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幕間一 なぜ代筆屋を始めたのか
幕間一 1
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カーテンの開いた窓から、淡い太陽光がさす放課後の教室。
卒業文集の係りの数名が、クラスに残っていた。
「貴之くんって、ホント字が上手いよね。大人の字みたい」
クラスメイトの女子が、貴之が書く字を見て感嘆した。
「絶対、うちのクラスのページだけ浮くね。完成度が高すぎて!」
「ありがとう」
シャーペンを持つ手をとめて、貴之ははにかんだ。毎日、地道に練習をしている字の成果を褒められるのは、素直に嬉しい。
貴之が達筆であることは有名だ。
教師の推薦で児童会の書記に決定し、遠足のしおりを作ることになれば、当たり前のように指名された。
そして小学六年生の冬、貴之は卒業文集係りになっていた。
体よく仕事を押し付けられている感もあるが、貴之は苦ではなかった。元来、人がよく面倒見のいい性格なのだ。
小学生にしては背が高く、容姿どおりに大人びていて物腰の柔らかい貴之は、クラスでもよく頼られ、男女ともに人気があった。
貴之の机の上には、集計途中のアンケートが積まれていた。
その一つのテーマが「将来の夢」。
貴之は漠然と、直筆を活かした職業に就きたいと考えていた。
それって、どんな仕事があるんだろう。書道家? ちょっと違うよな……。
「貴之、サッカーしようぜ。今日は絶対、貴之を連れて来いってみんなに言われてるんだよ」
ぼんやりしていると、教室に入ってきたクラスメイトの男子に誘われた。
「ごめん、文集の作業が終わるまで、しばらくかかりそうなんだ」
「いいよ貴之くん、いつも残ってくれてるじゃん。今日はわたしたちで進めておくから」
「そうそう、いってら!」
卒業文集係りのメンバーの許しが出たので、貴之はありがたく先に帰ることにする。片づけをして、立ち上がってランドセルを肩にかけた。
「ありがとう、また明日」
貴之が手を振ると、女子たちは笑顔で手を振り返した。
「おいおい貴之、女子に囲まれて、いいご身分だな。ハーレムってやつ?」
廊下に出ると、からかうように友人に肘で軽く胸を小突かれた。貴之は眉を寄せる。
「なに言ってるんだ、係りだよ。気になるなら、一緒にやろうよ」
「そんなことしたら、女子にニラまれるだろっ」
「なんでだよ。人数は多いほうがいいよ」
そんなやりとりをしながら、グランドに向かった。
久しぶりにたっぷりと友達と遊んだ貴之は、図書館に寄って本を借り、帰路についた。
スポーツも好きだが、読書も好きだ。
学校にいる間は誰かしらに話しかけられて、本を読む時間がないので、読書タイムは概ね自室だった。
夜七時頃に夕食に呼ばれるはずが、なかなか母親から声がかからない。本を閉じてリビングダイニングに向かうと、母親がソファに座っていた。テーブルに置いた紙とにらめっこしている。
「母さん、ご飯は?」
「あらやだ、もうそんな時間? お父さんたら遅いわね」
母親は困ったように眉をしかめると、思いついたように貴之を招いて、隣りに座らせた。貴之は既に母親の身長を超えている。
「ねえ貴之、これ書いて」
テーブルの上には、寄せ書きの色紙と、メッセージカードが置いてある。
「この文面を考えていたら、時間が経っちゃったの。こっちが退職をする上司への寄せ書きで、こっちがクリスマスプレゼントにつけるメッセージカード」
「それって、自分で書いたほうがいいんじゃないの?」
「お母さんが字が下手なこと、知ってるでしょ。内容はお母さんが考えたんだから、いいのよ」
そうかなあ、と思いながらも、貴之は母親の言葉を記していく。
そこにピンポンと呼び鈴が鳴った。母親が玄関に迎えに行き、父親とともに戻ってきた。
母親は小柄で華奢だが、父親は背が高い。貴之は父親似だ。
「おかえり」
貴之が声をかけると、ネクタイを外しながら父親が「ただいま」とにこやかに応えた。
「ほら、見て。あなたが帰ってこないから、貴之に書いてもらったのよ」
母親は、貴之が書いた色紙とメッセージカードを夫に見せた。
「おっ、父さんの字にそっくりだな」
「あなたよりも貴之のほうが上手いかも」
「そうだな」
笑いながら、褒めるように父親が貴之の頭に手をのせた。
「でも、よかったのかな。寄せ書きとかに俺が書いちゃって。内容は母さんが考えたんだけどさ」
「なら、いいんじゃないか」
父親はあっさりと肯定した。
「文字は、ただのツールだから」
貴之は父親を見上げながら、首をかしげた。父親と母親は、貴之の両隣りに腰を下ろしす。
