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黒の仮面は月闇に溶ける ③
きっとアレクシスはこの手を離してくれない。逃げようとしても逃がしてくれない。
本当はアレクシスとダンスを踊り、最後に彼の望みを叶えることで、すべてを幕引きにしようしていた。今夜を一生の思い出にしよう、と考えていたのだ。
だがなにも告げずに消えることを、きっとアレクシスは許してくれない。真剣な言葉で懸命に気持ちを伝えてくれる彼には、同じように偽りのない言葉で真摯に説明しなければ、きっと納得などしてもらえないだろう。
「……私では、あなたの足枷になるだけです」
本当は少しだけ恥ずかしい。苦しみや寂しさ、恐怖も思い出してしまうから、できることなら口にしたくはない。
けれどティアナの気持ちを知ることでアレクシスが納得してくれるのなら、少しだけなら耐えられる。密かに抱いているこの羞恥や悔しさをさらけ出すことで結果的にアレクシスの幸福な未来を守れるのなら、彼に幻滅されても構わない。本心をさらけ出しても構わない。
「私はアレクシス殿下よりも年上で、一度嫁いだ身で……。その婚家でも、ずっと『役立たず』と言われてきました」
「……ティアナ」
「私が相手では、殿下は今よりもさらにお立場を悪くするだけです。あなたは私ではない女性と結ばれた方が……幸せになれるのです」
アレクシスと目を合わせると情けなさに打ちのめされてしまう気がして、視線を逸らしたまま自身の考えをぽつぽつと紡ぐ。
イクシア侯爵家に嫁いでいた期間、当主であるジャックとの間に子どもができなかったティアナは、ずっと『役立たず』『できそこないの嫁』と罵られ続けてきた。ジャックとは一度も閨を共にしたことがないのだから子ができないのは当たり前だが、義母リカルダは責任のすべてをティアナに押しつけ、頬を叩いたり、身体を突き飛ばしたり、真冬に冷水を浴びせたりと、ティアナにひどい仕打ちばかり与えてきた。
当主であるジャックには暴力こそ振るわれなかったが、暴言は日常茶飯事だったし、その中にはティアナの女性としての尊厳を傷つけるようなものも含まれていた。さらに父マクシムに助言を求めても取り合ってもらえず、彼にも『おまえがしっかり夫を支えないからだ』と突き放されていた。
そんな日々を三年も続けていたせいか、ティアナがイクシア家から離縁を言い渡されるのは当然のことだと感じていた。義母のリカルダから離れられることには安堵していたが、それと同じぐらい不甲斐なさや虚無感も抱いていた。
そしてこの経験があるからこそ、アレクシスの手を取れないと考えている。彼の好意が嬉しくても、互いに想い合っていたとしても、アレクシスを幸せにできない自分が選ばれてはいけない、と思っているのだ。
「殿下のお気持ちは嬉しく思います。ですが私はあなたの価値を貶めるうえに、結婚にも向いておりません。ですから……」
ティアナの告白を聞いたアレクシスが小さく息を呑む。彼の緊張を感じ取ったティアナはそのまま沈黙が下りると考えたが、アレクシスの反応は思いのほか早かった。
ギシ、とベッドが軋むと同時に、ティアナの視界がフッと暗くなる。
「――申し訳ありません、ティアナ」
「! で、殿下……?」
腕を伸ばしたアレクシスが、謝罪とともにティアナを強く抱きしめてくる。その力強さに思わずあわあわと焦ってしまうが、アレクシスはティアナの狼狽を気にせず、小さな声で謝罪を重ねる。
「深く傷ついてきたあなたが二度と結婚したくないと思うのも、不安に感じるのも、当然です。なのに俺は、自分の気持ちばかり押しつけてしまいました」
「……アレクシス殿下」
「王族相手にも意見が言えるからとか、俺を正してくれるからとか、勝手なことばかり言ってしまいましたね」
アレクシスの呟きに、彼の腕の中でふるふると首を振る。
アレクシスが謝る必要はない。申し訳なさを感じる必要はない。ティアナが彼の手を取れない理由は、不出来な自分と心の弱さが原因なのだから。
「ですが『役に立たなければ』なんて気負わないでください」
だがこれでようやくティアナの気持ちも伝わったはず……と思うも束の間、アレクシスが優しい声音でティアナを諭し出す。ティアナの気持ちを受け入れた上で、それでもやっぱり諦めたくはない、と匂わせてくる。
