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羽化したセミは夏の夢を見るか
しおりを挟む「セミはね、土の中でたくさんお勉強するの。そして大人のセミになったら外に出てくるの。だけどね、外に出たセミは二週間しか生きられないのよ。かわいそうね。それでも、セミたちは毎日を全力で生きるため、大きな声を出してるのよ」
私がまだ幼稚園に通っている頃、裏庭から聞こえてくるセミの鳴き声が急に怖くなることがしばしばあった。そのたびに何度も「うるさい!」って騒ぐのだが全く鳴き止まず、遂には根負けして、セミよりも大きな声で祖母に泣きついた。きっと、自分よりも大きなもの、得体の知れないものに恐怖を抱く年頃だったのだと思う。そんな私を優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた祖母は、私が泣き止むのを待ってから、赤子をあやすようにセミの話をしてくれた。
あれからもう10年の月日が過ぎたのだが、春から夏へと季節が移るたび、セミの話を思い出しては少しだけ切ない気持ちにさせられた。
ーー
8月も下旬になり、夏も終わる頃だと思っていたが、それはそれは暑かった。BGM代わりに流していたテレビ番組では、バナナやレモンを凍らせて作る、今流行りのドリンクの特集をしていた。「これで残暑を乗り切ろう」という謳い文句を聞いて、わたしはテレビの電源を切った。外ではアブラゼミやミンミンゼミ、ツクツクボウシといった様々なセミたちの声が聞こえる。
「もう嫌」
口から出た心の声が空を切る。充電していたスマートフォンを手に取り、私は外に出た。
早くこの田舎から抜け出したかった。
8月の太陽が容赦なく私を照りつける。光を遮るビルがなければ、冷たいココアが飲めるような喫茶店があるわけでもない。見渡す限りみどり一色の田んぼだった。のどかな田園風景と言えば聞こえはいいが、田舎生まれ田舎育ちの私から言わせれば、ここは不便で何もない、そしてうるさいだけの集落であった。5年ほど前に、県庁所在地である隣の市に吸収合併され、一応はこの村も県庁所在地を名乗れる立派な「市」になったわけだが、どれだけ待っても都市開発はされなかった。その実、2階より高い建物は田んぼの影になってしまうとかで、この地域だけ建設の制限を設けた条例が施行されていたらしい。
家の前の農道を20分ほど歩くと目的地に着く。道中、草むしりをしていたおじさんに挨拶をされるというハプニングもあったが、会釈をすることでなんとか乗り切った。距離にするとだいたい1キロだろうか。体力にあまり自信のない私は、目的地に着くや否や、真っ先に自動販売機に向かい、清涼飲料水のボタンを押し、そのまま一気に飲み干した。
木が生い茂る小さな山を少しだけ整備した公園、ここが私のお気に入りの場所だ。
自動販売機のある入り口から、遊具やベンチが置いてある広場に行くには、文字通り山を登らなくてはならない。普段であれば、レンガが敷き詰められた綺麗な道を、ゆっくり歩いて行くのだが、今日は近道と言う名のけもの道を突き進んで行った。
広場には誰もいなかった。この時期はみんな、溜まりに溜まった夏休みの宿題で忙しいのだろう。家の周りで聞こえていたセミの声も、ここでは数を減らし、目くじらをたてるほど気にはならなかった。ハーフパンツのポケットに入れていたスマートフォンで時刻を確認する。もうすぐ15時53分。私はこの場で深呼吸をし、何をするわけでもなく、スマートフォンをいじり始めた。
「月島ごめん! 待たせちゃったね」
「全然待ってないよ。私もさっき着いたところだから」
私は握りしめていたスマートフォンをポケットに戻し、彼の元へと歩み寄った。
彼とは半年ほど前からお付き合いをしている。バレンタインの日に告白をしてくる風変わりな人だけど、それでも優しくて運動もできる、素敵な人だ。
手を繋いで公園内を歩く。田舎の中学生のデートなんて、お互いの家で遊ぶか、公園や堤防で話をするかくらいのものだ。そして夕食時には「また学校でね」なんて言って解散をする。家に帰ればメッセージアプリで連絡を取り合うし、たまに電話だってする。それでも私は、二人で喫茶店に行ったり、カラオケしたり、タピオカ屋さんにも行ってみたい。そういう、いわゆる普通の"デート"がこの村ではできない。彼との付き合いが長くなるにつれ、友達だった頃と何も進展しない私たちの関係が、段々と縺れていく。そんな気がしてきて、私は少しだけ泣きそうになるのを我慢した。
