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遺棄事件と見えないドア10

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「ああ、山口さん。丁度良かった」
 担当の女性は、心底ほっとしたように、山口と呼んだ女性を手招きした。
「こちら、NPOレスキュー代表の山口さん」
「はじめまして、山口です」
 フレームレスの眼鏡をかけた山口さんは、柔和な笑顔を浮かべた。
「こちらのお二人は、通報のあったパピーミルを知りたいっておっしゃる、お名前は……」
「真田美央です」
「海野涼子です」
 私たちは頭を下げた。
「礼儀正しいお嬢さんたちね。話を聞くから、先に外で待っていて」
山口さんはそう言うと担当者に向き直り、「いつもの手続きをお願いします」と、書類に記入し始めた。有無を言わせぬ口調だけれど、嫌な感じはしなかった。普段から人に指示し慣れている人なのかもしれない。
 建物の外に出て十五分ほどが経ち、本当に来るのかなと思い始めた頃、山口さんがリードを持って、三匹の犬を連れてきた。チワワ二匹とミニチュア・ダックスフンドで、みんな成犬のようだ。
「わ、可愛い」
 涼子が相好を崩した。
「どうぞ、後部座席に乗って」
 山口さんは白いワゴンのロックをキーレスエントリーで解除して、バックドアを開いた。車内は前席と後部座席の二席を残して取り外されていて、広いスペースに犬のケージが三つ積んであった。そこに、一匹ずつ犬を入れていく。
「その犬、どうしたんですか?」
「殺処分前の犬を引き取ったの。うちで面倒を見るにもスペースが限られるから、里親さんが決まった分だけ引き取りに来て、また里親さんを探しての繰り返しよ」
「……」
 獣くさいと思ったのは、ここで保護されている犬たち。殺処分を待つ犬たちがいるからだったんだ。
「他にもここには、治療中の子とか、迷い犬が保護されていたりするのよ」
「この子たち、殺処分されるところだったんですね」
 老犬というほど衰えた感じはしない。人気の犬種だろうし、健康的で可愛いのに……。
「まあね。それでも首都圏は私たちみたいな活動をしている団体が多いから、殺処分は少ないんだよ」
 さあ乗って、と山口さんに促されて、私たちは後部座席に乗り込んだ。犬たちは吠えたりせず、大人しくしている。
「さて、パピーミルの場所を知りたいんだったね。事務所に戻ればファイルしてあるから、いくらでも教えてあげるわ。でも、なんで知りたいの?」
 私が先日の犬の遺棄事件を発見し、凄惨な状態を目撃したので、悪徳ブリーダーを見つけ出して廃業にしたいと山口さんに説明した。
「なるほどね。それなら私たちも全面的に協力したいところだけど、廃業にするっていうのは簡単じゃない」
「どういうことですか?」
「まずは、ブリーダーっていうのはいくつかに分かれるんだけど、極端に分けると、シリアスブリーダーとパピーミルがあるの」
 さっきから気になっていた「パピーミル」という言葉を説明してもらえそうだ。
 山口さんによると、シリアスブリーダーは、その犬種を愛していて、犬の良さを伝えたいと考え、犬に負担をかけないように繁殖させる、世間的に想像されているようなブリーダーのこと。
ところがパピーミルは“子犬生産工場”という意味で、犬を生む道具として扱っている。涼子がスマホで見せてくれた劣悪な環境が、まさにパピーミルだった。
「まともなブリーダーは、儲けなんて出ないくらいなんだ。手塩に掛けた犬を譲渡して、その犬を手放したいという飼い主がいたら、また引き取るくらいだからね。でもパピーミルは、ものすごく儲かるの」
「どれくらいですか?」
 涼子が訪ねた。
「たとえば、人気の犬種だと、一頭十万で売れるとするでしょ、犬は年に二回、三、四頭産む。で、百頭雌犬を飼ってるとしたら……」
 私は百匹の犬が年に八匹子犬を産むとして暗算する。
「えっ。年、八千万円、ですか?」
 想像以上の金額だった。
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