かつて最強の刀弟子

くろまねこる

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森編

二話.『私』

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「おい無能がいるぞ!」

 僕を囲むように笑い声が聞こえる。
 これは……過去の記憶だ。村にいた時の記憶。
 友人だと思っていた奴らに笑われた記憶だ。僕が好きだった女の子も蔑むような目で僕を見下ろしていた。

 そして次に流れるのは母が壊れた時の記憶だった。
 魔力がない僕をどうにかしようと、信ぴょう性のない薬をたくさん僕に飲ませてきた。
 どうせ騙されているだけだと思っていたけど、母は完全に信じきっていた。だからこそ効果が出ないと僕や家具に当たった。

 そうか。これは走馬灯と呼ばれるものだ。
 僕はすぐに理解した。
 そして同時に悲しくもなる。
 最後の最後に、また悪夢を見せられて終わるのかと。

 しかし、急に場面が転換する。
 それは見たこともない長い刃物──刀と呼ばれるそれに生涯を捧げた男の夢だった。
 誰かが言った。

『天を斬る事が出来れば格差は無くなり人は強くなれるであろう。天が我らを見下すが故に人は弱く、格差が生まれるのである』と。

 なるほど、一理あるやもしれんと彼は頷いた。
 そして、その期待に見事応えてみせた。多くの群衆が見守る中で、見事天を切り裂いて見せたのである。

 誰かが言った。

『人間業ではない。あの者は化の物かはたまた妖怪の類である』と。

 ここで夢が途切れた。
 とても不思議な感覚であった。
 明らかに自分ではないのに、まさにそこに立っている現実感があった。
 得物を握り、天を分かつその感覚を鮮明に感じていた。

「ここは……」

 気が付いた時には、夕焼けのように明るくも薄暗い空間に立っていた。下には水が張られているのか自分の姿が反射して見える。
 正面には両脚を丁寧に折畳んで座る謎の人物。
 笠を深く被り、顔すら見る事が出来ない。しかし直感で、夢に出てきた男だとは分かった。

「得物を持ちながら──何故臆する?」

 声からして老人であろう。言葉の意味を汲み取れないものの、その低く掠れた声は何処か懐かしささえも感じる。
 老人は右足を立ててから立ち上がる。
 ただそれだけでも、まるで1つの芸でも見ているのかと錯覚してしまう程に美しいと感じた。
 ただ立つという所作だけでも、洗練されると魅入ってしまうのかと驚きを隠せなかった。
 同時に既視感を感じてしまう。
 ──いや、それはまるで鏡でも見ているかのような感覚だった。
 所々が欠けた笠。黒色の羽織袴。使い古され色がくすんだ草鞋わらじ

 僕はそれを、知っていた。
 僕はそれを身に着けていた。

 立ち上がった老人は暫く僕と向かい合ったあと、足音1つ立てず、水面すら揺らすことなく、こちらへと向かってくる。

「天は上に人を作らず。地は下に人を作らず。我が秘剣に天地の差なし」

 僕の近くまで来た老人は足を止めると、腰にぶら下げていた長い木剣──白鞘を抜き取る。

「なれば、この世に斬れぬものあらず」

 持ち手を前に突き出してくる。装飾も何もない質素な白鞘は、しかし確かな存在感を放っている。
 言葉はない。だが意思は確かに伝わった。
 僕は前に突き出された白鞘を片手で掴んだ。
 よく手に馴染む。初めてとは思えぬこの感覚に、久しぶりだと手が喜んでいる。

 老人が手を離した。
 白鞘本来の重さが腕に伝わってくる。
 若干重く感じはするが、さして昔と変わらぬ重さだと勘が告げる。

「──キリ。僕の名はキリだ」

 自然と、言葉が出た。
 これが礼儀なのだと身体が覚えていた。
 反応はなかったが、続けて老人はこう言い放った。

「お主に託そう。これは我が人生、我が生き様────の刀である」

 言葉が終わると同時に、僕は鞘から刀を抜き放つ。
 最後に、老人の口角が上がったような気がした。

 ※

 風が吹いた。
 湿った空気が木々の隙間を通り、落ち葉を巻き込んで飛んでいく。

「ぐぎゃ」

 細長い顔に黒一色の目。鼻は顔に対して長く大きいため、バランスが悪い。体格は人の子のようであるが、特徴的な緑の肌に細いながらも筋肉質な腕や脚が更にバランスの悪さを際立たせていた。
 見るだけでも嫌悪感を抱かせるそれはゴブリンと呼ばれる生物。

 俗に言う魔物である。

 ゴブリンはすぐそばの倒れて動く事のない獲物を視界の中心に捉えた。
 狩りを楽しむゴブリンにとって、しつこく抵抗するこの獲物は格好の玩具であった。
 それはいわゆる人間と呼ばれる生き物。
 白い髪は腰ほどまで伸びていて、見るからにやせ細った筋肉とは無縁な身体。
 しかしそれももう動く事はない。

