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一章 キライをスキになる方法

一章 12

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 ……いや、それは言い訳だ。
 美優の言っていたとおり、その本音は貴之が引き出さなければいけなかった。

 ――貴之の本業であるライターに一番必要なスキルは、実は文章力ではない。
 聞く力だ。
 本質を、本音を引き出す力だ。

 自信があったのにな……。
 いかに手を抜いていたのかを、まざまざと突きつけられた気分だ。

 美優にやられてしまった。
 完敗だ。敗北だ。
 貴之は軽く首を横にふった。

 そして、冷めたコーヒーを一気に煽るとテーブルの端に置き、鞄から筆記具を取り出した。
 これ以上、素人にやられっぱなしではたまらない。

「プロの面目躍如といきますか」

 貴之はごく小さく呟いて、ペンケースから愛用の万年筆を取り出し、長い指の上で器用にくるりと回した。

 父の形見でもある、木軸の万年筆だ。
 木目の浮いた木軸はよく手入れがされて、深い艶がある。木材の質感は指に馴染み、握っているだけでぬくもりを感じた。

 貴之はソファに浅く座り、姿勢を正した。
「今、草案を仕上げてしまおう」

 いつもの露草色の便せんにペン先を滑らせた。紙面へのあたりは柔らかくも適度な硬さがあり、紙を滑る感覚が指先に伝わってくる。カリカリとペン先と紙が擦れる音がした。

 おばあちゃんへ

 貴之はそう書き始めた。
 節子と萌々香との関係を聞けば「拝啓」から始めるのは堅苦しすぎた。定型文ではつまらなく、むしろ慇懃無礼だったかもしれない。

「氷藤さん、さすがに字は上手いですね」

 それじゃ「字だけ」みたいじゃないか。
 覗き込んでくる美優に文句をつけたくなったが、貴之は横目で軽く睨む程度にしておく。

 時に萌々香に質問をしながら、貴之は文章を書き進めた。
 そういえば、依頼人の目の前で草案を作るのは、いつ以来だろうか。
 ふと思い、貴之は薄い唇を爪でなぞった。

 代筆屋をはじめた頃はヒアリングに時間をかけていたし、目の前で話しながら仕上げることもあった。
 いつしか慣れて、電話越しでも話は聞ける、更にはメールでも問題ないと、だんだん簡素化していった。

 しかし、こうして対面で話を聞くと、表情や仕草、声の抑揚から気持ちがよく伝わってくる。

 初心にかえるか……。
 筆を走らせながら、貴之はそう考えていた。

   * * * *

 おばあちゃんへ

 二度目の手紙になります。あれから体調はいかがでしょうか。
 リハビリは順調だと美優さんにお聞きし、安堵しています。

 実はずっと、おばあちゃんに相談したいことがありました。
 就職先が決まらなくて、毎日すごくつらかった。
 だから、またおばあちゃんと話をして、元気をもらいたかったんです。

 でもね、既に答えをもらっていたことに気づきました。
 おばあちゃんならなんて言うかな、おばあちゃんがこの状況ならどうするかなって、想像してみました。

 おばあちゃんから教わった「キライをスキになる方法」で、今までたくさんの困難を乗り越えてきました。
 今回も同じだよね。

 せっかくいい大学に入学したんだから。
 お父さんもお母さんも期待しているから。
 だから、一流企業と言われるところしか狙っていなかったんだ。

 でも、今の私にとって、一流企業は必須なのかなって考えてみたんです。
 リストラも転職も当たり前の時代だから、企業の肩書よりも自分にスキルを蓄えることのほうが重要かもしれない。

 そうしたら、今からでも挑戦したい会社がみつかりました。どうして初めから狙わなかったんだろうと思うくらいだよ。

 きっとおばあちゃんに会っていたら「新卒での就職がゴールなの?」と言われていたと思います。

 人生百年と言われている昨今、きっと私は、これから五十年くらいは働かなきゃいけない。
 そんなに長ければ、途中でやりたいことが変わるかもしれません。
 だから今は、自分ができる範囲で、やりたいことを仕事にしようと思えました。

 私が成長したら、私を求める企業だって増えるはずです。
 そう思ったら、すとんと力が抜けました。ここで気落ちしている場合じゃない、先は長いんだぞって。

 背伸びをしても届かない上ばかり見て、勝手に疲弊していたんです。
 それに、内定したらおばあちゃんに会いに行くってご褒美を自分に設定したら、ますます就職活動をする気力がわいてきました。

 だから、おばあちゃんの全快が先か、わたしの内定が先か、競争です。

 おばあちゃんと会う日は、そう遠くない予感がしています。楽しみにしていてね。
 おばあちゃん。これからもよろしくお願いします。
                        三井萌々香 

   * * * *
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