年下王子と未亡人令嬢

紺乃 藍

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新たな花嫁を求めて ①


「ティアナお姉さま、ごらんになって!」

 王宮庭園の壮麗な風景を眺めながら石畳の上を進んでいると、隣を歩いていたはずのミリアの呼び声がなぜか後ろから聞こえてきた。足を止めて振り返ってみると、ティアナが通り過ぎた噴水の前でミリアが足を止め、その中を興味津々に覗き込んでいる。

「噴水の底に水晶が埋め込まれているの!」
「ふふふ、綺麗よね」
「お姉さま、ご存じだったの?」
「もちろんよ」

 驚きと感動で目を輝かせるミリアがあまりにも可愛らしくて、思わずくすくすと笑ってしまう。

 シルヴァーノ伯爵家の庭のそれとは比較にならないほど大きな噴水の水底には、青と紫の水晶を使った美しい幾何学模様が描かれている。ティアナも最初に見たときはその美しさに心を奪われたので、つい寄り道をしてしまったミリアの気持ちもよくわかる。

「といっても、私も王宮に来たことはほんの数回しかないけれど」
「お姉さま、すぐに結婚してしまいましたものね」

 不満げに唇を尖らせるミリアに苦笑いのまま頷く。彼女のいうように、ティアナは十六歳で社交界へデビューしたが、二年後にはジャック=イクシア侯爵との結婚が決まり、さらその一年後にはイクシア侯爵家へ嫁いでしまったため、王宮を訪れる機会はほとんどなかった。そのため噴水の底の模様を『知っている』とは言ったが、実際には『一度は見たことがある』程度でしかない。

 そもそもティアナは、王都へ足を踏み入れることすら久々だ。実は半年ほど前に一度この地を訪れてはいるが、あのときは自身の目的遂行を最優先していたため必要のない場所には一切立ち寄らなかったし、当然王宮にも近づいていなかった。よってこの場を訪れるのは、ティアナも久々である。

 本当は王都を訪れる予定などまったくなかった。身体が弱く体調を崩しがちなミリアには、人も物も多い都会的な王都よりも、空気が澄んでいて長閑なシルヴァーノ伯爵領の環境が合っている。ティアナ自身も、社交の場で愛想を振りまいて人脈形成や情報収集に勤しむことはさほど得意ではない。

 ならば社交のあれこれは父に任せ、ティアナとミリアは自領の邸宅で仲良く慎ましく暮らしていくのが理想だと思っていた。

 だが状況が変わった。思いもよらない招集に応じなければならなくなった。――我がファルトニア王国の王室より国内すべての貴族家に向けて、『現在未婚の令嬢の中から第二王子アレクシス=ファルトニアの花嫁を選出することになったため、該当する令嬢はもれなく王宮を訪れるように』との王命が下ったのだ。

 この突然のお触れに、未婚の令嬢を持つ貴族たちは大いに色めき立った。現在ファルトニア王族には四人の王子がいるが、第一王子はすでに結婚、第二王子と第三王子は婚約済み、第四王子はまだ十歳にも満たない未成年という状況が長く続いていたので、まさか第二王子が婚約を解消し新たな花嫁を選ぶと言い出すとは、誰も想像していなかったのだ。

 そしてその『未婚の令嬢』に、妹のミリアも該当した。ミリアは『私は興味ありません』と断言したが、お触れを受けた父マクシムは期待に胸と鼻の穴を膨らませ、ミリアに大至急王都へ来るよう求めてきたのだ。

 父の呼び出しに渋々応じることにしたミリアだったが、身体が弱く病気がちな彼女を一人で王都に送り出すわけにはいかない。ティアナとミリアは早くに母を亡くしており、シルヴァーノ伯爵家には夫人がいないため、ミリアを母に任せてティアナは領地に残る、という選択も、もちろんその逆もできない。