 面倒だとゴブリンは鼻を鳴らして、手に持っていたやや小さい棍棒を大きく振り上げた。頭を潰して身体だけを持ち帰る目的だった。

 躊躇なく振り下ろされた棍棒を止めるものは誰もいない。頭目掛けて進むそれはもはや、当のゴブリンでさえ制御する事は出来ないだろう。

「ぐぎっ!?」

 まるで鉄が弾けたかのような音が森の中に響き渡った。その耳を抑えたくなる甲高い音に鳥達は一斉に羽ばたき空を舞う。
 ゴブリンは理解が追いつかなかった。
 何をされた訳でもなく、振り下ろした棍棒が急に反対方向へと弾かれてしまったのだ。

 呆然としていたゴブリンの視界に、一枚の鳥の羽が落ちてくる。それは人間の身体に接触するかと思いきや、空中で斬られたかのように二つに分かれた。

 獲物はいまだ倒れたままである。何かできるはずもない。
 では何が起きたのか。
 もともと知能の低いゴブリンである。いくら考えようとも答えに辿り着く筈もない。
 いや、例えこの光景を人間が見ていたとしても理解できることはなかったであろう。
 棍棒を強く握りなおしたゴブリンは、次は外さないと強く殺意を込める。両手で持ち手を持ち、確実に仕留める為に振り上げ──

 ──ゴブリンの手が重力に従い地に落ちた。
 遅れて血が吹き出る。それは止まることを知らぬ噴水の如き勢いだった。

「ぎゃ、ぎゃる、ぐぁぎゃぁぁぁ!!」

 理解するよりも早く、痛みを感じるよりも早く、危険を察知したゴブリンは転げるようにして走った。なるべく遠く。少しでも早くあの場から離れなければ、次は頭が切り落とされると本能が警鐘を鳴らした。

「────」

 背後から呼吸音が聴こえる。ひゅうひゅうと高い音がなっており、それは荒く繰り返されている。

「ま……て……」

 それは先程まで馬鹿にしていた声だ。慌てふためき叫び散らかすそのさまを見て楽しんでいた筈の玩具であった筈の声だ。
 しかし気にする必要はない。追い掛ける程の気力など残っているはずもない。だからこのまま走れば逃げ切れる。
 だが──ゴブリンはその足を止めた。
 最後にゴブリンは振り向いてしまった。
 好奇心とか怖いもの見たさではなく、自然と目が向いてしまったのだ。

 そこに立つのは人間だった。汚れた服は裂け、泥だらけのズボンには穴が空いている。腰まで届いていた白い髪は、粗末に切られて肩ほどまでに短くなっている。
 その人間は、そこらに落ちている不格好な木の棒を握り、下段に構えていた。
 ゆうに限界を超えている身体で何ができるのか。脚や手は絶えず震えている。
 しかし、その姿には一切の隙すら見えなかった。

「────」

 ゴブリンは身体ごと馬鹿にしていた人間へと向けた。
 逃げても無駄だと気付いた訳ではない。そんな事は些細な問題でしかなく、今のゴブリンには気にするほどのことでもなかった。

 ゴブリンは見惚れていたのだ。
 その姿に、その一挙一動に、見る他ないと思うしかなかった。

「────」

 口は確かに動いていたが、声が聞こえてくることはなかった。
 ただ、下段に構えていた得物を、人間は横なぎにふるった。
 そのすぐに起きるのは、凄まじい突風。辺りの落ち葉をまるごとかき上げ、土すらも巻き込み、木々がその頭を激しく揺らす。
 一拍遅れ、押し出された空気が真空の刃となった。それは歪な形ながらも巻き上げた葉や土を全て両断し──ゴブリンを斬り裂く。
 その刃は勢いを止めないまま何十メートル先もの木々を破壊し、やがて空気となり巻き上げられ力を無くした。

「ぐ……ぎゃ…………ぁ……」

 ゴブリンの体は横薙ぎに両断され、その胴体がズレて崩れ落ちる。

「はぁ……はぁ……っ……はぁ……」

 当の本人はまさに満身創痍であった。
 両腕からは血が吹き出し、力が入らないのかぷらぷらと垂れている。
 上半身の服はズタズタに引き裂かれ、やせ細った身体があらわになっている。

 緊張の糸が切れたのか、彼は地に伏した。
 ピクリとも動く気配はない。もはや彼が息絶えるのは必然か。
 そう思われた時だった。
 地に伏していた彼はふらふらと立ち上がった。

「──神を……斬らねば……」

 喉から笛のようにヒューヒューと鳴らしながらも、生きるのだという強い意志だけで立ち上がってみせた。
 手に持った頼りない木の棒を杖代わりに、震えながらも足を進める。
 それは戻る道ではなく進む道。
 森の奥深く──地獄へと通ずる道であった。
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