年下王子と未亡人令嬢

紺乃 藍

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いたずらな風のせいで


「はぁ……。やっぱり暑いわね……」

 夏の盛りが近づいてきたためか、ファルトニア王宮の庭園はひどい湿気と暑さに包まれている。以前通りがかった噴水の周囲ならばまだ涼しさを感じられるかもしれないが、奥にある薔薇園の辺りは特に蒸し暑い。きっと朝に撒いた水が蒸発したせいだろう。

「外でやらなくてもいいと思うのだけれど……」

 庭園の奥から正面エントランスに向かって足早に歩を進めるティアナは、妹ミリアの体調を思うあまり少々不機嫌になっていた。

 たしかに、アレクシスの姉である第一王女が、弟の花嫁候補である令嬢たちに『私が大切にしている可愛い薔薇たちを見てほしい』と思う気持ちは、わからないでもない。その美しい花々をどのように褒めるか、その褒め方も含めて第一王女に気に入られるかどうかも、花嫁選定の評価対象となるのだろう。

 それはわかるが、なにもこの炎天下の屋外でお茶会を開く必要はないだろう。最初は屋内の予定だったのに、『やっぱり外の方が良く見えるわよね』と急に意見を変えないでほしい。自分は日の当たらない日陰の席を確保しておきながら、候補者の令嬢たちは直射日光の下というのは、いかがなものかと思うのだ。

 もちろん日焼けも気になる。だがそれよりも、身体が弱いミリアにとって日照りの下はあまりにも過酷だ。だからティアナはミリア本人に『無理はしなくていいのよ』とこの場を辞することを提案したが、後ほどアレクシス本人もお茶会に合流すると知っていたためか、『殿下に挨拶するまでは頑張るわ』と言われてしまった。

 悩んだ末に、ティアナは第一王女と進行役の執事へ『日傘をさしてもいいですか?』と訊ねた。せめて日陰を作ってあげれば、少しは暑さが和らぐのでは、と思ったのだ。

 意外なことに王女の許可はすんなり下り、『たしかにその方がいいかもしれないわね』と頷かれた。だったら今からでも屋内へ移動してもらいたかったが、そこを譲るつもりはないらしい。

(急がなきゃ……!)

 最大限の譲歩をしてもらったならば、と気持ちを切り替えたティアナは、サッと踵を返して王宮の正門横にある馬車留めへと走った。

 今日は午後からの授業がなく、お茶会自体も数時間で終わる予定だったので、各家の馬車は留めたままにしてもよいと通達されている。その中のシルヴァーノ伯爵家の馬車に、ミリアの日傘が積んであったはずだ。

 庭園を抜けて大急ぎで正門へ向かう。バタバタと走ることはないが、できるだけ早く日傘を得て戻ってこなくてはならない。こういうときのために自分ではなく従者を伴った方がいい気もするが、先ほどのような状況になったとしても、普通の侍女は王宮の執事や王女に直接質問することができない。そう考えると、やはりこの先も自分がミリアに付き添うべきだろう、と思う。

「あっ!」

 そんなことを考えながら石畳の通路を移動していたティアナに、思わぬ災いが降りかかる。

 突然びゅう、と風が吹いて、被っていた帽子が飛ばされてしまったのだ。

「帽子が……!」

 ふわりと風に舞い上げられたティアナの帽子が、すぐ傍にそびえ立っていた木の枝に引っかかる。それを見上げてしばし呆然としてしまう。

 どうやら帽子に添えられた飾りに枝の先が刺さっているらしく、数秒待ってみても、木を揺すってみても、帽子が下に落ちてくる気配はない。

「ん! ん~~!」

 どうにか届かないものかと背伸びをして、手も伸ばしてみる。しかし届かない。まったく届かないわけではなく中指の先はどうにかプリムの下端に触れるのだが、それだけでは掴めないし、落ちてもこない。ジャンプをしたら届かないかと一度だけその場で跳んでみたが、結果はやはり同じだった。

