に載っていた、熊が花の種を落とす話。
問六は、『夜の神話』だろうか。あるいは、『ぼくらのミステリー学園』。
問七は、…料理の本、というのは反則だろうか。月見団子の作り方の載ったレシピ本があったはずだ。
問八は、『火よう日のごちそうはひきがえる』。冬の話だったかどうか自信はないが、雪の描写があったような気がする。
問九は、これも題名は覚えていない、科学者たちのいろいろなエピソードをまとめたノン・フィクション。それか、科学者のエッセイ集でもいい。科学者なんてものは、夢想家でなければ到底やっていられないと思う。
問十、聖書。
ざっと考えてみて、児童書が多いことに気付いて苦笑する。幼年期よりも現在の方が多く読んでいるはずなのに、案外こんなものなのだろうか。
そして、それぞれの問いに回答を思い浮かべながら、司は、白紙のままの解答用紙を置いて席を立った。名前すら書いていない。
隣の席では、ルナが楽しそうに書き込んでいる。ちらりと見た解答用紙は、小さな可愛らしい文字で着々と埋まっていた。案外、入部する気になったのかもしれない。
まだそれなりの人数のいる教室を後にした司は、すぐ隣を割り当てられている図書室に行こうかと思ったが、そこには、入部試験を放棄した生徒が数人、溜まって諒を囲んでいた。舌打ちしたい思いで背を向ける。
諒が司書教諭になるのを認めたのは間違いだったかもしれない。せっかくの憩いの場が、ひとつ減った。
そうして向かった駐輪場では、宮凪が待ち構えていた。足はとりあえず治ったらしく、松葉杖はついていない。そうすると、合宿中の松葉杖は、念のためか、あるいは、なるべく参加を避けるためのポーズだったのかもしれない。
思わず、溜息がこぼれ落ちる。平穏な学校生活を送らせてください。
「ちょっといい?」
「良くないですさようなら」
じゃ、と手を上げて自転車にまたがるが、気付けば荷台を押さえられている。見るからにか弱そうな宮凪につかまれたところで発進できるが、下手をしたら怪我をさせかねない。
はあぁ、と息を吐いて、司はクラスメイトの美少女を見た。
文句なしの和風美人で、艶やかな髪は見事に長い。輪郭のはっきりとした体ではないが、姿勢がいいところが高得点。ブレザーの制服よりも古典的なセーラー服の方が似合いそうで、それは少しばかり残念だ、と考えると諒の思考が感染ったようで、司は少しだけ顔をしかめた。
ルナ情報によると家の手伝いで巫女をしていたりするそうだが、ストーカー手前のファンがいてもおかしくなさそうだ。
「話があるの」
「そう。こっちにはないんだけど」
「はじめに声をかけて来たのはそっちでしょう?!」
「はいはいはい。長引く?」
え、という形に小さく開かれた口を眺め、司は頭をかいた。
「話長くなるなら、場所を移そう。自覚があるのかないのか知らないけど、あなたは結構な有名人なんだ。それでなくても、目立つ容姿だし。こちらとしては、有名人になるのは避けたいんだよね」
諒でもいれば、手遅れだ、あるいは、無理だ、とでも突っ込んだだろうが、相手は初対面に等しい。黙り込んだところからすると、自分が有名人との自覚はあるようだ。
「坂を下りたら信号渡って、そのままひたすら真っ直ぐ、郵便局を右に曲がって少し行ったあたりに、気球屋って喫茶店があるからそこで。歩いて十分そこそこ。自転車ならもっと早い」
「逃げるつもり?」
「逃げてどうする。明日も明後日も、下手をしたらこの先三年間毎日顔を会わせるってのに? 心配なら、鞄貸して。交換」
「交換?」
「こっちの分だけ預けてもいいけど、二人分持つ? 罰ゲームじゃあるまいし」
肩をすくめ、前かごに突っ込んでいた制かばんを差し出す。荷台にくくりつけるよう言われているが、納まるからいいじゃないかと不精をしている。
宮凪はきゅっと唇を引き結び、渋々とかばんを受け取った。代わりに、見た目は大差がないのに妙に重い、宮凪の鞄が渡される。
「じゃあ、後で」
荷台から手が離れているのを確認し、司は、ひらりと手を振ってペダルをこいだ。