 よって王室が求める『花嫁の選定』に応じる間、シルヴァーノ伯爵領や邸宅の管理は家令や執事たちに任せ、ティアナもミリアに伴って王都を訪れることにした。

 久々に会った父は、相変わらずティアナに冷たかった。彼は今でもイクシア侯爵家から離縁されたティアナを恥ずべき娘だと感じて、できれば人前に出したくないと考えているらしい。

 しかしあいにく、今回の花嫁選定には男性の付き添いが一切許可されていない。おそらくその家の長である父や兄の意向が令嬢の意思に反映される可能性、この機に乗じた政治的戦略や思惑が影響する可能性を排除するため、一律禁止する方針となったのだろう。

 よって病気がちで社交の場にほとんど足を踏み入れたことのないミリアをサポートすべく、ティアナが今回の付き添いを務めることとなった。

 マクシムは自身の知り合いの夫人を同行させようと準備していたようだが、ミリアに『私、ティアナお姉さまがいいです。お姉さまが一緒じゃないのなら行きません』と言われてしまったため、仕方なくティアナの付き添いを受け入れることにしたらしい。

 今ここでミリアにそっぽを向かれたら父の大出世計画はご破算になってしまうので、怒りたくても怒るわけにはいかない。本当は離縁の事実をひた隠しにしてきた長女を公の場に出したくはなかったが、最終的に背に腹はかえられぬ、という判断になったようだ。

 父の心境を思うとつい苦笑いがこぼれてしまうティアナだったが、ふいに噴水の中を見遣ると、水底に煌めく青い水晶が目に入る。

 描かれた模様は無数の線や円を組み合わせた複雑な図柄だが、きらきらと光る青はライトブルーにもディープブルーにもロイヤルブルーにも見える気がして、ティアナの胸の奥にもゆらりと波が立った。

(あの方は、どうしているかしら……)

 ティアナが『月の仮面舞踏会』へ参加した夜から、約七か月が経過した。その間に満月の日も七度訪れ、宵闇に浮かぶ大きな月を見上げるたびにティアナもあの日の出来事を思い出した。

 甘美な夜に想いを馳せれば、胸の奥にあたたかいぬくもりを感じる。それと同時に下腹部の奥が疼いて、頬も熱く火照っていく気がする。

(幸せになってくれているといいのだけれど……)

 あの夜抱き合った黒い髪と青い目を持つ男性は、自分の信念を捻じ曲げてまで婚約者の要求に応える道を選んだ。身を裂くほどの辛い想いをしていたはずなのに、彼は常にティアナを気遣って、優しい言葉をかけ続けてくれた。

 だからティアナは、どうか上手くいってほしい、彼に幸せになっていてほしい、と心から願っている。

 しかし今は思い出に浸っている場合ではない。はた、と我に返って頭を振ったティアナは、美しい模様に魅入っているミリアに声をかけると、噴水の傍をそっと離れた。

「そろそろ行きましょう、ミリア。もうすぐ時間よ」
「はい、お姉さま」

 ティアナと同じように噴水から離れたミリアと並び、再び正面エントランスに向かって歩き出す。

 しかしミリアは初めてのファルトニア王宮にどうしてもそわそわしてしまうようで、なにかを話していないと落ち着かないようだ。

「お姉さまも、アレクシス殿下には会ったことがないのですよね?」
「そうね」

 後ろからついてくるシルヴァーノ伯爵家の侍女にはどんな会話を聞かれても構わないが、王宮の関係者や他家の者には些細な一言すらどう受け取られるかわからない。ミリアもそれを心得ているようで、門番を務める近衛騎士や王宮に勤める使用人、身分の確認や案内をしてくれる執事の前では淑やかにしている。