 どうしよう、と逡巡する。

 王宮庭園を彩る樹木に帽子が引っかかったまま放置するのは、あまりにも不格好だ。美しい景観を損なってしまうのは、日々懸命に手入れをしているであろう庭師にも申し訳ない。

 ティアナ自身もこの暑さの中で日除けの帽子は失いたくない。最悪、飾りは取れても構わないので、帽子だけはどうにか回収したい。

 ならばいっそ、先に日傘を取ってきて、お行儀は悪いがその傘の柄に引っかけて取るべき……? と考えていると、ティアナの後ろを通りがかった人物に声をかけられた。

「ティアナ夫人?」
「! あ……アレクシス殿下……」

 男性の声がしたので振り返ってみると、石畳の通路にアレクシスが立っていた。

 一瞬『なぜ!?』と思ったが、不思議に思うことはない。彼も第一王女の催す薔薇庭園でのお茶会に参加する予定となっていたのだから、そこへ向かうためにここを通っただけの話だ。

「帽子が引っかかったのですか?」
「……お恥ずかしながら」

 くす、と微笑んだアレクシスがティアナの傍へ近づきながら訊ねてきたので、羞恥を感じながら頷く。見られたのが日傘の柄に引っかけて取ろうとしている場面ではなかったのは、本当によかったのだが。

「王宮の庭園には、風が強く吹き抜ける場所があるのです。知らないと突風が起きたように感じるかもしれませんね」

 そう説明してくれたアレクシスが木の枝に手を伸ばし、ティアナの帽子をひょいっと摘まみ上げる。

 身長が高いアレクシスにとっては、この程度の高さなどなんの障害にもならないらしい。この際取れてしまっても仕方がないと諦めていた髪飾りも、ちゃんと残った状態だった。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 アレクシスが差し出してくれた帽子を受け取り、それを頭の上に乗せる。もう風で飛ばないよう後でピンで留めておかなければ……と思いながらとりあえず向きと角度を調整していると、その姿を見ていたアレクシスがハッと目を見開いた。

「! ティアナ夫人!」
「……え?」

 目の前のアレクシスが突然大きな声でティアナの名を呼ぶ。驚いたティアナが動きを止めると、アレクシスが少し焦ったような表情でさらに一歩近づいてきた。

「もしやあなたは『月の仮面舞踏会』で会った女性なのですか!?」
「!?」

 アレクシスの唇からこぼれ落ちた一言に思考が急停止する。麗しの王子殿下の口から『月の仮面舞踏会』との文言が飛び出てくるとは予想もしておらず、頭の中が真っ白になる。

 なぜアレクシス殿下が『月の仮面舞踏会』のことを知っているのだろうか。否、王都に住む年頃の男女ならば一度は興味を持つだろう『秘密の社交場』ゆえ、彼も存在自体は知っているのかもしれない。

 しかし今この瞬間にその言葉を口にする理由がわからない。それをティアナに訊ねてくる意味もわからない。

 そもそも『会った』とはどういう意味だろうか。まさかアレクシスは、ティアナが過去に『月の仮面舞踏会』に参加したことを知っているのだろうか。

 なぜ? どうして……

(まさか、月明かり大公に聞いて……?)

 頭の中に浮かんだ可能性に、ハッと我に返る。

 王子であるアレクシスにとって、王弟のジークハルト大公は叔父にあたる人物だ。月の仮面舞踏会の参加者の情報は他に漏れないよう厳重に管理されているはずだが、主催者の親族はその限りではないのかもしれない。

 しかしそれでは個人情報保護の意味がない……と青褪めるティアナの右の手首を、アレクシスがぐいっと掴まえる。

「え……?」

 これまで優しく穏やかな印象しか抱いていなかったアレクシスに強い力で腕を掴まれたことに驚くが、ティアナの『本当の』驚愕はそんなものではなかった。

 ティアナの右手を掴んだアレクシスが、それより少し下の、腕の中間あたりを一瞥する。彼の視線を追ってみると、少し捲れたワンピースドレスから――真夏の暑さを少しでも逃せるようにと選んだ五分丈の袖口から、ティアナの肘が見えていた。

