ソレイユの秘密

紺乃 藍

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蜜愛パラドクス

こいこい こわい

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「そういえばみなとくんとなっちゃんって、なんで普通の同棲じゃなくて、シェアハウスなの?」

 脚の悪い私や、カモフラージュが必要なあやくんと違って『他人がいる環境』である必要はないんじゃない? なんてあおいに首を傾げられてしまう。

「あぁ、菜摘なつみ、すごい怖がりなんだ。ホラー的な意味で。日が沈むと自分の家にすら1人でいられないレベル」

 不思議そうに問いかけられて思わず言葉に詰まった菜摘の隣で、湊があっさりと恋人の弱点を暴露する。そんな湊をじとっと睨む。だが事実なので、反論は出来ない。

 菜摘は、怖いものが苦手だった。一応、生まれてこのかた『この世ならざるモノ』を見たことは無い。

 だが年の近い妹が『見える』『感じる』『話せる』体質の人で、昔から『自分には認識できない何か』とコンタクトをとる妹の様子を見聞きしてきた。そんな妹に対して偏見を持っているわけではないが、表現しがたい違和感だけは年齢を重ねても拭えなかった。むしろ『認識できない何か』に対する不安感は年々増幅してきているように感じられる。

 ホラー全般、一切受け付けない。お化け屋敷も無理。肝試しも論外。夜中トイレに行く時は先々のライトを全て灯さなければ用すら足せない。だから湊とソレイユに入居するまで、通勤に1時間もかかるのにずっと実家暮しだった。

「意外~!なっちゃんお化け屋敷とか好きそうなのに」
「いや、むり。絶対無理!」
「私はホラー好きだよ」
「俺も好きなんだけどなー。なんなら映画館で見た方が臨場感あっていいんだけど」
「うん、わかる! 大画面と爆音の方が迫力あるよねぇ」

(なぜその話題で盛り上がる……)

 湊と葵はホラー映画が好きなようだ。自分に見えない世界を垣間見る緊張感と、スリル感がたまらないと何故か盛り上がっている。千里せんり深月みづきはどちらかと言うと苦手。後で確認したところ、彩斗あやとは何とも思わないタイプらしい。

 目が合った千里が、

「消防署は、出るぞ」

 と、ボソリと呟いたその言葉でさえ怖い。じりり、と千里から距離をとると、葵がおかしそうに噴き出した。



 そして間の悪い事に、そんなやりとりをしている傍からホラー特集がテレビで放送される。これだから夏は嫌だ。

 深月は自分の部屋に戻っていった。今日は彩斗がいないので『1人なのに怖いの観たくないよ』と言った意見には同感だ。千里は同じリビングルーム内にいるが、趣味の釣りに使う道具のメンテナンスをするとの事で、一切意識をこちらに向けていない。

 菜摘は。
 テレビを観るという湊がいないのに、1人で部屋で待つ気にはなれない。仕方がないので薄いパーカーを頭から被り、イヤホンで音楽を聴きながらスマホで漫画を読むことにした。

 湊の膝の上で、体は湊の胸に向けて。

 背中を預けて湊と同じテレビ画面の方向を向くと、誤って視界に見たくないものが映る可能性がある。その不快感には耐えられないので、あえて湊に抱かれた状態で完全に一人の世界に没入する。

 後になって、テレビが終わるまで深月の部屋で深月と一緒にいればよかったと思い至った。だが、気付いた時にはすでに動くことすら出来ない状況。うっかりテレビ画面に視線を向けてしまおうものなら、今夜は100%寝付けなくなる事はわかりきっている。

 CMを挟む度に湊が飲み物を飲んだり、身体を触ったり、体勢を変えようとしたりと菜摘にいたずらをし始める。けれど、全部無視する。とにかく菜摘の嫌いな番組が終了するまでの2時間は、絶対に現実世界に戻ってこないと心に決めて、ひたすら恋愛漫画の世界に没頭し続けた。

「菜摘?」

 イヤホンをすぽっと抜かれて、名前を呼ばれた。思わず身体が過剰に跳ねる。

「終わったよ?」
「あ、うん……」

 あやすように背中を撫でられ、その何気ない手の動きに安心する。舞い戻って来た現実世界を見渡せば、そこが旅立つ前と全く変わっていない事にも安堵する。リビングルームには次の番組が始まるまでの間に流れる、天気予報が響いていた。