 だが令嬢たちとその付き添い人が一堂に会する大広間に入ってからは、気を紛らわすように小声での雑談をしたがった。

「アレクシス殿下は今年で二十一歳だもの。三つも年齢が違うと、接点はほとんどないわね」
「そう、私とも三歳違うのよ。接点もないし、きっと話も合わないわね!」
「ちょっと、ミリア……。お父さまの耳に入ったら怒られるわよ?」
「別に構わないわ。どうせお父さまは、私の話なんてぜんぜん聞いてくれないんだもの」
「……もう」

 ミリアが愛らしい頬を膨らませながらそっぽを向くのでつい呆れた声が出てしまうが、実際はティアナもその言い分に完全同意だ。

 本当はミリアも、そしてもちろんティアナも、王族との結婚には一切の興味がない。この大広間の中では少数派、なんなら唯一かもしれないが、早く選定から落とされて領地に帰りたいと思っている。自分の地位や体裁ばかり重視し、二人の娘の話をまったく聞いてくれない父に辟易しているのだ。

「皆さま、ようこそお集まりくださいました」

 二人でため息をつき合っていると、広間の中央にこの場の進行役と思わしき年配の男性がやってきて、高らかな声を発した。その声を耳にした人々が一斉に口を閉ざすと、こんなにも大きな広間であるにもかかわらず、水を打ったように空気がしん、と静まり返る。

「これより、ファルトニア王国の第二王子である、アレクシス=ファルトニア殿下の花嫁選定をはじめます」

 男性の宣言の直後、ティアナたちが入場してきた扉ではなく大広間の奥にある別の扉が開いて、その向こうから一人の男性が進み出てきた。

 扉の傍にいた女性たちはすぐに男性の正体に――たった今紹介された第二王子のアレクシスが入場してきたと気づいたらしく、広間の奥からは感嘆と陶酔のため息が聞こえてくる。

「僭越ながら私からご紹介させていただきます。ご存じのご令嬢もいらっしゃるとは存じますが、こちらがファルトニア王国の第二王子、アレクシス=ファルトニア殿下であらせられます」
「はじめましての方も多いですね。アレクシスと申します。以後どうぞお見知りおきください」

 アレクシスがにこやかな笑みとともに名乗ると、その場に集った女性たちが一斉にカーテシーを行う。一人の男性に数十人の女性たちが礼を取る様子はなんとも壮観だ。しかし今のティアナとミリアはオーディエンスではない。動きが遅れて目立つことがないよう、二人も他の女性たちに合わせてドレスの裾を持ち上げ、ゆっくりと膝を落とした。

(彼が、アレクシス殿下……)

 姿勢を正して前を向くと、改めて第二王子の姿を観察する。

 遠目からでもわかる艶やかな黒髪と、青く澄んだ美しい瞳。高い身長としなやかに引き締まった体躯。凛々しく整った顔立ちと優しげな笑みは、貴族家の女性だけでなく男性も国民も惹きつけることだろう。それに正統な血筋を持つ王族のみが身に纏うことを許れた『王室聖装』も、彼によく似合っていると思う。

(どこかで会ったような……?)

 遠くからアレクシスを観察していたティアナはふいに、その堂々たる姿ではなく、なぜか彼の存在そのものに奇妙な既視感を覚えた。

 どうしてだろう。なぜこんなにも胸の奥がざわめくのだろうか。誰かに似ていて気になるのだろうか。もしやどこかで会ったことがあるのだろうか――?

 他の令嬢やその付き添い人たちと同じようにアレクシスの姿に釘付けになっていたティアナだったが、そこでふと彼の視線が不思議な動きをしていることに気づく。

(? 誰かを探している……?)

 自身を紹介する進行役の男性に上手く相槌を打ってはいるが、その意識は男性ではなく、集まった女性たちの中にあちこちと移動しているように思う。

 一見堂々として落ち着いた王子さまのように見えるが、案外そわそわと緊張しているのかもしれない。そう気づくといつものミリアを見ているような微笑ましさを感じてしまい、三歳年下のアレクシスを『可愛い』と思ってしまうティアナであった。
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