「この右肘の内側にある、三つ並んだほくろ」

 アレクシスが熱を含んだような声音でぽつりと呟く。ティアナの唇から「え」と音がこぼれると同時に、彼が信じられない台詞を発した。

「あの夜、俺はここにも口づけました」
「!?」

 アレクシスが示した『あの夜』に、ティアナの呼吸と思考が止まる。喉の奥が詰まったように息苦しくなって、頭の中が真っ白になる。

「っ……うそ……」

 うそだ。――嘘に決まっている。

「そ、そんなはず……!」
「ティアナ夫人」

 突然の出来事でなにも考えられなくなった脳を、それでもどうにか働かせようとする。だがアレクシスはティアナの気持ちと思考が落ち着く瞬間を待ってくれない。混乱するティアナの手首を掴んだその手に、さらなる力が込められる。

「ずっと、あなたを探していました。もう一度会いたい……あなたに会って、もっと話がしたいと……」
「っ……」

 そのままティアナを抱きしめるつもりなのではないか、と思うほどまで距離が近づく。アレクシスの匂いをすぐ傍に感じる。彼の存在を認識した瞬間、背中がぞくん、と甘く痺れる。

「……アレクシス殿下!」

 自身の反応に気づいたティアナは、咄嗟に声を張り上げるよう彼の名を呼び、それ以上の接近を拒んだ。

「つ、月の仮面舞踏会とは、なんのことでしょうか?」
「……え?」

 ティアナの制止とごまかしの一言を耳にしたアレクシスが、ぴたりと動きを止める。ティアナの返答が予想外だったのか、彼の肩と手からスッと力が抜ける気配がした。

 アレクシスのその反応から、まだ言い逃れができると――知らないふりでやり過ごせる、と判断する。アレクシスの腕から逃れるように後ろへ身を引いたティアナは、視線を下げて祈るような気持ちで息をついた。

「存じ上げません。私には、おっしゃっている意味がわかりかねます」

 ティアナの宣言にアレクシスが目を見開いて言葉を失う。その表情を目の当たりにしたことで、ティアナもようやくすべてを悟る。

 あの満月の夜、素顔を隠してダンスを踊り、その後ベッドを共にした相手が目の前にいると――互いの『はじめて』を交わし合った相手が、目の前にいる第二王子のアレクシス=ファルトニア殿下だったのだと理解する。

「……妹が待っておりますので、失礼いたします」

 気づいた瞬間、ティアナは一言だけ言い残し、その場から駆け出していた。

「えっ……ま、待ってください……! ティアナ夫人……!」

 後ろからアレクシスの声がする。
 必死な様子でティアナの名前を呼んでいる。

 だが足は止められない。
 振り返ることもできない。

 先ほどまでは『どんなに急いでいてもバタバタと走るべきではない』と思ってたはずなのに、馬車留めへ向かうティアナの足はこれ以上ないほど速く動いている。

 けれど気持ちはその速さに追いつけていない。

(うそ……嘘でしょう……!)

 嘘に決まっている。そんなはずがない。月の仮面舞踏会で会ったあの人がアレクシス殿下だなんて、なにかの間違いに決まっている。きっとアレクシスの勘違いと自分の勘違いが、たまたま重なっただけ。

 ――そう信じたいのに、冷静に考えれば考えるほど、あの夜見つめ合ったロイヤルブルーの瞳がアレクシスのものとしか思えなくなっている。

 艶やかな黒髪も、ティアナを気遣う声も、優しい指先も、アレクシスの特徴そのものとしか考えられなくなっていく。

 それでもティアナは認めるわけにはいかない。この後、日傘を取って薔薇園に戻り再び彼と対面しても、絶対に平常心を保たなければならないのに――

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