どのくらい歩いただろう。空も暮れ始め、そろそろ帰る頃合いだと思い、彼の顔をみる。そんな視線を感じたのか、彼はそっと私の頭を撫でる。いつものお別れの儀式だ。
レンガが敷き詰められた道を下り、公園の入り口を向かう最中、ふと彼が立ち止まる。「どうしたの?」と聞く私に、彼は目の前の木に止まっている2匹のセミを指差して話した。
「セミってさ、2週間の命なんだってね。それでも自分の運命にめげずに、こうして大きな声を出して、愛を叫んでるのってロマンティックじゃない?たぶん右がオスで、左がメスかな」
目を輝かせながら語る彼に、私は何も言葉がでなかった。虫が苦手なわけでも、ロマンティックな話が嫌いなわけでもない。ただ、彼のその非現実的な考えと、それに対して辟易してしまった私の子供じみた感情とが織り交ぜになり、普段から我慢していた想いが決壊するのを耐えてた。
「月島? どうかした?」
あ、もうダメだ。
黒く濁った感情という波が溢れでる。手で掬っても戻すことのできない想いは、巡り巡って私を飲み込む。
「そのセミは愛なんて囁いてないよ。このセミも隣のセミもそう。ただただ『死にたくない』『もっと羽ばたいていたい』彼らはそれしか言ってないよ。土から出て、蛹になって、羽化した今もずっと」
「そ、そんなこと……」
口をぽっかり開け、何か怖いものを見るような彼の目を、私はたぶんずっと忘れないだろう。
何か言いかけた彼の言葉を遮り、私は続けた。
「私ね、聞こえるの。物心ついた頃からずっと、セミたちの"声"が。みんな苦しそうだった。最初は何か怖い人たちの叫び声だと思ってた。だけど違った。祖母に間近でセミを見せられたとき、あ、この子の叫び声なんだなって気づいたの。その日以降、私は夏が嫌いになった。どこに行っても"声"が聞こえるの。ねえ、私の気持ちわかる?」
ああ、やってしまった。
叫びきった心の声は津波となって彼を襲う。急に豹変するやばい女って思われたかもしれない。もう話すこともできないかもしれない。そして何より、純粋無垢な彼の心を傷つけたかもしれない。色々な思いが私の心を上書きしていく。「後悔先に立たず」という言葉は今日のためにあったのかもしれない。自分のしてしまった事の大きさに耐えきれなくなり、私はその場で泣き崩れてしまった。
「月島……」
側で差し伸べてくれた彼の手を、私は握り返すことができない。ただただ「ごめんね」を繰り返すしかできなかった。
そんな私の隣に彼はしゃがみ込み、黙って肩を寄せてくる。その無言の優しさが嬉しくもあり、辛くもあった。「ああ、彼はこういう人。だから私は好きになったんだ」全身に血が巡り、お腹の真ん中あたりが温かくなったのを感じた。
私は彼の顔を覗いた。目を合わせるのは少し怖かったが、ちゃんと謝らなきゃという気持ちが、私を突き動かした。
「あの、さっきはごめんね」
震える声を恥ずかしがる余裕も今の私にはなく、私の精一杯の謝罪は彼に届いたかどうかさえも分からなかった。きっと数秒だったと思う。だけど、彼の返答を待つ時間が、私にとってはとても長く、それこそ永遠に近い時間だった。
「月島、驚くかもしれないけど聞いてほしいんだ」
震える私の手を握りながら、優しく言葉をかけてくれる彼の手もまた震えていた。
「実は俺、人の心の"声"が聞こえるんだ。先生や家族、学校のみんなだってそう。誰が好きで誰が嫌いなのか。何が好きで何が嫌いなのか。俺の意思に関係なく全て耳に入ってくる。だから、その、月島がセミの声が聞こえるのも知っていたし、俺のことが、す、好きだってことも知ってた。初めて知った時はまじで嬉しかった。それでも告白する勇気が出なくて、変なタイミングで付き合うことになったけど、それでも、付き合えるようになって、俺は人の心の"声"が聞こえてよかったって思ってるよ」
「あ、いっぱい喋っちゃってゴメン。やっぱり引いたよね?」
そう聞く彼の顔はひどく真っ赤になっていた。私は彼の手を引っ張り、その場で立ち上がった。まだ少しだけ怖かったけど、それでも繋いだこの手は離したくなかった。
「聞かなくたって分かってるでしょ? バカ」
外も暗くなり、少しだけ肌寒くなった。季節の変わり目を肌で感じていた私たちは、お互いの手を強く握り、農道を駆けていく。学生の恋愛は熱しやすく冷めやすい。私たちの関係もいつまで続くか分からない。だけど、今は彼の声しか聞こえない。それが何よりも幸せだった。
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