 それでも何となく、『窓』と『角』と『天井』は見れない。

 菜摘がトリップしている間に、葵と千里は自分たちの部屋に戻ったらしい。テレビの電源をオフにした湊に寄り添いながら、一緒に廊下に出る。

「寝る前にトイレ行きたいんだけど」
「……1人で部屋に戻りたくない」
「じゃあ廊下ここで待」
「や、やだ…! 一緒に行く!」

 ソレイユの廊下は夏でもひんやりと冷たく、使用頻度が低い場所なので照明も他よりやや暗い。遮るものや隠れる所もない一直線の場所。だから廊下が1番怖いのに、そこに1人で放置されたくはない。それがほんの1分程度の時間だとしても。

「…………どんなプレイさせる気?」

 湊の呆れた声が耳に届く。いや、プレイとかそういう問題ではなく、この場に1人で放置しないでほしい。ただそれだけであって、湊の頭の中に浮かんでいるであろう『何か』は菜摘には1ミリも興味がない。

「菜摘もトイレ行って来たら? いま行かないで夜中に起こされても、俺、絶対ついてかないからね?」
「……うう」

 それは嫌だ。

 仕方がないので湊の腕から手を離し、急いで女子トイレに駆け込む。ソレイユは男子トイレと女子トイレが分かれていて、掃除もそれぞれの掃除当番が担当する。だからこのシェアハウス内では、トイレが唯一の男子禁制エリアだ。

 だが、その場所でも今日は落ち着けない。リビングルームと同じように、出来るだけ『天井』と『小窓』と『角』を見ないように用を済ませ、急いで手を洗って廊下に出る。

 既に待っていた湊の腕に再びしがみつくと、苦笑した湊に導かれながら自分たちの部屋『プランタン』に戻る。

「電気点けておく?」
「……ベッドのだけ」

 ぽつりと呟くと、湊が『了解』と笑う。ベッドサイドにオレンジのライトを灯し、それからベッドの中に潜り込む。

 湊と菜摘は形も色もまったく同じ木製のシングルベッド2台をぴったりとくっつけて使用している。喧嘩したときにもお互いのプライベートエリアを保持するために、けれどお互いの存在を常に間近に感じるためにはこの距離感が最適だ。

 けれど今日は違う。2つのシーツの境目を乗り越え、湊の腕の中にもぞもぞと入り込むと、夏用のタオルケットの中で身体を密着させて手を繋ぐ。指と指を絡めて、ぎゅっと握って、お互いの存在をより近接で感じ合う。

「手、ずっと繋いでてね。離したら、怒るから」
「わぁ、素直でかわいい」
「……なによ?」
「いや、こんなに素直なら毎日ホラー見ても……って痛い痛い、ごめんって!!」

 絶対に最後まで言わせるものかと繋いでいた手をぎゅううと握る。菜摘はそこまで握力が強い訳ではないが、油断していた湊には強い刺激に感じたらしく、笑いながら痛いと繰り返した。

 湊の手から指を離し、布団の中に引っ込める。すると少し驚いた顔をした湊が、今まで握っていた指を再び重ねて絡めてきた。

「いいよ? 手つなご?」
「……ん」

 素直に湊の誘いに乗る。こうやって手を繋ぐと、それだけで安心できる。明日にはこの恐怖感を、ちゃんと忘れている。それに今日の夢にも『怖いもの』は出てこない。

「……葵に、ちゃんと言わなかったことあるの」
「ん?」
「なんで『シェアハウスえらんだの』って言われたとき」

 先程訊かれた、同棲ではなくシェアハウスを選んだ理由。それは湊の言うように、菜摘が怖がりだったのも理由の1つ。けれどそれだけじゃない。菜摘が怖がるなら、飲み会にも行けないな? とむしろそれが嬉しいとでも言うように笑った湊に、当時の菜摘が思った事。

 それは決してオバケが怖いだけじゃなくて。

「だって、他に……だれかいないと……。平日も、休日も、あさも……よるも」
「菜摘……?」
「……かんけー、なくなっちゃう、から」
「……。」

 ずっと2人だけの世界に浸ってしまったら、私のカラダが保たないよ、と。

 言葉も思考も、とろりと、溶ける。半分は現実に、もう半分は夢の中に入り込んだように、半覚醒状態になってしまう。湊に名前を呼ばれると一瞬は意識が戻ってくるのに、数秒間刺激がないだけでまた夢の世界に重心が傾いていく。

 枕の上に頬杖をついた湊が、そっと菜摘の髪を撫でる。指先からするりとほどけてこぼれ落ちた動きを知覚しながらも、その心地よさから意識がまた遠のく。

 すぅ、と吸い込んだ息を、静かに吐き出す。そのひと呼吸の続きで湊が呟いた言葉には、とうとう返事が出来なかった。

「俺は幽霊やお化けより、菜摘の殺し文句が1番怖いよ」

 ―――だから今夜はきっと、濃い恋の怖くない夢を見る。
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