癒しのあやかしBAR~あなたのお悩み解決します~

じゅん

文字の大きさ
9 / 44
一章 猫又とおばあちゃん

一章 4

しおりを挟む
 猫又は抱きしめられた。うっとりと目を細める。
 こうして人の温もりに触れるのはいつ以来なのだろうか。長い年月を生きる猫又でさえ忘れてしまうほど遠い昔だった。
「あなた、名前は?」
「ないにゃ」
 人と暮らしているときには確かあったはずだが、思い出せない。
「じゃあ、クロにしましょう。あなたはクロちゃん。真っ黒で毛並みもよくて素敵よ」
「ボクは、クロにゃ」
 クロの力がみなぎった。
 名前を与えられる、それだけで傷が治っていく気がした。
「でもボクはよく、黒猫は不吉だって石を投げられるにゃ」
「なんてひどいこと」
 老婦人はクロの頭を撫でた。
「黒猫って気品があって目立つから、きっと特殊なのよ。国によって全然扱いが違うのよ。幸運の使者だとしている国も多いの」
「ボクが幸運の使者にゃ?」
「そうよ。日本だって江戸時代には黒猫を飼うことが大流行したそうよ。幸運を呼ぶ縁起のいい動物で、結核が治るんですって。私もあやかりたいわ」
 クロはどきりとした。老婦人は病を抱えているはずだ。
「どこか悪いにゃ?」
「九十年も生きていれば、悪いところだらけよ」
 そう笑ってから、血管の浮いたしわだらけの細い手でまたクロをなでた。
「全身がんなの。おばあちゃんだからね、進行が遅くてこの状態でもう二年も経っちゃった。でも、さすがにそろそろだと思うのよ」
「おばあちゃん、死んじゃうにゃ?」
「あと半年か一年か。はっきりわからないけどね。急に悪化するそうよ」
「ダメにゃ。ボクがいればきっと治るにゃ」
「そうね、クロちゃんは幸運の使者だからね」
 老婦人は嬉しそうに微笑んだ。
 クロと老婦人は半年ほど穏やかに暮らしていた。
 どこに行くにも、なにをするにも一緒だった。老婦人は全身にがんが転移している状態だったが、一人で外出することもできた。
 しかし、老婦人が言っていたように容体は急変した。今では寝たきりで食事もほとんど摂れない。
 自宅で最期を迎えたいと希望している老婦人は在宅医療を受け、病と向き合っている。

   * * *

「おばあちゃんはもう長くないって医者が言ってたにゃ。吸血鬼が血を吸えば、おばあちゃんは死なないにゃ?」
「事情はわかりました」
 マルセルは顎に親指を当てて、思案するように目を細めた。
「確かにわたしは人を眷属にすることができます。しかしわたしには病巣を破壊する力はありません。若返ることもない。今の状態で時だけ止めることを、彼女が望むでしょうか」
 病魔におかされて食事もままならない、命の灯が消えようとしている今この瞬間で時を止めるということは、ベッドから動けず、痛みに堪えるだけの日々が永遠に続くということだ。
「それは地獄だな」
 蘇芳は首を振った。
「人魚はいないの? 人魚の肉を食べると不老長寿になるっていうでしょ。若返るって話もあったような」
 毬瑠子が尋ねると、マルセルはますます眉間にしわを寄せた。
「人魚の肉を食べて八百年生きたという八百比丘尼伝説ですね。肉を食べた十六歳のまま八百年生きたとも、年老いては若返ることを繰り返したともいわれています。しかし残念ながら、わたしは人魚に会ったことがありません。蘇芳はどうですか? あなたは顔が広いでしょう」
「知らねえな。そうやって血肉を狙われるなら、そうそう陸に上がってこねえだろ」
 どんな妖怪にもすぐに会える、というわけではないようだ。
「とにかくおばあちゃんに会ってほしいにゃ。おばあちゃんも吸血鬼に会いたいと言っていたにゃ」
「婦人が、わたしにですか?」
 マルセルは驚いたようだ。クロのために、今の状態で生きていくことを選ぶというのだろうか。
「このまま生きるかどうか、おばあちゃんに選んでもらったらいいにゃ。おばあちゃんはボクとずっと一緒にいたいはずにゃ!」
 クロは耳としっぽを下げて、大きな瞳に涙を浮かべて訴えた。
「わかりました。明日の朝、お宅に伺います」
 マルセルは承諾した。
「毬瑠子もつきあってくださいね」
「私も? なんの役に立たないよ」
 誘われると思っておらず、毬瑠子は慌てた。
 末期がん患者とどう接していいのかもわからない。毬瑠子の母は事故で突然亡くなったのだ。
「レディの家に男一人で押しかけるのは気が引けます。それに毬瑠子がいてくれたら心強い」
 マルセルにそう言われると断りにくかった。今日のバイトは突っ立っているだけでなにもしていないのだ。
 明日の大学の講義は午後からなので、午前中は空いている。
 待ち合わせ場所をマルセルと決めて、毬瑠子はバイト終了の十時に帰宅した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...