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一章 旅立ち
旅立ち 7
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アレクサンドラは船縁から乗り出して、自前の望遠鏡を覗きこんだ。
「ジャスタークの港が見えてきた」
「予定通りだ」
「ねえ私、“俺”とか言った方がいいのかな?」
アレクサンドラは背伸びをして、エドワードの耳元で囁いた。エドワードは呆れた顔をして、視線だけで周囲に誰もいないことを確かめる。
「今更変える方が不自然だ。誰が乗り合わせていたのかわからないのだから。考えた上で態度を変えていないのかと思っていた」
「人称まで頭が回らなかったよ。名前もそのまま“アレックス”って名乗ればいいよね。幸い男性だって使う名前だし。私は表情に出やすいようだから、嘘は少ない方がいいな」
エドワードは肩をすくめて、アレクサンドラに並んで船縁に寄りかかった。
「そういう打ち合わせは、出航前にしておくべきだったな」
「ごめん。エドが来てくれると思ったら安心しちゃって、旅行気分になっていたよ」
丁度いい高さにある肩に、アレクサンドラは小さな頭をのせた。白い肌は日に焼けて、黒くなる代わりに桃色に染まっていた。肌は火照っているはずだが気にならない様子で、鼻歌混じりに手書きの海図を見ている。
アレクサンドラの白く細い項を、海から反射した光が照らしている。それをエドワードは目を細めながら見つめ、サラサラとしたブルネットをひとなでした。
「どうすればおまえが男に見えるというのか」
「ん? もう一度言って」
アレクサンドラはエドワードの肩に頭をのせたまま、すぐ近くにある青い瞳を見上げた。波の音で声がよく聞こえなかった。
「こちらのことだ。……これからが本番だぞ」
「うん」
女性であることを隠し、諜報員であることを隠し、ロバート海賊団に潜り込む。そしてアジトを見つけなければならない。
もしくは、赤い死神を討つ。
アレクサンドラは姿勢を正し、気持ちを引き締めた。
「思ったより立派な港だね」
下船の準備をして再び甲板に上がると、ジャスターク国の陸地が近づいていた。深い入り江の奥には整備された船着き場があり、船舶が四百艘以上は停泊しているだろうか。入り江の入り口は人工的に狭くされ、関所が設置されている。巨大な軍艦が入り江に入るのを阻止するためだろう。
石造りの突堤に降り立った二人は、繁華街に向かって歩き始めた。海岸沿いに色とりどりのテントが張られ、野菜や果物、毛皮や織物などの商品が売られている。
アレクサンドラは驚いたように、辺りを見回した。
「スパイスかな、いい匂い。なんだ、活気があっていい街じゃないか。死体と汚物と悪臭で溢れていると聞いて覚悟して来たのに」
「だが、夜は姿を変えるかもしれないぞ。気を許すな」
「わかった」
アレクサンドラはこくりと頷いた。
まず荷物を置くために、二人は宿屋を探した。宿屋は酒場を伴っていることが多いので、情報収集もできて一石二鳥だ。せっかくなら多くの海賊たちが集まる、大きな宿屋がいいだろう。
行き交う人々は肌や瞳や髪の色が様々で、まさに人種のるつぼといったところだ。
「それにしても、人が多すぎる」
アレクサンドラは顔を顰めた。
メインストリートは人で道が詰まっていて、まっすぐに歩くだけでも苦労する。大きな荷物も邪魔をして思うように進めなかった。身長はあっても体重の軽いアレクサンドラはたやすく突き飛ばされてしまう。
「エド、一本裏の路地を歩かないか?」
「まだこの街の事情に明るくないんだ、人の流れから外れない方がいい。荷物なら俺が持ってやるから」
「それは大丈夫。自分の勝手で荷物を増やしたんだから」
鞄の中には、航海道具がたっぷり詰め込まれていた。アレクサンドラにとっては宝物だ。壊れないように大事に抱えている。
「それにしても、波には酔わないのに、人に酔いそうだよ」
人から香る油や香水の匂いに、店から漂う肉や鮮魚や香辛料、なめし皮など、色々な匂いが入り混じっている。
思えば故郷のドミール帝国では馬車移動が多く、街中をのんびり歩くことは少なかった。名ばかりの男爵家とはいえ、買い物や家事は使用人が済ませていたからだ。アレクサンドラが街を歩くのは、軍の雑用で買いだしが必要な時くらいだった。
「帝国にも、こんな市場があったのかな」
アレクサンドラが周囲を見渡しながら荷物を持ち直そうとしたとき、皮袋が反対側の人波に引っかかった。
「あっ、ちょっと」
紐を引っ張ろうとすると、強い力で奪われた。偶然じゃない。
「ひったくりだ。エド、荷を取られた。追いかける!」
アレクサンドラは逆方向の流れに入り、ひったくり犯を追った。
「待てアレックス! ……気を許すなと言ったばかりなのに。あいつはいつも、返事だけはいいんだ」