坂をほぼブレーキをかけずに走り下り、信号近くで緩めのブレーキと自転車を横にして勢いを殺す。すぐに変わった信号を渡り、この間太郎と行ったばかりのメルヘンチックな喫茶店へと向かった。閉まっていたらどうしよう、と一瞬考えたが、ドアにかけられた板は「OPEN」が表になっている。
「いらっしゃいませー」
軽やかに、大学生くらいだろう女性店員の声が響く。
カウンターに座る、堅気と思いがたい雰囲気を発する中年男は、もしや、太郎の同僚だろうか。そう言えば、引き継ぎは片付いたが残り二件は手付かずだ。帰りに病院に寄ってみるかなと考える。
そんなことを考えながら、入ってすぐ目に付くよう、入り口真正面の奥のテーブルに着く。今日は大人しくパフェだけをたのんだ。
宮凪が到着したのは、既に半分ほど、司がパフェに手をつけた頃だった。注文に迷い、パフェが出てくるまでに、十分は確実に経過していたはずなのだが。
「歩きだった?」
「…自転車よ」
これは道に迷ったな、と思ったが、指摘しないでおく。果たして、迷うような道だっただろうか。
座った宮凪の目の前に水の入ったグラスが置かれ、ポニーテールの店員が、ご注文は後ほどお伺いします、と言い置いて去って行った。
とりあえずかばんを交換し直し、なにやら困惑顔の宮凪に、司は首をかしげた。
「お金、持って来てなかった?」
「あるわよ。……こういうことろ、入ったことがないだけ」
「わあ、それは天然記念物。ファーストフードも? それよりは戸惑わないんじゃない、ほしいものたのめば持って来てくれて、帰りはそのまま置いて、お金払えばいいだけだから」
少しだけ泣きそうにも見える表情で、睨むようにメニューを見ていた宮凪はケーキセットをたのみ、紅茶シフォンとアールグレイが運ばれてきた。
それで、と、パフェを食べきってしまった司が促す。
「話っていうのは?」
「…ありがとう」
「はい?」
「兄さんを、助けてくれて。私のことも」
視線を逸らしているのは、照れ臭いからだろう。なんとも素直で、司は、参ったなと心中で舌打ちをした。
おひやのコップを持ち上げると、からりと氷が音を立てた。
「話って、それだけ? だったら、用事があるから帰る」
「待って。私…何か、手伝えないかしら…?」
財布を取り出し小銭を数えていた司は、顔を上げて宮凪を見つめた。緊張しているのだろう、綺麗な顔が強張っている。
司はあえて不思議そうに、首をかしげて見せた。
「実力も経験もない人に、何を助けてもらえばいい?」
瞬間、宮凪の顔が凍りつく。すうと、光の退いた眼には、心持ち、涙が盛り上がっていた。
珍しく端数まできっちりとそろっていた小銭を裏返された伝票に乗せ、司は、席を立った。ごちそう様、と、カウンターの中の厨房に声をかけ、連れが払いますと言い置いて店を後にした。
店を出たところで、太郎と鉢合わせた。
「…さぼり?」
「阿呆、捜査本部から逃亡した人がいるから捕まえに来ただけだ」
「あ、多分その人、カウンターの端にいた」
じゃあ、と軽く手を上げて横を抜けようとしたのだが、どいてくれない。通路を塞がれた形で、何の冗談かと軽く睨むと、太郎が、無表情に司を見下ろしていた。
太郎の無表情な眼に見据えられると、司でさえやってもないことを自白しそうになる。だから、チンピラ程度の犯罪者であれば太刀打ちできるはずがない。風の噂に、犯行現場の野次馬の中にいた放火犯を、一睨みで自首させたと聞く。
威圧感あるなあ、怖いよ天狗、と、司は、無論心の中でつぶやいた。わざわざ口に出して、空気を険悪にする趣味はない。
「いいのか、あれで」
あれって何、と言いかけて、太郎の、というよりも妖関係の大半が耳がよかったことを思い出し、苦笑がこぼれる。
「立ち聞きは感心しないなあ?」
「聞こえただけだ」
いくらなんでもそれでは日常生活に不便で、多少は耳をすませたのが本当のところだろう。だが司は、追い討ちはかけずに笑顔を作った。
「足手まといに足手まといって言って、何か不都合でも?」
「誤魔化すな」
「自分一人をどうにか守るのに精一杯な人間に、他人に構う余裕なんてない。大切なものを作ってむざむざと失うだけなら、はじめから大切なものなんて持たないほうがいい。何も持っていなければ、失うことはないんだから」