驚いたティアナは目を見開いてしまうが、腕の力をゆるめてティアナの顔を覗き込んでくるアレクシスの瞳には、やはり一切の迷いがなかった。
「ただ傍にいてくれるだけでいい。俺は〝ティアナ〟でなければならないんです」
「……殿下」
「隣にいるのがあなただから幸福だと、あなたを愛するからこそ俺の人生には価値があると、生涯に渡って証明し続けます」
真剣な眼差しと表情で紡がれる言葉に、心が強く揺さぶられる。ロイヤルブルーの美しい瞳にじっと見つめられると、乾いてひび割れた心に水と光を与えられて、ゆっくりと染みわたっていくような心地よさを覚える。
彼が語る愛の言葉のひとつひとつに古い傷を癒されていく。まるで魔法にかけられたように、長い悪夢から目覚めていくように、心がすぅっと軽くなってアレクシスの温もりに満たされていく。
「だからティアナ=シルヴァーノ伯爵令嬢。――どうか俺と、結婚してください」
アレクシスの真剣な求愛に、心だけではなく唇も震え出す。そのまま口を開けば声も震えてしまう気がしたが、それでも確かめずにはいられなかった。
「……本当に、私で……よろしいのですか?」
「ティアナじゃなければ、だめなのです」
ティアナの問いかけにアレクシスが力強く頷いてくれる。あまりにも素早い即答ぶりが彼の本気度を物語っているようで、その真剣な声と眼差しと言葉が嬉しくて、ティアナはただ頷くことしかできない。
「……うれしい、です」
ぽつりと呟くのが精一杯だったが、アレクシスにはしっかりと伝わったらしい。彼がほっと息を吐きながら「ああ、よかった」と頷くので、ティアナの頑なな態度が彼をかなり不安にさせていたのだと知る。
申し訳ないことをしてしまった、と密かに反省するティアナだったが。
「実を言うと、花嫁選定の結果は、すでにティアナに決まっていたんです」
「え……?」
ティアナの首の下に腕を入れてぎゅっと抱きしめてくるアレクシスの一言に、そっと首を傾げる。
あらかじめ設定された花嫁選定の期間は、まだ一か月近く残されている。しかもこの期間中に決定できなかった場合は選定の延長もありうる、と通達されていたので、まさかすでに結果が出ているとは――しかも選ばれたのがティアナだとは考えてもおらず、思わず目を瞬かせてしまう。
呆気にとられるティアナの表情を確認したアレクシスが、くすり、と微笑む。
「陛下と姉上は、基本的には誰を選んでも構わないという姿勢です。王妃は俺が権力を持つことを懸念しているのでしょう、グリエルド公爵家の令嬢以外ならば誰でもいい、と考えているようですね」
アレクシスの説明に、なるほど……と納得する。
アレクシスの父である国王陛下と姉である第一王女は、基本的には本人の希望を優先して構わないと考えているようだ。これまで苦労を強いられてきたアレクシスに対して、結婚相手にまであれこれ口を出すつもりはない、ということだろう。
対する王妃は隙あらば口を出すつもりだったが、最終候補者として残った者のほとんどが侯爵家か伯爵家の令嬢のため、アレクシスの強い後ろ盾にはなり得ない、と考えているという。
唯一、グリエルド公爵家だけは長い歴史と強い権力を有しているため、公爵家の令嬢を選ぶことでアレクシスが強い権力を持つかもしれないことは警戒しているようだが、それ以外ならば取るに足らないと感じているようだ。
もちろん彼ら以外にも王族や強い権力を持つ貴族はいて、彼らの意見も適宜取り入れなければならない。だが誰に意見を窺っても『ティアナ=シルヴァーノ伯爵令嬢は相応しくない』との声は挙がらず、むしろ授業の様子や試験の成績、公的な場での立ち振る舞いを目にした人々は『彼女ならば』と前向きに捉えてくれるという。
「あなたは自身の結婚歴や年齢を気にしているようですが、実際はそれほど問題視はされていません。むしろ王室――特に王妃は、歓迎しているのです」
アレクシスがため息交じりに呟く様子を見るに、やはり彼と王妃はあまり折り合いがよろしくないことが感じ取れる。おそらくアレクシスの花嫁となる以上、相手が誰であろうと多少の煽りは受けることとなるのだろう。
