隠され姫のキスは魔道士たちを惑わせる

じゅん

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プロローグ 死ぬか、キスか

プロローグ 1

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 陽光が遮られた薄暗い森。生い茂った常緑広葉樹の中で、異彩を放つ大木があった。複数の木が絡んだような螺旋状の幹から伸びた枝や蔓が、うねうねと蠢いている。そして、そのいくつもの蔓が、アレクサンドラを太い幹に磔にしていた。手足の先まで蔓が絡まり、アレクサンドラは身動きが取れない。
(ベルトにさえ手が届けば、ナイフがあるのに)
 アレクサンドラはもどかしさに唇を噛もうとしたが、それも叶わなかった。一刻前に襲ってきた男に猿ぐつわをされたまま、外す間もなく大木に捕らわれたからだ。おかげで声を出せず、助けを呼ぶこともできない。
 頼りの魔道士たちは、襲撃してきた集団との戦いの最中のようだ。遠くで大地が轟くような音が聞こえてくる。どれくらい彼らと離れてしまったのだろうか。
 アレクサンドラは、魔法を見たのも動く木を見たのも初めてだった。今朝まで山奥の村で平穏な暮らしをしていたというのに、今までの常識が覆されてばかりで、頭がついていかない。
(とにかく、自分でなんとかしなきゃ)
 蔓から抜け出そうと全身に力を込めると、腕がヌルリとわずかに滑った。チェニックの袖から伸びた素肌の部分だ。アレクサンドラが視線を向けると、ただ固いだけだった蔓がぬらぬらと濡れていた。液体を分泌しているようだ。次第に腕に、痛痒い感覚がしてくる。それだけではない。白い布が透けているのは、濡れた布が肌に張り付いているだけではなかった。
(服が、溶けてる)
「んんっ!」
 アレクサンドラはもがいた。しかし、ぬめる蔓に尚更きつく締め付けられるだけだった。目の前で、アレクサンドラをあざけるように、蔓がゆらゆらと揺れている。
(これは、食人樹だ)
 待っていれば、いつか魔道士たちが見つけてくれると考えていたが、悠長なことは言っていられなくなった。よく見れば、足元の湿った土には、動物の骨と思われる、白い欠片が散らばっていた。泥で汚れた無数の白い欠片を見て、アレクサンドラはゾッとする。
(いやっ、誰か助けて!)
 必死に手足を動かそうとするが、薄くなった服が千切れて肌が傷つくだけだった。その傷から樹液がしみて、痛みにアレクサンドラの動きは弱くなる。冷えた空気にアレクサンドラの呼気が白く浮かんだ。
 どうやっても蔓からは抜けられない。しかし、諦めるわけにはいかない。
アレクサンドラが周囲を見渡そうとしたその時、視界の端が赤く染まった。頬にかすかな風と熱を感じると、足元でボトリと音が鳴った。視線を向けると、長い蔓が苦しむようにうねり、やがて動かなくなった。周辺の蔓の動きが変わる。
「あんたが、魔力を増幅させるお姫さんだな」
 静かだった森に響く低い声の先に視線を向けると、炎を纏った長剣を手にした男が悠然と立っていた。
(人だ、助かった!)
 アレクサンドラはほっと息をついた。
 男は見上げるほどの長身で、大きく開いたシャツの胸元からは鍛えられた胸筋が張り出している。身体つきは逞しいが、十七歳のアレクサンドラと、年齢はあまり変わらなそうだ。
高い鼻梁の下の口角は、器用に片側だけ上がっていた。ブロンドの前髪から覗くブルーの瞳は、興味深そうにアレクサンドラを見つめている。
あれ? と、アレクサンドラは眉を顰めた。
(この人、この状況を面白がっている?)
「オレが通りかかってよかったな。こんな深い森の中に、人なんか来やしないぜ」
 男は視線すら動かさず、最小限の動きで、絡みつこうとする蔓を炎の剣で薙ぎ払っている。相当の剣の腕前のようだ。
「助けてほしいだろ?」
 なにを当たり前のことを言っているのだろうと思いながら、アレクサンドラは頷いた。男は更に笑みを深めた。
「じゃあ、キス一つで手を打とう」
「……っ!」
 アレクサンドラは驚いて、ヘーゼルの瞳を見開いた。目の前に命の危機に瀕している人物がいるのに、交換条件を出すと言うのか。
「噂の魔力増幅の力、試してみたかったんだよ」
 暴れたせいで汗が滲んだアレクサンドラの頬に、男は手を添えた。すると、その手がビクリと震える。
 驚いた表情で男はアレクサンドラから手を離し、己の手を見つめた。そしてもう一度、大きな手のひらでアレクサンドラの頬をそっと包む。
「へえ。触るだけでも、相当くるな。これを体内に取り込んだら……」
 男はニヤリと笑い、アレクサンドラに端正な顔を近づけた。
「死ぬか、キスか、選べ」
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