「大切なのは、なにを伝えたいかだ。話し言葉でも、手書き文字でも、電子メールでも、伝わるだろ」
「でもなんか、重みが違うような」
「どう違う?」
父親に問いかけられて、貴之は考える。
「たとえば感謝を伝えたいとき、メールで『ありがとう』って打つより、会って『ありがとう』って言ったほうが、より感謝が伝わると思う」
「どうしてそう思う?」
「えっと……」
貴之は即答できない。重ねて問われると思わなかった。
「メールだと適当に打てるというか。会うってことは、わざわざ会いに行く時間をかけるわけだし。あっ、直接会うと、表情とか声のトーンでも、本当に感謝してるってことが伝わるよ」
答えた後に、なんでこんな話をしてるんだっけ? と貴之は思う。
「なるほど、貴之の言うとおり」
父親はうんうんとうなずいた。
「じゃあ、極端な照れ屋さんがいるとしよう。好きだと告白したいけど、恥ずかしくて本人に直接言えない」
たとえが愛の告白になったので、貴之はこそばゆくなって身じろいだ。
恋愛がテーマの小説を読むことはあるが、実体験としては、まだわからない。
「その照れ屋さんは、対面で伝えることに拘っていたら、一生告白できずに後悔するかもしれない。緊張しすぎて電話もかけられない。字にもコンプレックスを持っていて、手紙を書くことも不可能だ」
「それなら、DMとかで告白してもいいかも」
貴之はスマートフォンで文字を打つ仕草をした。
「だろ。その人に合ったツールを使えばいいんだ」
「あっ」
そういえば、「文字はただのツール」という父親の言葉から、こんな会話が始まったのだと貴之は思い出した。
「母さんは、文字を書くのが得意ではない。メッセージカードのほうはプリントしてもいいかもしれないが、寄せ書きはそうもいかないだろ」
「貴之が綺麗な字で書いてくれたから、お母さん、堂々とメッセージを渡せるわ」
母親はにっこりと微笑む。
父親も、改めて色紙を手に取って貴之の字を見る。
「さっき貴之は、話したほうが気持ちが伝わると言っていたが、文字から受け取る情報も多い。字の大きさ、太さ、濃さ、バランス、とめ、はね、はらい。貴之はとても丁寧に書いたことが伝わってくるよ」
「ええ、すごく真剣に書いてくれたわよ。ありがとうね、貴之」
二人に褒められて、貴之は頬を染めた。
もっと上達して、文字を書く職業に就きたいな。
貴之は、そんな思いを強くした。
――その一年後、両親は他界した。
卒業文集の係りの数名が、クラスに残っていた。
「貴之くんって、ホント字が上手いよね。大人の字みたい」
クラスメイトの女子が、貴之が書く字を見て感嘆した。
「絶対、うちのクラスのページだけ浮くね。完成度が高すぎて!」
「ありがとう」
シャーペンを持つ手をとめて、貴之ははにかんだ。毎日、地道に練習をしている字の成果を褒められるのは、素直に嬉しい。
貴之が達筆であることは有名だ。
教師の推薦で児童会の書記に決定し、遠足のしおりを作ることになれば、当たり前のように指名された。
そして小学六年生の冬、貴之は卒業文集係りになっていた。
体よく仕事を押し付けられている感もあるが、貴之は苦ではなかった。元来、人がよく面倒見のいい性格なのだ。
小学生にしては背が高く、容姿どおりに大人びていて物腰の柔らかい貴之は、クラスでもよく頼られ、男女ともに人気があった。
貴之の机の上には、集計途中のアンケートが積まれていた。
その一つのテーマが「将来の夢」。
貴之は漠然と、直筆を活かした職業に就きたいと考えていた。
それって、どんな仕事があるんだろう。書道家? ちょっと違うよな……。
「貴之、サッカーしようぜ。今日は絶対、貴之を連れて来いってみんなに言われてるんだよ」
ぼんやりしていると、教室に入ってきたクラスメイトの男子に誘われた。
「ごめん、文集の作業が終わるまで、しばらくかかりそうなんだ」
「いいよ貴之くん、いつも残ってくれてるじゃん。今日はわたしたちで進めておくから」
「そうそう、いってら!」
卒業文集係りのメンバーの許しが出たので、貴之はありがたく先に帰ることにする。片づけをして、立ち上がってランドセルを肩にかけた。
「ありがとう、また明日」
貴之が手を振ると、女子たちは笑顔で手を振り返した。
「おいおい貴之、女子に囲まれて、いいご身分だな。ハーレムってやつ?」
廊下に出ると、からかうように友人に肘で軽く胸を小突かれた。貴之は眉を寄せる。
「なに言ってるんだ、係りだよ。気になるなら、一緒にやろうよ」
「そんなことしたら、女子にニラまれるだろっ」
「なんでだよ。人数は多いほうがいいよ」
そんなやりとりをしながら、グランドに向かった。