祖母を喪ったときのことを思い出す。司は危うく、要までも失うところだった。
親しい人が、司の弱点になり得るというだけで巻き込まれたこともある。そうでなくても、近くにいれば、巻き込まれる機会は増えるだろう。
実際に巻き込んでしまったとき、司が取る行動はわかっている。
極力助ける努力をする――ただし、そこには必ずも絶対もない。今までの経験上、親しい人を手にかけることもあると、知っている。
だから、はじめから巻き込まないことが最善なのだ。
ルナと距離を置こうと思った矢先に、この宮凪からの申し出だ。何かを試されているのかと思わないでもないが、ただの偶然だろう。
太郎を相手にさらりと断言した司は、それで、と言葉を継ぐ。
「真っ正直な意見が聞けて、満足した? 中に用事なんでしょ。入れば?」
「司――あの時、どんなことをしても止めておくべきだった」
「ねえ太郎さん、今更だよ。あたしは自分で決めたの。太郎さんがどれだけ反対しても、やっぱり今を選んだと思うよ」
太郎の痛ましげな視線を真っ向から受け止め、微笑んで見せる。気遣いはありがたいが、時として重荷にもなる。
「せめて――俺が補佐になれば、良かった」
「ありがとう。でもそれ、諒に言ったら嫌味しか返ってこないと思うから、思うだけにしておいた方がいいな」
立ち尽くす太郎の体を軽く押すと、今度は片側に身を寄せて道をあけてくれた。ありがとうと声に出して、置いている自転車に向かう。
司の自転車は、宮凪のだろうものと並び、日向ぼっこをしていた。
大き目の前かごに、荷台、両足スタンド、前輪に取り付けられた個別の鍵を必要とする鍵。俗に言う「ママチャリ」のそれは学校規定で、まだ通学を認める鑑札はもらっていないが、そのうち後輪のタイヤカバーに、大きく校章の入ったシールを張ることになるだろう。
控えめに言って野暮ったく、一言で言い捨ててダサい。
色が黒と銀に限られているのがせめてもの救いのような、何一つ救っていないような。おまけに、高校入学を機に新しく購入したのだが、春休みに散々乗り回したせいか、早くも使い込まれ感が漂いつつある。具体的には、傷や汚れだ。
しかし、そういったことには身なり同様無頓着な司は、軽やかにサドルにまたがると、さてこのまま病院に向かうか一旦戻って着替えるか、と短く悩む。
結論。戻ろう。
「沖田さんっ、沖田司!」
「宮凪果林さん。何か?」
白い肌を紅潮させた宮凪に睨みつけられ、司は、そ知らぬ顔で視線を返した。
束の間とはいえ太郎と話しこんでいたために、追いつかれてしまったらしい。もう少し長く自失してていいのに、と、口に出して言うともっと怒らせそうだ。
「――傲慢よ」
「忠告、痛み入る。だけど残念ながら、爆弾を積んだバスは、そう簡単には止まれないんだ」
「何よそれ。茶化さないで」
微妙に派手なハリウッド映画を、宮凪は知らないのかもしれない。そもそも、それがどうしてこんなところで思い浮かんだのかは口にした当人にも謎だ。
宮凪は、「気球屋」の入り口から離れ、つかつかと司に歩み寄って来た。
「あなた、守人がどれだけ大変かわかっているの?」
「まあ、人並みには?」
「――死ぬわよ」
「不死の人間がいるなら、目の色を変える人が山ほどいるだろうね?」
「意地を張って孤立しないで。わたしの家は、神社なの。兄さんに相談に乗ってもらうことだってできる。何もできないわけじゃないわ。助け合うことも、必要でしょう…?」
ああ善人は手に負えない、と、司は、晴れ渡った春の空を振り仰いだ。雲が白い。
「必要になったなら、そのときはお願いします。けれど当面、不必要です。ありがとうございました」
「っ!」
「じゃあ」
ひらり、と手を振り、ペダルに置いた足を踏み下ろす。司は、宮凪のことを振り返りはしなかった。ただ、追いかけられたら厄介だなとだけ思いながら、流れる景色を眺めやる。
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