エドワードは人波をかき分けながら、慌ててアレクサンドラを追いかけた。
「ジャスタークの港が見えてきた」
「予定通りだ」
「ねえ私、“俺”とか言った方がいいのかな?」
アレクサンドラは背伸びをして、エドワードの耳元で囁いた。エドワードは呆れた顔をして、視線だけで周囲に誰もいないことを確かめる。
「今更変える方が不自然だ。誰が乗り合わせていたのかわからないのだから。考えた上で態度を変えていないのかと思っていた」
「人称まで頭が回らなかったよ。名前もそのまま“アレックス”って名乗ればいいよね。幸い男性だって使う名前だし。私は表情に出やすいようだから、嘘は少ない方がいいな」
エドワードは肩をすくめて、アレクサンドラに並んで船縁に寄りかかった。
「そういう打ち合わせは、出航前にしておくべきだったな」
「ごめん。エドが来てくれると思ったら安心しちゃって、旅行気分になっていたよ」
丁度いい高さにある肩に、アレクサンドラは小さな頭をのせた。白い肌は日に焼けて、黒くなる代わりに桃色に染まっていた。肌は火照っているはずだが気にならない様子で、鼻歌混じりに手書きの海図を見ている。
アレクサンドラの白く細い項を、海から反射した光が照らしている。それをエドワードは目を細めながら見つめ、サラサラとしたブルネットをひとなでした。
「どうすればおまえが男に見えるというのか」
「ん? もう一度言って」
アレクサンドラはエドワードの肩に頭をのせたまま、すぐ近くにある青い瞳を見上げた。波の音で声がよく聞こえなかった。
「こちらのことだ。……これからが本番だぞ」
「うん」
女性であることを隠し、諜報員であることを隠し、ロバート海賊団に潜り込む。そしてアジトを見つけなければならない。
もしくは、赤い死神を討つ。
アレクサンドラは姿勢を正し、気持ちを引き締めた。
「思ったより立派な港だね」
下船の準備をして再び甲板に上がると、ジャスターク国の陸地が近づいていた。深い入り江の奥には整備された船着き場があり、船舶が四百艘以上は停泊しているだろうか。入り江の入り口は人工的に狭くされ、関所が設置されている。巨大な軍艦が入り江に入るのを阻止するためだろう。
石造りの突堤に降り立った二人は、繁華街に向かって歩き始めた。海岸沿いに色とりどりのテントが張られ、野菜や果物、毛皮や織物などの商品が売られている。
アレクサンドラは驚いたように、辺りを見回した。
「スパイスかな、いい匂い。なんだ、活気があっていい街じゃないか。死体と汚物と悪臭で溢れていると聞いて覚悟して来たのに」
「だが、夜は姿を変えるかもしれないぞ。気を許すな」
「わかった」
アレクサンドラはこくりと頷いた。
まず荷物を置くために、二人は宿屋を探した。宿屋は酒場を伴っていることが多いので、情報収集もできて一石二鳥だ。せっかくなら多くの海賊たちが集まる、大きな宿屋がいいだろう。
行き交う人々は肌や瞳や髪の色が様々で、まさに人種のるつぼといったところだ。
「それにしても、人が多すぎる」
アレクサンドラは顔を顰めた。
メインストリートは人で道が詰まっていて、まっすぐに歩くだけでも苦労する。大きな荷物も邪魔をして思うように進めなかった。身長はあっても体重の軽いアレクサンドラはたやすく突き飛ばされてしまう。
「エド、一本裏の路地を歩かないか?」
「まだこの街の事情に明るくないんだ、人の流れから外れない方がいい。荷物なら俺が持ってやるから」
「それは大丈夫。自分の勝手で荷物を増やしたんだから」
鞄の中には、航海道具がたっぷり詰め込まれていた。アレクサンドラにとっては宝物だ。壊れないように大事に抱えている。
「それにしても、波には酔わないのに、人に酔いそうだよ」
人から香る油や香水の匂いに、店から漂う肉や鮮魚や香辛料、なめし皮など、色々な匂いが入り混じっている。
思えば故郷のドミール帝国では馬車移動が多く、街中をのんびり歩くことは少なかった。名ばかりの男爵家とはいえ、買い物や家事は使用人が済ませていたからだ。アレクサンドラが街を歩くのは、軍の雑用で買いだしが必要な時くらいだった。
「帝国にも、こんな市場があったのかな」
アレクサンドラが周囲を見渡しながら荷物を持ち直そうとしたとき、皮袋が反対側の人波に引っかかった。
「あっ、ちょっと」
紐を引っ張ろうとすると、強い力で奪われた。偶然じゃない。
「ひったくりだ。エド、荷を取られた。追いかける!」
アレクサンドラは逆方向の流れに入り、ひったくり犯を追った。
「待てアレックス! ……気を許すなと言ったばかりなのに。あいつはいつも、返事だけはいいんだ」
エドワードは人波をかき分けながら、慌ててアレクサンドラを追いかけた。
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