久しぶりにたっぷりと友達と遊んだ貴之は、図書館に寄って本を借り、帰路についた。
スポーツも好きだが、読書も好きだ。
学校にいる間は誰かしらに話しかけられて、本を読む時間がないので、読書タイムは概ね自室だった。
夜七時頃に夕食に呼ばれるはずが、なかなか母親から声がかからない。本を閉じてリビングダイニングに向かうと、母親がソファに座っていた。テーブルに置いた紙とにらめっこしている。
「母さん、ご飯は?」
「あらやだ、もうそんな時間? お父さんたら遅いわね」
母親は困ったように眉をしかめると、思いついたように貴之を招いて、隣りに座らせた。貴之は既に母親の身長を超えている。
「ねえ貴之、これ書いて」
テーブルの上には、寄せ書きの色紙と、メッセージカードが置いてある。
「この文面を考えていたら、時間が経っちゃったの。こっちが退職をする上司への寄せ書きで、こっちがクリスマスプレゼントにつけるメッセージカード」
「それって、自分で書いたほうがいいんじゃないの?」
「お母さんが字が下手なこと、知ってるでしょ。内容はお母さんが考えたんだから、いいのよ」
そうかなあ、と思いながらも、貴之は母親の言葉を記していく。
そこにピンポンと呼び鈴が鳴った。母親が玄関に迎えに行き、父親とともに戻ってきた。
母親は小柄で華奢だが、父親は背が高い。貴之は父親似だ。
「おかえり」
貴之が声をかけると、ネクタイを外しながら父親が「ただいま」とにこやかに応えた。
「ほら、見て。あなたが帰ってこないから、貴之に書いてもらったのよ」
母親は、貴之が書いた色紙とメッセージカードを夫に見せた。
「おっ、父さんの字にそっくりだな」
「あなたよりも貴之のほうが上手いかも」
「そうだな」
笑いながら、褒めるように父親が貴之の頭に手をのせた。
「でも、よかったのかな。寄せ書きとかに俺が書いちゃって。内容は母さんが考えたんだけどさ」
「なら、いいんじゃないか」
父親はあっさりと肯定した。
「文字は、ただのツールだから」
貴之は父親を見上げながら、首をかしげた。父親と母親は、貴之の両隣りに腰を下ろしす。
「大切なのは、なにを伝えたいかだ。話し言葉でも、手書き文字でも、電子メールでも、伝わるだろ」
「でもなんか、重みが違うような」
「どう違う?」
父親に問いかけられて、貴之は考える。
「たとえば感謝を伝えたいとき、メールで『ありがとう』って打つより、会って『ありがとう』って言ったほうが、より感謝が伝わると思う」
「どうしてそう思う?」
「えっと……」
貴之は即答できない。重ねて問われると思わなかった。
「メールだと適当に打てるというか。会うってことは、わざわざ会いに行く時間をかけるわけだし。あっ、直接会うと、表情とか声のトーンでも、本当に感謝してるってことが伝わるよ」
答えた後に、なんでこんな話をしてるんだっけ? と貴之は思う。
「なるほど、貴之の言うとおり」
父親はうんうんとうなずいた。
「じゃあ、極端な照れ屋さんがいるとしよう。好きだと告白したいけど、恥ずかしくて本人に直接言えない」
たとえが愛の告白になったので、貴之はこそばゆくなって身じろいだ。
恋愛がテーマの小説を読むことはあるが、実体験としては、まだわからない。
「その照れ屋さんは、対面で伝えることに拘っていたら、一生告白できずに後悔するかもしれない。緊張しすぎて電話もかけられない。字にもコンプレックスを持っていて、手紙を書くことも不可能だ」
「それなら、DMとかで告白してもいいかも」
貴之はスマートフォンで文字を打つ仕草をした。
「だろ。その人に合ったツールを使えばいいんだ」
「あっ」
そういえば、「文字はただのツール」という父親の言葉から、こんな会話が始まったのだと貴之は思い出した。
「母さんは、文字を書くのが得意ではない。メッセージカードのほうはプリントしてもいいかもしれないが、寄せ書きはそうもいかないだろ」
「貴之が綺麗な字で書いてくれたから、お母さん、堂々とメッセージを渡せるわ」
母親はにっこりと微笑む。
父親も、改めて色紙を手に取って貴之の字を見る。
「さっき貴之は、話したほうが気持ちが伝わると言っていたが、文字から受け取る情報も多い。字の大きさ、太さ、濃さ、バランス、とめ、はね、はらい。貴之はとても丁寧に書いたことが伝わってくるよ」
「ええ、すごく真剣に書いてくれたわよ。ありがとうね、貴之」
二人に褒められて、貴之は頬を染めた。
もっと上達して、文字を書く職業に就きたいな。
貴之は、そんな思いを強くした。
――その一年後、両親は他界した。
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