しかしティアナの手をしっかりと握ってくれる指先の力強さから、アレクシスは己の身を呈してでも花嫁となる女性を守り抜いてくれると感じられる。その証拠にティアナがきゅぅ、と手を握り返すと、こちらを見遣ったアレクシスはすぐに笑顔を浮かべてくれた。
「早めに内定を通達するとはいえ、本人に拒否されたら意味がないですからね」
アレクシスの笑顔から、彼にとっては今後の王妃への対処法よりも、今夜ティアナを口説き落とすことの方がよほど難題と感じていたのだと察する。彼の安堵の表情の中に、先ほどの「ああ、よかった」の真意を見つけたティアナは、再び「うぅ」と言葉に詰まった。
想いを受け入れることを躊躇って、かなりの遠回りをしてしまった。アレクシスの気持ちを疑っていたわけではなく、ただただ自信がなかっただけだが、随分と彼を不安にさせてしまった。
申し訳なさを感じて俯こうとするティアナだが、アレクシスの指先は視線を逸らすことすら許してくれない。
「あなたが望むのなら、明日の朝一番にシルヴァーノ伯爵家へ向かっても構いませんよ。どのみち朝まで離してあげられそうにないので、大事なご令嬢を朝帰りをさせる謝罪をしなければなりませんし」
「!?」
とんでもない宣言をされたことに驚いて、ぴく、と飛び上がる。
現在の時刻は日付が変わる少し前。月の仮面舞踏会そのものはとうの前に終わっていて、今なおこの館に滞在している者は、おそらく『月を眺めるため』にゲストルームを使っている人々ぐらいなものだろう。
とはいえ、さすがに日付が変わる前にはここを出るべきだ……と思っていたのに、アレクシスはそうは考えていないらしい。
「まさか、もう終わりだと思ってましたか?」
「あ、アレクシス、殿下……!」
ティアナをぐいっと抱き起こすと、場所を換わるようにアレクシスがベッドへ寝そべる。そのアレクシスに腰を支えられながら誘導された場所は、彼の腹の上だった。
アレクシスの上に馬乗りになるような格好にさせられるとは思ってもおらず、大慌てでそこから退けようとする。しかし腕や足を動かす前に、下から伸びてきた大きな手に両方の胸をふわりと包み込まれた。
「っ……! あ、あっ……ん」
露出した胸を鷲掴みにされたことに驚いているはずなのに、喉からは甘えるような声が溢れてしまう。
溢れ出た声と反応が恥ずかしくなったティアナは自身の手で自らの口を塞ごうとしたが、その前にアレクシスがぽつりとなにかを呟いた。
「実は、すごく後悔していたんです」
「え……?」
「あの夜、俺の従者だと言って、部屋に他人を入れたでしょう」
「あ……はい。そういえば、そうですね……?」
急に話題が飛んだため、一瞬なんの話をしているのかわからなかった。
だが記憶を巡らせて、あの夜――はじめてアレクシスと出会った日のことを思い出す。
言われてみれば最初にアレクシスと肌を重ねた際、彼の希望で第三者が――彼の『元』婚約者の従者だという年配の女性が、同じ部屋に滞在していた。相手は従者であると説明を受け、かつティアナと同じ女性だったこと、直接交わる様子を見られているわけではないこと、なにか深い事情がありそうだと感じたことから、ティアナも女性の同席を受け入れることにした。
「他人に情事を観察されて、集中なんてできるはずがない」
どうやらアレクシスは、あの状況に不満を感じていたらしい。
月明かりの下でティアナの裸体をじっと見つめていたアレクシスが、前髪を掻きあげなら淫靡に笑う。
「もっとしっかり〝ティアナ〟を味わいたかった。……彼女を追い出した後で、もう一度ちゃんと抱いておけばよかった、と後悔していました」
「!?」
アレクシスがくす、と妖艶な笑みを浮かべるので、先ほどとは違う理由でここから逃げ出したくなってしまう。
だがやはり彼はティアナを離してくれない。がっちりと腰を掴まれると、再び反応を始めている股間をぐりっと強く押しつけられる。
「もう、遠慮はいらないですね?」
「ちょ……えっ、まっ……!」
口の端を吊り上げたアレクシスの一言で、背中に甘やかな悪寒が走る。
部屋の入口に落ちている二つの仮面は月闇の中へ溶けたはずなのに……二人のみだらな夜を密かに眺めて、実は愉快に笑っている気がした。
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