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遺棄事件と見えないドア1
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耳障りな虫の音が、暗闇に延々と反響しているようだった。
駅前からバスに乗って三十分、降りてから家まで歩いて二十分。塾から帰るのに、どうしてこんなに時間がかかるのか。辛うじて舗装されている細い山道を上りながら、私は毎回理不尽に思う。
東京に住んでいる頃は、学校も塾もすぐ近くにあった。こんな田舎だと分かっていたら、引っ越しに反対していたのに。
「いたっ」
イライラとしながら早足で歩いていたら、何かに体当たりしてしまった。特に膝辺りを強く打った。
「もう、なによっ。車? なんでこんなところに」
外灯すら殆どない、民家もまばらな山道で、背景に溶け込んだ黒いミニバンに気づかなかった。
二週間ほど前から通るようになったばかりの道だけど、対向車がすれ違うのもやっとなこの道に、車が停まっているのを見たことがなかった。もっと先に行けば、駐車スペースがあるからだ。山菜取りなどで入山する人が使うようだ。
エンジンが切られた車は道路脇に寄せられていて、車内は無人のようだった。周囲に民家はないので、運転手は山に入ったに違いない。
月明かりでかろうじて木の輪郭が見えるだけの、黒い山を見上げた。中途半端な山中に、何の用があるというのだろう。しかも、こんな時間に。
私は腕時計を確認した。もうすぐ十一時だ。ここでは深夜に等しい時間だった。十分以上歩いているのに、人にも車にもすれ違わない。すっかり寝静まった人の代わりに、野生の動物や虫たちが自分たちの存在を主張していた。
私は車に目を戻した。黒いフィルムが張ってある後部ガラスの右下には、エンブレムのような犬のステッカーが張ってある。携帯のライトで照らしてみると、黒字で黄色い、手の平くらいの印象的なステッカーだった。
「犬の散歩? そんなわけないか。肝試しかな。カップルならあり得るかも」
呟いていると、遠くで草を踏みしめる音と、金属音が聞こえた。
私は慌ててライトを消し、思わず近くの茂みに身を隠した。
なんで隠れるのよ。
しゃがんだ私は頭を抱えた。公道なのだから、堂々と立ち去ればいいだけだったのに。ライトまでつけてじろじろと他人の車を観察していたので、その姿を見られてはいけない気になったのかもしれない。
足音が近づいてくるにつれ、荒い息遣いも聞こえてくる。足音から、どうやら一人のようだった。
二学期が始まったばかりの九月、まだ暑い日が続いている。夜になっても風は生暖かく、坂道を上っていた私は、じっとしているだけで肌にじんわりと汗がにじんでいた。そんな季節だとしても、聞こえてくる呼吸は不自然だった。
山道を歩けば汗をかきそうではある。だけど、こんなに息が乱れるだろうか。まるで百メートルを全力で駆け抜けた後のように、息遣いが激しかった。真っ暗な山道を駆け回っていたとでもいうのだろうか。
「人気のない真っ暗な森林の中、一人でどんな運動をするって言うのよ」
ポソリと呟いた私の背筋に、冷たいものが走った。
“殺人”
そんな二文字が頭に浮かんだからだ。
まさか。
駅前からバスに乗って三十分、降りてから家まで歩いて二十分。塾から帰るのに、どうしてこんなに時間がかかるのか。辛うじて舗装されている細い山道を上りながら、私は毎回理不尽に思う。
東京に住んでいる頃は、学校も塾もすぐ近くにあった。こんな田舎だと分かっていたら、引っ越しに反対していたのに。
「いたっ」
イライラとしながら早足で歩いていたら、何かに体当たりしてしまった。特に膝辺りを強く打った。
「もう、なによっ。車? なんでこんなところに」
外灯すら殆どない、民家もまばらな山道で、背景に溶け込んだ黒いミニバンに気づかなかった。
二週間ほど前から通るようになったばかりの道だけど、対向車がすれ違うのもやっとなこの道に、車が停まっているのを見たことがなかった。もっと先に行けば、駐車スペースがあるからだ。山菜取りなどで入山する人が使うようだ。
エンジンが切られた車は道路脇に寄せられていて、車内は無人のようだった。周囲に民家はないので、運転手は山に入ったに違いない。
月明かりでかろうじて木の輪郭が見えるだけの、黒い山を見上げた。中途半端な山中に、何の用があるというのだろう。しかも、こんな時間に。
私は腕時計を確認した。もうすぐ十一時だ。ここでは深夜に等しい時間だった。十分以上歩いているのに、人にも車にもすれ違わない。すっかり寝静まった人の代わりに、野生の動物や虫たちが自分たちの存在を主張していた。
私は車に目を戻した。黒いフィルムが張ってある後部ガラスの右下には、エンブレムのような犬のステッカーが張ってある。携帯のライトで照らしてみると、黒字で黄色い、手の平くらいの印象的なステッカーだった。
「犬の散歩? そんなわけないか。肝試しかな。カップルならあり得るかも」
呟いていると、遠くで草を踏みしめる音と、金属音が聞こえた。
私は慌ててライトを消し、思わず近くの茂みに身を隠した。
なんで隠れるのよ。
しゃがんだ私は頭を抱えた。公道なのだから、堂々と立ち去ればいいだけだったのに。ライトまでつけてじろじろと他人の車を観察していたので、その姿を見られてはいけない気になったのかもしれない。
足音が近づいてくるにつれ、荒い息遣いも聞こえてくる。足音から、どうやら一人のようだった。
二学期が始まったばかりの九月、まだ暑い日が続いている。夜になっても風は生暖かく、坂道を上っていた私は、じっとしているだけで肌にじんわりと汗がにじんでいた。そんな季節だとしても、聞こえてくる呼吸は不自然だった。
山道を歩けば汗をかきそうではある。だけど、こんなに息が乱れるだろうか。まるで百メートルを全力で駆け抜けた後のように、息遣いが激しかった。真っ暗な山道を駆け回っていたとでもいうのだろうか。
「人気のない真っ暗な森林の中、一人でどんな運動をするって言うのよ」
ポソリと呟いた私の背筋に、冷たいものが走った。
“殺人”
そんな二文字が頭に浮かんだからだ。
まさか。
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