約束 〜幼馴染みの甘い執愛〜

紺乃 藍

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3章 Side:愛梨

9話

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「……した、っけ」
「したよ。忘れたの?」
「……」

 処理が間に合わず、大惨事になった昼下がりの実家の部屋で、愛梨は雪哉の黒い瞳にきつく睨まれた。間髪入れない問いかけと鋭い眼光が、心臓の奥をじくじくと蝕む。強烈な胸の痛みを感じて、思わず雪哉から視線を外してしまう。

「えっと…。ごめんなさい」
「別に謝らなくていい。でも、彼氏とは別れてくれないと困る」
「えっ…」

 何と言っていいのか分からず謝罪だけを述べると、その言葉は受け取りさえ拒否された。耳に届いた言葉の意味が理解できずに顔を上げると、熱を含んだ雪哉の瞳と目が合った。

「嫌?」
「え、と…」
「俺との約束が先だよね? まさか、彼氏と婚約してる?」
「し…、してないけど…」

 その温度の高さに困惑していると、首を傾げた雪哉に更なる確認をされた。

 はるか昔、確かに雪哉は愛梨を迎えに来ると言った。『結婚』の2文字こそ示されなかったが、愛梨もそういう意味が含まれているのだと確かに解釈していた。

 それと同じ、もしくは似た約束など、弘翔との間にはない。

 だってまだ付き合って2か月だ。お見合いや結婚相談所で知り合ったならともかく、普通の恋愛をしていて、2か月で結婚話になるカップルなんて、そこまで数は多くないと思う。愛梨と弘翔だって、そんな話にはまだなる筈もないけれど。

 けれど。

「わ、私……弘翔の事が好きなの……。だから、えっと…」

 ここ数時間の様子から、今の雪哉が怒った顔をしていることは容易に想像できた。整った顔立ちが静かに怒りを露わにするのはそれなりに威圧感があると知ってしまった以上、とても顔を上げて雪哉の顔を見ることは出来ない。

「別れることは出来ない、です」

 だが意思表示をしない訳にはいかない。今、愛梨と付き合っているのは弘翔で、優先順位が高いのも弘翔だ。それを自分でも認識しているから、言葉に出して否定する。

「……それは聞きたくなかったな」

 愛梨の決意の上に重なった雪哉の声は、氷点下の冷気を思わせるほどに冷め切っていた。その氷のような冷たさに、一方的に約束を無かったことにした愛梨の『不誠実さ』を咎められているような気がした。

 沈黙。

 雪哉は何か考え込んでいるようで、何も言わない。もちろん愛梨も何も言えない。

 長い沈黙を貫くことで雪哉に仕置きを受けているような気分になった。それから、雪哉が自分の意見を是が非でも押し通そうとしている、強い圧迫感も。

 雪哉のそんな強情な態度に気が付くと、沈黙を打ち破る台詞は愛梨の方から出てきた。

「なんか、ユキ、変わったね」
「変わった? 俺が?」
「……うん。私の知ってるユキは、自分の意見を押し付けて無理な要求をする人じゃなかった」

 雪哉は元々、口数の多い子供ではなかった。どちらかと言うと物静かな性格で、愛梨の方がよっぽど活発な子供だった。そう記憶しているからこそ、今の雪哉の態度は殊更に圧を感じる。

「もっと、優しかった」

 威圧的な態度には、優しさを感じない。むしろ言葉に出来ない恐怖感を覚える。

 いや、本当は雪哉を責めるのがお門違いであることは愛梨自身がよくわかっている。2人の間で交わした約束を、一方的に反故にした愛梨が悪いのは言うまでもない。

 けれど、あんなものは幼い子供の通過儀礼だ。今更その約束を掘り起こしたところで、雪哉には何のメリットも無い筈なのに、そこまで強情に認めさせたい理由がわからない。

「別に何も変わってないよ。俺は昔からずっと、愛梨を独占したいと思ってた。愛梨に、俺の事だけ見ていて欲しかった」
「えっ…?」

 初めて聞く感情に、思わず顔を上げる。昔『から』と呟いた雪哉の瞳は、愛梨の瞳を捉えると静かに揺れ動いた。惹き込まれて、吸い込まれそうなほどの深い眼差しは、色を帯びたように少し濡れている。

「ただ子供は自分の発言に責任が取れないから。愛梨と離れたあの日まで、思ったことを口にしてなかっただけ」

 その言葉に、はっとして我に返る。
 小さな子供は責任が取れないから、って。それなら中学生なら責任が取れるという事なのだろうか。

「そんなの、嘘だよ…」

 そんなことは無い。中学生だって、自分の言葉に責任を持てるような年齢じゃない。良し悪しの判断は出来るだろうけれど、未来の自分の言動まで責任なんか持てない。

 けれどあの時の愛梨は、雪哉の言葉を信じた。長い歳月をただ待ち続ける時間に費やし、終わりの見えない幻想に疲れ果ててしまうほど、ずっと雪哉に恋焦がれていた。なのに。

「ユキは、迎えにくるから待っててって言ったのに。迎えになんか来なかった。15年の間、連絡も何もなかった」

 違う。そんなことを言うつもりなどなかった。連絡手段がなかったことは、これまでの経緯を聞いて、ちゃんと理解していた。だから連絡が無かったことや長い間巡り合えなかった事で、雪哉を責めるのは間違っている。雪哉を待ち続けたのも、愛梨の自己判断だ。

 それはちゃんと、分かっている。

 でも分かっているからこそ、雪哉にも分かって欲しい。あれから時間が経って、お互いに大人になったことを。もう愛梨は、雪哉の幻想を追っていないことを。今の愛梨には雪哉以上に大切な恋人がいることを。

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